第八話 レグザゴン女
リュクサン公妃アリアーヌ・ダルジャンは、夫の帰りをナンシー城で待っていた。
サルブール城に滞在しているという、ユーリア・フォン・ホーエンシュタウフェンをトゥール領主とリュドゥル領主を伴い、討ちに行ったのだ。
ユーリア・フォン・ホーエンシュタウフェンはアリアーヌの姪だが、アリアーヌが手にしたアルジャン公の立場を奪おうとする不届き者だ。
そもそも、ユーリアはアルジャンの地を踏んだことはなかったはずであり、アルジャンの地で育ったアリアーヌの方が余程、アルジャン女公を戴くに相応しい。
アリアーヌはナンシー城に入ってから、周囲に誇示するかのように、アルジャン公の小冠を被っていた。――その小冠の重みを今、アリアーヌは感じていた。
――この重みを簒奪せんとするユーリアを消さなければ。
アリアーヌは気を引き締めた。
「殿下」
侍女がアリアーヌに声を掛けた。アリアーヌが侍女に空色の瞳を向けると、侍女は「メルシュ卿が戻ってまいりました」と告げた。
メルシュ卿は、アリアーヌの夫のリュクサン公アンリ・ド・リュクサンに仕える侍従だった。初老に差し掛かり、落ち着いているその男はリュクサン公と共に、サルブール城へ進軍していたはずだった。
「……通して」
アリアーヌは少し混乱しながら言った。
――アンリ様に何かあったのかしら……。
アンヌの心に急激に不安が広がった。
「――殿下、ご機嫌麗しく」
メルシュ卿はアリアーヌを前に片膝を付いて挨拶をした。彼の額には、玉のような汗が浮かんでいた。
「型通りの挨拶は良い。何かあったのですか? このように早く戻ってくるなど……」
「殿下、我が主君とリュドゥル領主が捕らわれ、トゥール領主は戦死いたしました」
メルシュ卿の言葉はアリアーヌの耳に上手く入っていかなかった。
「今、何と?」
アリアーヌはよろめき、慌てて侍女が彼女を支えた。
「――我が主君は捕らえらえました。我らは敗北しました」
メルシュ卿の言葉は淡々とし、感情は乗せられていなかった。彼は顔を伏せたままに言葉を紡ぐ。
「……そんな……それでは、アンリ様は……」
戦争において、貴人は殺されることなく、捕虜になる。一昔前はそうだっただろうが、アリアーヌの父親は、戦争であっさり殺された。
メルシュ卿は言葉を選びあぐねているかのように暫し、沈黙した後、言った。
「……リュクサン公殿下の安否はわかりません。ですが、相手方はサルブールを出て、こちらに向かうでしょう」
メルシュ卿の恐れを滲ませた言葉は、アリアーヌを焦らせた。
――ナンシーを守らないと。
アリアーヌは拳をぎゅっと握りしめた。爪が掌に食い込み、血が滲むほどの痛みにより、アリアーヌは己が恐れを抱いていることに気付いた。
「――この城の守りを固めなさい。我らは負けるわけにはいきません。このナンシーで、ユーリア・フォン・ホーエンシュタウフェンを捕らえて、屈辱を与えるのです」
アリアーヌは声を震わせながら言った。叔母として、姪について語るアリアーヌは慈悲の欠片もなかった。
会ったことのない姪に対して、彼女は家族の情を持つことはできなかった。
――お姉様の子どもだからなんだと言うの。私には必要のない子どもだわ。
アリアーヌは心の中で、ユーリアの存在を否定する。
メルシュ卿は、肩をびくりと震わせた。恐れているのか、彼は顔を上げなかった。
サルブールからナンシーまで、五日間はかかる。
もし、途中の町に寄るのであれば、さらにかかるだろう。
アリアーヌはナンシー籠城の準備をしなければならなかった。
アリアーヌとメルシュ卿がリュクサン公について会話をした日より九日後、ユーリア・フォン・ホーエンシュタウフェンの軍勢はナンシーに辿り着いた。
ユーリアの軍勢はナンシー城下で歓迎されての進軍だった。
ナンシー城下の領民たちの間では、リュクサン公妃アリアーヌ・ダルジャンがレグザゴンの介入を許そうとしているという噂が瞬く間に広がり、中には城までにそのことを抗議し始める領民もいた。
アリアーヌがその領民を罰すると、更に抗議は苛烈になった。このことは、ユーリア軍が到着するまでの間に起きた。
アリアーヌは窓の向こうにいるはずのユーリアに、空色の目を向けた。
実際、ユーリアはどこにいるかわからなかったが、ユーリア軍に着いてきたと思われる領民がアリアーヌの姿を認めたのか、
「レグザゴン女め!」
という呪詛の言葉を吐いた。
アリアーヌは窓を閉じた。身体が震え、石の壁に寄りかかった背中は、ずるずると石の床に向かって滑り落ちた。
アリアーヌは空色の瞳から涙をいっぱいに零した。
ラシーヌ=アルジャン家の小冠は、アリアーヌの頭からずれ落ちていた。




