第十七話 牢での邂逅
リュクサン公妃アリアーヌ・ダルジャンは、寒々とした石壁に囲まれた牢の中にいた。牢の中は粗末な寝台と机と椅子があるくらいで、快適とは言い難い。
アリアーヌは寝台に倒れこんでいた。
――どうして、こんなことに。
アリアーヌは唇を噛んだ。
ユーリア軍に囲まれて、籠城をしていたときに、メルシュ卿は書簡を受け取っていた。
その書簡の内容をアリアーヌには教えてくれず、メルシュ卿はナンシー城から出ていくと、ユーリア軍を連れて来たのだ。
アリアーヌは自身が裏切られたことに気付いた。
――アンリ様の侍従がこの私を裏切るだなんて。
もし、この牢から出ることができるならば、アリアーヌはメルシュ卿を生かしておきたくはないと思った。
「リュクサン公妃、そなたに客人だ」
衛兵がアリアーヌに言った。
アリアーヌは寝台から起き上がった。牢の前にいたのは、柔らかな琥珀色の瞳が特徴的な小柄の女とアリアーヌが捕縛されたときに、ユーリア・フォン・ホーエンシュタウフェンを庇っていた、長身で美しい男――クロード・ダルジャンだった。
アリアーヌは着たきりの緋色のローブを引きずりながら、鉄格子まで行く。
目の前の琥珀色の瞳には見覚えがあった。
「アンヌ・ド・サルグミーヌ?」
アリアーヌは自身が十二、三歳の頃を思い出した。行儀見習いとしてディジョン宮殿に上がってきた琥珀色の瞳の少女を。その少女はよくアリアーヌの遊び相手になってくれていた。
「はい、お懐かしゅうございます」
「懐かしいわ、あの頃はよく二人で刺繍を刺していたわね」
アリアーヌは切なげに言った。
「ええ、よく覚えておりますわ。アリアーヌ様の刺繍の腕はお見事でございました」
「あの時、貴女と刺繍を刺しているときだけが幸せな時間だったわ」
アリアーヌは自嘲気味に笑った。
「アリアーヌ様……」
アリアーヌはレグザゴン王女カトリーヌ・ド・ラシーヌとアルジャン公シャルル・ダルジャンとの間に生まれた。
ラシーヌ=アルジャン家にとっての主家の姫と婚姻することを、シャルルは歓迎していなかった。この婚姻は、レグザゴンへ度々戦争を仕掛けるシャルルを大人しくさせるためになさせたものであった。
カトリーヌ公妃は主家の姫としての矜持を持ち続けた。それが元々婚姻を気に入ってなかったシャルルを更に遠ざけた。それでも懐妊したが、生まれたのは女児のアリアーヌだった。
アリアーヌは父には望まれずに、母には落胆されて、この世に生まれて来たのだった。アリアーヌの母は夫の前妻に成し遂げられなかった男児出産を求めていた。
そして、カトリーヌ公妃は夫が元より男児誕生を望んでいなかったことを知って、嘆きながら死んでいった。
五歳で母を喪ったアリアーヌは、四つ年上のエレーヌに可愛がられながら育ったが、父は冷たく、ディジョン宮殿に出入りする者たちもエレーヌのように重々しく扱ってくれることはなかった。新たに母となったマルグリットは優しかったが、マルグリットはブリタンニア王女で、エレーヌの母親の妹であり、エレーヌの後見補強もあり嫁いできた女性だった。
「ねえ、クロードも一緒にいるということは、貴方たちは結婚したのかしら」
「はい、ユラン伯夫人となりました」
「そうね、釣り合いが取れているものね」
そう言うと、アリアーヌは唇を噛んだ。
姉はラシーヌ家の血が濃いアリアーヌをただのレグザゴンの親王領に嫁がせた。それが何よりも傷付いた。
「そうでしょうか、私には不相応に思っております」
「そうかしら? ユラン伯家にはただの土着領主の娘は嫁がせられないと思うけれど」
実際、サルグミーヌ家は直接アルジャン公に仕えていた家柄ではあった。
「ねえ、貴女の夫はどう? 貴女を大事にしてくれているかしら」
アリアーヌが空色の瞳をユラン伯に向けた。
「夫は私を尊重してくれます」
