第二十三話 皇宮からの出立
皇帝の騎士カール・フォン・エーレンベルクは、皇后崩御から早々と私室へ戻った皇女ユーリアを迎えに行った。
皇帝がなにやら話があるらしい。
エーレンベルクは皇女が何故足早に私室へ戻ったのか、考えることなく、皇女を訪ねた。
皇女付き侍女、ナタリー・ド・ヴィッテルが、「皇女殿下はお召替え中ですので、後ほど向かいます」と言ったが、扉の前でエーレンベルクは待っていた。
しかし、皇女は中々出てこなかった。
痺れを切らしたエーレンベルクがもう一度、取次を頼むと、黒いローブを纏った皇女が顔を出した。後方には榛色の瞳に褐色の髪を持った皇后の侍従がいた。
このユラン伯という侍従をエーレンベルクは気に入らなかった。
まず、顔が気に入らないのだ。美しい顔をしていて、宮廷を出入りする貴婦人たちは秋波を送るが、彼はそれを無視している。
エーレンベルクは、そういった硬派な男は嫌いではない。が、ユラン伯の場合、気取って見えるのだ。
そして、この気に入らない男は、皇女と密室で過ごしていた。仕事熱心なのは良いが、この男は仕事を一途にするあまり、周りの感情を無視しているきらいがある。
「エーレンベルクよ、そう急かさないでください」
皇女ユーリアが穏やかに言った。
「皇女殿下、殿下は陛下をお待たせしております。お急ぎください」
「……エーレンベルクよ、残念ながらそなたには、陛下の命を全うして欲しくはないのです」
「一体、何を仰るのですか?」
エーレンベルクが驚いて言うと、ユーリアは微笑んだ。
「我々、ブルグントから出国したいのですよ」
「なっ……」
エーレンベルクは絶句した。皇女は母親を亡くして、おかしくなっているのではないかと思った。
「なので、陛下の命にはお応えできません。それでは、エーレンベルクよ、さようなら」
ユーリアはそう言って、歩き出そうとした。
慌てて、エーレンベルクはその後方に着いていこうとするユラン伯の袖を掴んだ。
「お前が発案者か?」
エーレンベルクがユラン伯に凄むも、ユラン伯はその美しい顔をぴくりとも動かそうとしなかった。
――こいつはいつもそうだ。周りを見下してやがる。
エーレンベルクが苛立っていると、皇女がエーレンベルクに囁いた。
「ユラン伯を放してください」
その声は冷たかった。そして、エーレンベルクは、脇腹にも冷たさを感じた。
皇女はタガー(短剣)をエーレンベルクの脇腹に当てていた。
「殿下! 一体、何の真似です!」
「エーレンベルクよ、私が出国すると言ったら、出国するのです。どんな犠牲を払おうとも」
ユーリアはタガーを持っている手に力を入れた。エーレンベルクの脇腹は無事でこそあるものの、薄っすらと赤い線でも入っていそうなくらいには、タガーが食い込んでいる。
「殿下、お辞めください! ユラン伯は離します」
「離しても、まだ私たちを阻むのではありませんか?」
「殿下!」
エーレンベルクが叫んでいると、前方から皇帝と皇帝の侍女のヒルトルート・フォン・ラウジッツが現れた。
「ユーリア、よさぬか」
皇帝が静かに言うと、ユーリアはタガーを下した。
「……ユーリア、そなた、アルジャンへ向かうつもりか」
「ええ、お父様。かの国を継承しました故」
「そうか……」
「権利書は今、ここにはございません、もし回収をお望みでしたら……」
「そんなことは望んでいない、ユーリアよ」
マクシミリアンは、悲しそうな顔をしていた。
「では、ご用とは?」
「そなたが発つと決めたなら、もうよい。だが、そなたはブルグント人であることを忘れるな」
「……わかりました。落ち着いたら戻ります」
ユーリアは素直に答えた。
「……ユーリアよ、かの国は時に厳しい。そなたの無事を願っている」
エーレンベルクは皇帝の言葉を聴いて、初めて皇帝の娘への愛を感じとった。
「ありがとうございます。落ち着いたら、手紙を書きます」
ユーリアはそう言って、タガーをしまうと、ユラン伯とナタリーを伴って、廊下を進んだ。
皇帝とすれ違う時、皇女は淑女の礼を取った。
⁂
皇帝付き侍女、ヒルトルート・フォン・ラウジッツは、黒いローブを纏った皇女が通り過ぎ去るのをただ、見ていた。
皇女の出国について、ヒルトルートはなんとなく想像はしていた。
ヒルトルートは、半年前まで皇太子付きの侍女だった。
皇太子エーミールは、自身の亡き後のことを考えて、皇女ユーリアに全てを託した。
ヒルトルートは皇太子エーミールが皇女ユーリアに聖書を託した日のことを思い出していた。
あの聖書は普通の聖書ではなかった。
皇太子エーミールは、あの聖書の最初のページをくり抜いて、“種子”を保管していた。
ヒルトルートには“種子”の正体を教えてはくれなかったが、名前を訊くと、エーミールは「“トーテンタンツ”だよ」と言った。
植物の種に“死の舞踏”と名付けていること自体、なんだか変だとヒルトルートは思った。
ヒルトルートには、あの種子を皇女に託したのがどのような意味があるかはわからない。
だが、エーミールにとっては、必要なことだったらしい。
あの日、エーミールは聖書を無事に託せたことを喜んでいた。
ヒルトルートは、皇太子が自身の跡を継がせると決断した相手はユーリアだと思っていた。
だが、その数日後に、ユーリアとケルンテン公ニコラウスが訪ねたとき、エーミールはニコラウスの袖口を掴んだ。
袖口を掴んだ時、エーミールもニコラウスもどちらも驚愕していたように見えた。
そして、ユーリアとニコラウスが退席すると、エーミールは嗤った。それも、泣きながらだった。
ヒルトルートがぎょっとすると、エーミールは言った。
――ああ、わたしは何のために生まれて来たのか。
ヒルトルートは、「殿下」と呼んで、言葉を紡ごうとした。死にゆく皇太子に何と言えばいいのかわからなかった。
――どうして、こうなってしまうのだろうな……仲良く暮らしたかっただけなのに――。
ヒルトルートが「仲の良いご兄弟ではないですか」と言うと、エーミールは首を振った。
――わたしが死ねば、二人の関係は破綻する。二人の仲の良さは、わたしが生きていることが前提だ。
ヒルトルートがどういうことですか、と訊くと、エーミールが言った。
――わたしが死ねば、イリア王の立場を二人が争う。どちらかが死ぬまで辞めないだろう
そして、エーミールは自嘲気味に笑った。
――ただ、庶子であるという一点だけで、ニコラウスの負けを望むわたしは極悪人だろうな。
そのようなことは、ありません、とヒルトルートが言うと、エーミールは、
――地獄で先にユーリアを待っている。
と言った。
その皮肉めいた言葉は、寝室に物悲しく響いた。
まさか、皇后陛下の懐妊とその死までは、予想はしてなかっただろう、とヒルトルートは思ったが、いや、予想できていたかもしれない、と思い直した。
――それでも、皇女殿下がイリア王になることを望んだ。
ヒルトルートには、妹に重荷を与える兄の気持ちの全ては理解しきれなかった。
ただ、皇太子は、妹も庶子の弟を愛していた。
ずっと、愛していきたかったのだ。




