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「もう頑張らなくていい」と言われた聖女は、初めて自分のために泣きました  作者: 歩人


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第26話: 二度目の旅立ち

 ——凛が王都からリンデン村へ堂々と帰還する決意を告げる。



 「リンデン村に帰ります」


 言い切った瞬間、謁見えっけんの間が——息を止めた。


 逃げるための言葉じゃない。今度は、私の足で歩いて帰るための言葉だ。


 玉座の王は、ゆっくりと頷いた。

 その目にあるのは、命令でも所有でもなく、敬意だった。


 「引き留めはしない。だが——感謝は伝えたい」


 王の声は低く、けれど柔らかい。

 王都おうとを満たしていた恐怖と怒号を、あの人は最後まで背負っていたのだと、今なら分かる。


 「聖女殿。貴女が戻ってくれたことで、多くの命が救われた」

 「いいえ。救ったのは、皆さんの手です。薬を煮て、運んで、て……祈って」


 私は胸の前で手を重ね、深く礼をした。

 敬語は崩さない。でも、背筋は折らない。


 「私は、もう“削られて”誰かの道具にはなりません」


 その言葉に、列の端で誰かが小さく息を呑んだ。

 セドリックさんの肩も、わずかに揺れる。


 「凛」


 隣に立つレオンさんが、短く呼んだ。

 “言い過ぎるな”ではなく、“言え”という声だった。


 私は頷き、王をまっすぐ見る。


 「私は村に帰ります。リンデン村で、畑を耕し、薬草を育てます」

 「……それが、貴女の望みか」

 「はい。今の私の望みです」


 王は、唇の端をほんの少しだけ上げた。

 笑みというより、認めた印。


 「ならば、道は整えよう。王都から村まで、危険がないように。——そして」


 王は視線を横へ滑らせた。

 その先にいるのは、セドリックさん。


 「セドリック」

 「……はい、陛下」


 セドリックさんは一歩前に出て、膝をついた。

 貴族の作法のはずなのに、今日はそれが“身を削る”仕草に見えた。


 「凛。……すまなかった」


 頭が下がる。

 あの日、私を縛った言葉も、命令も、あの人の口から出た。


 でも同時に、疫病えきびょうの現場で眠らず走った背中も、私は見ている。


 私は、息を吸った。

 許すためでも、責めるためでもない。

 終わらせるための言葉を選ぶ。


 「謝罪は、次の聖女を作らないことで示してください」


 静寂が落ちた。

 重い。けれど、怖くない重さだった。


 セドリックさんの肩が震え、やがて顔を上げた。

 目の縁が赤い。僕、という一人称を隠してきた人が、今は子どもみたいに見える。


 「……僕は、必ず止める。制度も、思想も。聖女を“生み出す”仕組みを」

 「お願いします」


 それだけでいい。

 許した、と言ったわけじゃない。

 でも、未来への条件は渡した。


 王が、静かに言葉を継いだ。


 「聖女殿。貴女の帰る場所が、貴女のものとして続くよう、国として守ろう」

 「……ありがとうございます」


 声が少しだけ震えた。

 感謝を受け取ることに、私はまだ慣れていない。


 レオンさんが小さく鼻で笑う。

 「泣くな。まだ門まである」

 「泣きません」

 「顔がもう泣きそうだ」

 「……レオンさん」


 叱られているのに、苦しくない。

 隣にいるだけで、心臓が落ち着く。




 王都おうと城門じょうもんへ向かう道は、思ったより広かった。

 こんなに空が見える道を、私は今まで“通してもらえていなかった”のだと気づく。


 石畳の両端に、人がいる。

 一人、二人じゃない。波みたいに増えていく。


 「……どうして」


 呟きは風に溶けた。

 私の耳にだけ、ちゃんと届く。


 誰かが花を持っている。

 誰かが布を掲げている。

 子どもが背伸びをして、門の方を覗き込んでいる。


 レオンさんが肩をすくめた。

 「噂は回る。あんたが疫病止めたってな」

 「私一人じゃ——」

 「分かってる。でも、あんたが“戻ってきた”のは事実だ」


 戻ってきた。

 それは、あの夜の“逃走”とは逆の言葉だ。


 第三の夜。私はフードを深く被り、息を殺して裏門を抜けた。

 足音が怖くて、犬の遠吠えに心臓が跳ねて、石につまずきそうになりながら——ただ、生きるために走った。


 あのときの王都は、私を見つけたら引き戻すか、石を投げるか、どちらかだった。

 “聖女”は便利な道具で、都合が悪くなれば罪人にもなる。


 けれど今、門前に集まる人々の顔は違う。

 目が、私を“人”として見ている。


 誰かが叫んだ。


 「聖女様!」


 次の声が重なり、また重なった。

