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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之陸 怨慕交錯
105/115

大丈夫

 翌朝目が覚めると、当然部屋には誰も居なかった。少しだけ寂しさを感じながら、起き上がる。

 身支度を整えて部屋を出た私は、最初に廊下で鴻耀に遭遇した。

「おはよう、鴻耀。早いな」

「ああ」

 私の挨拶に短く返して、鴻耀は少し訝しげな顔をする。なんだろう、と首を傾げた瞬間、ぽん、と頭に鴻耀の掌が載った。

「わっ……」

「……平気そうだな」

 小さく呟くように言って、鴻耀は私の頭をかき回す。

 私ははっとした。そうだ、昨日まで、男に触られると昏でのことを思い出して怖かったのに、今は平気だ。

「えっと……心配かけてごめん」

 私は詫びて、真っ直ぐに鴻耀の顔を見上げた。

「大丈夫。もう、何ともない」

「……そうか」

 鴻耀は何も訊かなかった。

 必要以上に介入しない、適度な距離感が心地よい。

 その代わり、油断していたら昨日の分を取り戻すかのように頭をぐしゃぐしゃにされたけれど。私は犬か猫か。



 その後、いつも通りに朝食を摂って、もう大丈夫だと宣言した。

 今日は引き継ぎのために出仕しなければならない。普通に歩いて行こうとしたら、総華に怒られた。怪我が治りきっていないのだから馬車に乗れとのことだ。我が家の主治医は厳しい。


 春覇と一緒に、車に乗り込む。いつも通り朝会に出た後で、春覇は司馬府へ向かって詠翠への引き継ぎを、私は宗伯府で私物や残った仕事を片付けて、春覇が来たら引き継ぎをして将軍府に移ることになる。

「覇姫様は、詠公子と面識はおありですか」

 周囲の目を意識して、公的な口調で問う。春覇は少し難しい顔をした。

「無論、会ったことはある。だが親しく話したことは無い」

 血縁関係はあっても、春覇と詠翠の接点は実際にはそれほど多くなかったらしい。立場上対立関係にあるようなものだから、当然といえば当然かも知れないが。

「どんな方だ、詠公子は」

 春覇も、相手を知らないが故に戸惑っている部分があるらしい。私は一考して、言った。

「まっすぐなお方です」

 それから、小さく付け加える。

「そして、孤独だ」

 春覇がはっとしたようにこちらを見た。私は以前に話をした時の詠翠の様子を思い出して、眉を寄せる。

「一途ゆえに、自ら破滅を選びかねない危うさもおありです……気にかけて差し上げて下さい」

「……善処しよう」

 春覇が頷いた時、馬車は王城に到着した。



 朝会を終え、宗伯府へ向かう。因みに漣瑛が負傷、範蔵も留守、省烈や尉匡は流石に丸一日家を空けるわけにはいかないということで、従者は預剛に来て貰った。まさか鴻耀を連れ歩くというわけにもいかない。

