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第十一話 蠟の翼

 結局、ユーリアたちはリュネビル城に三日間滞在した。

 滞在中、アンラン領主はリュネビル城に貯蔵しているエールを飲めるだけ飲んでしまい、サルグミーヌ卿に叱られていた。


 だが、ユラン伯もユーリアも咎めることはなかった。

 領主たちがリュネビル城で騒いだ滞在二日目、ユーリアはサルブール卿やハンバッハ領主の早馬での書簡を受け取り、メスやヴィッテルでの動きを確認していた。


「メスもヴィッテルも敵方を蹴散らすことに成功しました」


 ユーリアは満足そうに微笑みながら、ユラン伯に言った。


 そもそも、メスやヴィッテル、リュネビルに圧力を加えていたリュクサン公側の軍隊は、サルブールの戦いにほとんど投入されていた。ユーリアたちがリュネビルに簡単に入り込めた理由は、そこにあった。


「メスについてはユーリア様にお手数をおかけしました」

「……あそこはナンシーに近い。仕方のないことです」


 ユーリアの美しい声が、彼女に貸し出されたリュネビル城の執務室に響いた。

 執務室にはユーリアとユラン伯の二人きりであった。


 ユーリアはそれなりに立派な執務椅子に座っていた。その執務椅子は執務机に向き合うのではなく、平行に位置しており、ユーリアの黒い喪服全体がユラン伯の視界に入った。ユラン伯は執務机の前に立っている。


 ――アンラン領主がうるさく言うだろうな。


 ユラン伯はそう思いながら、ちらりと主君の少女を見た。

 ユーリアが纏う黒い喪服に、円形が連なった光が落ちていた。リュネビル城の窓ガラスが西日を受け、ユーリアの喪服を彩っていた。


 リュネビル城の到着した日のサパーの後、ランガット領主とアンラン領主が酒盛りをしていたことをユラン伯は思い出していた。


 ユラン伯が大広間の前の廊下を歩いていたところ、銀髪を晒したユーリアが大広間の扉の前で立っていたのだった。


 ユーリアは油断をしていると、すぐにタンプレットを取ってしまう。ユラン伯がそれを咎めようと近づくと、ユーリアは美しく紅い唇に人差し指を当てながら、片目を瞑った。


 ユラン伯がその一連の動作を見て、静かに大広間の扉に近づくと、


 ――女公殿下はあ! あの美貌の男に操られているんですなあ!


