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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之陸 怨慕交錯
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傷痕

 いつかと同じように、振動の中で目を覚ます。

 碧軍と合流した私は、体調を気遣う皆に馬車に乗せられ、休んでいた。眠っているうちに日が暮れたようで、視界が暗い。起き上がろうと身じろいだ私は、同じ馬車の中に人影があるのに気づいてびくりと肩を震わせた。


 暗い馬車の中。見張りにつく大柄な人影。既視感に襲われる。


「驚かせたか。済まない」

 しかし人影の紡ぎ出した声は、穏やかで優しいものだった。私は小さく息を吐く。

「章軌か……」

「春覇とお前の副官と俺と、三人が交代で護衛についている。驚かせて済まなかったな」

 今は章軌が護衛当番ということらしい。私は身を起こして、こめかみに手を当てた。

「痛むか」

「少し。でももう熱もないし、大丈夫」

 私が答えると、章軌は安心したように頷いた。それから、傍らの袋を漁って何かを取り出す。

「薬草と包帯だ」

 相変わらず言葉が少ないが、私の傷の包帯を替えて薬草を貼り直そうという意味なのだろう。

 だから、その次に章軌が私に手を伸ばしたのも、自然なことだった。

 私だってそれはわかっていた。その、筈なのに。


 無意識だった。

 気がつくと、私は章軌の手から逃れるように後退り、身を縮めていた。


「あ……」

 私が呆然としている間に、一瞬目を瞠った章軌がすいと手を引っ込める。

「……春覇と代わろう」

 それだけ言うと、御者に声を掛けて馬車から降りた。何も言わなかったのは、章軌の優しさだろう。私は自分の肩を抱くようにして、膝に顔を埋めた。




 昏の朝廷には、剣呑な空気が流れていた。何しろ武官の長たる四将軍が、揃いも揃って敵軍の捕虜を取り逃がしたのである。

 四人とも一様に王の叱責を受けたが、最も苛烈に責められたのは、実は叡循貴であった。元来彼は、他の三将とは違い直接鴻宵の件に関わっていたわけではない。しかしながら璃黒零が鴻宵を助けて逃げたという事実が、彼の責任を否応なしに重くしていた。

「循貴よ。わしはお前を見込んで璃氏を託し、若くして四将軍の称号を与えたのだ」

 王の重い声が、跪いた叡循貴の上に降りかかる。

「それがこの体たらく。何か申し開きはあるか」

「面目次第もございません」

 循貴は素直に頭を下げた。

 昏にとって、璃黒零を失ったことは痛い。大陸王家の血を引く彼を擁していたからこそ、昏は五国最大の国家へのしあがれたと言っても過言ではない。それを逃したという事実は昏への侮りを生み、人心も離れかねない。

「まったく、四将軍の地位を与えられて少しは役に立つかと思えば」

 どこか粘着質な言葉を発したのは、王の傍らに控える壮年の男であった。昏王の嫡子である。循貴とは異母兄弟の関係になるが、歳は大分離れていた。末弟である循貴より二十近く年上である彼は、嫡子ではあるが太子ではない。昏王はまだ正式に太子を立てていないのだった。

「せっかく父上がお目を掛けてくださったというのに、信頼を裏切るとは」

 何と罵られても、循貴は黙って頭を下げ続けた。

 未だ太子が確定していない状況にあって、継承権を持つ公子達は、皆互いに敵同士である。実力主義の気質が濃厚な昏では、若くして軍事に才覚を見せた叡循貴が他より一歩抜きん出た形になっていた。それもあって、兄や叔父達はここぞとばかりに循貴を責め、罪を主張する。

 その一切を、循貴は落ち着いた様子で受け流した。

「王よ」

 循貴への叱責が一区切りしたところで、進み出た者が居る。絡嬰である。その後ろには束憐もついてきていた。

「この度、我ら両名もまた鴻宵並びに璃氏を捕らえ損ね、王の御憂慮を増してしまいました。その罪や重く、伏して罰を請いたく存じます」

「ほう……」

 昏王は髭をしごいた。絡嬰ほどの者が自ら罰を請うとは、昏ではなかなかあることではない。

「よかろう。ならば一月ほど自邸にて謹慎を命ずる」

 王は腕を組んでそう言うと、じろりと絡嬰を睨んだ。

「謹慎しておる間に、次の策を練っておくがよい。期待しておるぞ」

「御意」

 恭しく拝礼して、絡嬰は束憐とともに退出した。二人とも自邸で謹慎ということになるが、ものぐさな束憐は邸を持たず、常に兵舎か絡嬰の邸の離れで起居している。要するにこの度、束憐の謹慎する場所もまた、絡嬰の邸なのであった。