 宗伯府に着くと、既にそこに居た役人達が一斉に振り返り、私を見て何だか痛ましそうな顔をした。

「ああ、鴻宗伯」

 暦監が駆け寄ってきて、深々と礼をする。

「何ともはや……無念にございます」

「そんな顔をしないでくれ。後任は覇姫様だ。悪いようにはなさらない」

 私はそう言って暦監の肩を叩くと、くるりと周囲を見渡した。

「皆、世話になった。若輩者の私は至らないことも多かったと思うが、曲がりなりにも宗伯の任をこなせたのは皆のお陰だ。ありがとう」

 礼を述べて頭を下げると、皆慌てて私の周囲に集まってくる。

「何を仰います」

「頭をお上げください」

 口々に言いながら右往左往する役人達に、顔を上げた私は笑いかけた。

「本当に、感謝している。今後はどうか覇姫様を支えて差し上げてくれ」

 後事を託し、少し言葉を交わしているうちに、春覇が到着した。預剛が私の荷物を纏めてくれている間に職務の引き継ぎを済ませ、ついでだからと春覇と一緒に神殿へ向かう。

 宗伯の任を解かれた以上、これまでのように気軽に神殿に入ることもできなくなる。青龍はどんな顔をするだろうか、なんて考えながら、厚い扉を開けた。

「やぁ、久しぶりだね」

 そういえば幽閉中の人間が居るんだった。

「何かなその顔は。『あ、忘れてた』というような表情に見えるのだけれど」

「気のせいだろう。久しぶりだな、爾焔」

 相変わらず痛いところを容赦なくついてくる男だ。

 私は真顔で誤魔化しながら、神殿に踏み込んだ。奥に居た錫雛が、丁寧にお辞儀してくれる。

「錫雛も久しぶり。元気か?」

「お陰さまで、息災に過ごしております」

 柔らかい声音で言う錫雛は、また背が伸びたようだ。

 二人と挨拶を交わした私は、神殿内を見回した。青龍は居ないようだ。仕方ないので呼び出すことにして、祭壇に新しい酒と供物を供える。その行動の意味を察した爾焔が、探るように目を細めた。

「何か報告でもあるのかい」

「ああ、少し」

 短く返事をしてから、春覇と共に祭壇に向かって跪く。

「大宗伯鴻宵、伏して申すらく――」

 私が祝詞を唱えると、木精霊が一斉に祭壇に凝集し、燐光とともに弾けた。

「どうした」

 姿を現したのは、無論青龍だ。立っていい、という彼の言葉に従って、私と春覇は跪いた姿勢を解いた。

「本日は報告がございまして、青龍様にご光臨願いました」

「報告?」

 普段二人で会う時とは違う私の態度に、青龍は居心地悪そうに首を傾げる。内心苦笑しながら、私は淡々と告げた。

「私は宗伯を解任になりました。これからはここに居る覇姫様が引き継ぎます」

 翡翠色の目が、大きく見開かれる。青龍は一歩踏み出し、私の肩に触れた。

「解任……?お前が?」

「はい。敗戦の責を負い、官位を貶されました」

 私が言うと、青龍は眉を寄せる。

「もう、ここには来ないのか」

「宗伯でもない私が、用もなく訪れることはできません」

 答えながら、私は首を傾げた。

 別に青龍は神殿から動けないわけではない。用があれば訪ねて来られるのだから、別段不便は無いと思うのだけれど。

「……そうか」

 そう呟くように言った青龍は、何やら少し寂しげに見えた。

 そこで報告を終えようとした私に、爾焔が声をかける。何だ、と振り向くと、呆れたように肩を竦められた。

「君は青龍にだけ報告して済ませるつもりかい?碧の祭神は今や青龍だけではないだろう」

「――その通りだ」

 はっとした瞬間、背後から首に腕が回る。振り向くと、緋色の髪とむすっとした顔が見えた。

「朱雀、様……」

 ああ、精霊の騒ぐ声が聞こえなかったのはここに元から炎精霊が少ないからか、なんてどうでもいいことを考えて、現実逃避を図る。だって朱雀は、明らかに不機嫌だ。

「他人行儀な話し方をするな。気持ち悪い」

 気持ち悪いって言われた。

 軽く落ち込みながら、私は首を絞めかけている朱雀の腕を軽く叩いた。

「わかったから、離してくれないか。絞まる」

「絞めているのだこの不届き者が!」

「うぐ」

 本当に絞められた。じたばたする私を見かねてか、青龍が朱雀を引き剥がしてくれる。

「落ち着け朱雀。絞め殺してどうする」

「ふん。我のことを蔑ろにしたこやつが悪い。神は祟るものだ」

 怖いよ朱雀。

「ご、ごめん……何て言うかこう、朱雀は守護神っていうか友達?そんな感覚だったから、報告って感じじゃなくて……ご無礼を致しました」

 弁明してから、土地神に対してあまりに失礼な物言いだったことに冷や汗が流れる。最後に本気で謝ってから頭を下げると、朱雀は暫し沈黙した。それから、ぽつりと言う。

「……そういうことなら、赦す」

 機嫌が直った。どうやら正解だったらしい。

 しかし朱雀がこうして怒ったということは、もう一人知らせなければならない相手が居るということだ。そう考え、もう一度召喚儀礼をしようと祭壇に近づいた私は、唐突に肩を叩かれて危うく叫びそうになった。

