表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之陸 怨慕交錯
106/115

白雪の内に蠢くもの

 絡嬰と束憐が謹慎を始めて、二十日程が経とうかという頃。

 降り積もる雪を踏み分けて、二人のもとを訪れた者が居た。

「やぁ、こんにちは。御健勝ですか」

 叡循貴である。彼は笠を取り部屋に通されると、火鉢に手を翳した。

「今日は冷えますね。先日までこの辺りには珍しく穏やかな天気だったのに」

「そうですな」

 当たり障り無く答えて、絡嬰は手ずから熱い茶を注いだ。

「どうぞ。暖まります」

「やあ、ありがとう」

 叡循貴は終始にこやかである。傍目には、到底つい最近四将軍から貶された者には見えない。

 受け取った茶を啜った叡循貴は、何気ない仕草で辺りを見回した。

「あと十日ほどですか」

「はい」

 絡嬰は敢えて人払いはしていない。この状況で人払いをすれば、何の密談かと周囲の邪推を招くからである。叡循貴は何やら納得したように一つ頷くと、軽い調子で言った。

「実は私も職を移ってから少々暇を持て余していまして。暇潰しに謎かけ遊びに凝っているのですが、これがなかなか難しい」

「ほう」

 元が年齢の割にやや幼い顔立ちの叡循貴にそんな風に言われると、微笑ましく思えてしまう。

「そこで、賢明な絡将軍に教えを乞いたくて来たのです」

 目が合うと、叡循貴はふわりと笑った。

 邪気の無い笑顔。しかしその瞳の奥に笑みが無いことに、絡嬰は気づいていた。

「どうぞ」

「……とある幼い子ども達が、鳥を飼っていました。ところがそのうち一人が誤って鳥を逃がしてしまった」

 飽くまで明るく、軽く、穏やかな叡循貴の口調を、疑える者が何人いただろう。

「他の子ども達は烈火のごとく怒り、喧嘩になりました。さてその子ども達の家には猟犬も飼われていたのですが……猟犬は、子ども達の喧嘩に割って入るでしょうか?」

 絡嬰は茶を啜った。それから、答える。

「入りませんな」

「ほう、何故?」

 細められた循貴の目が光る。絡嬰は淡々と述べた。

「猟犬は猟犬。獲物でもないものに関心はありますまい」

「飼い主がけしかけたとしても?」

「よもやその猟犬が人喰いというわけではありますまい。況して飼い主が自ら喧嘩を仲裁できぬ程無能ならばなおのこと」

 絡嬰は真っ直ぐに叡循貴を見据えた。

「小屋の中に押し込められた猟犬がわざわざ出てくることはない――己の尾を踏まれぬ限りは」

 その断言を耳にした叡循貴は破顔した。とても無邪気に。

「なるほど、流石に絡将軍は賢明だ」

 立ち上がって辞去の礼をしながら、告げる。

「これからも頼りにしていますよ――では、また」



 叡循貴が立ち去った後、束憐は絡嬰に怪訝そうな顔を向けた。

「何だったんだ、一体」

 絡嬰は小さく笑う。

「見ていればわかる。我々は謹慎の間おとなしくしていればいい……それで、全てが終わる」

 降り積もる雪が世界を白く染める中、じわりじわりと墨のごとき闇が染み出そうとしていた。




 満月の夜が訪れた。

 函朔と沃縁は立ち上がって何とか動けることを確認しあい、荷物を馬の背に乗せて家のすぐ脇にある藪に身を潜める。慎誠も同じ場所に隠れ、いつでも飛び出せるよう身構えていた。苫はいつも通り小ぢんまりとした家の中に座り、不安げに胸に手を当てている。

 やがて馬車の音が近づき、停まる。中からいかにも商人体の、人の良さそうな男が降りてきた。

「そんなに悪人っぽくは見えないね」

 慎誠がこそりと言う。沃縁が軽く首を振った。

「本当に悪どいことをする者こそ、穏やかな容貌をしているものです。顔に悪党と書いてあるような者は小者ですよ」

「……何だろうな、この説得力」

 函朔が何とも言えない表情で呟く。

 沃縁も嘗て畢で盗賊騒ぎを起こした際、他人に警戒心を起こさせない自身の風貌を利用して函朔と鴻宵を欺いていたのだ。その人物にこう言われると、なるほど確かにと思ってしまう。

