第16話: 命を削らない方法
——治癒魔法の代償を知った凛は、「治す」ではなく「防ぐ」方向から魔法を組み直し始める。
机の上が、紙の海になった。
薬草の図鑑、村の聞き書き帳、そして分厚い魔法理論書。
エルザさんの家の居間で、私はそれらを開いては閉じ、閉じては開いて並べ替える。
ページの端々に、昨日の"重さ"が刺さっていた。
畑仕事で腰を痛めたハンスさんに、つい治癒魔法を唱えてしまった。
痛みは消えた。でも私の中の何かが削れた感覚。
——このままじゃ、次は助けられない。
「凛ちゃん、紙が泣いてるよ」
火鉢の向こうで、エルザさんが笑った。
私は慌てて本の角を揃える。
「す、すみません。でも……今のうちに、分かることを全部、形にしたくて」
私は膝の上のノートを開く。
治癒魔法は“治す”。
傷を閉じ、熱を下げ、血を巡らせる。
それは人体の状態を、いきなり“結果”へ飛ばす魔法だ。
その代わりに。
私の寿命が、燃料として持っていかれる。
「治癒魔法は、生命力に触れるから負担が大きい」
理論書にはそう書いてある。
でも、曖昧だ。
“負担”とは何を意味している?
体力? 魔力? それとも……本当に、命そのもの?
私は昨日の感覚を思い出す。
体の芯が冷えて、視界が少し遠のいたあの瞬間。
脳が、看護師だった前世の言葉を引っ張り出した。
『Prevention is the best medicine』
予防こそ、最良の治療。
——治すのが危険なら、そもそも治す場面を減らせばいい。
私の鉛筆は、勝手に走り出した。
「病気や怪我の発生確率を下げる」
「重症化を防ぐ」
「治癒魔法を“最後の手段”にする」
前世で当たり前だった考え方。
手洗い、清潔な水、傷の消毒、栄養、睡眠。
魔法がある世界なら、それを補助できる。
“治癒”ほど深く生命力に触れずに、環境と行動を変える方向で。
私は魔法理論書の「魔法陣」の章を開く。
魔法陣は術者の意志を固定し、外部の魔力を整流する……とある。
外部の魔力。
私の寿命じゃない、世界の側の力。
「……じゃあ、治癒魔法が寿命を食べるのは、私の中の“生命力”に直結してるから」
「逆に、予防は“外”を整えて、身体の自然な治り方を邪魔しないようにする」
言葉にした瞬間、胸が熱くなる。
怖いだけじゃない。
難しいからこそ、組み上げる余地がある。
「凛ちゃん?」
エルザさんの声で我に返る。
私は顔を上げ、つい笑ってしまった。
「難しいこと考えてるねえ」
「はい。……でも、楽しいんです」
自分でも驚くくらい、素直な声だった。
昨日の恐怖が、今日の作業に変わっている。
まずは小さく。
私は床に木炭で円を描いた。
中心に置くのは、水の入った椀。
水は病気の入口になる。
前世では、煮沸が基本。
でも薪は貴重で、村人が毎回やるのは難しい。
だから“水を清潔に保つ”魔法陣。
病を治すのではなく、病を入れない。
「清浄」
小さな声で唱える。
椀の表面が、ふっと静かに光った。
でも、すぐに霧散する。
……弱い。
意図が曖昧だ。
清浄って、何をどこまで?
泥? 匂い? 見えない病?