「随分従順だな、今回は」

 束憐が声を掛けると、絡嬰はちらりと彼を一瞥しただけで、何も言わずに前を向いた。その口角が一瞬僅かに上がったのを見て、束憐は悟る。

 ――また、何か考えがあるってことか。

 心中で呟いて、それ以上は何も口に出さずに行く手に目を戻した。

 どのみち、こんな往来で絡嬰が腹中の策を吐露することはない。今尋ねても無駄なことだった。




 同じく昏の都で、息を潜めている者達が居る。療養中の函朔と沃縁、それにその用心棒として行動する慎誠。数日が経った今も、彼らは傷を抱えたまま苫の家の倉に潜んでいた。

「警戒はそこまできつくないよ」

 外の様子を見て戻ってきた慎誠が、二人の側に胡座をかきながら告げた。

「鴻宵が碧まで逃げおおせたことが伝わってるし、そっちが大事件過ぎて俺や君達のことまで手が回らないって感じかな」

 都の動揺を伝える慎誠の肩に、哀は居ない。彼女は今、鴻宵の無事をいち早く鴻家の者達に伝える為に走っていた。函朔の膝の上で、憂がのんびりと欠伸をしている。

「一番危なそうな絡嬰と束憐は自分から申し出て謹慎したらしいし、叡循貴は官位を落とされるみたいだよ」

 気の毒にねぇ、と全く気の毒だなどと思っていないような口調で言って、慎誠は目を細めた。


 四将軍のうち、残る冒溢は表向きこの件には関与しておらず処罰の対象にもなっていないが、実は何かしら関わっていたらしいという噂がある。実際、あれから暫く、冒溢は病と称して出仕しなかった。

 しかし慎誠は、そのことを二人には告げない。

「あの」冒溢が今回の件に関わるなら、その関わり方は限られてくる。第一、慎誠が見るところ鴻宵は十分に冒溢の好みど真ん中だ。何が起こりうるか、少なくともこの場にいる彼らには容易に想像できる。想像できてしまうところが問題なのだ。

「うっかり言うと明日夜が明けたら冒溢の首がさらされてる、なんてことになりかねないもんねぇ……」

 二人には聞こえないように呟いて、溜息を吐く。慎誠だって一瞬本気で闇討ちを考えたのだ。彼自身は今後のことを考えて思い止まったが、この二人はやりかねない。


「ところで、苫ちゃんの件だけど」

 地雷を踏む前に、慎誠は話題を切り替えた。都の情勢を探ると同時に、彼は苫と商人のことも調べていたのである。

「何かわかったのか?」

 丸まった憂の背中をつつきながら、函朔が問う。沃縁も、横になったまま慎誠を見上げた。

「二人とも、苫ちゃんを助けるって言ってたよね」

「恩義があるからな」

 函朔が頷くと、慎誠はにっこりと笑った。

「どうせなら思いっきり派手にやっちゃおう」

「……反対してたんじゃなかったのかよ」

 いきなり物騒なことを言い出す慎誠に、函朔が呆れた顔をする。

「いや、それがさぁ」

 慎誠は肩を竦めた。

「例の商人、堵氏っていうんだけど、叩けば埃が出るどころか色々後ろ暗いことのどっさりある奴だったんだよね」

 結論から言えば、堵氏というのは相当に悪どい商人だった。人の良さそうな顔をして、やっていることは法規すれすれである。

「それに、苫ちゃんのことだけど」

 慎誠は一度言葉を切り、苫が倉の近くに居ないことを確認してから話し始めた。

「堵氏ってもともと、苫ちゃんの両親に雇われてたんだ」

 苫の両親は薬草を始めとする植物を扱う商人で、大規模ではないながらそこそこの生活水準を保つことができる程度の実直な商いをしていた。堵氏は彼らの下で働いていたのである。

 苫がまだ幼い頃に、両親は不幸にも流行り病で亡くなった。路頭に迷った部下達の中で、真っ先に立ち上がったのが堵氏である。

「不幸なことだが、嘆いていても仕方がない。旦那様の後を継ぐべき娘はまだ幼い。ここは誰かが後見人となってひとまず商いを引き継ごう」

 そう言われては、否と言う者はいない。では誰が後見人となるか、という段になると、堵氏は一同の中の長老格を推した。これまた異論は出ず、苫の両親の遺した商いはひとまずその男が継いだ。堵氏は一同の方針を決めたという功績で発言力を強め、商いの主な部分をも任されるようになっていった。

「それから数年で、その人が『急に』亡くなって、商いの全部が堵氏の懐に転がり込んだってわけ」

「……含みのある言い方ですね」

 沃縁が目を眇める。慎誠は肩を竦めた。

「当時からかなり不審な部分があったらしいよ。全部堵氏が黙らせたけど……それから後、元からの仲間達が次々と逃げるように店を辞めてったっていうから、はっきり言って限りなく黒に近いね」

