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第九話 地方領主の不安

 ジュリー・ド・ブルゴーニュ軍は、サルブールを出立する際、サルブール、レディング、ニドゥルヴィエの連合軍を北西のメスへ向かわせ、ハンバッハ、アシャン、ロルカン、アティニーの連合軍を南西のヴィッテルへと向かわせた。

 ジュリー・ド・ブルゴーニュその人を擁する軍隊は、サルブールを出立して五日目の夕刻に、西のリュネビルへ到着した。


 サルブールの戦い以前のサルグミーヌやサルブールでは、戦火の足跡が聴こえつつあり、町中に緊張が漂っていたが、サルブールにおいてのジュリー・ド・ブルゴーニュの勝利が伝わったのか、はたまた、新アルジャン女公が発案した“レグザゴン王国が攻めてくる”という噂が広まったのか、リュネビルの領民たちは、“レグザゴンに対抗する”ジュリー・ド・ブルゴーニュ軍を温かく迎えた。


 子どもたちはジュリー女公に「レグザゴンを打ち破ってください」と明るく声援を送り、若い男たちは「共に戦わせてください」と熱弁を振るっていた。


 ユラン伯家の居城の一つであるリュネビル城は、サルグミーヌ城やサルブール城に比べて、規模が大きい。

 ランガット領主ジョルジュ・ランガットは、リュネビル城を見て、思わず感嘆とした声を上げた。


 当然、彼の居城であるランガット城とは、規模が雲泥の差だった。


「さすがは、アルジャン家の分家の城は素晴らしいですね」


 と言う、ランガットの部下の感激している声が聴こえた。

 ランガットは自分の前方に騎乗しているユラン伯をちらりと見た。


 ユラン伯とは、三代前のアルジャン公が騎士の娘であった後妻との間に授かった子に与えた称号だ。ユランという名はその後妻の名乗る姓から取っている。

 ユラン伯と呼ばれてはいるが、実際ユランという土地を持っているわけではなく、ユラン伯家は実質、メス卿であり、リュネビル伯だった。

 ユラン伯家の男性は代々、主家であるアルジャン家の家令のような役割を与えられ、現ユラン伯クロード・ダルジャンも例外ではなかった。


 だが、先代アルジャン女公エレーヌがブルグントの皇后となり、先代ユラン伯は共にブルグントへ向かい、先代ユラン伯の死を受けて、現ユラン伯もアルジャンの地を後にした。


 久方ぶりに、アルジャン公国の主とその側近がその地を踏むことになったのだ。

 ユラン伯クロード・ダルジャンは新アルジャン女公ジュリー・ド・ブルゴーニュに話しかけるわけではなかったが、気にかけている様子で馬を走らせていた。


 ――この男はいつでも“ユーリア様、ユーリア様”と新アルジャン公を名前で呼んでいる。


 ランガットはユラン伯について訝しく思った。

 確かに、ユラン伯とジュリー女公は、ブルグント宮廷からの仲ではあると聞くが、なかなか距離が近く見える。


 サルブールの戦いの前の会議の場では、二人はまさに息が合っていた。

 それにしても、“レグザゴンが攻めてくる”という噂を流せ、という指示を出した新アルジャン女公には驚かされたが、ユラン伯はそれに驚くことなく、あっさりと「目立ちにくい騎士にでも紛れさせましょう」と言ったことにも同様に驚かされたのだった。


 ――そんなにも気心が知れているとは。


 ランガットは、戦後の己の待遇がどうなるか頭の中で計算をした。


 ――戦果は全て、ユラン伯に吸われてしまうのではないだろうか。


 ランガットの懸念はここにある。ユラン伯の岳父であるサルグミーヌ卿は否定するだろうが、ジュリー女公とユラン伯はあまりにも近く見えた。


 ――確かに、お二人は苦楽を共にしているが。


 だが、だからと言って、戦果が正当に評価されぬのであれば、それはランガットにとって、容認はできない。


 ランガットは、己の主君に焦げ茶色の目を向けた。

 黒い喪服を纏った美しい少女は、危なげなく乗馬している。

 ユラン伯の気遣いなど必要ないのだ。


 リュネビル城の下ベイリーを超え、上ベイリーの主城門の前には、リュネビル城主の留守を預かっていたユラン伯家の家臣団が立っており、ユラン伯の姿を確認すると跪いた。


「――おかえりなさいませ。ユラン伯閣下、そして、新アルジャン公殿下」


 リュネビル城の城代と思われる初老の男が恭しく言った。

 ユラン伯から先に挨拶をするとは、よほど主君に対して忠誠心が強い、とランガットには見てとれた。


「はじめまして。そなたたちには世話になります」


 ジュリーがそう言うと、初老の城代は頭を深々と下げた。


「皆様もお疲れのことでしょう。ささやかではございますが、食事の用意はできております」


 城代はそう言うと、厩番を呼んだ。

 ジュリーたちは下馬し、馬を厩番に預けたのだった。


 リュネビル城の大広間は、サルグミーヌ城やサルブール城よりも広かった。分厚い石壁は蠟燭の炎を仄かに受けて、淡い橙色に染まっていた。


 大広間に吊り下げられたタピスリーには、アルジャン家の紋章が織り込まれており、リュネビル城の主がアルジャン家の血を引くことを物語っていた。

 リュネビル城の執事は“ささやかな食事”と言っていたが、サパーの割には豪華であったし、本日が金曜日であるために出された魚料理にしても、香辛料がふんだんに使われていた。


 アルジャン公国は、その公国という規模、またレグザゴンの親王領であるにもかかわらず、大陸一の豊かさを誇っていた。

 そのアルジャン家の分家筋であるユラン伯家もまた裕福なのであった。


 ランガットとて、決して貧乏領主ではなかったが、やはりユラン伯家にはかなり劣る。

 ランガットは自分よりも年若いユラン伯に対して、少しばかり劣等感を抱いた。


 だが、ユラン伯は謂わば貴種の血を引いている。領主とはいえ、土着の男であるランガットとは全く違う。


 そう思い直して、ランガットは土地の誇りを自覚した。


 そして、エールが注がれた杯をテーブルに置くと、何気なく、主君のジュリー女公に目を向けた。彼女こそが誇りの一部でもあった。


 黒い喪服を纏った年若い乙女は、ランガットと違い、ワインを口にしていた。その姿は年若さに比べると落ち着きがある。彼女は一口ワインを飲むと、杯をテーブルに置いた。


 そのとき、乙女の紫色の瞳がユラン伯に注がれたようにランガットには見えた。

 その瞳は蝋燭の灯りで揺れているように見えた。

 ランガットには、確かに揺れたように見えた。だが、それは蝋燭の灯り故かもしれない。女公もランガットのように何気なくユラン伯を見ただけの可能性も大いにあった。


 ――殿下は、やはりユラン伯を特別視しているかもしれない。


 そう思った途端、胸の奥に重苦しいものが広がった。自分たちのような土着の、女公とはこの戦がきっかけで会ったにすぎない領主の戦果や忠義など、麗しく近しいあの男に全て飲み込まれてしまうのではなかろうか。

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