私はノートに図を書き足し、条件を細かく分ける。
「濁り成分を沈める」
「腐敗を進める魔力反応を止める」
「虫を寄せない」
全部を一度に欲張れば、また“深く”触れてしまう。
それに、魔法は言葉の定義がすべてだ。
前世の私が使っていた“細菌”や“ウイルス”という概念は、この世界の言葉になっていない。
なら——現象として切り取る。
「腐る原因」ではなく「腐る変化」。
私は円の外側に、二重の線を足した。
内側は水の状態、外側は侵入の遮断。
魔法陣の外周に、結界の記号を借りる。
「……これで、どう?」
私はもう一度、息を整えた。
「清浄。変質を遅らせ、侵入を防ぐ」
今度は、光が消えなかった。
薄い膜が椀の縁に沿って、静かに張る。
私は胸の奥を確かめる。
昨日みたいな冷えは、ない。
寿命を削られる感覚も、ない。
「……っ」
小さな勝利が、喉に引っかかった涙をほどく。
「凛、これをどこに置けばいい」
戸が開いて、レオンが大きな包みを抱えて入ってきた。
紙束がはみ出していて、歩くたびにひらひら揺れる。
「重かっただろ。ごめん」
「重いな。だが、運ぶくらいはできる。どこだ」
彼は魔法のことは分からない。
それでも、分からないまま手を貸してくれる。
その単純さが、今の私にはありがたい。
「ありがとう。そこ、机の下に」
「机の下か。……なんでそんなとこなんだ」
「今、床が実験場だから」
「実験場、か」
レオンは目を丸くして、床の炭の線を見た。
そして、線を踏まないようにつま先立ちになる。
「凛、これを踏んだら危ないか」
「しない。……たぶん」
「たぶん、は怖いな」
自分で言って、しまったと思う。
エルザさんが咳払いをして、やさしく釘を刺した。
「凛ちゃん、からかうのはそのくらいにしな」
「すみません。爆発はしません。……水が、少し長持ちするだけです」
「水が長持ち?」
「腐りにくくなる、って言えばいいかな」
レオンは首をかしげて、それでも頷いた。
「詳しくは分からないが、すごいな」
私は笑ってしまう。
すごいのは、これからだ。
私の次のページには、大きく書いた言葉がある。
防疫。
村全体に、病が広がらない仕組み。
前世の私は、流行の怖さを知っている。
一人の咳が、家族に移り、隣に移り、村に移る。
治癒魔法で追いかけるのは、火事に水をかけ続けるのと同じだ。
燃え広がらない壁を作るほうが、合理的。
でも、村全体の結界は大きい。
術者一人の魔力で維持したら、結局は消耗する。
だから私は、三つの柱を立てた。
「魔法陣は“術者”じゃなく“場所”に固定する」
「維持に必要な魔力は、地脈と日光から少しずつ借りる」
「効果は“治す”ではなく“広げない”に絞る」
絞る。
これが大事だ。
欲張らないほど、寿命から遠ざかる。
私はエルザさんの薬草棚を見た。
乾かしたヨモギ、苦いセージ、強い香りのタイム。
虫を遠ざけ、喉を楽にし、気分を落ち着かせる。
薬は“体”に働く。
魔法は“場”に働く。
両方を重ねれば、もっと軽い力で済む。
「エルザさん、薬草で……人が集まる場所の空気を良くする配合、ありますか?」
「あるよ。昔からね。病が流行ると、戸口に吊るしたり、煮出したりする」
「それです。そこに魔法陣を組み合わせたい」
エルザさんは、私の目を見てゆっくり頷いた。
「凛ちゃんは、命を守るために考えてるんだね」
「……はい。もう、削りたくないから」
夕方。
試作の防疫結界は、エルザさんの家の玄関だけを覆う大きさになった。
戸口の上に薬草の束を吊るし、足元に小さな石を三つ置く。
石は“杭”。
魔法陣を地面に固定するアンカー。
私は炭の線をなぞり、最後に、結界の“向き”を指定した。
内側の人間を守り、外側の病を薄める。
「外へ押し出す」のではなく、「内へ入れない」。
攻撃じゃない。選別だ。
私は手を胸に当てて、呼吸を数えた。
無理をしたら、また昨日みたいになる。
でも——昨日の私は、もういない。
「防疫。侵入を遅らせ、滞留を減らす」
空気が、すっと澄んだ気がした。
目に見えない膜が、戸口の形に立ち上がる。
そして、薬草の香りが少しだけ強くなる。
レオンが鼻をひくひくさせた。
「なんか、いい匂い。……でも、ちょっと冷たい?」
「感じる? うん、たぶん結界が立った」
私はまた胸の奥を確かめる。
冷えはない。
遠のく視界もない。
寿命を削る代償は——ない。
「凛ちゃん」
エルザさんが、私の頭に手を置いた。
温かい手。
それだけで、私は“正しい方向”に進んでいると分かった。
「小さくても、すごいことだよ」
「……はい。小さく、確実に」
夜。
本を閉じても、頭の中の線は消えなかった。
治癒魔法は、最後の切り札。
その前に、守れるものがある。
水、空気、手、傷、眠り。
そして魔法陣。
私は自分のノートに、今日の結論を書き足す。
「命を削らない方法は、“治す”の代わりに“防ぐ”を積み上げること」
胸が熱い。
怖さは消えていない。
でも、怖さの上に“道”ができた。
「これなら……寿命を削らなくて済む」
そう呟いた瞬間。
玄関の結界が、ぱちり、と小さく鳴った。
膜が揺れて、外の闇が一瞬だけ“指”の形に歪む。
——今、誰かが、結界に触れた?
——次話「侍女長の末路」――ざまぁの歯車が、さらに加速する。
拙い文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
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