 さて、その堵氏は馬車から降りたところである。

「苫や」

 彼は戸口から、家の中へ向かって呼び掛けた。苫が恐る恐る出てくる。

「さぁ、苫。おいで」

 堵氏が手招く。苫は全力で首を振った。

 まずは自分で、はっきりと拒絶の意志を示すこと。それが、三人が苫に課した条件であった。

 首を横に振って扉の陰に隠れた苫に、堵氏が顔を歪める。

「拒否権があると思っているのか」

 穏やかな風貌から、一変。苫を睨んだ堵氏が手を振ると、左右の部下達が一歩進み出る。

「……やっぱり小者でしたか」

 不意に、堵氏の耳に呟きが滑り込んだ。同時に、部下が二人、一度に倒れる。

「なっ……」

「はいはい、拉致誘拐はんたーい」

 忽然と目の前に現れた慎誠が、腕を広げて堵氏の行く手を阻む。その後ろで沃縁が苫の手を引き、函朔がその護衛をしながら走り出した。

「曲者……!」

「夜はお静かに、ね?」

 叫ぼうとした堵氏の喉元に、へらりと笑った慎誠が剣を突きつける。

「苫ちゃんの声を奪ったのはあんた?だったらその喉裂いてみようか?」

 至極楽しそうな物言いとともに刃を押し付けられて、堵氏は蒼白になった。がくがくと震え出し、立っていられなくなる。

 尻餅をついた堵氏を見下ろして、慎誠はにっこりと笑った。

「なんてね」

 さっと刃を収め、走り出す。堵氏が我に返った時には、苫を連れた三騎は都の城門へ向かって疾駆していた。



 都の外れに潜伏して朝を待った三人は、何食わぬ顔で別々に城門を潜り、都を出た。それから函朔と沃縁は合流したが、慎誠は別行動を取ることになる。

「三騎固まってると目立つし、君らだって手負いとはいえ野盗の類にやられるほど弱くないだろ?俺は先に帰って鴻宵に報告するよ。心配してるだろうし」

 そう言われては、反論のしようもない。一緒に駆けようにも、手負いの二人にはあまり無理はできなかった。結局、慎誠を先駆とする形に落ち着く。

 狼の憂も、無事に脱出したことを確認した以上長居は無用とばかりに、一族に報告すべく帰っていった。

「それにしても」

 馬を並べて帰路を辿りながら、沃縁が口を開いた。

「奇妙なまでに追手がかかりませんね。警備も手薄です」

「確かにな」

 函朔も頷き、来し方を振り返る。

「鴻宵に逃げられて混乱してるにしてもさすがにこれは……何かあったのか?」

 二人が首を傾げていた頃。

 昏の王宮では、火の手が上がっていた。




 だいぶ傷も癒え、異動先の官職にも慣れてきた私のもとに、慎誠が帰還した。函朔と沃縁の生存の報せを携えて。

「よかった……」

 安堵する私に、慎誠はにっこりと笑った。

「帰ってきたら労ってやってよ。二人とも頑張ったよ」

「……うん」

 目頭が熱くなるのを感じて、私は咄嗟に顔を覆った。

 二人は命を懸けてくれた。でも私には、一体何が返せるだろう?

「悩まなくていいよ」

 不意に、柔らかい声が間近で響いた。慎誠の腕が、私を包み込む。

「二人とも見返りなんて求めてないんだ。ただ、そうしたくてやってるだけ。それで鴻宵が自分を曲げたりしたら、却って怒るよ」

「……ん」

 私は小さく頷いた。慎誠が、私の背に回した腕に力を籠める。

「あのさ、鴻……神凪」

 懐かしい名前で呼ばれる。その声が少しだけ震えているように、私には思えた。

「俺……中霊山に、行ってみようと思うんだ」

 中霊山。

 それは大陸の中心にして、女神の住まう山だ。今は女神自身の手で、固い結界に閉ざされている。

「ずっと、行けなかったんだ……怖くてさ」

 慎誠の言葉が、重みを持って響く。

「圭裳に拒絶されるのが、怖かった」

 慎誠は嘗て璃誠藍だった頃、女神圭裳と恋仲だった。想う人に拒絶されるのは、特別怖いに違いない。私は慎誠の背に腕を回し、ぎゅっと力を籠めた。

「大丈夫だよ」

 この願いが、届きますように。

「もし今は結界に阻まれたとしても、大丈夫。圭裳はあんたを嫌いになったわけじゃないよ」

 誠藍を喪った哀しみが深かったからこそ、圭裳は山に閉じ籠った。その想いは変わっていないと、信じたい。

 慎誠は微かに頷いて、体を離した。普段の軽い笑みとは違う、綺麗な表情で、笑う。

「じゃあ、行ってくるよ」

「うん、行ってらっしゃい」

 私も、努めて明るく送り出した。


 運命の歯車というやつが、軋み始めたのにも気付かずに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