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「もう頑張らなくていい」と言われた聖女は、初めて自分のために泣きました  作者: 歩人


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第29話: 同じ傷を持つ人

 ——レオンの告白を聞いた凛は、彼もまた自分と同じように傷を抱え、嘘をついてきたことに気づく。



 翌日の夜。私の熱が引いて、自分の足で歩けるようになった。

 診療所の中にいると息が詰まって、レオンさんに頼んで裏手に出た。

 彼が焚き火を起こしてくれた。無言で。いつものように。


 き火のはぜる音だけが、夜の空気を繋いでいた。


 レオンさんは、昨夜の告白を抱えたまま動かなかった。

 あの最後の一言が、まだ彼の喉の奥に残っているみたいに。


 私は息を吸って、吐く。

 胸の内側が痛いのに、痛みの正体がはっきりしているぶん、逃げずにいられた。


 彼の過去は暗い。

 でも、暗いのは過去だけじゃない。今の彼の「生き方」そのものが、ずっと闇に手を伸ばしていた。


 誰かを守るために、いつも自分を削って。

 それを誇りみたいに掲げて。

 「平気だ」と言いながら、誰にも触らせない。


 私は、喉の奥に引っかかった言葉をそのまま出した。


 「あなたも、"大丈夫"って嘘をついてきたんですね」


 レオンさんの肩が、小さく揺れた。

 怒ったのではない。刺さったのだ。

 見抜かれた、というより——自分でも見ないようにしてきたものを、光に引きずり出されたみたいに。


 「……嘘、か」

 「はい。優しい嘘です。けれど……痛い嘘です」


 私は両手を膝の上で重ねる。

 いつもなら、ここで「ごめんなさい」と言ってしまう。

 相手の痛みに触れたことを謝って、引き下がって、また「大丈夫」を渡す。


 でも、今は引かない。

 レオンさんの告白は、引いてほしくない種類の言葉だった。


 「私も、同じです」

 「……凛が?」

 「はい。神殿しんでんでも、前の世界でも……私は、ずっと言ってきました。大丈夫、と」


 大丈夫。

 私なら平気です。

 それで誰かが救われるなら。


 口にすればするほど、言葉は上手になっていった。

 上手になればなるほど、自分の本音は下手になっていった。


 「本当は、怖かったです」

 焚き火の向こうで、レオンさんの目がわずかに揺れる。

 「休みたかった。逃げたかった。……それを言ったら、誰かが困ると思って」

 「……」

 「困らせたくなくて。嫌われたくなくて。役に立たないって思われたくなくて」


 最後の言葉は、胸の奥の深いところから出た。

 自分でも触れたくない傷口を、指先でそっと開いたみたいに。


 レオンさんが、低い声で言った。

 「俺も同じだ」


 短い言葉。

 それだけで、夜の冷たさが少しだけ薄くなった。


 レオンさんは、焚き火を見ない。

 私も、彼の目を無理に追わない。

 視線を合わせるのは、時々でいい。逃げ場を残すことも、優しさだ。


 それでも私は、彼の手だけは見てしまった。

 膝の上に置かれた指が、ほんの少し震えている。

 震えを隠すみたいに、指が強く組まれ、骨の白さが火の光で浮いた。


 強い人の手じゃない。

 強く見せるために、ずっと握りしめてきた人の手だ。


 思い出す。

 あの束になった日記にっきのページ。

 助けを求める言葉の隣に、必ず置かれていたふたの言葉。


 『私は大丈夫です』


 その一文が、祈りでも誓いでもなく。

 「痛い」と言えないまま生きるための、細い鎖だったことを、私は知ってしまった。


 レオンさんの「平気だ」も、同じ鎖だ。

 自分を縛って、他人を安心させて、最後に自分だけを置き去りにする。


 私の胸の奥に、熱いものが溜まる。

 怒りじゃない。かなしみでもない。

 「分かってしまう」痛みだ。


 私は薪を一本、火の近くへ足で寄せた。

 乾いた木が、ぱち、と小さく鳴く。

 その音に、レオンさんの肩が反射みたいにわずかに強張った。


 ——怖いのは、火じゃない。

 誰かに気づかれることだ。

 弱さに触れられて、逃げられなくなることだ。


 私も同じだった。

 気づかれたら、きっと嫌われると思っていた。

 大事にされたら、返せないと思っていた。

 だから先に、差し出す側に回っていた。


 でも。

 差し出し続けた先に残るのは、空っぽの手だけだ。

 その空っぽを、彼に渡したくない。




 焚き火が小さくなって、薪の端が赤く崩れた。

 闇が一歩近づく。

 でも怖くない。今は、レオンさんが闇の側にいる人ではなく、闇に触れ過ぎて傷ついた人だと分かるから。


