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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之伍 戦禍
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自由な空へ

 昏との取引を果たすべく、春覇は右軍の一部を護衛として引き連れ、北へ向かっていた。傍らには檄渓が居る。前進を急がせた甲斐あって、今日中には国境に到達できそうだ。

 ――どうか、無事で。

 鴻宵が手荒に扱われていないことを祈りつつ馬を急がせる春覇の視界に、ふと一羽の烏が映り込んだ。飛び去るかと思いきや、緩やかに頭上を旋回する。それ自体は、別段おかしな光景ではない。しかし、春覇の傍に控える章軌がやけに真剣に烏を見上げ、その傍らでは檄渓がやおら弓に矢をつがえた。

「檄将軍?」

「お気をつけください、覇姫様」

 檄渓はそう言って、弓を引き絞る。

「あれは昏の璃黒零に仕える妖怪です」

 狙われていることに気づいたらしい烏が、周章ててばたばたと羽ばたいた。

「待て待て待て!射つな!」

 黒い嘴が、人間の言葉を発する。なるほどただの烏ではないらしい、と春覇は警戒を強めた。

「射つな!俺は敵じゃねえ!鴻宵の件で覇姫に話がある!」

 烏がそう叫ぶのを聞いて、春覇は檄渓の前に腕を出した。弓を下ろせという合図である。檄渓は警戒を怠らないながらも、その指示に従った。烏が近づいてきて、春覇の乗騎の頭に止まる。馬が迷惑そうに首を振るが、烏に気にした様子は無い。

「あんたが覇姫だな」

「いかにも。私が紀春覇だ。そちらは?」

 答えながらも、春覇は警戒を怠らない。後ろでは弓を置いた檄渓と章軌が、念のため剣に手を掛けている。

「俺は蕃旋。お供の方々にうっかり斬られちゃ堪らないんで単刀直入に言うぜ」

 春覇の背後を一瞥し、烏は言った。

「鴻宵は今、俺達が保護してる」

「……何?」

 唐突に告げられた言葉に、春覇は眉を寄せる。昏に囚われている鴻宵を、この烏が保護しているとは、いったいどういう状況か。

「一緒に昏から逃げてきた。そちらに引き渡したい」

「……お前達の目的は」

 春覇が探るように言うと、蕃旋ははっと鼻で笑った。

「人間はすぐそれだ。目的?んなもんあいつを助けたかっただけだ。敵対しようがなんだろうが、俺達の友達だからな」

 単純明快、だがそれ故に信用するには勇気を要する。しかも相手が烏とあっては、表情を読むこともできない。

「覇姫様」

 そこで、檄渓が口を挟んだ。

「その妖怪は一度、鴻将軍のお命を狙ってきました」

「何?」

 思わず振り返る。檄渓を見た烏は、ばさりと羽を振るった。

「そういや、お前あの時割って入って来た奴だな」

 烏の言葉に目礼を返し、檄渓は続ける。

「どのような事情であったのかは存じません。しかしその折は朱雀のとりなしによって和解したように見えました」

「朱雀……?」

「俺は赤鴉」

 烏が燕脂色の目を光らせ、説明する。

「朱雀の眷族だ。朱雀を追い詰めた鴻宵を狙い、でも朱雀が赦したから赦した」

 簡潔な説明だが、春覇は粗方の事情を理解した。鴻宵が嘗て朱宿と呼ばれ、先の戦においても朱雀を依爾焔から引き離す決定打を放ったことを、春覇は知っている。

「俺達を信じる信じないは、お前らの自由だ。信じないならいい。あいつは俺達があいつの行きたい場所まで連れて行く」

 羽を広げた烏は、徐に中空へ飛び立った。

「信じる意志があるなら、二人……そうだな、覇姫とそこのお前、鴻宵の副官だろ?その二人だけで、この先の丘まで来い。二経後だ。軍は三里先まで下がらせろ」

 春覇の頭上を旋回しながら、烏は要求を伝える。

「二人で来させるのは、こっちも俺と黒零の二人だからだ。条件を違えれば鴻宵は俺達が連れて行く」

「承知した」

 春覇は即断した。あちらの主張が明快で、しかもいずれにせよ鴻宵の為に動くと明言しているからである。彼らは鴻宵を質に脅しているわけではない。鴻宵を引き渡すに当たって、寡兵である自分達の安全を保証しろと言っているに過ぎないのだ。

「それじゃ、二経後に」

 烏はそう言い残して、飛び去っていく。春覇は背後を振り向いた。

「檄将軍は私と来て貰おう。その間、軍の指揮は章軌に任せる」

「御意」

 檄渓が一礼し、章軌が頷く。章軌の指示によって襄斉と汪帛が動き、軍が後退を始めた。指定された三里の距離を開ける為である。

 条件通りの距離が確保されるまで、春覇と檄渓はその場に腰を下ろして待った。

「逃げてきた、とあの烏は言った」

 水を飲みながら、春覇が呟く。

「つまり鴻宵は脱走したのか。昏との取引は不成立となる」

「はい」

 檄渓は頷いて、軍とともに後退してゆく荷馬車に目をやった。そこに、今回の使いの為に持ってきた、碧王の書簡と橙の地図が積んである。

「丸く収まるとも思えませんが……そちらは外交筋に任せるほかないでしょう。現状では詳しい事情もわかりません」

「そうだな」

 橙を渡さずに済むかも知れないが、場合によっては昏が怒って戦を仕掛けてくる。そうなれば、宥める為に橙を渡すという手段も考えられる。黎翡のやったことは有効だったな、と考えながら、春覇は太陽の位置を確認した。そろそろ、時間だ。


