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第四話 シューレンブルク公夫婦

 皇帝の愛人、シューレンブルク公夫人グラティア・フォン・クロイは、書類上の夫であるシューレンブルク公ヨハン・フォン・シューレンブルクとミード(蜂蜜酒)を飲みながら、対話していた。


「たまたま、第一皇女殿下が通りがかり、皇太子殿下や皇后陛下に尽力していただいて、事なきを得ましたが、今後もこのようなことが続くのであれば心配です」


 シューレンブルク公は心からそのように思っているような声音で言った。


 シューレンブルク公はグラティアよりも三つ年長である三十七歳という年齢にしては、少し落ち着いた雰囲気の男であった。

 黒い髪に深く青い瞳は、人を惹きつけると思われるが、グラティアは皇帝の比類なき紫色の瞳に恋焦がれている。


「閣下がこのような私を心配されていることはわかっております。……わかっておりますが、私は陛下の側から離れたくないのです」


 自分は愚かだと思う、とグラティアは考えていた。


 皇帝の愛人の結婚証明書上の夫になることを恥と思い、領地に専念しているシューレンブルク公だが、グラティアの身に何かがあれば、必ず来てくれる。

 皇帝から受けた屈辱とグラティアを分けて考えてくれる優しさと分別のある男を、グラティアは愛せないでいる。愛することができれば、どれほど楽だろう。


「……いつも、その答えですね。ですが、気が変わったら手紙をください。ケルンテン公ニコラウス様もいらっしゃることを歓迎しますので」

「ありがとうございます」


 グラティアは頭を下げた。本当に、シューレンブルク公には頭が下がる思いだった。


 グラティアはクロイ公家の長女だった。公爵家とはいっても、グラティアが子供の頃、父による失政により没落していた。

 グラティアが十七歳の頃、彼女は皇宮に上がって、当時存命だった皇太后エレオノーレ・フォン・ルジターニエンの侍女を勤めた。

 グラティアは皇太后によく仕え、母を見舞いに来る皇帝マクシミリアンの前をよく通った。


 グラティアは元々、蜂蜜のような色合いの金髪に、森のように深い緑色の瞳を持った美女だった。


 皇帝からの寵愛を受けるのは時間がかからなかった。グラティアは皇帝の愛人として、クロイ公家の地位を引き上げ、兄を皇帝の側近として仕官させた。


 家の再興という点では、グラティアの目的は達成された。そして、皇帝の寵愛はグラティアのみに向けられ、愛する男に愛されるという女の幸せを享受した。


 だが、それも、アルジャン女公エレーヌ・ダルジャンが皇帝に嫁ぐまでだった。彼女は嫁いで皇后ヘレーネ・フォン・アルジェントと呼ばれるようになる。


 三歳年下の月光のような柔らかな色合いの銀髪に、美しい空色の瞳を持った絶世の美女は、結婚式で皇帝と対面するやいなや、すぐさま夫の愛を勝ち取ったのだった。


 婚姻を正式に結んだ二人に愛が芽生えることは、悪いことではない。インマヌエル教において、絶対的な善だ。


 皇后に寵愛を奪われたグラティアは、全てを諦めるしかなかった。皇帝の寵愛を失った愛人の末路は悲惨なことが多いが、シューレンブルク公は一緒に領地を向かおうと誘ってくれた。


 その時は、グラティアは皇帝の愛の全てを諦めて、シューレンブルク公の穏やかな愛を手に取ろうと思っていた。


 だが、皇帝マクシミリアンは、皇后ヘレーネの懐妊が発覚したとき、ひどく取り乱してグラティアを訪ねて来た。


 まるで、皇后の子どもを欲していないかのような皇帝の態度に、グラティアは戸惑ったが、その日、グラティアは皇帝を受け入れた。グラティアは結果として、ニコラウスを妊娠したのだった。


 グラティアが皇帝に懐妊を告げると、皇帝は少し喜んだそぶりを見せた。それは、ヘレーネが懐妊した時とは違った反応だった。


 グラティアは庶子として生まれることになる子どもを全力で愛することを誓い、生まれてくる子には、この世の最高のものを与えたいと思った。


 そうして、生まれて来た男の子に“勝利”という意味のニコラウスと名付けたのだった。



 ⁂


 シューレンブルク公はため息を吐きながら、薔薇の宮殿の回廊を歩いていた。

 グラティアに会いに行く度、会話する度に終結するのは、“皇帝の側を離れたくない”である。


 グラティアは一途な女だった。だから、シューレンブルク公も好ましく思うし、第一皇女を始めとする皇帝一家からも好かれている。


 もはや、皇帝の愛は薄れているというのに、グラティアは皇帝から離れられない。それが哀れさを誘う。

 ただ、贅を尽くしたいから皇帝の側にいる女であれば、どれほど楽であっただろうか。


 しかし、そんな女であったら、シューレンブルク公も第一皇女たちもグラティアを好ましく思わなかっただろう。


「シューレンブルク公」


 シューレンブルク公の背中から、美しい少女の声が聴こえた。シューレンブルク公は振り返り、少女に向かって言った。


「これは、皇女殿下。ご機嫌麗しゅう」

「……グラティア様に会いに来たのですね」

「はい、此度の事件、心配になりましたので。此度の件は、皇女殿下にも尽力いただいたとか。夫としてお礼申し上げます」


 シューレンブルク公は頭を下げた。


「顔をあげて、シューレンブルク公」


 シューレンブルク公が顔をあげると、比類なき紫色の瞳が揺れているのが見えた。


「グラティア様は、また、貴方とは帰らぬと言ったのですね」

「はい、グラティアは皇帝陛下を愛しております。まだ、こちらでお世話になるかと思いますので、よろしくお願いいたします」

「グラティア様はまるで本当のお母様のように優しくしてくださるから、私は構いませんよ」


 でも、と皇女は続ける。


「私がグラティア様だったら、シューレンブルク公と領地に向かいます」

「皇女殿下、そのようなことは」

「……グラティア様が羨ましい。こんなにもシューレンブルク公に想われて」


 シューレンブルク公は、虚を突かれた。


 宮廷から遠ざかっているシューレンブルク公でさえも、聞いたことがあった。両親から厚遇されない第一皇女のことを。


 皇帝も皇后も、皇女に家族的な愛を与えていないということだった。


 皇女の表情は少し切ないものだった。隠しきれぬ思いが溢れているのだろうか。


皇女の年齢は十二歳。まだまだ両親の愛が必要だというのに、とシューレンブルク公は思った。


「……皇女殿下、しかしグラティアの幸せは薔薇の宮殿にございます」

「そうですわね。それに妙なことを言ってごめんなさい」

「いえ、皇女殿下。それでは、これから皇太子殿下と皇后陛下にお目通りを願ってまいります」

「そんなこと、手紙で良いのに」


 そう言って、皇女ユーリアは切なげに微笑んだ。

 シューレンブルク公にはそう見えた。

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