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サザメノソラ - 東雲に恋す -

作者: プー太郎

 アタシは人形だった。


 熱のある、けれども意思のない人形だった。






 それは今でも変わらない――……。











     サザメノソラ -東雲に恋す-











 不浄を昇華する日の光がアタシの肌を灼いていた。


 始まりはそんな状況だった。

 普段、太陽に晒される事のない肌は真珠と称されるほど肌理細やかな柔らかい白で、初めて陽の下で見たそれは淡く発光しているようでもあった。

 なるほど、男共が群がる訳だ。

 自分の事なのにそうまで他人事なのは、元来の性格故。それでも半ば現実逃避染みていたのは、その時の状況も少なからず関係していたからだろう。

 そう、アタシは珍しく混乱していたのだ。常に冷静であれと躾けられてきたアタシが、どんなに突発的かつ予想外の出来事にも僅かなロスさえ許さず対応してきたアタシが、事態を正確に把握出来ずにいたのだ。

 言うなれば、アタシが直面した事態は理解の範疇を超えていた。


 異世界トリップ――。


 ハッ、と鼻で一笑を付すには十分な単語である。無論、アタシもその時までは考えてもいなかった。とは言え、他の世界が在る可能性については否定しない。無限に広がる宇宙の何処か、或いは次元を抜けた先に想像を超える文明が栄えている可能性は、今、地球という惑星に人類という生物が息衝いている事実によって証明されているからだ。

 だが、生物が次元を超えて別世界に行く事は有り得ないものだった。例えば宇宙船などの輸送手段を用いるとしても、物理的な距離の問題で到着する前に生物は朽ちてしまうだろう。五十年や六十年で到着出来るような場所に、生物が棲める惑星はない。はたまた空間の歪みやタイムスリップによる転移か? それこそ有り得なかった。時空を渡る術も、時間を越える方法も、存在すると仮定して尚、生身の身体には負担が大き過ぎるからだ。地球誕生から生き延びてきたゴキブリでさえ、移動の圧力に耐え切れず灰塵に帰すのは予想に難くない。

 今まで培ってきた知識がそう結論を出していたにも関わらず、事態は遥か斜め上を行っていた。


 だからアタシは原因追求も理解も潔く放棄した。



 何故ならアタシは三十四年、此処で生きている。

 姿形変わらずに、不可思議な現象に囲まれて、言語形態すら異なる世界で生きてきたのだ。




 外見はこの世界に落とされた二十三の頃のまま。つまり精神的には六十間近の老婆である。しかし外見に引き摺られるのか、精神年齢も思考回路も当時と同じくらいで、経験が増した分だけ強かに、老獪に、成長しているらしかった。

 アタシは所謂不老と呼ばれる存在なのだろう。死んだ事は一度もないから不死かどうかは不明だが、今後試す予定もないのでこの先も分からず仕舞いだ。

 それでも同じような存在が種族として居るのを知っているし、老いが来ない現実にももう慣れてしまった。その上、元々影に潜んで闇に生きてきたから、隠棲するのにも慣れている。

 身体が鈍らないようにだけ気を付けて、依頼をこなす毎日。単調な日常に変化が訪れたのは三十四年目最後の日、牡丹雪の降り積もる除夜の事だった――。




 * * *




「キリウ? 起きてるのか?」

 落ち着いたテノールが鼓膜を叩く。身体の芯にまで浸透するその声でもう一度名前を呼んでほしくて、敢えて返事をしないで待つ。アタシが起きているのは既に気付いているだろう、アタシだって静かで穏やかな気配が背後にあるのをじんわりと感じているのだから。

「……キリウ?」

「……起きてるよ。ちょっと考え事をしてたんだ」

 答えながら振り返ってみれば、鎧を脱ぎアンダーシャツだけの薄着でラウルは佇んでいた。月光に照らされる彼は先述したように薄着だから、綺麗に付いた筋肉の隆起がシャツに陰翳を落としていて男らしい色気に溢れている。緩く上下する厚い胸板、アタシを易々と捕まえてしまう太い腕。つい目が追ってしまう。

 ああ、駄目だ。アタシは何時からこんな女に成り下がってしまったのだろうか。しかもそれが嫌じゃない。ただ、初めての感情に戸惑うばかり。

「考え事? 今回の任務の事か?」

「いいや、全く関係ない。アタシの事だよ」

「個人的な事か。そう言えばキリウの話はあまり聞かないな。言いたくなければ言わなくていいが、何処の出身なんだ?」

(此処じゃない何処かだよ、ラウル)

