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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之陸 怨慕交錯
103/115

碧の処遇

 馬車を降りた先には、見慣れた光景が広がっていた。

 帰ってきたんだ、と実感して、私は深く息を吸った。

「大丈夫か」

 春覇が気遣ってくれる。馬車の中で私が怯えた様子を見せてしまった時から、春覇はずっと一緒に居てくれた。何も訊かずにただ支えてくれる皆の態度は、とても有り難い。

「大丈夫」

 頷いて、私は背筋を伸ばした。昏から帰還した私は、何よりもまず王城へ向かい、王に拝謁しなければならない。私が無事帰ったという報せは先に届いている筈だから、処罰があるならば今から言い渡されるだろう。

 私は一度目を閉じて気持ちを落ち着けてから、王城へと踏み込んだ。



「よく帰った」

 それが、王の第一声だった。許しを得て顔を上げた私は、王の後ろに蒼凌だけでなく詠翠も控えているのを認めて少しだけ目を瞠った。

「この度、そなたは敵の手に落ち、国に損害をもたらした」

「面目ございません」

 王の言葉に、私は深々と頭を下げる。

「一国の大将軍としてこの敗北は、厳罰に値する」

「慎んで罪に伏します」

 そう答えながらも、緊張は拭えなかった。まさか死罪というわけではあるまい、という希望にすがるしかない。

 担当の官が進み出て、辞令を読み上げ始めた。私は頭を下げたままそれを聞く。

「右軍大将軍鴻宵、右の者昏との戦に敗れ、兵を損い、我が国を危難に陥れた」

 私の罪状が、朗々と並べられる。

「しかしながら」

 一頻り罪を述べた辞令は、一転逆接を紡いだ。

「聞くならく、鴻宵は自力にて昏の手中より脱して馳せ帰ったという。それにより、国の損失は回避された。且つ失った兵は少なく、これまでの功も大きい。よって――」

 一際高く、判決が言い渡される。

「右軍上大夫大将軍である鴻宵の位一等を減じ、大将軍の称号を剥奪して右軍中大夫とする。またそれに伴い、大宗伯の職を罷免、将軍府への異動を命じる。なお右軍大将軍は空位となるため、右軍の将は引き続き鴻宵の任とする」

 卿の位と大将軍の称号の剥奪、大宗伯の罷免。

 思ったよりは軽い処罰だと言う他ない。特に右軍の将は解任されていないので、実権には大差が無い。


 ほっとした私達を震撼させる命令はしかし、その後にあった。


「鴻宵の罷免に伴い空位となった大宗伯の官に――」

 私の失態によって追い詰められたのは、私ではなく。

「――上大夫、紀春覇を任ずる」

「……え?」

 私は思わず、傍にいた春覇の顔を見た。目を見開いた春覇の顔色が、はっきりと変わっている。

「それに伴い大司馬の職を解き、宗伯府への異動を命ずる。司馬の官になく将軍職も持たぬ者が一軍を指揮するのは理に合わぬ。よって――」

 辞令は無情に続いた。

「遊軍を解体し、他の三軍へ編入することとする」

 私は言葉を失った。


 軍事を司る大司馬の解任、及び遊軍の解体。それらは、春覇の手から一切の軍事的権限が剥奪されたことを意味している。

 私の失敗を足掛かりに、王は春覇の実権を削りにかかったのだ。


「また、空位となった大司馬の官に、新たに公子詠翠を任ずる」

「えっ?」

 驚愕の声を上げたのは、私でも春覇でもない。当の詠翠だった。

「何を仰るのですか、父上。私に大司馬など荷が重すぎます!」

「案ずることはない」

 慌てて抗議する詠翠を宥め、王は目を細めた。

「わからぬことは周囲に訊けばよい。それに、司馬は軍事の官である」

 その視線が、私を捉える。

「軍事に関して、そなたの師は鴻宵であろう。そなたにこの職が務まらぬというなら、それは師の力不足ということになる」

 私は唇を噛んだ。

 まだ十二で何の実績もない詠翠が大司馬などという重要な職に就けば、必ず反発が起こる。特に強い反発が予想されるのは当然、前任者である春覇の周辺であろう。王の今の言葉は、それを封じたのだ。

