表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/49

第一話 サルグミーヌ城

 新アルジャン公ユーリアを乗せた馬車は、ようやくアルジャン公国の都市、サルグミーヌに入った。

 サルグミーヌはその名の通り、ユラン伯夫人アンヌ・ド・サルグミーヌの故郷だった。


 アルジャン公国へ近づくにつれ、ユーリアたちにはアルジャン公国の現状が伝わっていた。


 ヘレーネの異母妹、アリアーヌ・ダルジャンが新アルジャン公を名乗り、アルジャン家の居城の一つであるナンシー城を占拠している――。


 ナンシーの北に位置する、ユラン伯の所領であるメスに向かおうとしていたユーリアたちは方向転換を求められた。


 ユーリアたちは、ユラン伯夫人の実家を頼る他なかったのである。

 サルグミーヌは、メスの北東に位置する。サルグミーヌの町はあまり人気がなく、子どもたちの笑い声一つ聞こえない。


 アンヌは故郷が嵐の前の静けさであることを感じ取った。

 暗い色合いの石造りの城の壁に視線をやれば、それは冷たくアンヌの琥珀色の目に映る。塔の頂にはサルグミーヌ家の紋章が描かれた旗があったが、風がなく、はためくことはなかった。

 アンヌは久々の実家であるのに、その象徴を見られなかった。

 馬車が荒い石畳の上で揺れた。馬車はサルグミーヌ城の城門を入っていった。


 アンヌの手は震え、子どもたちをぎゅっと抱きしめた。

 アンヌの父であるサルグミーヌ卿は、果たしてユーリアの味方をしてくれるだろうか。


 ユーリアは確かに、旅の途中でサルグミーヌ卿に向けて書簡を送っていた。だが、書簡を送ってから時間が経っている今、状況は変わっているかもしれない。

 アンヌは父と対立するかもしれないと思うと気が気でなかった。


――もし、お父様が殿下を害そうとするなら、その時は私も覚悟を決めねば。


 アンヌは琥珀色の目をぎゅっと瞑った。


 馬車は騎士館や納屋のある下ベイリー(中庭)を駆け抜けた。騎士館の奥にある菜園の緑色が、嫁入り前の薬草学の勉強を思い起こさせてアンヌには懐かしかった。娘時代を思い出していると上ベイリーの主城門まで、馬車は辿り着いた。


「アルジャン公殿下にご挨拶申し上げます」


 アンヌの父、サルグミーヌ卿の声が馬車まで響いた。

 アンヌは馬車の扉を開けて、琥珀色の目を前方に向けた。主城門を前に、サルグミーヌ卿とサルグミーヌ卿夫人、執事や騎士たちが立っていた。


 アンヌは馬車を降りた。子どもたちが「お母様、行っちゃうの?」と訊いてきたが、アンヌは「大人しくしているのですよ」と言った。


 アンヌは主城門の前の父に向かって歩き出した。既にユーリアとユラン伯は、主城門の前にいる。

 サルグミーヌ卿は臣下の礼を取ると、立ち上がり、目の前の主君となる少女に目を向けた。


「……これは驚きました。エレーヌ女公の生き写しでございますな」


 サルグミーヌ卿は琥珀色の目を丸くした。そして、続けて、「紫色の瞳は神秘的でむしろ良いでしょう」と言った。

 エレーヌ女公とは、ユーリアの母ヘレーネのことである。


「サルグミーヌ卿、では、この容姿は役に立つと?」


ユーリアがそう訊くと、サルグミーヌ卿は「如何にも」と言った。


「今やナンシー城は占拠され、トゥールやリュドゥルを始めとする周辺領主はリュクサン公妃アリアーヌ・ダルジャンに追従しております」


 ヴィッテルやリュネビルは抵抗しているようですが、とサルグミーヌ卿が言った。

 ヴィッテルはナタリーの一族の本家であり、リュネビルはユラン伯の所領の一つであった。


「……アリアーヌ・ダルジャンは私の叔母様だとか」

「叔母上と言いましても、エレーヌ女公とアリアーヌ公妃は異母姉妹です。エレーヌ女公はブリタンニア王女を母に、アリアーヌ公妃はレグザゴン王女を母に持っております」


 ブリタンニアは海を越えた島国だ。最近まで二つの王家が争い、ようやく落ち着いていた。ユーリアの母、ヘレーネはブリタンニアの前王朝の王女の血を引き、アリアーヌはアルジャン家の主家に当たるラシーヌ家が支配する、隣国レグザゴンの血を引く。