 怒号じゃない。罵声でもない。


 「ありがとう、聖女様!」

 「助かったよ!」

 「おかげで母ちゃんが——!」

 「また来てくださいね!」


 最後の子どもの声は、震えているのに明るい。

 その言葉の後の全角スペースが、私の胸にぽっかり余白を作った。


 余白に、熱いものが溜まる。


 「……皆さん」


 声が掠れた。

 私は足を止め、群衆へ向き直る。


 王宮の壁の中では、聖女は舞台に立てなかった。

 立てば、操り糸を結ばれるから。


 でも今は、誰にも引かれない。

 私は、自分の足で立っている。


 「ありがとうございます」


 頭を下げると、ざわめきが一瞬、静かになった。

 そして次の瞬間、拍手が起こった。


 拍手なんて、私には似合わないと思っていた。

 けれどその音は、軽くなくて、温かい。


 誰かが前へ出て、小さな包みを差し出した。

 布の隙間から、乾いた薬草の香りがした。


 「村へ持ってって。うちの畑のやつだ」

 「……ありがとうございます。大切に使います」


 別の人が、焼き菓子を。

 別の人が、薄い毛布を。

 あまりに多くて、私は受け取りきれない。


 困って振り向くと、レオンさんが無言で両腕を差し出した。

 不機嫌そうな顔のまま、荷物を受け取っていく。


 「ちょっと、重いですよ」

 「あんたは持つな。倒れる」

 「……はい」


 返事が素直になってしまって、私は自分で驚いた。

 隣で笑う気配がして、見上げると、レオンさんの口角がほんの少し上がっていた。


 門が見える。

 白い光の向こうに、街道かいどうが続いている。


 門前で、私はもう一度だけ振り返った。

 人々の顔が、ちゃんと見える距離にある。


 「……私、行ってきます」


 その言葉は、昔の私には言えなかった。

 “戻る”前提の言葉。

 帰る場所がある人の言葉。


 群衆が笑った。泣いた。手を振った。


 「いってらっしゃい!」

 「元気で!」

 「聖女様、幸せになって!」


 私は、涙が落ちる前に笑おうとした。

 でも、笑うほどに目が熱くなる。


 レオンさんが、私の肩に外套を掛けた。

 乱暴に見えて、風の向きを読んだ、ちょうどいい角度。


 「泣くなら、前向け」

 「……はい」

 「ほら、歩け。堂々とな」


 促されるまま、私は門をくぐる。

 背中に拍手が降り注いで、追い風みたいに押してくる。




 王都おうとを離れると、空気が少しだけ軽くなった。

 石の匂いが薄れて、土と草の匂いが混じる。


 しばらくは無言で歩いた。

 言葉にしてしまうと、胸の熱がこぼれて、歩けなくなりそうだったから。


 遠くで、鳥が鳴いた。


 「……なあ」

 レオンさんが短く言う。

 「さっきの“幸せになって”っての、聞こえたか」

 「聞こえました」

 「どうする」


 どうする。

 その問いは、未来の話だ。

 私は足元の影を見て、少しだけ笑う。


 「まずは、畑です」

 「堅実」

 「それから……村の皆さんに、ただいまを言いたいです」


 レオンさんが、隣で頷いた。

 「それでいい」


 短い言葉なのに、背中が温かくなる。

 承認は、こんなに人を強くするのだと知った。


 私は視線を上げる。

 街道かいどうの先に、まだ見えないリンデン村がある。


 あの村は小さい。

 でも私の尊厳を、最初に守ってくれた場所だ。

 逃げ込んだ場所じゃない。帰る場所だ。


 「レオンさん」

 「ん」

 「これからも……隣を歩いてくれますか?」


 言った瞬間、心臓が跳ねた。

 頼ってはいけない、と思ってきた癖が、まだ残っている。


 レオンさんは、前を向いたまま。

 けれど歩幅を、私に合わせて少しだけ落とした。


 「俺は、最初からそのつもりだ」


 息が白くなりそうなほど、胸の奥が静かに熱い。

 私は頷いて、言葉を探した。


 「……ありがとうございます」

 「礼はいい。あんたが笑ってりゃ、それで」


 言い終わる前に、彼は咳払いみたいに顔を背けた。

 耳が少しだけ赤い気がして、私は見ないふりをする。


 そういう照れを、私は大事にしたい。

 傷だらけの関係の上に、それでも芽吹いたものだから。


 私は深呼吸して、空の青さを胸に入れた。


 「帰ろう、レオン」

 「ああ」


 その一言で、旅立ちが“終わり”じゃなくなる。

 終わったのは、削られて使われる私。

 ここから始まるのは、私の暮らしと、私の未来だ。



 ——次話「小さな診療所」――小さな安らぎが、運命を変えていく。

拙い文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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