第十話 飲み会
夕刻を超え、夜半に差し掛かろうとした時、主君や他の領主は皆下がった。ランガットも胸に渦巻く思いを抱えながら与えられた寝室に向かおうとしたが、アンラン城主が片手にエールを持っていた。
「飲みませんかな?」
アンラン城主ジャック・アンランがにやりと笑った。
ランガットには、逆らえなかった。
ランガットとアンランは、リュネビル城の大広間の一角で、眠る男たち――騎士や側仕えたちは大広間で眠っているのだ――を起こさぬように、蝋燭の火を頼りにエールを飲んだ。
こうまでして飲まなければならない理由はランガットにもアンランにもわからなかったが、彼らは戦いの精神的な疲労から逃れようとするかのように、エールを飲み続けた。
「女公殿下はあ! あの美貌の男に操られているんですなあ!」
アンランは、そう叫ぶと、樽型の杯をどんっという音を立てて置いた。その声も杯を置く音も、大広間の石壁に反響し、ランガットは慌てて周囲を見渡した。吊り下げられたアルジャン家のタピスリーが揺れるのではないか、と思うほどの反響だった。
起き上がる者もいるのではなかろうか。
――酔いすぎだ。
ランガットの額に汗が滲んだ。
「ランガット殿もお! そうは思いませんかな?」
「……いえ、そこまでは思いません」
ランガットは小さな嘘を吐いた。
「嘘だあ!」
アンランはランガットの肩を無理やり組んだ。
ランガットがそれなりにお洒落をして着込んでいたジャケットの襟が折れた。
「絶対に思ってますよお! 我らの戦果がちゃんと殿下に伝わりますかな? あの面の良い男が側にいるとお! 我らの戦果など意味なく無に帰すのではあ?」
「……アンラン殿、飲みすぎです」
ランガットはアンランの腕を肩から引き剝がした。せっかくのお洒落が台無しになっては困る。
それに、誰かに聞こえたらまずい。一緒にエールを飲んでいるランガットまで巻き込まれてしまう。
「女公殿下はあ! あのユラン伯といい仲なんじゃあ、ありませんか?」
「……やめてください」
ランガットはアンランを必死で黙らせようとした。だが、酔っていて歯止めの効かぬ者を抑え込むことはできなかった。
「今の言葉、聞き捨てなりませんな」
初老の男の低い声が聴こえた。
ランガットの額から、つーっと冷や汗が流れた。さすがのアンランも酔いが醒めたようにぎくりとしていた。
声を発した男は蝋燭を手に持ち、ランガットとアンランの酒盛りをしていたテーブルに近づいてきた。長い影がランガットとアンランに落ちた。
若々しいが、その彼がランガットやアンランよりも歳離れた初老であることを二人はよく知っていた。
サルグミーヌ卿は二人を鋭い眼光で睨みつけていた。
「……あの、わたしはそのようなこと思っておりません」
ランガットは言うも、その口の中は乾ききっていた。
「わたしも、少しそう見えただけで」
アンランの言い訳に、サルグミーヌ卿は白いものが混じっている眉を吊り上げた。
歴戦の領主は、若輩者のランガットにとって恐ろしく思えた。それは、アンランにとっても同様だろう。
「……ユラン伯の使命はアルジャン公に仕えること。それに対して下卑た推測をするなどと」
「申し訳ございません」
ランガットはそう言って、頭を垂れた。
「……ですが、あの二人の仲を卿はなんとも思わないのですか? あの二人の仲は純粋に主従関係だけでしょうか?」
アンランの言葉に、ランガットは悲鳴を上げそうになった。
――やめろ、そのように邪推を続けるなどと……。
ランガットはちらり、とサルグミーヌ卿を見た。
サルグミーヌ卿は唇を固く結んで立っているだけだった。わずかにアンランから目を逸らしていた。
――そこは、否定していただきたかったな。
ランガットがそう思っていると、サルグミーヌ卿は静かに口を開いた。
「二人とも、明日も早い。もうそのへんでお開きにするとよい」
サルグミーヌ卿は、二人に背を向けた。
その背中は少しばかり、威厳を欠いているようにランガットには見えた。
ランガットは不安を覚えた。ユラン伯の岳父であるサルグミーヌ卿にとっても、完全に否定はできぬ、と見ているのではないかと思った。
サルグミーヌ卿が立ち去った大広間は、急に冷え込んだようにランガットには思えてならなかった。
ランガットはアンランと目を合わせると、互いにすぐ逸らし、残ったエールの杯に視線を落とした。
蝋燭の炎は微かに揺れ、ランガットの不安な表情にぼんやりとした光を当てていた。
中世ヨーロッパでは寝室の概念がなく、今回傭兵や民兵、騎士には大広間で寝てもらってる設定です。
つまりアンランやランガットの飲み会は大変迷惑なのです。