 青い空を、烏の影が過る。

 春覇と檄渓は馬に跨がり、丘を目指した。




 林を抜け、小高い丘の上に馬を立てて、私と黒零は蕃旋の報告を待っていた。ばさり、という羽音とともに、漆黒の体が舞い降りてくる。

「碧軍は指示通りに動いてる。もうじき迎えが来るだろうさ」

「そうか。ありがとう」

 つい蕃旋の頭を撫でると、嫌そうに身を捩られた。

「よせやい。動物扱いすんなよ」

「あ、ごめん」

 慌てて手を引っ込めた私の肩に、ちょんと乗る。

「どうせなら感謝の口づけとかさ」

「調子に乗るな」

 すかさず黒零が引き剥がす。蕃旋は面白くなさそうに黒零のこめかみをつついた。

「何だよ、いいじゃねえかそのくらい。だからお前はお堅いってーの」

「……氷漬けにされたいか」

 黒零が眉間に皺を刻んで蕃旋を見遣り、蕃旋が上空に逃げる。そんな光景を見てちょっと笑った私は、丘の麓から二騎、駆け上がって来るのに気づいた。

「来た」

 私が声をあげると、黒零も蕃旋もふざけた態度を収めてそちらに向き直る。

「鴻宵!」

 春覇が真っ先に駆け寄って来たのには、少し驚いた。そっと確かめるように手を伸ばされて、悟る。ああ、随分心配をかけてしまったみたいだ。

「将軍、ご無事で」

 続いてやって来た檄渓はいくらか冷静で、黒零と蕃旋に目礼した。

「約束通り、鴻宵を返そう」

 黒零が言って、私の体を抱き上げる。

「ちょ……自分で移れる」

「怪我人はおとなしくしておれ」

 私の抗議はにべもなく切り捨てられた。春覇が受け取ろうとしたが、体格的に少々無理がある。檄渓が「自分が」と進み出て代わった。

 黒零から、檄渓へ、引き渡される。白銀の髪が、私の頬を擽った。

「確かに、渡したぞ」

「受けとりました」

 黒零と檄渓が短く言葉を交わす。何となく物扱いされた気がしないでもないが、そんなことでごねるべき場面でもない。蕃旋が中空から下りてきて黒零の肩にとまった。

「鴻宵」

 黒零から声がかかる。

「では、吾はこれで。悪いが、この馬は貰って行く」

「黒零」

 私は思わず呼び止めていた。

「お前、碧に来る気は……」

「鴻宵」

 黒零が、苦笑混じりに釘を刺す。

「言うたであろう。吾が飛びたいのは、しがらみの無い大空なのだ」

 何者にも縛られず、何事にも隔てられない、ただ意志一つで何処へでも行ける、大空。それは決して、王の膝元には無い。

「そう、か」

 私は小さく呟いて、引き下がった。

「さらばだ、鴻宵」

 黒零が身を翻す。

「縁があれば、また」

 去って行く背中を、私は黙って見送った。

 出会った頃よりずっと逞しくなったその背中は、何者にも負けぬとばかりに堂々と伸びていた。



「さて、蕃旋」

 丘から林を抜け、どこからともなく吹き付けてくる風に目を細める。黒零の心は、嘗て無い程に浮き立っていた。

「どこへ向かおうか」

「……決めてなかったのかよ」

 呆れたように蕃旋が返す。黒零は口角を上げた。

「そうとも、決めてなどおらぬ」

 ゆっくりと手を掲げ、眩しげに見上げる。

「吾はどこにでも行けるのだから」

「……だったら、好きなところへ行けばいい」

 若干投げやりにも聞こえるようなことを言って、蕃旋は一度羽を振るった。

「ただ、まずは昏から出た方がいいと思うぞ。お前は今やお尋ね者だ」

「違いない」

 微かに苦笑して、南へ。

 あてどない旅が始まった。




 私を鞍の前に座らせて背中を支えてくれる檄渓は、馬を進めながらぽつりと口にした。

「申し訳ありません」

「ん?」

 私が首を傾げると、背に回された腕に力がこもる。

「貴方を守れませんでした」

 私はきょとんとした。次いで、苦笑が漏れる。

「佐将に守って貰わなければならないような頼りない上官か?私は」

「いいえ」

 檄渓はきっぱりと否定しながらも、渋い表情を崩さない。

「ですが、危険があれば守ることは、我々の責務です」

 そんな風に気を遣われる謂れは無い、と言い返そうとしたところで、私の耳に多数の人間のどよめく声が届いた。

「見えた」

 春覇が短く告げる。前方を見ると、右軍の旗を掲げた兵士達が見えた。先頭に章軌、その後ろに襄斉と汪帛が居る。

 私は手を高く挙げて、振った。わぁっと歓喜の声が上がる。彼らもこちらに向けて前進を始めた。

 程無く、合流する。

「将軍!ご無事で」

「将軍!」

 口々に呼び掛けてくる兵士達に、私は目元を緩めた。

「皆、心配をかけて済まなかった」

 檄渓に支えられたままなので今一格好がつかないが、まあいい。

「今、戻った」

 兵士達が歓声で応える。その歓声に包まれて東へと歩を進めながら、私は空を見上げた。


 ――また、生き残れた。


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