第三話 急襲
――弟はいつでも正しい。
エルキュール・ド・シュヴァリエは、主君の背中を見ながら思った。
――皇女殿下は一度もアルジャンの地を踏まれたことがありません。アルジャンの領主たちは受け入れるでしょうか。
という弟のアルチュールの言葉を彼は思い出していたのだった。
それまで、彼はサルブールの広場で公位継承宣言をする主君を頼もしく見ていた。
「我、ジュリー・ド・ブルゴーニュは、神の恩寵により、公たらんとする者として、神と人々の前に、公位継承を宣言する。主の御名において、我は信仰、正義、慈悲を以て治め、教会を守護し、平和と正義をいかなる犠牲を払っても守り抜く。今日この瞬間より、アルジャン公としての責務を負う」
という長い宣誓の言葉を、美しくも威厳を以て語る主君ユーリアの声と、母の死を悼んだまま纏う喪服姿も目に焼き付けていたのだった。
ユーリアの宣言を聞いた領民からは歓声が上がった。
老人は歓喜の涙を流し、小さな子連れの母親は祈るように両手を組み、若い男は「共に戦わせてください」と叫んだ。
宣言を終え、ユーリアが立ち去る準備をしていたその時だった。
ユーリアに向かって、薄汚れた中年の男が突進した。その男の手には、その姿にそぐわぬ立派なツヴァイハンダーがあった。
咄嗟にユーリアの隣に侍っていたユラン伯が彼女に庇うように覆いかぶさった。だが、その前にアルチュール・ド・シュバリエが中年の男の剣を受けた。
剣先は、アルチュールの顔面を切り裂き、鎧を打ち砕いていた。
血飛沫を上げ、アルチュールは膝を着いた。鎧の重い金属音が広場に響いた。
アルチュールはユラン伯に庇われるユーリアを見ながら、倒れ込んだ。
エルキュールには、アルチュールの血に塗れた顔は見えても、主君ユーリアの表情は見えなかった。アルチュールは優しい微笑を浮かべていたように見えた。
「――アルチュール!」
主君は美しき白い手を伸ばし、アルチュールの手を握った。
――弟はいつでも正しい。
自らの命を顧みず、主君を守るのは、この世の絶対的な正義だ。
だから、兄であるエルキュールも正しいことをしなければならない。
「殿下、アルチュールの手をお離しください!」
エルキュールは叫んだ。
まだ、アルチュールの息はあった。だが、浅く早い息遣いは、最早アルチュールが助からないことを物語っていた。
ユーリアはアルチュールの手をより強く握り直していた。ユーリアにも、アルチュールの死の影が見えているようだった。
中年の男は既に、他の護衛に取り押さえられている。すぐさま次の攻撃はないだろうが、ここを離れなければならない。
「ユーリア様!」
ユラン伯に名前を呼ばれ、ユーリアは、はっと気が付き、アルチュールの手を離した。ユーリアの息を呑む音がエルキュールの耳に響いた。
エルキュールには、その主君の美しい手が名残惜し気にしているように見えた。
「閣下、殿下を安全な所へ!」
エルキュールは叫び、次の攻撃がないか周りを見渡した。
ユラン伯はユーリアを抱えて馬に乗った。騎士たちは、ユラン伯とユーリアが乗る馬を囲うように馬を走らせた。
エルキュールはそれを見ると、広場にいる慌てる領民たちを落ち着かせるように言葉を紡いだ。
「新アルジャン女公殿下は無事だ。皆も落ち着いて家に戻るように」
エルキュールの言葉に胸を撫で下ろした領民も多かった。だが、一部の領民は、護衛に取り押さえられる中年の男を憎々し気に見ていた。
エルキュールは中年の男に声を掛けた。
「誰の命だ」
その言葉を聞いた中年の男は、ニヤリと気味悪く笑うと、唾を飲み込んだ。その仕草は、口の中にある何かを飲み込むような動きであった。口に毒を仕込んでいたのか、男は事切れてしまった。
エルキュールは唇を噛んだ。
ユーリアを守ることはできたが、弟の仇が誰かわからずに終幕してしまった。
悔しさが胸を締め付け、エルキュールの口から呻きが漏れた。




