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第三十一話 物盗り

第一部最終話です。


 あのシューレンブルク公の最後の言葉は、何だったのだろうか。

 ユラン伯はゴトゴトと揺れる馬車の中で思った。


 十日以上、馬車に乗っているが、揺れには慣れない上に、尻も痛む。そのような中でも、ユーリアは不満を一切口にしなかった。


 ユーリアは十四歳という婚姻できる年齢に達してはいるが、まだまだ父母に庇護を求めたい年頃でもある。そのようなユーリアに対して、焚火を囲んだ際のユラン伯の態度は配慮に欠けていた。

 いい大人だと思っていた自分も、この旅で弱っているのか、とユラン伯は思った。


「――ユラン伯」


 ユーリアが不意に声を掛けてきた。美しい声が殺風景な馬車の中に響いた。


「はい、ユーリア様」

「あの日以来、ずっと黙っていてすみませんでした。ユラン伯は謝罪してくれましたのに」

「いえ、わたしの配慮が足りませんでした」

「……これからも、未熟な私に仕えてくれますか?」

「――ユーリア様を未熟とは思いません。ずっと優れた方です。そのような方に浅慮な私めが仕えることをお許しください」

「ユラン伯は、母の代からアルジャン公に仕えている大切な人です。――シューレンブルク公の言葉を噛み締めました」

「あの……ユーリア様は、シューレンブルク公とは交流があったのですか?」


 ユラン伯は疑問を口にした。


「……シューレンブルク公は、グラティア様に何かあるとすぐに皇宮に来られた。――あれが“愛”なのかと幼い頃は思ったものです」


 ユーリアの紫色の瞳は、遠くを見るようであった。だが、すぐに「長くなるので、今度話します」と言った。


「では、いずれお聞かせください」


 ユラン伯がそう言うと、ユーリアは、ええ、と言った。


 その日の月は影に隠れ、非常に暗い夜だった。

 ユラン伯とユーリアはあの日以来、焚火を囲んだ。

 ユーリアはさっそく、シューレンブルク公の毛布を使用していた。

 ユラン伯はそれについて、少々複雑な思いがしたが、ユーリアがシューレンブルク公を信用に足る者と考えている様子だったため、黙って見ていた。


「……今日は新月ですね」


 ユーリアが静かに言った。美しい声が夜のしじまに響く。

 ユラン伯が何か答えよとすると、カサリ、という音がした。

 森の黒い影が風で揺れた。


「――ユラン伯、静かに」


 だが、静けさは破られた。

 次の瞬間、野太い男の声が闇夜に響いた。


「荷を寄越しな!」


 焚火で十数人の男たちが照らされた。

 ユラン伯とユーリアは立ち上がった。ユラン伯は腰のタガーを引き抜き、指笛を鳴らした。ユラン伯の心臓の鼓動は早まった。

 雄叫びと共に傭兵たちが物盗りたちに襲い掛かった。


「――ユーリア様、早く天幕へ」


 ユラン伯はそう言うと、襲ってくる一人の男に向かって剣を向けた。刃を受け止め、払うとユラン伯は男の脇腹を切り裂いた。


「――ユラン伯! 後ろ!」


 ユーリアの悲鳴を聴き、ユラン伯は振り返った。振り向きざまに、剣で物盗りの男の刃を受けた。刃同士がぶつかるとき、火花が散った。

 男はもう一度、大きく振りかぶろうとしたが、その動作は途中で止まった。

 ユーリアが毛布を男に向かって投げたからだ。油断した男は、続けざま、ユーリアにタガーで刺された。それは迷いのない動作だった。


「……ユーリア様?」


 タガーをどこに隠していたのか――。ユラン伯は短剣を振るいながら思った。

 それに、そんなことより、早く天幕へ逃げてほしかった。

 傭兵たちにより、また騎士たちにより、物盗りたちは制圧された。


 ユラン伯の心臓の音は早いままだった。この旅路で、物盗りに出会うことは覚悟していたが、実際に直面したのは初めてのことだった。

 ユラン伯は、物盗りの血が付いた毛布をじっと見ているユーリアに、「天幕へ戻りましょう」と声を掛けた。


 ユーリアは黙って天幕まで着いてきた。

 天幕に入った瞬間、ユラン伯はユーリアの全身に視線を浴びせた。ユーリアの纏う黒いローブに破れた様子はなく、傷一つ着いていないようだった。

 ユラン伯は、ほっとして、溜息を吐いた。


「――ユーリア様、怪我をなさったらどうするつもりだったのですか?」


 ユラン伯は、心をなるべく落ち着けて、静かに言った。


「――守られるだけは性に合わないのです」

「ですが!」

「ユラン伯も怪我をしなくて良かったわね」

「――わたしの言いたいことはわかりますか?」


 ユラン伯は、落ち着かず、天幕の寝台に腰を下ろした。


「――ユラン伯、その格好で座らないでください」

「貴女様は! いつもそうだ……わたしや多くの者の心配を無下にする」


 ユラン伯は額に手を当てた。


「無下にするのは、私のような者の特権でしょうね」


 ユーリアは少し寂し気な表情を浮かべて言った。


「ユーリア様!」

「……今度は守られるようにするから、それより夫人たちの様子を見に行って。行きたいのでしょう?」


 ユラン伯は榛色の瞳に力が籠り、細くなっていくのを感じた。

 ユラン伯はユーリアをわずかにじっと見つめると、天幕を後にした。


 これから、何度もこのような場面に直面するのだろう。ユラン伯の心は騒めいていた。


 アルジャンへ入国しても、あっさりとユーリアがアルジャン公になれるようには思えない。遠く、暗い道の先には、未だ見ぬいくつもの試練が待ち構えているだろう。

 ただ守られてばかりでいない、年若い主君をユラン伯は理解し、守る必要があった。ユラン伯は覚悟を深めねばならかった。


 いつもであれば、月がユラン伯の美しい顔を照らしているところだったが、生憎月は翳り、ユラン伯の顔は闇に溶けていった。



第一部完

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