 正確には、ヘレーネとアリアーヌの父方の祖父がレグザゴン王子であったため、二人ともレグザゴン王家の血を引くのだが、アリアーヌはよりのラシーヌ家の血が濃い。


 つまり、ヘレーネとアリアーヌでは、アリアーヌの方がより高貴な血を引いているとみなされていたのだった。


「王家としては、ブリタンニアの方が一段低く見られておりますね。つまり、アリアーヌ叔母様の方が母より貴種ということ」

「しかし、貴女様はホーエンシュタウフェン家の血を引く嫡流でございます」

「――サルグミーヌ卿は余所者の私に従ってくれますか?」

「貴女様こそが亡きシャルル公、エレーヌ女公を継ぐ方です」

「では、此度の内乱、共に戦いましょう」


 ユーリアは比類なき紫色の瞳をサルグミーヌ卿に向けた。


「――もちろんでございます。では、中にお入りください。心ばかりのディナー(昼食)を用意してございます」


 サルグミーヌ卿は主城門の奥に向かって手を示した。そのまま、ユーリアを案内するかと思いきや、サルグミーヌ卿は娘のアンヌに声を掛けた。


「アンヌ、よく無事に戻った」


 サルグミーヌ卿の優しい声を聞いて、アンヌは琥珀色の瞳から涙を溢れさせた。


「お父様も、ご無事で」


 アンヌは父に向かって駆けだした。ユーリアはすっと避けた。


「これ、アンヌ、子どもではあるまい」


 サルグミーヌ卿は咎めるも、その声には慈しみと深い愛情が滲んでいた。



 サルグミーヌ卿の用意したディナーは、心ばかりと言いつつ、それなりに豪勢なものだった。雉の丸焼きに白パンなど、ユーリアたちが旅の最中で食せなかったものが並べられ、アンヌとその子どもたちは素直に喜んだ。


「白パンは久しぶりです」


 ユーリアがサルグミーヌ卿に言うと、サルグミーヌ卿は「旅ではより保存の効く、黒パンが中心になりましょう」と答えた。


「そなたの娘や孫娘たちに苦労を掛けました」

「殿下、そのようなこと……娘も孫娘も、貴女様にお仕えできることを喜んでおりましょう」

「そうであれば、良いのですが」


 ユーリアはそう言うと、白パンを千切った。

 アンヌは、父親とユーリアの会話を子どもの相手をしつつ、静かに聞いていた。


 ――確かに、殿下にお仕えできるのは幸せなこと。


 そう、アンヌは思ったが、果たしてそうだと言い切れるだろうか。アルジャン公国の領主の娘という、それなりに裕福に育ったアンヌにとって、子連れでの旅は過酷なものだった。


 ――でも、疑問に思ってはいけないわ。


 アンヌは心の中で首を振った。


「――アンヌさん」


 不意にアンヌの隣に座る、サルグミーヌ卿夫人に声を掛けられた。木の幹のような茶色の髪をタンプレットから覗かせ、緑色の瞳をアンヌに向けるこの貴婦人は、アンヌの実母ではなかった。

 とはいえ、アンヌが十五歳の時に嫁いで来たこの貴婦人は、アンヌを実の娘のように可愛がってくれていた。


「なんでしょう、お継母様」

「貴女の旦那様は、常に殿下の御側にいらっしゃるのかしら」

「はい、それが夫の職務ですから」


 職務に忠実なことは、ひいては家族を守ることだった。夫のユラン伯がユーリアの側近くに常に控えることは、圧倒的に正しい。


「……貴女の夫は大変美しいわ。婚姻できる年齢とはいえ、若い女子が常に側にいる美しい男に対して、心を向けないかしら」


 サルグミーヌ卿夫人の言い方は、本当に心から心配しているような響きだった。

 それを受けて、アンヌは押し黙った。そのようなこと、はっきりと言われたくはなかった。


「それに、殿下も大変お美しくていらっしゃるわ。美しい主人を守ることに職務以上の感情を向けないかしら」

「――お継母様、お二人の間に何も起こるはずがないじゃありませんか」


 アンヌは明るく言った。


 夫が家族を裏切ることはありえないことだった。アンヌにはそれを、確信を持って言える。


「でも……」

「――むしろ、何も起きないから、もどかしさを感じるのではないかしら」


 アンヌは呟くように言った。


 このディナーを終えれば、ユーリアはユラン伯やサルグミーヌ卿を伴い、南下し、サルブールへと向かう。公位を巡り、ユーリアは更に危険な旅を重ねていく。アンヌはサルグミーヌ城にて無事を祈ることしかできない。


 アンヌは、父と会話するユーリアとその隣に座る夫を見た。

 紫色の瞳がアンヌの琥珀色の瞳を一瞬だけ見ていたような気がした。

 それはただの偶然だったのかもしれない。だが、アンヌにはそこに言葉にできぬ何かが宿っていたように見えたように思えてならなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