第二十四話 ユラン伯夫人アンヌ
ユルシュル・ダルジャンは、夜半、ブルグントの首都アルルにあるユラン伯邸にいた。
訪ねたという言葉が正しいほど、異母兄家族とは距離を置いているが、ユルシュルも一応はユラン伯邸に住んではいる。
邸宅の二階で、今、義姉であるユラン伯夫人は、娘二人を逃げ易いような簡素な旅装束へ着替えさせていた。
「――奥様、そろそろ出ましょう」
ユルシュルは声を掛けるも、どうやら着替えに手間取っているらしい。既に、ほとんどの使用人には暇を出している。身の回りのことは自分たちでやらなければいけない。
ユルシュルは手伝うために二階へ向かった。
二階の部屋には、緊張感がない娘二人が走り回っていた。
「お嬢様方、これからこっそり旅に出るのです。静かになさって、お母様とお着替えしましょうね」
ユルシュルがゆっくりと言うと、娘二人は、はあい、と返事をした。ユラン伯の娘はそれぞれ、アリスとアメリーといった。
ユルシュルから見ると、二人とも両親の愛を欲しいままに受け取った、少しお転婆な女の子たちだった。
「ありがとう、ユルシュルさん。この子達ったら、夜の冒険だと思って、はしゃいでしまって」
ユラン伯夫人アンヌ・ド・サルグミーヌは、少し疲労を滲ませていた。
ユルシュルはアンヌの疲労は無理からぬものだと思っていた。
皇后の身に起きた事件以降、夫のユラン伯は邸宅に帰れていない。
ほとんど別居しているに近いとはいえ、以前のユラン伯は時間を見つけては邸宅に帰っていた。
それに、ユラン伯は筆まめであり、夫人に手紙を送っていた。それは他愛のない話が多かったらしいが、今回の件で、「家に帰ることはできそうにない」、「出国の準備をするように」など、切迫な内容だらけになっていたという。
温和な貴族夫人であるユラン伯夫人にとって、今回の件は精神的に限界に近かった。
ユルシュルは、二人の令嬢の着替えを手伝いながら、夫人の苦労を思った。
ようやく、二人を着替えさせて、ユルシュルとアンヌは一階に降りる。灯のない屋敷は、少し不気味で風の音がよく響く。
ユルシュルは、風の音の中に、少し厳めしい音が混じるのを感じた。
「――奥様、下がっていてください」
ユルシュルは、玄関に向かってひっそりと歩く。腰に佩いていたファルシオン(鎌形刀剣)を抜き、扉に手をかけた。
扉の前には、男が数名立っていた。彼らはひっそりと吐息の音でさえ気を付けていた。にもかかわらず、ユルシュルに存在が気付かれたことを驚いていた。
「誰の手のものか」
ユルシュルはファルシオンを男たちに向けた。
「ユラン伯邸を捜索しに参った。そなたら、どこへ行く?」
「たかだか一貴族の旅行程度、どうでもよかろう」
「そうはいかない。勝手に離れるなど」
ユルシュルの剣が一閃する。男の一人が反射的にツヴァイハンダー(長剣)を振るい、火花を散らした。剣のぶつかり合う金属音が夜のしじまに響いた。数名の男たちも剣をユルシュルへ向け、振るう。
「――ユルシュルさん!」
アンヌが子どもたちを庇いつつ、叫んだ。アリスとアメリーは怯えていた。
「奥様、執事が使用人出口で待っております! 先を急いで!」
「でも、ユルシュルさんを置いて行けないわ!」
――ああ、なんで、この人はいつもそうなの。
ユルシュルは剣を振るいながら思った。
この清らかで尊く、正しい貴族夫人は、汚れて卑しい、間違ったユルシュルを見捨てない。
ユルシュルの剣の柄に力が籠った。
「そこまでだ!」
後方から、男の声が聴こえた。背後の路地から、甲冑の音とともに、数人の兵が現れた。
武装した騎士団がユラン伯邸の前に次々と集結した。
「我々は、ユラン伯夫人とそのご息女を見送るために参った! 剣を捨てよ」
ユルシュルと戦う男たちは、剣を大地に投げ捨てた。
後方にいる男たちは、皇帝の騎士団だった。ユルシュルは何度か、皇宮で見たことがあった。
「――貴方様は、ヒンデンブルク様でいらっしゃいますね」
ユルシュルが問うと、ヒンデンブルクは「いかにも」と言った。
「助けてくださり、ありがとうございます」
ユルシュルとアンヌがお礼を言うと、ヒンデンブルクは少し照れた様子を見せた。
「――皇帝陛下のご命令です。早く行かれますよう」
――皇帝の命?
ユルシュルは疑問に思った。皇帝はケルンテン公側に傾いたと思っていたが、今更、嫡子への愛を取り戻したのだろうか。
ユルシュルは淑女の礼を取り、アンヌたちを急かした。
ユルシュルとユラン伯を除く一家は、使用人通路を通り、執事と合流した。
使用人出口の前には、荷を積み終えた馬車が待っていた。夜半の空は、まだ深く青い。
ユルシュルは手袋をはめながら、玄関の扉を閉じた。
馬車の中には、執事は少し寒いのか、身を固くしていた。アリスとアメリーは毛布にくるまっている。春先とはいえ、夜中はまだ冷える。
ユルシュルは馬車に乗り込んだ。アリスとアメリーの琥珀色の髪を撫でていたアンヌは、ふと顔を上げ、ユルシュルの姿を見ると、安堵したように微笑んだ。
「早く、皇女殿下と兄様の元へ向かいましょう」
「ええ、ユルシュルさん」
ユラン伯と合流するまで、アンヌの心は落ち着かぬはずだ。ユルシュルは義姉の心情を慮った。
皇女とユラン伯は無事にアルル宮殿を出られただろうか。
だが、ヒンデンブルクがこちらに来たということは、既に無事にアルル宮殿を出られたことを意味するだろう。
微かに揺れるランタンの灯りが乗り込むユルシュルたちの顔を照らす。
「もう行って」
ユルシュルは御者に命じた。
馬車はぎしり、と軋みながら動き出す。だんだんと屋敷の灯りが遠ざかっていった。
アルジャンへの道は遠い。急いでも三週間はかかるだろう。
ユルシュルは、長期間の過酷な旅をすることになるアンヌたちを想った。
ユルシュルが思う「汚れて卑しい、間違った」とは、婚姻関係を伴わない男女から生まれた庶子のことです。
当時の価値観で描いてます。