 そう心の中で返すアタシは自然な動作で、視線を再び星空に向ける。何処の世界でもそれは変わらないようで、ともすれば自分の居る世界を混濁してしまいそうになる。そうして今居る場所が地球ではなくアスレイアだと思い出すと、寂寥の風が胸の内に吹き込んだ。

 彼が呼ぶキリウという名前は、正確にはアタシの名前じゃない。「桐生薫子」、それがこの世界で「キリウ・クォールク」と認識されるアタシの正式な名前だ。

 桐生の姓は今まで忌々しいものでしかなかったのに、彼が一度(ひとたび)口にするだけで醜くどす黒い感情は払拭され、忽ちアタシだけのものになる。それで十分だった。

「各地を転々として来たからね、覚えてないよ。アタシの事なんかより、ねえ、ラウルの話を聞かせて」

 木製の窓枠にしな垂れ掛かり、そっとラウルを窺う。金茶の短髪、翡翠の瞳。確かな鼻梁はすっとしていて、男らしいけれども男臭くはない。

 強請るようにじっと見詰めていると、厚めの唇がそっと緩んだ。

「俺の話? 只の傭兵の過去なんざ、面白くも何ともないと思うが」

「いいんだよ、聞きたいだけなんだから。なんなら――」

 初恋の話でも……。

 言い掛けて、すかさず口を噤む。今更それを聞いて何になるというのか。馬鹿らしい。

 自分の手に負える範囲でないと、相槌すら打てないじゃないか。

「なんなら?」

「筆下ろしの話でもいいけど?」

「あのな、キリウ……」

「ふふ、冗談だ」

 ラウルは見た目を裏切らない硬派だった。アタシが今までどんな汚い仕事をしてきたかを知った上で、それでも普通の女扱いをする。珍しい男。

 流石に、うら若き乙女がそんな話題をするもんじゃない、と今にも窘めてきそうだったから先に逃げを打つのも忘れない。どちらかと言えば感情の起伏が少ない彼の瞳は、今は責めるような色をしていて、もう少し下品な話題で彼を振り回したかったが、アタシはうっそりと眺めるだけで留めておいた。

 こうした些細な遣り取りが好きだった。アタシを女扱いしてくれて、怪我をしたら気遣われ、時には叱ってくれる。ラウルがアタシを気に掛けてくれる度に、アタシの胸の奥は甘く痺れた。


 久しぶりの穏やかな夜だった。






 アタシの今の仕事は従者だ。

 遡ること三ヶ月前。アタシが王城に捕らえられて四日後、召喚されたばかりの"勇者様"に戦う術を与え、その役目を終えるまで護るのが今回の"お仕事"だと恩赦を受けた。


 聞いた? "勇者様"だって!!


 その単語を聞いた瞬間、アタシは噴き出すのを我慢するので精一杯だった。"視力の宜しい"王様はそんなアタシの様子を見て、歓喜に震えているか畏れ多いと慄いているんだろう等と天晴れな推論を披露して下さったが、とんでもない。余りに軽い王様のオツム加減に嘲罵の念が溢れ出しただけである。

 それからあれよあれよという間に儀式の準備が整い、アタシも"名誉な事に"勇者召喚の間に立ち合う事を許された。


 恩赦を受けて二日後に召喚の儀式は行われた。

 視力を奪わんとする暴力的な光が収束するや、そこから現れたのは尻に殻が付いていそうな男子高校生だった。しかも黒髪黒目が特徴的な日本人。"勇者様"に相応しい整ったお顔と身体を動かす事が得意そうなスラリとした体躯をしているが、何と言うか、"勇者様"の条件とはそう言う外面も含まれているに違いないと妙な感心をしていた。