「あら、そうなの。私が捕縛されたとき、貴女の夫はあの小娘を庇っていたわ」
アリアーヌは冷笑を浮かべた。
「……アリアーヌ様?」
アンヌは戸惑ったように、名前を呼んだ。
「貴女の夫はね、あの小娘を特別視しているのよ」
「リュクサン公妃、アンヌに妙なことを仰らないでください」
ユラン伯が強く言った。
「あら、困るの? クロード。貴方があの小娘を庇ったとき、信じられなかったわ。貴方ってどちらかというと我が強いじゃない」
「……それは幼き日のこと。今は主君によく仕えることは、家族を守ることに繋がるのだと信じております」
「家族を守る? 本当にそう?」
アリアーヌはユラン伯を嘲笑った。
「当たり前です」
「あの小娘、お姉様にそっくりね。気味が悪いくらい顔立ちが似ているわ。お姉様は若い頃、クロードの兄を恋慕っていたけれど、あの小娘も一緒じゃないかしら?」
「……一体、何を言っているのです」
ユラン伯はアリアーヌを訝しげに見た。
「でも、貴方の兄は、お姉様に近づきすぎて死んだのよ。貴方もそうならなければいいわね」
アリアーヌはそう言うと、声を上げて笑った。
「私が勝ったらね、あの小娘の名誉と尊厳を汚してやろうと思っていたのに。残念だわ」
アリアーヌの言葉を聞き、ユラン伯は牢に向かって、詰め寄るように踏み出した。足音が低く床に落ちる。ユラン伯の目は怒りで燃えていた。だが、深呼吸をして息を整えていた。
そのユラン伯の姿を見て、アンヌは琥珀色の目を大きくし、広い袖口で口元を抑えた。
アリアーヌは驚いたが、また声を上げて笑った。
「――ずっと、あの小娘に心乱しながら、仕えていると良いわ」
アリアーヌは冷たく言い捨てた。
――どうせ、アンヌもクロードも私を救わない。
ならば、心に棘を刺してやるのだ。
アリアーヌはしゃがみ込み、「あはははは!」と狂気じみた笑い声をあげた。
ユラン伯とアンヌはその姿を見て、何も言わずに立ち去ったようだった。
暫くアリアーヌはしゃがみ込んでいたが、軽い足音が牢に響いた。
「――お久しぶりですね。叔母様」
美しい声が牢に響いた。
アリアーヌは弾かれたように立ち上がった。
「お久しぶりね、ユーリア・フォン・ホーエンシュタウフェン。ジュリーとでも名乗っていたかしら? 外国人風情が」
「王族に出身地など関係ありませんよ」
ユーリアは微笑んだ。
「そうね、王族に大事なのは、“血筋”だわ」
アリアーヌはユーリアを空色の目で睨みつけた。
ユーリアは確かに姉にそっくりだが、瞳の色はアルジャン家のものではない。
「――そう、私の血筋は正統です」
ユーリアの紫色の瞳が妖しく光った。
「はっ!」
アリアーヌは怒りを滲ませた。
「先ほどはユラン伯夫婦に対して、酷い態度を取っていたようですが」
どこかで見ていたのか、ユーリアがそう言った。
「だから何? あの者たちは私を救いはしない。幼い頃とて、私が軽んじられていたというのに何もしなかった」
「幼い身では無理と言うものでは?」
「そうね、だから恨みは消えない」
「そうですか」
ユーリアは不自然な微笑を浮かべたまま、言った。
「……望まれて生まれてきて、親に愛されて育ったきたそなたにわかるわけないわ」
アリアーヌはそう言うと、息が苦しくなるを感じた。
アリアーヌの空色の瞳が恐怖で彩られた。――ユーリアが細い腕を鉄格子へ伸ばし、アリアーヌの首を絞めていた。
「――己だけがこの世で一番不幸だと思わないことですね」
そう言って、ユーリアは嗤うと手を離した。バタン、と音を立てて、アリアーヌの身体は石畳に落ちた。
アリアーヌは咳き込みながら、震える指先で身体を支えようとするも、手が震えて石畳から身体を引き剥がすことができない。
視界の端で、ユーリアの紫色の瞳が冷たくアリアーヌを見下ろしていたのが見えた。