「己なら此処だ」

 不意打ちは勘弁してください。

 早鐘を打つ胸を押さえながら、私は姿を現した白虎に向き直った。

「話は、聞いておられましたか」

「粗方。しかし」

 言葉を区切って、白虎はその金の瞳をすうっと細めた。

「宗伯が誰であろうと、己には関わりがない。己は碧ではなく主に与した」

 私ははっと息を呑む。確かに、白虎は国ではなく私に与すると、白が滅んだときに宣言した。

「己は主が選んだその道の先を見てみたいと思うのみ。官位を貶されようと左遷されようと、主の意志が折れておらぬならそれで良い」

 今回のことは、私にとっては一つの大きな挫折だ。けれども。

「折れはしません」

 私はしっかりとした口調で言い切った。

「このくらいで折れたりしません。多少回り道をしたとしても、進めます」

 私が宣言すると、白虎は頷いて姿を消した。

「安心しろ」

 青龍が、私と春覇を交互に見ながら保証してくれる。

「必要な時には覇姫にも力を貸す」

「ありがとうございます」

 私は春覇と共に、深々と礼をして神殿を後にした。



 宗伯府を辞去した私は、新しい職場である将軍府へ向かった。新しいと言っても、大宗伯になる直前まで居た場所だし、宗伯になってからも時折出入りしていたから、勝手は知ったものだ。

 軍が改編された時から、将軍府の内部は更に三つに区分されている。私はそのうち右軍府の建物へ向かった。

 執務室に入ると、中に居た者達が一斉に振り返る。檄渓は勿論のこと、襄斉と汪帛、それに何故か角容まで居た。

「鴻将軍」

 礼をしながら、皆一様に少し困ったような顔をする。私にとって、ここへ戻ってくることは降格だ。歓迎して良いものかどうか、躊躇われるのだろう。

 だから敢えて、私は笑った。

「ただいま」

 そんな態度が予想外だったのか、皆が目を丸くする。やがて、いち早く立ち直った檄渓がふわりと微笑んだ。

「お帰りなさい」

 柔らかな声音が私を迎え入れる。続いて次々と部下達の挨拶が続き、私を歓迎してくれた。

「やはり興味深い軍ですね、ここは」

 角容が私達の様子を見渡しながら呟くように言う。私は部下達との挨拶を終えると、彼の前に立った。

「角将軍は、何故ここに?」

 角容が春覇と共に率いていた遊軍は解体された。当然その将たる彼も別の職に異動することになるが、彼はそもそも王族直属の兵を指揮する将を代々輩出してきた家の出である。家柄は私達より遥かに上だった。

「遊軍の解体に伴い、中軍に配置されることになりましたので、そのご挨拶に」

 角容がにこやかに応じる。私は目を瞬かせた。

「中軍?……てっきり近衛に行かれるのかと」

 王族直属と言えば、春覇の遊軍の他は王城を護る近衛だ。格式から言って、角容はそちらに配置換えになると思っていた。

「ええ、確かに一族の老人達からは近衛に行けと大分うるさく言われましたが」

 一族の格式を重んじる者達の制止を振り切って、中軍を選んだらしい。

「近衛など、大概が実戦経験も浅いのに自尊心ばかり高い者達ですから。覇姫様の指揮に慣れた我々遊軍には、ちょっと」

 爽やかな笑顔で、なかなか厳しいことを言う。私は苦笑した。

「そうですか。中軍ならば環境は悪くないでしょう」

「ええ。ただ棟将軍はご多忙ですから、支えとなれるよう微力を尽くします」

 角容はそう言って、右軍の面々にもう一度礼をすると立ち去った。私も一応中軍と左軍の将達に挨拶に向かうべく部屋を出る。


 今回の人事で、春覇は軍事的実権を削られ、詠翠が表に出てきた。私はこれを痛手だと考えていたが、見ようによっては好機かも知れない。

 官職を得たことで、詠翠は外の世界を知る。司馬府の役人達と信頼関係を築ければいい。そうすれば、王の側近達の傀儡となって操られることは無くなる。

 私は空を見上げた。


 冬らしく痛いほどに透き通る、よく晴れた空だった。


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