「おお、勇者様じゃ! 戦いと死を司るクロウ・クルーワッハ様の一枝、漆黒を纏いし武神マルス様の加護を賜った勇者様じゃ!」

 魔術師の一人が歓喜の涙を流しながら膝を衝いた。その死に損ないを皮切りに次々と膝を折り、他の者は口々に儀式の成功を歓呼し、辺りは一瞬で騒然となった。

 真白の大理石の部屋、その中心で黒い学ランを着こなす少年は異様に浮いているが、それを指摘する者はいない。それがまた、少年を一層混乱させているようでもあった。

『え、え……っ? なに、何処っ!?』

 久しぶりの日本語に、フードの下で口角が思わず歪む。

『ちょ、一体どうなってんだ!? お前ら誰だよ!』

「落ち着かれませ、勇者様」

『何言ってんのか、分かんねーよ!』

「今、言葉を――」

 筆頭魔術師が一歩踏み出し、落ち着かせようと手を伸ばすが、――それは悪手。

『何すんだよ!』

 少年が手を振り払うと、バシッと乾いた音が反響する。

「……っ」

『なっ……!?』

 視界を横切る、赤い飛沫。

 手を振り払っただけでは有り得ない結果に、二人以外も一様に驚愕した。

「……魔術の才もおありのようですな」

 とは言え、流石、筆頭魔術師だ。驚愕から回復するや否や、何が起こったのか瞬時に理解したらしい。

 ぽつりと呟かれた言葉に、少年の肩が面白い程に撥ねた。

『わ、悪いっ……そんなつもりじゃ』

 傍目にも分かる程うろたえる。その態度は彼の行動が本意ではなかったのだと、周囲の人間にも理解させた。

 筆頭魔術師は安心させるように皺くちゃの顔を緩めて微笑み、一度頭を下げると改めて慇懃に手の平を差し出す。

「失礼致しました。勇者様が警戒されるのも尤もですので、御気になさらぬよう。恐れ入りますが、此方の言葉を理解して頂く為に疎通訳解呪法をお掛けしたいので、どうぞお手を」

『だから何言ってんのか分かんねーっつってんのに……』

 筆頭魔術師は根気強かった。

 時間にしてそう長くはない筈だが、周囲の緊迫感の所為で一時間にも二時間にも感じられる空気の中で睨み合いのような無言の攻防の末、諦めたらしい少年が皺だらけの手をとうとう握った。

 有難う御座いますと再び頭を下げ、流れるような仕草で彼の額に手を伸ばす。手の平から暖かな黄色がかった光がボゥと溢れ出し、周りにきらきらと魔力の残滓が広がっていく。

 純白の大理石の床に大きく描かれた魔法陣に立つ一人の少年と、腰の折れ曲がった老術師が織り成すその光景はまるで神託を授かる一幕を見ているかのようで、そこらから感嘆の声が落とされる。

 少年はもう、抵抗しなかった。

「ふぅ……と、これで此方の言葉が理解出来るようになったと思うのですが、どうでしょうか勇者様?」

「ぁ、え……? っ分かる! 何これ、魔法!? ってか、勇者様って……」

「それはよう御座いました。今、勇者様に施したのは魔法ではなく呪術と申します。さて、色々とご説明したい事も御座いますので、場所を移しましょう。どうぞ此方へご足労願います」

「ぅあ、は、はいっ」

 ぞろぞろと大人数を引き連れて出て行く"勇者様"の後姿を見送って、アタシは反対側に歩き始めた。

 暫らく歩いて、不意に立ち止まる。一週間前に出会ったばかりのラウルが後ろを付いて来ていた。

「どうした、ラウル。勇者様に付いていなくていいの?」

「顔合わせは明日だし、今日くらいは大丈夫だろう。ところでキリウ、お前はあの勇者様、どう見えた?」

 アタシに追い付くのを待ってから、また歩き出す。肩が触れるか触れないかの所の距離を保って、彼も歩き出した。二人分の靴音がコツコツと、石造の廊下に響く。

「どうもこうも、子供じゃないか。魔術の素質があり適性も備えているとは言え、平和ボケした只の子供……人殺しどころか飯の為の兎一匹殺せやしないね」

 日本人は総じて平和ボケしている。男子学生ともなればそこに無駄な正義感とかが発揮されて、尚のこと厄介だ。いきなり召喚されるのは予期せぬ出来事だろうが、周囲の警戒も観察もせず、喚くだけだなんて頭が痛くなる反応の仕方だった。悪態も吐きたくなろう。