 と、言うアンラン領主の声が聴こえて来た。


 ユラン伯は思わず、顔を顰めた。

 ユラン伯は何をしても、まず言及されるのは顔だった。

 続けて聴こえてくるアンラン領主の文句に、ユラン伯は溜息を吐いた。


 ――もう、行きましょう。ユーリア様。


 そう小声でユラン伯は主君に声を掛けるも、主君の方は、


 ――あら、どうして? 面白いじゃない。


 と、答えた。


 だが、その声の調子は面白がっている響きはなく、冷徹なものだった。


 ユーリアとユラン伯は、暫くアンラン領主の醜態に耳をそばだてていたが、サルグミーヌ卿が反対側の扉から入ってきた音を聴くと、密やかに立ち去った。


 彼らはユーリアに貸し出していた寝室へ向かった。石畳にユーリアの軽い足取りと衣擦れの音、ユラン伯の静かな足取りが少しばかり響いた。


――我らはあのように見えているのですね。


 ユラン伯の先を歩くユーリアが静かに言った。


 蝋燭の灯りで、ユーリアの美しい銀髪は煌めいていた。


ユラン伯は一瞬、ユーリアの銀髪に目を奪われていたが、「……皆、適当なことを言うものです」と言った。


――ユラン伯、もし彼らが不満を持ち、褒賞を多く求めるとしたならば、私とそなたを引き離し、私の目の前で見せしめにそなたを殺すでしょう。


 ユーリアはそう言うと、足を止めた。そのため、ユラン伯は丁度ユーリアと横並びになった。ユーリアはユラン伯を上目遣いに見た。

 その紫色の瞳には、切実な色が見えたようにユラン伯には思えた。

 ユーリアは暫し、沈黙をするも、


 ――それだけは避けたいものです。


 と、言った。


「――ユラン伯、どうかしましたか?」


 ユーリアが物思いに耽っていたユラン伯の榛色の瞳に目を向けた。


「あまり二人で籠っていますと、アンランの気に障るだろうと思いまして」

「――そうですね、サルグミーヌ卿も呼んで話をしましょう」

「では、義父を呼びます」


 ユラン伯は、臣下の礼を取り、執務室から退室をした。


 サルグミーヌ卿は下ベイリーにある厩舎にいた。彼は愛馬の様子を見に来ていたのだった。


「義父上、ユーリア様がお呼びです」


 葦毛の馬を楽しそうに撫でていたサルグミーヌ卿の後姿に、ユラン伯は声を掛けた。サルグミーヌ卿は振り返ると、


「おお、婿殿。そなた自身が来ようとは」


 と、言った。


 サルグミーヌ卿の低く、威厳のある声がユラン伯の耳を擽った。


「ユーリア様がお呼びでしたので」


 と、会話しながら、ユラン伯とサルグミーヌ卿は上ベイリーに向かって歩みだした。


「それはそうだが、お一人にして構わぬのか?」

「ユルシュルがお近くにおります」

「……それは、そなたの異母妹だな。アンヌによれば、乙女らしからぬ騎士のような女子だとか」

「ええ、ユルシュルは剣の扱いもできます」


 それは、ユーリアとて同じことだとユラン伯は思った。

 彼の周りの乙女らしい乙女はアンヌだけだった。


「……婿殿は、アンヌをどう思っている?」


 サルグミーヌ卿の声色はまるで探っているかのように、ユラン伯には聴こえた。


「――会いたいですね、早く」


 ユラン伯は偽らざる本音を言った。


 ユラン伯がアンヌ・ド・サルグミーヌと結婚をしたのは、十五歳の時だった。アンヌは十七歳で、ユラン伯よりも二歳年長だった。

 琥珀色の柔らかな瞳の少女を妻に迎えた当初は、ユラン伯には愛が何たるかわからなかったが、いつも優しく微笑む姿に段々と心を寄せていった。そして、アリスとアメリーという二人の可愛い娘を得た。


 自分は幸せ者なのだとユラン伯は思う。だが、このところ主君の代替わりや戦など、心落ち着かぬ日々を過ごしていて、癒されることなど全くない。


「婿殿は、アンヌをそのように想ってくれていたとは」


 サルグミーヌ卿は嬉しそうに目を細めた。


「当然です。妻ですので」

「……だが、婿殿は少し太陽に近づきすぎているのでは?」


 サルグミーヌ卿は真面目な調子で言った。


「そのお言葉、まるで神話のようでございますね。“蝋で作った翼が溶けてしまうような”」

「そのようなことがないようにな」


 サルグミーヌ卿はそう言うと、主城門を門兵に開けさせた。

 リュネビル城の石の廊下は、足音が良く響く。石壁の堅牢さはともすれば冷ややかに通るものを見つめる。


 ユラン伯はサルグミーヌ卿に、自身と主君がリュネビル城滞在初日に、アンランが酒に呑まれた時に盗み聞いていたことがばれていたのではないか、と思ったが、岳父からは何も指摘はなかった。


 冷え冷えとした廊下を歩き、ユラン伯はサルグミーヌ卿と共にユーリアの待つ執務室へ入った。


 ユーリアは控えていたユルシュルにリンデンティーを淹れさせたようで、焼き物のマグカップを口に付けていたところだった。

 本来、リュネビル伯が使用するこの執務室は、リンデンティーの甘やかな香りに包まれた。

 ユーリアは紫色の瞳をユラン伯とサルグミーヌ卿に向けた。優雅な所作でマグカップを机に置くと、サルグミーヌ卿に微笑んだ。


「サルグミーヌ卿、来てくれてありがとうございます」

「いえ、殿下に呼ばれたとあれば、どこに居ようと駆けつけましょう」


 サルグミーヌ卿はそう言うと、琥珀色の瞳をユーリアの黒い喪服に向けた。それは、サルグミーヌ卿の横顔を見ていたユラン伯にも察せられた。


「どうかしましたか?」


 ユーリアは怪訝そうにサルグミーヌ卿を見た。


「いえ、ずっと喪服をお召しでございますので……」

「サルグミーヌ卿、母が崩御してから、様々なことがあったとはいえ、二ヶ月も経っていないのですよ」

「ええ、そうでございましたね。申し訳ございません」

「サルグミーヌ卿、メスもヴィッテルも敵方を蹴散らすことに成功し、ナンシーに向かって発ったそうです。我らも明日、リュネビルを発ちましょう。ランガットやアンランにも準備させるように」

「畏まりました、殿下」

「サルグミーヌ卿の方で何か問題はありましたか?」

「特にはございません。リュネビル城は快適でございました。ただ、アンランは大変な酒飲みで、それが懸念です」

「今日のアンランはエールを飲みすぎてないかしら?」


 ユーリアは可笑しそうに、くすり、と笑った。


「……執事によれば、今日は控えめだそうです」


 ユラン伯がそう言うと、ユーリアは声を上げて笑った。その笑い声は、ブルグントの皇女らしく、気品あるものだった。


「では、今日は夕方まで飲ませないように」

「畏まりました、ユーリア様」


 ユラン伯の言葉を聞いたユーリアは机に置いていたマグカップを手に取って、リンデンティーを口に含んだ。

イカロスの神話をモチーフにしてます。

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