 「……凛」

 彼が私の名前を呼ぶ。

 呼び方が、いつもより遅い。


 「俺は、守るって言いながら……結局、自分を捨ててきただけだ」

 「捨てて、きた」

 「自分の命も、価値も。……そうすれば、楽だった。考えなくて済む」


 私は頷いた。

 責めるためじゃない。分かる、と伝えるために。


 「自分を後回しにすると……他のことが上手く回っているように見えますよね」

 「……ああ」

 「それで、褒められたりもします。便利な人、って」


 便利。

 その二文字は、優しい仮面になる。

 誰かの役に立っている間だけ、存在していいと錯覚できるから。


 レオンさんは焚き火を見つめたまま、唇を噛んだ。

 火の光が、頬の傷跡きずあとの影を深くする。


 「……あんたは俺を責めないのか」


 ようやくこちらを見た目は、おびえていた。

 責められる準備をずっとしてきた人の目。

 責められたら、それで終われると思っている目。


 私は、首を横に振る。


 「責める理由がありません」


 言い切ると、レオンさんは一瞬、息を止めた。

 まるで、肺に入るはずの空気を忘れてしまったみたいに。


 「……どうしてだ」

 「だって、あなたは……生きるのが下手なだけです」


 言ってから、少しだけ笑ってしまった。

 ひどい言い方なのに、優しい言い方でもあると思ったから。


 「私も下手です。上手く生きるより、先に上手く死ぬ練習をしてきました」

 「……やめろ」

 「やめたいです。だから、言います」


 言葉にしなければ、変えられない。

 沈黙ちんもくの中で耐える癖は、私たちの傷を深くするだけだ。


 「私たち、似ていますね」

 「……ああ」


 短い返事が、胸に落ちた。

 受け入れる音だった。

 否定しない音だった。


 「似ているから……あなたのことが、分かります」

 「分かるな。そんなもん」

 「分かります」


 私は、ゆっくりと言葉を重ねる。

 彼の怒りも、拒絶も、全部「怖さ」から来ていると知っているから。


 「あなたが自分を捨ててきたのは、誰かを守りたかったからです。自分の痛みより、他人の痛みを優先したから」

 「……優しい言い方をするな」

 「優しいのは、あなたです」


 そう言うと、レオンさんの目がわずかに細くなった。

 笑っていない。泣きそうな目だ。


 「……凛は、俺を——許すのか」

 「許す、というより……一緒に、悔やみましょう」


 悔やむ。

 責めるのではなく、やり直すために。

 もう同じやり方でしか生きられないと決めつけないために。




 風が吹いた。

 火が揺れて、影が踊る。


 レオンさんの手は、膝の上でこぶしになっていた。

 剣を握るための手。

 誰かを守るために、誰かを倒すために、何度も固くなってきた手。


 私は、その拳にそっと近づける。

 急に触れたら、彼はきっと反射で引く。

 だから、逃げ道を残したまま、手の甲に指先を置いた。


 ……温かい。

 でも、温かさの中に、冷えた時間が混じっている気がした。

 「大丈夫」の裏に押し込めた痛みの温度。


 レオンさんの指が、かすかに動く。

 拒む動きじゃない。確かめる動きだ。


 私は手のひらを返して、彼の拳を包んだ。

 ほどくように、祈るように。


 「ねえ、レオンさん」

 「……なんだ」

 「今日、言ってくれてありがとうございます。……あの告白は、あなたの弱さじゃなくて、勇気です」


 言葉にすると、自分の喉が熱くなる。

 私自身がずっと欲しかった言葉を、今、彼に渡しているからだ。


 レオンさんは、苦しそうに眉間を寄せた。

 それでも、手を引かなかった。

 私の掌の中で、拳が少しだけ緩む。


 「凛。俺は……怖い」

 「はい」

 「また、同じことをする。自分を捨てて——それで、誰かを守った顔をする」

 「はい。きっと、すぐには治りません」


 治らない。

 その言葉は冷たいはずなのに、今は現実的な温かさを持っていた。

 焦らせない。急かさない。置いていかない。


 私は、彼の手を握ったまま、目を上げる。

 闇の中に、彼の瞳だけが静かに光っている。

 落ちていく光じゃない。繋ぎとめる光だ。


 「だから、ここからです」


 言いながら、指を少しだけ絡める。

 握りしめるんじゃない。支える形。


 「一緒に、治していきましょう」



 ——次話「弟子たち」――次の一手が、運命を動かす。

拙い文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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