「酷評だな」

 知っているからこそ、余計にそう感じるんだよ。とは心の中に収めておいた。

「アレが勇者様なら、早いとこ命を奪う訓練をした方がいいと思うよ。勇者様なのに足手纏いだなんて笑えない……ああ、"それで"アタシだったね」

「性急に事を運ぼうとすると、何処かしら破綻するぞ」

「――そうだね。それで? ラウルにはどう見えた?」

 チラと見上げたラウルは難しい表情を保ったまま、前を見据えている。

「そうだな……俺も勇者があんなに若いとは思わなかったし、あんな子供一人に国の未来を背負わせるのかと憤りも感じる。……ただ勇者として召喚されたのだから、相応の理由があるのだろう。そう信じてはいるよ。俺の仕事は彼を、勇者に相応しく育てる事だからな」

「要はどうでもいいって事ね」

「おい、そうは言ってないぞキリウ」

「そう言う事にしときましょ」

「キリウ!」

「はいはい」



 出逢いは暗殺者と護衛だった。

 此処、ファストーラ帝国の皇太子暗殺を依頼されたアタシが下準備も終え、意気揚々と仕事に出掛けた夜の事。新年を迎える催事の喧騒に紛れて事を成す予定が、見事としか言いようの無い妙策で絡め取られたのだ。

 対象である皇太子と傭兵の入れ替わり。だが、それだけならば罠ですらない。下準備には皇太子の気配を覚えるのも入っているから、アタシ自身、入れ替わりには直ぐに気付いていた。だから騎士隊の中に紛れ込んでいる皇太子に狙いを定めた。

 催し物が一層盛り上がるパレードが始まる。その時間を狙って、アタシは一気に人々の間を駆け抜けた。

 対象まで2メートル、1メートル…………今! と息を詰めた瞬間、皇太子扮する平騎士の右隣に立っていた男が唐突に振り返る。剣先が見えない速度で鋼の刃が顔面に迫るのを風の音に聞き、アタシは反射的にナイフを返した。


 ギイィィィン――ッ!!


 スピード重視の一手は完璧に抑えられ、二手目の攻撃すら看破されているのに勘付くと同時に、撤退の二文字を頭に思い浮かべた。意外な手練の存在に作戦変更を余儀無くされた為に、護衛の猛攻を往なしながらバックステップを刻む。柔らかな牛皮の靴に覆われた爪先が大きく後退しようと石畳を蹴った、その直後。護衛の鎧に覆われた腕が急激に伸び、アタシの手首を捕まえた。

 サバイバルナイフで切り落としてやろうとしたが、絶妙な関節技であっという間に地面に押さえ付けられる。周囲に視線を走らせれば、騎士隊だけでなく、パレードを見に来ていた一般人らしい人影も何らかの武器を構えていて、この依頼自体が罠だったのだとこの時に気付いた。油断か慢心がいつの間にか心の内に巣食っていたらしい。

「――東の魔女、いや、今宵は血染めのエリカか?」

 背中で腕を拘束する男が抑揚なく問う。首を回して睨んだのだが、その勢いも直ぐに殺がれてしまった。

 彼の瞳は全くの静海(しずみ)だったのだ。アタシという敵に対する侮蔑も猜疑心も何もない。驚いた事にこの護衛は――後にラウルだと教えてもらったのだが――アタシの異名にさえ、何の関心も抱いていなかった。淡々と、アタシという人間を見ていたのだ!

「……面白い事してくれるね」

「……」

 フードを無遠慮に取り払われ、初めて真面に視線が交差した彼は翡翠色の瞳をそっと細めた。



 出逢いなんてのはそんなものだ。

 殺伐としていて、情緒がなけりゃ、ムードもへったくれもない。だけど、否、だからこそアタシはラウルに興味を抱いた。

 知れば知るほど、彼は面白い男だった。

 無骨なクセに、不意に品が香る。女の扱いに慣れており、それでいて硬派。陰湿な智謀策略なんかに長けている風にも見えるのに一本気。武人らしく人の中身を重視している様は好ましいが、誤解を受け易いのは頂けない。せめて誤解を解く努力くらいはしたらどうだ。

 良く言えば職人肌、悪く言えば朴念仁。

 彼は本当に不思議な男だった。

 アタシを堂々と女扱いするのなら、一度でもいいから誘惑に乗ってからにしろとさえ言ってやった事もある。なのに返された答えは説教で、やっぱり彼は奇妙な男なのだとアタシの中で位置付けられた。


