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「もう頑張らなくていい」と言われた聖女は、初めて自分のために泣きました  作者: 歩人


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第22話: 聖女の帰還——条件付き

 ——戻るのは聖女としてじゃない。命を削る治癒は、もう二度としない。



 王宮の扉は、開く音さえ威圧する。


 けれど今日は、飲み込まれない。


 私は“連れ戻され”に来たんじゃない。自分の意思で、ここへ来た。




 謁見えっけんの間は、冬の井戸の底みたいに冷たかった。

 赤い絨毯の先に玉座。左右に並ぶ貴族の視線。


 私は一歩前へ出る。

 背後に、黒い影が寄り添った。


 レオンは何も言わない。

 ただ、そこに立つだけで、「凛を押さえつけるなら覚悟しろ」と場に刻む。


 「……聖女殿」


 セドリックが目を見開き、ヴェルナーが息を呑んだ。

 騎士団長と大神官。私を“使う側”だった二人が、今は“助けてくれ”という顔をしている。


 「戻ってきてくれたのか!」

 ヴェルナーの声が弾む。嬉しさより、安堵が先にある。


 私は笑わない。

 笑えばまた、“いい子の聖女”に戻される。


 「戻りました。ただし、条件があります」


 空気がざわめいた。

 セドリックが一拍置き、背筋を伸ばしたまま言う。

 「条件を聞こう」


 私は玉座の王へ視線を上げた。

 王は無言のまま、続きを促す。


 「命は削りません」


 「な——」

 ヴェルナーの声が割れた。


 「治癒魔法ちゆまほうは使いません。今回の疫病えきびょうには」


 胸の奥がひりつく。

 光を出せば、目の前は“綺麗”になる。けれど、私は削れて、倒れて、また言われる。

 代わりは? と。


 もう、繰り返さない。


 「私のやり方でやります」


 言い切ると、レオンの気配が一段重くなった。

 無言の圧が、私の言葉を“交渉の札”にする。


 「嫌なら今すぐ、村に帰ります」


 その一言で、貴族の背筋が揃った。

 “聖女”が席を立つという意味を、全員が知っている。


 ヴェルナーが踏み出す。

 「何を言って——! 聖女殿、貴女は——」


 「黙れ」


 低い声が、間を切った。

 王が片手を上げるだけで、ヴェルナーは言葉を飲み込む。


 「聖女殿の条件を聞こう」


 王の視線は、値踏みではない。

 私を“相手”として扱う目だ。


 セドリックが頷いた。

 「承諾する。聖女殿の条件を受け入れる」


 ヴェルナーが信じられない顔で叫ぶ。

 「セドリック! 疫病だぞ! 治癒なしで——」


 「だからだ」

 セドリックは短く切った。

 「治せば終わると思った。結果はこの有様だ」


 私は息を吸って、言葉を置く。

 「では始めます。まず必要なのは——石鹸と清潔な布です」


 沈黙が落ちた。

 次に、困惑のざわめき。


 「石鹸……?」

 ヴェルナーが呆けたように繰り返す。


 「手を洗うためです」

 私は淡々と言った。

 「布は拭くため。洗って、煮沸して、干して、また使う。共有の桶は廃止。飲み水と洗い水を分ける」


 「そんなことで——」


 「変わります」

 私は遮った。

 「疫病は、祈りより先に“触れる”で広がる。なら、触れ方を変える」


 言い切ると、レオンの背後の静けさが、さらに深くなる。

 誰も私を笑えない空気。


 私は続けた。

 「症状が出た者は隔離かくり。看病する者は固定。出入り口は一つ。出るときに手と靴を洗う場所を作る。記録係を置いて、接触を追う」


 私は、先に刺す。

 「貴族の屋敷も例外にしない。王族も例外にしない。従えないなら、私は帰ります」


 凍りつくほど静まり返る。

 その静寂の中心で、王が頷いた。


 「良い。聖女殿の条件を受け入れる」


 玉座の言葉が、命令になる。

 セドリックが深く頭を下げた。

 「物資と人員を動かす。聖女殿の指示に従う」


 ヴェルナーは唇を噛み、遅れて頷いた。

 「……承知、した」


 私は一度だけ息を吐く。これは勝ち負けじゃない。私のやり方を、私の条件で通しただけだ。




 謁見の間を出た廊下で、指先の震えに気づいた。

 怖かった。けれど、怖いまま言えた。


 隣を歩くレオンが、ぽつりと言う。

 「折れなかったな」


 「折れたら、また元に戻る。……それだけは嫌です」


 レオンは短く頷く。


 「まず病舎を見ます」

 私は言った。

 「入口、洗い場、隔離の区画。今日中に作る。石鹸は工房へ。なければ作ります。油と灰があればいい」


 「護衛をつける」


 「要りません」

 私は首を振る。

 「必要なのは運び屋です。布と水と薪を運べる人を。命を救うのは、光じゃない。手と道具です」


 レオンの口元がわずかに動いた。

 「了解だ。……聖女殿」


 私は一度だけ足を止め、言った。

 「呼ぶなら、凛でいいです」


 その瞬間、胸の奥が熱くなる。

 鎖だった肩書きが、今日はただの札になった。


 曲がり角の先から、薬草と汗の匂いが流れてきた。

 咳が、重なって聞こえる。


 私は病舎の扉に手をかける。

 ここから先は、私の奇跡の領分だ。


 ——石鹸と、清潔な布。


 扉を押し開けた瞬間、王都の疫病対策が始動した。



 ——次話「前世の知恵」――王都を揺らす決断が始まる。

拙い文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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