 詠翠に大司馬が務まらないなら、それは私の責任。詠翠の過失は私の失態である。そう定義されてしまえば、私の妻である春覇やその周辺の人々は、詠翠に文句をつけられない。

「三名とも、明日新たな役職への引き継ぎを行え。よいな」

 私達は、黙って拝礼するほかなかった。




 王城を退出し、馬車で邸に向かう。何となく無言のまま、動き出した馬車の振動に身を任せた。

「……ごめん」

 私が詫びの言葉を発すると、春覇はこちらを向いた。

「私のせいで……」

「それは違う」

 言葉の半ばで、否定される。

「溝が深まった以上、いつかはこうなっていた。お前が気に病むことではない」

 きっぱりと言って、春覇はそっと私の頭に巻かれた包帯に触れた。

「気にせず、自分のことを考えていろ。まずは傷を癒すこと」

 不安に揺れる私を安心させるように、微笑む。

「命有る限り、巻き返しは図れる。時には忍耐の時期もあるというだけのことだ」

「……頼もしい妻を持って、私は幸せだよ」

 直接感謝を述べるのが少々気恥ずかしくて軽く茶化すと、春覇は苦笑して私の肩を叩いた。


 邸が見える。

 車上の私達を目にした衙楠が、すぐさま邸内に声を掛けた。家臣達が次々に飛び出してくる。馬車が止まると、真っ先に衙桐が駆けつけて、馬車を降りる私に手を貸してくれた。総華が駆け寄ってきて、痛ましげに私の傷に触れる。それから、尉匡、登蘭、淵夫妻に箙磬。省烈の肩には哀も乗っていた。