 不思議な男なのだ、彼は。

 奇妙な男なのだ、ヤツは。

 男なんて有象無象だと思っているアタシの視線を惹き付けて止まないのだ、あの、ラウルという(ひと)は。




 凡そ一ヶ月の基礎訓練を終えて、勇者様御一行は瘴気に侵され凶暴化したドラゴンの討伐に出発した。今から二ヶ月前の話だ。

 パーティーメンバーはアタシを含めて五人。他の四人は次の通り。


 皇室騎士団の中でも随一の精鋭であるフォーティア隊副隊長ディオルグ・アードラー。

 筆頭魔術師の孫で、現在は宮廷魔術師見習いをしているアリア・クロッフェンタルト。

 大陸一の腕を持つと噂される自称しがない傭兵、闘神ラウル。

 そして平和ボケした国、日本でお生まれになった我らが勇者様、高橋雅也。


 そこに東の魔女、血染めのエリカ――数多の通り名を持つアタシ、キリウ・クォールクが加わり、攻撃特化型パーティーの出来上がりだ。

 因みにラウルが実は「ラウール・エスコフィエ・デュ・フォーレ」などという長ったらしい名前だと知ったのはつい最近の話である。蛇足ついでにクロッフェンタルトと言えば、悪魔も黙る……とさえ囁かれている最凶魔術一家らしいが、まぁそんな事もどうでも良いだろう。



 旅自体が初めてだったらしい勇者様を連れての道程は困難の連続だった。根が素直だから厄介事に巻き込まれるのは当然として、常識がないやら倫理観や道徳観念が違うのも面倒臭い。お国が違えば文化も違うのは当たり前で、時代が違えば考え方も異なってくるのは考えなくても解る事。なのに勇者様は自分の価値観を押し付けてくる。余程「お前の国には郷に入っては郷に従えという言葉があるだろう」と言ってやろうか、そう思い、耐えたのは一度や二度ではない。

 それから、常識がないならないなりにもっとマシな動きが出来ないものか。アタシがお守り役を任されていたら、今頃ファストーラは地図から消えていた事だろう。

 とは言え、アタシの仕事は少年に戦い方や生きる事の厳しさを教えて勇者の役目を終えるまで護る事だから、態々面倒事に首を突っ込むような真似はしない。少年のお守りは騎士様や魔術師様が進んで引き受けてくれたので、アタシは比較的快適に一人旅+αを楽しんでいた。


 そんな旅の途中。

 野営地を片付けていた時に小さな指輪を見付けた。リングにチェーンが掛かっていて、誰かの落し物だと直ぐに思い至った。

 チェーンごと持ち上げて目の前にリングを掲げてみれば錆び付いてはいないが、全体的にくすんでいる。金色のリング。サイズは小さく、女物だと一目見て分かった。

 今度はリングに直接触れて、その内側を見遣る。細いリングには細かい文字で何かが書かれているようだった。太陽の光に晒して目を凝らすと、消え掛けの文字がうっすらと浮かび上がってくる。

「……ギア ナ オレリア アポ――……」



 …………アポ ラウール。



 すぅ、と胸の奥が急速に冷えていく感覚を覚えた。

(馬鹿馬鹿しい……)

 何を今更、とアタシは心に封をしてしまう。

 なに、頭の何処かで気付いていたのに、今の今まで気付いていないフリをしていただけの事だ。首筋に掛かる銀色のチェーンは良く視界に入っていたし、それが指輪だという事はいくらシャツの下に隠れていても形で分かる。それに、彼ほどの男に恋人が居ないというのも可笑しな話であろう。

