第十八話 ユラン伯の記憶
その日は、珍しく雲一つない晴天だった。
うららかな春の日差しの元、リュクサン公妃アリアーヌ・ダルジャンは処刑される。
処刑場には、椅子が並べられ、ユラン伯はその一つに座っていた。見学しにきた領民は、わいわいと騒いでいる。処刑は娯楽の一つだった。
ユラン伯はアリアーヌとの幼い日を思い出すと、胸が締め付けられる気分がしたが、牢でアリアーヌが言い放った、ユーリアの名誉と尊厳を汚してやろうと思っていた、と言う言葉を思うと、その切なさもどこかへ消える。
――面会などしなればよかった。
面会では、最愛の妻、アンヌを不安にさせたようであったし、主君に対する暴言も聞かされた。
アリアーヌが両親に愛されていなかったことは知っていた。
だが、幼いユラン伯には何もできなかった。せいぜい一緒に遊ぶくらいしかできなかった。
例えば、木登りとか――。ふと、ユラン伯はアリアーヌとの木登りで、自分は結局登れたのか、覚えていないことに気付いた。
「――ユラン伯」
主君の美しい声がユラン伯の耳を擽った。
久しぶりに、親しげに呼ばれた気がする。
「ユーリア様……」
ユラン伯は大きく目を開けた。
ユーリアは紫色のローブを纏い、ルビーとサファイアがあしらわれたアルジャン公の小冠を被っていた。月光のように美しい銀髪はそのまま晒されていた。
「――喪服を脱ぐのは久々です」
と、言って、ユーリアはユラン伯の隣へ座った。
「……お似合いです」
ユラン伯は処刑場に目を向けながら言った。あまり目を向けていると落ち着かなくなる。
「明日からはまた喪服を着ます」
「いつまででございますか?」
「大義を成すまで」
ユーリアはそう言うと微笑んだ。
「大義ですか……?」
「ええ、ユラン伯は付いてきてくれるかしら?」
ユラン伯は処刑場にやっていた目線をユーリアの方へやった。
「――もちろんでございます」
「では、今日はその前段階の日です」
ユーリアがそう言ったところで、処刑場は喧騒に包まれた。
「レグザゴン女め!」
「この女狐! とっとと死ね!」
という領民たちの声がユラン伯の耳に届いた。
「……もう最期ですね」
ユーリアのその言葉に、何が込められているのか、ユラン伯にはわからなかった。
――最期。
ユラン伯の胸は締め付けられた。
アリアーヌのあの牢での言葉は、ユラン伯やアンヌに少しでも軽蔑されて、自身の死に対する悼みを和らげるためではなかっただろうか、と思った。
――もし、そうであるならば。
ユラン伯の胸の痛みは錯覚だ。そう信じなければならない。
ふと、ユラン伯は木登りのことを思い出した。
――あの日、なんとか登ろうと噛り付くように木にしがみついたのだった。
登ろうとしたのか、とユラン伯は思った。
目隠しされたアリアーヌは処刑場に引っ立てられ、処刑場の真ん中で、跪かされた。
領民たちは興奮し、「さっさと殺せ!」と叫ぶ。
「ユーリア・フォン・ホーエンシュタウフェン!」
その領民たちの叫びに負けじと、アリアーヌ・ダルジャンは叫んだ。
「これが最期と言うものだ!」
アリアーヌが叫ぶと、処刑人の斧がアリアーヌの首を絶った。
鈍い音がユラン伯の耳に届いた。
処刑人がアリアーヌの首を掲げると、領民たちはわあっ、と歓喜の声を上げる。
ユラン伯は目を閉じた。
――クロード、そんなんじゃ、登れないわよ!
と言う、幼き日のアリアーヌの声が聴こえてきた気がした。
ユラン伯は胸にこみあげてくる思いは、錯覚だと信じた。
――クロード、早く登ってらっしゃいよ! 登ったら、お菓子をあげるわ!
ユラン伯は口元を押さえた。また、身体が震えていることに、ユラン伯は動揺した。
木に噛り付いて登ろうとするも、登れない。幼き日のユラン伯には、木から墜落することを酷く恐れていた。
それでも、お菓子が欲しくて木に登った。アリアーヌはにっこり笑って、木になっている渋いさくらんぼをくれた。
急に、口の中に渋みが広がったようにユラン伯には感じられた。
――どうして、ここまで動揺してしまうのか。
ユラン伯は、己の弱さを痛感させられた。アリアーヌの姉、ヘレーネが崩御したときは、己を充分に律せられた。
――あの牢へ会いに行かなければ。
あの時、面会してしまったから、幼き日々を思い出してしまったのだ。
ユーリアに仕えていくならば、この感情は捨て去らなければならない。ユラン伯はなんとか、身体の震えを治めた。
その努力をしているユラン伯の隣に座るユーリアが立ち上がる気配がした。ユラン伯は目を開け、ユーリアに視線を向けた。
「戦いは終わりました。ここから新たな歴史が始まります」
ユラン伯の主君の声は青空の下、美しく響いた。
領民たちからまた、歓声が挙がる。
ユラン伯はユーリアの声を心に染み込ませた。
確かに、新たな歴史が始まるだろう。先々代アルジャン公シャルルの娘たちは皆死んだ。これからは、シャルルの孫娘がアルジャン公国を統治することになる。




