第十五話 貴女様の御心が
タイトル回収みたいな回ですが、タイトルの意図は別にあります
「ユラン伯はここに残るように」
と、言った主君の言葉は、執務室に冷たく響いた。
ユラン伯はかつてないほどにユーリアからの冷たい言葉を受け取ったのだった。
領主たちが退室し、執務室には、ユーリアとユラン伯だけが残された。
気まずい沈黙が執務室を支配した。
ユーリアはすぐに口を開くことなく、比類なき紫色の瞳をユラン伯に向けていた。
ユーリアの瞳は怒りが滲み出ており、紫色の瞳は興奮により赤く変色していた。
「――そなたは仕えるべき主が誰であるか、よくわかっている者だと思っておりました」
瞳は怒りで燃えているのに、ユーリア声は静かだった。
「ユーリア様」
ユラン伯はユーリアの名を呼びかけたが、紡ぐべき言葉が見つからなかった。
「そなたが――そなたが仕えるべき主は、ラシーヌ=アルジャン家の家長であって、ラシーヌ=アルジャン家の血を引く姫ではない。そうでありましょう?」
「ユーリア様、わたしはユーリア様が叔母君を処刑されることにより、領民から冷酷な君主であると認知されることを恐れております」
「領民は、レグザゴン女を生かそうとは思わないでしょう」
ユーリアの声は刃の切っ先のように冷たく美しかった。
「ですが、貴女様は?」
「私が何だと?」
「叔母君を処刑することで、貴女様の御心が……痛むことに……」
ユラン伯は手袋に覆われた自身の両手を握る。自分で口にした言葉は、自身の両手のように所在なげであった。
ユーリアはユラン伯の言葉を聞いて、大きな目を見開いた。暫し、動揺しているように見せたかと思うと、ユーリアは目を伏せた。長い睫毛の影が、ユーリアの白い頬に落ちる。
「……それは、ユラン伯が心配することではありません」
ユーリアは明らかに気分を害したようだった。
「申し訳ございません」
「そなたは叔母をよく知っているから、反対するのではないなくて?」
ユーリアは自身の側近に対して疑いを持っているようだった。
ユラン伯の脳裏には、幼い日々の記憶が思い起こされた。
柔らかな銀髪に、空色の瞳をした少女が楽しそうに笑いながら、ディジョン宮殿の中庭を走っていた。高い木の前に立ち止まると、少女は器用に木に登っていく。
少女の母親がそれを目撃してしまえば、はしたない、と眉を顰めただろうが、少女の実母は既に故人だった。
――ねえ、クロード、早く木に登ってらっしゃいよ!
木の下にいた幼いユラン伯をアルジャン公女アリアーヌは呼んだ。ユラン伯は幼すぎて、木に登ることができず、まごまごしていた。
――ねえ、早くってば!
アリアーヌの可愛らしい声は、青空の下によく響いた。
あの後、結局、木に登れたのだったか。ユラン伯は覚えていなかった。
「……ユラン伯?」
ユーリアの美しい声が昔を回想していたユラン伯の耳に届いた。
ユラン伯は現実に引き戻された。目の前にいる少女は空色の瞳ではなく、比類なき紫色の瞳だった。
「ユーリア様、確かにリュクサン公妃のことは幼い頃から知ってはおります。ですが、仕えるべき主はラシーヌ=アルジャン家の姫ではありません」
ユラン伯はそう言い切った。
主君が情を捨てているのであれば、仕える己も情を捨てるべきである。
ユラン伯はそう思った。
「そう、では私の決断には反対しない……そのように解釈しても良いかしら」
ユーリアの言葉には冷徹さが見え隠れしていた。
「……はい、先ほどは申し訳ございませんでした」
「いえ、これからもよろしく頼みます。私の心情に踏み込まぬ限りは」
ユーリアはそう言うと、椅子から立ち上がり、執務室の奥の寝室へ下がろうとする。
「――ユーリア様、わたしは……それでも案じずにはいられません」
ユラン伯は僅かに立ち上がり、黒い喪服の少女の後姿に声を掛ける。その声には切実な響きがあった。
ユーリアは立ち止まった。だが、振り返ることはなく、暫し止まった後、また寝室へ歩んでいった。
黒い喪服の裾を引きずりながら歩くユーリアの後姿は、何も受け付けぬかのような頑なさがあり、ユラン伯には、主君が遠い場所に行ったかのように思えた。