「凄いな……」

 指に嵌めないのは恐らく剣を握るのに邪魔になるから。

 それでも肌身離さず、何時終わるかも分からない長期任務に就いている。

「……眩しい」

 きっと、オレリアという女は、今か今かと彼の帰りを待っているのだろう。

 そしてラウルも、遠く離れた土地でこの指輪を眺めてその女に想いを馳せているのだろう。

「……、」

 どんな、気持ちなのだろうか。

 どんな思いで、この指輪を眺めているのだろうか。



 羨ましい、だなんて言葉は出て来なかった。

 これを見ても尚、胸の内にあるのは――……。

「何をしてるんだ、キリウ?」


 ただの虚無感と、


「っああ、見付けてくれたのか。探していたんだ、有難う」



 僅かばかりの寂寥感。






 すっと息を吸い込んでから、機械的に指輪を持った方の腕を突き出した。

「大事な物なら懐の奥底に仕舞っておきなよ」

「悪いな」

 そう言って苦く笑ったラウルは何を思っているのだろう。

「女々しいと思うか」

「今は前さえ見ててくれたら、それで良いわ」



 やはりアタシは人形なのだ。

 ラウルに思いを寄せる生身の女になれたと喜んでいたが、そうでもないらしい。

 普通の女は思い人に好きな人が居たら嫉妬なり悲嘆なりするだろうに、そんな感情は湧いて来ない。湧くどころか、嫉妬とは何かと考える始末。寧ろ感服の念すら沸き立つ。

 人と人とが想い合う、それがどんなに貴い事か。誰に対してだろうと、露程の信用も抱けないアタシには出来ない所業だ。仮に出来たとしても、きっと長くは続かない。アタシは、永遠なんて信じていないから。現実的な刹那主義者だ。過去も未来もその瞬間に消え去り、現在でさえ危うさが目立ち出している。

 ああ、やはりアタシは意思のない人形なのだ。

 感情と呼ばれるものの一つ一つを教えてもらわなければ理解出来ない不出来な道具。だが、理解しても自分一人では扱えないのだから欠陥品なのかもしれない。道具に感情など不要なのだから問題ないと言い聞かせるが、もしかしたら感情がないからアタシは道具なのだろうか。

 そう思い合わせて、アタシは何処か納得した。

 こう言う職業をしていれば、裏切られる事も数え切れないくらいあった。同じ道具として、同じ所有者を持つ者として、また同じ仕事を遂行する者として、それだけの信用をして無防備な背中を預けた直後に切り掛かられる遣る瀬無さは何とも言い難いが、己の得物を一閃すれば霧散する程度のものだった。そういう時、大概彼らは何故か一様に良く分からない言い訳を並べ立てたが、それが理解出来ないからアタシは最後まであの屋敷に残り、最期まで道具だったのだろう。






 その日は久しぶりの宿屋だった。

 ディオルグとアリアと勇者様は情報収集がてらバール(酒屋)に出ていて、今はいない。二部屋取った内の一部屋、その窓側のベッドを勝手に占領して窓枠に肘を置き、回想に耽りながら星空を眺めていた。

 ラウルが部屋に訪れたのは丁度その頃だ。

「筆下ろしもいいけど、そうね。好きな物とかどう?」

 適当に話題を繋げてみて、アタシは彼の何も知らないのだと気付いた。今更過ぎて、自嘲も出ない。本当に、今までの生でアタシは一体何をしてきたのだろう。

 だけどラウルは気にした様子もなく、アタシに視線を合わせたまま首を少し傾げてみせた。アタシが当たり障りのない話題を振ったのが珍しいのだろうな。そう言えば、いつも戦闘方法や行程などを話し合うだけで、他愛も無い会話というのをした事がなかった。

「好きなもの……食べ物とかか?」

「そう。好きな果物、料理、季節、人、色……趣味に特技」

「そんな事聞いて楽しいか?」

「だってアタシ、何も知らないのよ」

「……その歩み寄りをどうしてアリアやマサヤに出来ないんだ」

「どうしてかしらね」

 脱力気味に言われても困るのだ。

 アリアはアリアで何故だか観察するような視線を時々向けてくるし、雅也に至っては近付く気にもなれない。今は魔術で髪や瞳の色を変えているけれど(数日毎に変えているから、アタシの本当の色彩を知っているものはいない)、何時ボロが出るか分からない上に、此方に無い単語をうっかりと理解してしまうかもしれないという危惧もある。何より、あの底抜けに明るいのが性に合わないのだから、仕方が無い。

 まあ、ディオルグだけは騎士らしく中立を保ってくれているので、このパーティーは比較的纏まっていると思われる。いくらアタシだって誰かが危なければ助けに行くし、怪我をしたなら治療もする。風紀を乱さない為に個人的感情は挟まず集団行動に沿うよう協力的に振舞っているので、最低限の信用は築いているつもりだ。