「ただいま」

 万感の思いを籠めて、私は言った。抱きついてくる総華の背を撫で、皆と言葉を交わしながら、門を潜る。

 その先に、黎翡が居た。そして、その隣に。

「鴻耀」

「おう」

 久しぶりに見る顔が、軽く手を挙げて呼び掛けに応じた。私の頭を撫でようとして……手を、引っ込める。

「ひとまず、休むのが先だろう。総華に傷を診て貰え」

「心配ないよ」

 何事もなかったように話を進めてくれるから、私も何でもない風に返す。

 多分、気付かれてしまったけれど。

 その証拠に、馬車を降りてから後、衙の兄弟も省烈も、必要以上には私に近づこうとしない。

「そういえば、漣瑛は?範蔵と嶺琥も姿が見えないけれど」

 皆を見渡しながら私が問うと、尉匡が答えてくれた。

「範蔵殿と嶺琥は橙へ使いに出ています。そろそろ戻る頃合いでしょう」

「橙へ?」

 何があったのか、目で問う私に、答えたのは黎翡だった。

「私が命じたのですわ。橙の外軍に、国を離れて潜伏するよう伝えさせたのです。内軍のみの橙ならば奪われたところで大した痛手ではありませんわ」

 私は目を見開いた。多分黎翡は、私の身柄と橙を交換してもこちらの損失が小さくなるように計らってくれたのだろう。

「恩に着る」

「気にすることはありませんわ。外軍は私の軍。どのみち腑抜けた橙政府には扱いきれません」

 相変わらず少々毒舌な黎翡に苦笑しながら、私は尉匡に目を戻した。残る漣瑛の消息を問う。尉匡はにこりと笑った。

「漣瑛は無茶をしないよう部屋に閉じ込め……もとい安静を命じてあります」

 何か今物騒な言葉が混じったんですけど。

「……怪我を?」

「ええ。よろしければ会いに行ってやっていただけますか」

 私は青ざめた。私から会いに行かなければならないということは、動かせないほどの重傷なのだ。

「心配要らないわ」

 総華が、そっと私の腕を叩く。

「命に別状は無いし、鴻宵の顔を見たらきっとすぐに治るわ」

「すぐ、会いに行く」

 私は即断して、総華と共に漣瑛の部屋へと向かった。




 鴻宵の去った居間に、何とも言えず重い空気が沈殿する。

「おい、覇姫」

 まず口を開いたのは、鴻耀だった。

「あいつは、何に怯えてんだ」

 春覇は唇を噛む。

「私にも、何があったのかは……」

 しかし、鴻宵の態度は明らかだった。必死に隠してはいるが、身体が反射的に僅かに反応するのは誤魔化せない。

「覇姫に総華、戦姫も大丈夫そうだったな」

「私も特に反応されなかったように思います」

 尉匡が言をあげる。実際、彼は鴻宵の近くに居ても問題なかった。

「衙の兄弟と俺は駄目だ」

 省烈が言う。続いて春覇が口を開いた。

「檄将軍は平気なようだったな。章軌は駄目だ」

 鴻耀が頷く。

「俺も駄目……要するに女と優男は大丈夫と」

「不本意ながらそういうことですね」

 鴻宵に怯えられなかった尉匡が、何とも言えない顔をする。

 結論が出たところで、再び重苦しい沈黙が降りた。その事実が指し示す事態を、誰もが想像したくなかった。

「……慎誠に伝えてくるわ」

 哀が省烈の肩から飛び降りる。

「伝えてどうする気だ」

 春覇が厳しい声を投げた。哀は肩越しに振り返り、尻尾を揺らす。

「知りたくない気持ちもあるけど、いずれにせよ事実確認が必要でしょ。それに、一番血の気の多い連中はあっちに居るわ。騒がないよう釘刺しとかないと」

 血の気の多い連中とは、言わずもがな函朔と沃縁である。その言い分に頷いて、春覇は哀を行かせた。




 総華が鍵を外し、扉を開ける。一度抜け出した前科があるとかで、本当に半ば閉じ込めているようだ。

 扉が開くと、寝台に横たわっている人影が身動ぎ、顔をこちらに向けた。

「総華殿?何か……」

 言葉が、途切れる。私は一歩踏み出し、室内に入った。

「将軍……!」

 漣瑛が反射的に飛び起きようとして、傷が痛むのか小さく呻く。私は慌てて駆け寄り、その背を支えた。

「将軍……」

 顔を上げた漣瑛が、確かめるように私の頬を撫でる。そのまま、倒れ込むように抱きつかれた。

「将軍……ご無事で……」

「うん、ただいま」

 すがり付く漣瑛の背中を、私は掌で優しく叩いた。

「申し訳ございません……お守りできず……」

「……なんだか皆そう言うな」

 苦笑して、密着した肩を軽く押す。最後に一度力を籠めてから私を放した漣瑛の額を、軽く弾いた。

「寄ってたかって守られるほど、私はか弱くないぞ。こうして戻って来られたんだ。安心して傷の療養に専念しろ」

 そう言って、寝台に寝かしつける。

「早く元気になって、また私の従者をしてくれ」

 私の言葉に、漣瑛は目を見開き、それから何度も頷いた。

「はい……!」

 肯定の返事を繰り返す漣瑛の頭を撫で、私はその部屋を後にする。


 廊下を歩き出すと、どっと疲労を感じた。昏に捕らえられてからこちら、緊張と無茶の連続だ。さすがに、そろそろ休みたくなってきた。

「悪いけど、少し疲れた」

 総華を顧みて、私はそう告げた。

「あとのことは明日に回してもいいかな」

「勿論よ。むしろそうしなきゃ駄目」

 即答した総華は、私を部屋まで送り、寝間着や毛布を用意してくれた。

「皆には私から言っとくから、安心してしっかり休んでね。何かあったら声をあげて呼んでくれれば誰かしら来るわ」

「わかった。ありがとう」

 頷いて総華を送り出し、寝間着に着替える。毛布にくるまって横になると、体がずしりと重くなったように感じた。これまで緊張によって維持してきた心身が、安心すると同時に綻びを見せ始める。

 自分の肩が震えていることに気付いて、私は体を丸めた。じわじわと背筋を侵食する不安感を、無理矢理認識の外に追い出す。


 とにかく、今は眠ってしまおう。

 嫌なことを、思い出す前に。


 目を閉じて呼吸を整える。努めて平静を保っている間に、疲れきった体は眠りの底へと墜ちていった。


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