 何しろ、彼らは「薬草」を扱っている。毒と薬は紙一重。使い方次第で、よく効く薬も人を殺める毒になり得る。

「それに」

 慎誠が心持ち声を潜める。

「その時、その場に居たかも知れないんだ……苫ちゃん」

 ざっ、と視線が集まる。

「まさか……」

 呟いたのは、誰だったか。

「その頃から、らしいよ」

 慎誠の静かな声が、重く響いた。

「苫ちゃんが、喋れなくなったの」

 助けて、と。木の板に書き綴った苫の、声無き叫びが聞こえた気がした。

「なるほど」

 沃縁が頷いて、傷の深い左腕を庇いながら起き上がる。痛みのためか、それとも堵氏の謀に対する嫌悪のためか、その眉間には深い皺が刻まれていた。

「口封じ、ですか……言葉を発する口さえ塞いでしまえば、周囲に苫が頼れる相手などいないと踏んだのでしょうね。そして最後に苫を妾にすれば、主人の遺産は文字通りそっくりそのまま、その男のものになるというわけですか」

「その通り」

 狸が、と吐き捨てるように言ったのは函朔だった。憂がふんと鼻を鳴らす。

「人間にはそんな奴がごまんといる。正面から盗賊だと名乗る奴らなんて可愛いもんさ」

 毛を逆立てたその背中を、手を伸ばした慎誠がわしわしと撫でる。

「ちょ……猫を触った手で僕に触れるな!」

「というわけでさ」

 憂の若干理不尽な憤慨を華麗に無視して、慎誠は話を進めた。

「恩返しのついでに痛い目見せてやろうよ。たまには誰かさんみたいにお人好し発揮してみるのも悪くないしね」

「はは、確かに」

 函朔は軽く笑って、慎誠の手に噛みつこうとしていた憂の首根っこを捕まえた。

「放せ!猫じゃないんだからそんなとこ掴むな!」

「はいはい……なんかお前がいると今一場が締まらねえな」

 函朔が呟くと、慎誠がへらりと笑う。

「憂くん空気読まない質だよね」

「お前もな」

 すかさず一人と一匹に切り返されて、慎誠は口を尖らせた。沃縁がくすりと笑う。

「では、満月の晩にその堵氏とやらにお灸をすえて、昏ともおさらばしますか。それまでにできるだけ傷を治さないと」

「そうだねえ。あ、あともう一つ」

 慎誠が思い出したように声をあげた。

「苫ちゃんを助けるのはいいとしても、その後は?そりゃ、鴻宵に頼めば面倒は見てくれるだろうけどさ……」

 皆が黙り込む。お人好しの鴻宵のことだ。間違いなく面倒は見てくれるだろう。しかし今はただでさえ難しい時期である。鴻家に住まわせるにしても、連れていった誰かが苫の動向について責任を負わなければならない。

 何なら蒼浪に連れていくか、と函朔が思案しかけた時。

「僕が面倒を見ますよ」

 最もその言葉の似合わない男が、あっさりと言った。

 函朔も慎誠も、思わず彼の顔を凝視する。

「……何ですか」

 視線の的となった沃縁は嫌そうに眉を寄せた。

「勿論、実質的には鴻家で養っていただくことになりますよ。使用人の仕事くらいはできるでしょうし、僕が一応の責任を持つというだけです……何か?」

「いや……何つーか」

 戸惑っている函朔の横で、慎誠がすっと真面目な表情をした。

「沃縁さん」

 この男には珍しい真剣な顔で、言う。

「苫ちゃんは、沃季さんじゃないよ」

「当たり前です。重ねてなんかいません」

 思いがけず素早い返答だった。

「大体阿季の方が賢いですから。あの子ならもっと早く何とかしていますよ」

 はっきりとした答えに、慎誠は表情を弛めた。苦笑混じりに、このシスコンめ、と呟く。

「本当にいいの?」

「ええ。第一この中で女の子を育てたことがあるのは僕だけでしょう。あなた方に任せるよりましです」

 憎まれ口を叩く沃縁に、慎誠は両手を挙げた。降参の形だ。

「わかったよ。じゃあそういうことで、満月の日までしっかり休んどいてね」

 そう言って立ち上がり、軽く伸びをする。その背中に向けて、函朔が言葉を投げた。

「ここまで頼っといて何だが、別にお前は苫に恩があるわけじゃないだろう。無理に参加しなくてもいい」

「何言ってるのさ」

 慎誠は振り向いて、少し笑った。

「言っただろ。俺もあの狸商人が気に食わないんだよ。だから好きで参加するわけ」

 余計な心配してないで寝てな、と手を振って、慎誠は戸口へと向かった。扉に手を掛けて、ふと呟く。

「身勝手な欲のために誰かの幸せな未来を踏みにじる奴なんて、大嫌いだ」

 微かな声は、誰にも届かない。

 扉の軋む音だけを残して、慎誠は倉から出て行った。


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