「ねえ、ラウルが答えてくれなかったらアタシ、ラウルとも歩み寄れないかも」

「そんな言い方は卑怯だぞ」

「なんとでも?」

 眇められた瞳を受け止めて、緩慢な仕草で答えを促す。

「そうだな……じゃあ」

 所在無さ気に首元を緩める左手。

 口を開く前に彼の大きな手のひらが一瞬、胸元を彷徨ったのをアタシは見逃さなかった。

「好きな果物からいくか」


 あれだけ自己主張していた金色のリングが、今はどうした事か、其処に居ない。




 * * *




 ラウルが死に瀕し、アリアも昏睡状態。第二線を耐えたディオルグでさえ腹部に風穴を開けられ、まともに立っていられたのは勇者様とアタシだけだった。まあ正直言うと、アタシも結構ギリギリだったけど、物理的なダメージは前衛に比べればまだ軽い方だ。恐らく放っておけばラウルは勿論、アリアもディオルグも今頃は黄泉の国に旅立っていたかもしれない。

 それほど過酷な試練だった。


『天に背き、廉潔なる意思と誇りを捨てたドラゴンを屠った』


 言葉だけで結果を口にするのは、とても簡単な事だ。けれども、それ以上に内容は苛酷極まるもので、どれだけ言葉を重ねたとしてもその場に居なかった者には到底想像もつかない惨状だろう。

 戦闘終了後、魔術がそう得意ではない勇者様にはアリアの魔力供給に努めてもらい、アタシは瀕死状態の二人の治療に当たった。魔力以外の、命そのものとも言うべき生命力にまで手を出して、出来得る限り最高の治癒魔法を施す。

 無我夢中だった。

 ドラゴンの強固な鎧板の如き鱗への物理攻撃の所為で身体はボロボロ、魔力の枯渇は甚だしく、本当ならアタシだって治療される側だったのだ。でもアタシは、アタシの意思で治療する側に立った。本能的な警鐘を無視して生命の火種を分け与える覚悟で力を捻り出せば、耐え難い激痛が体中を駆け巡り、思わず出そうになった悲鳴を辛うじて呑み込む。

 アタシはどうなっても構わないから彼だけは、ラウルだけは死なせてはいけない。そう、半ば使命のように生命力を注ぎ続けた。

 多分、勇者様や意識を取り戻したアリアが横で何か喚いていた気がするけど、その時にはもう何も耳に入らなかった。

 青白いを通り過ぎて紙のように真っ白な頬が色付くまで、今にも消えそうな呼吸が力強く安定するまで、アタシは力の使い過ぎによって視力が落ちて見えなくなろうとも狂ったように胸を叩く鼓動を聞きながら、震える指先になけなしの力を振り絞る。


 見えない視界の闇の先で明滅する真白の光。

 次第に大きくなるそれは、やがてアタシを呑み込んだ。




 そこからは何も覚えていない。


 倒れたのかもしれないし、もしかしたら案外、意地を見せ付けたのかもしれない。そこにアタシの意識はなかったけれど、ベッドの上から床に視線を落とすと血だらけで穴空きの使い物にならないローブや衣類が乱雑に散らばっていた。それを見るに、どうやら彼らの治療を断ったようだ。

 木造の閑散とした室内に視線を彷徨わせ、主が居なくても稼働する健気な水晶時計に目を向けたアタシは驚きに目を見張った。

「……あれから、二月も経ってるのか」

 この小さな隠れ家を覆い隠し、防衛する結界具には少しの異変も見当たらず、昏睡状態の間に何もなかった事に安堵した。

 アタシが此処に居るという事はあんな状態でも追っ手(ここでは勇者様御一行だが)を振り切り、戻ってきたのだろう。やはり帝都に帰還した可能性はない。彼らはもう帝都に戻っているだろうが、報告の場にアタシが居なくてもご命令通りに勇者様を護り通したので問題は無い筈だ。

 ベッドの上で凝り固まった身体を解してみるとギシギシと油の切れた機械のようにぎこちない動きをしていたが、暫らく柔軟に集中すれば少しずつ滑らかになっていく。ある程度、動けるようになってから胃に負担を書けない果物のジュレを流し込み、アタシは浴室に向かった。

 部屋は全体的に埃っぽく、それは風呂場も同じだったので温度の設定ついでに浴室を洗い流した。

 久しぶりのシャワーは気持ちが良い。殆ど水のような温めの湯に当たり、肌の上で弾く水滴を何とはなしに眺めながらこれまでの出来事を振り返ってみた。


 森の中で目覚めた始まりの日。


 見知らぬ世界で驚愕の連続。


 己の身に起きた、不老という不可解な現象。


 代わり映えのしない生き方。


 そして、ラウルとの出会い。


 勇者召喚とドラゴン討伐。


 思い返すだけでも最近は特に濃厚な日々だった。同時に少し世界が色付いて見える気がする。それが何時からなのかと振り返れば直ぐに思い至る。ラウルと出会った瞬間、アタシは世界が色鮮やかに輝き出すのを目の当たりにしたのだ。

 好きとか愛してるとか、そんな生々しい感情じゃないのは分かってる。でも、彼がアタシを一人の人間として扱ってくれるから、アタシは少し人間に近付けたのかもしれない。

 だから特別なのだろう。

 この無為に過ごしてきた生の中で唯一意味のあるものだから、アタシの中で消えずに残っているのだ。

 それにディオルグもアリアも雅也も、思えば誰かとあんなに近く過ごしたのは初めての経験だったし、それが思いやりかどうかは知らないが、誰かの為に動いたのも初めてだったと思う。

 彼らはこれからも関係を持ち続けていくのだろうか。

 これからもずっと、繋がり続けていくのだろうか。



 四人で。






 ……そこにアタシは居ないけど。







「何を考えているんだか……」

 自嘲するアタシは愚かだ。

 竜人であるディオルグならまだしも、他の三人は人間だ。人の枠から外れたアタシと同じ時を生きる者などいない。

 そう、道具は道具らしく、壊れるその瞬間まで思考も感情もなく存在するのが相応しい。

そもそも、あれこれ考える時点で間違っているのだ。今まで通り何も感じず何も考えず仕事をこなせばいいのに。


 感化、されたのだろうか。――この、アタシが?


「忘れよう、何もかも全部」

 バグが生じたならばリセットすればいい。

 そう思いながら濡れた身体(パーツ)をタオルで拭き、適当な衣服を身に付ける(装着する)。もう役目を果たせないローブはゴミ箱へ放り投げ(廃棄し)、生きていく(活動)のに必要な食糧(燃料)を探す為、乾物を保管している倉庫に向かった。

 倉庫は隠れ家の真横に隣接している。けれども中では繋がっていないから一度外に出なければならないのだ。玄関ではなく横に設えた勝手口の真正面に、倉庫はある。

 二月ぶりの日光は、夏季に入った所為か、厳しくアタシの瞳(ガラス玉)を焼く。直後、視力を奪われた。

 真っ白に灼き尽くされるのは二度目だなと他人事のように分析しつつ、視力が戻るのを瞼を下ろしてじっと待つ。

 視覚が閉じられたので他の感覚器(センサー)が一層鋭敏になる。

 森の奥で聞こえる鳥の声。パンディオンやジャポニクス、コロマンダ。様々な鳥の鳴き声が良く聞こえた。

 そっと意識をずらせば乾いた葉音が重なり合って風の音に交じり、澄んだ空気が肺に満たされた。


 そんな時、ジャ……と何者かが敷地内の砂利を踏み締める足音を敏感な耳が拾った。




「……っ」



 アタシの後方、玄関前に居る人物が誰だろうと、何重にも隠蔽術を掛けたこの隠れ家はそう簡単に見付からない筈なのに。


 一歩、一歩、慎重に踏み外さないように足を進める人物がまるで信じられなくて、アタシは振り返れない。


 もう視力は戻っているけど、アタシの無様に震える手のひらを映してはいるけれど。





 嗚呼――……。



 なんで、どうして。






「キリウ」











 お願いだから、もう少しだけ待って。


 そうすれば絡繰り仕掛けの心を取り戻せるから――。





エリカの花言葉:裏切り、孤独

フォーティア:ギリシャ語で「炎」

「ギア ナ オレリア アポ ラウール」=「To Aurélia from Raoul」

パンディオン(学術名):ミサゴ(和名)

ジャポニクス(学術名):ノスリ(和名)

コロマンダ(学術名):アカショウビン(和名)


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― 新着の感想 ―
[一言] 面白かったです。 短編なのが残念なくらいでした。 いつか主人公と勇者の会話とか、その後の主人公とか見てみたいですね。←
2015/03/15 03:06 退会済み
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