第一話 三人の子どもたち
そもそも、ブルグントのアルル宮殿には、三人の皇帝の子どもが住んでいた。
ただ、時々子どもが増えたり、増えた子が減ったりという変化があるも、十歳を超えて生きている子どもは三人だけだった。
一人は極薄い色合いの金髪に空色の瞳を持った、大変美麗な男の子だった。彼の名前は、エーミールといい、古代の帝国の貴族の名前に由来する名を持つ、ブルグントの皇太子だった。
彼には二つ年下の妹がおり、彼女の名前はユーリアといった。彼女の名前もまた、古代の帝国の貴族の家名に由来した。
このユーリアという第一皇女は、母后ヘレーネに生き写しの大変な美少女で、母譲りの銀髪と父譲りの比類なき紫色の瞳を持っていた。
この二人の兄妹の間に、ケルンテン公ニコラウスという男の子がいた。彼は二人の兄妹とは、母を異にしていた。
彼の母は、シューレンブルク公夫人グラティア・フォン・クロイという皇帝の愛人だった。
ニコラウスは明るい金髪と緑色の瞳を母から引き継いだ、それなりの美少年だった。
この三人の美しい子どもたちは、常に一緒にいるわけではなく、皇太子エーミールはその別格の地位から、ユーリアやニコラウスとは距離を置いていた。
特にニコラウスは庶子であり、皇子ではない出自から、殊更距離を置かれていた。
ニコラウスの側近くにいる兄弟はユーリアだけだった。
この日、ニコラウスとユーリアはニコラウスとその母グラティアが住まう、薔薇の宮殿の中庭の木陰で、絵を描いていた。
「ニコラは、何を描いているの?」
ユーリアが問うと、ニコラウスは自分の羊皮紙を見せた。
羊皮紙にはタンプレット(へアドレス)から髪をわずかばかりこぼしている少女の横顔が描かれていた。
「これって、私?」
「そうだよ、でも、これじゃあ、ユリーの可愛さが表現できてないや」
ニコラウスがそう言うと、ユーリアは照れたように笑った。
「ユリーこそ、何描いてるの?」
「薔薇!」
「それって、絵の授業の宿題?」
見せてよ、と言って、ニコラウスがユーリアの羊皮紙を覗き見た。
花弁一枚一枚を丁寧に描いた薔薇の絵がそこにあった。
「相変わらず、絵が上手いよね」
「だって、あの先生、『ちゃんと見て描いていますか? もしこのように見えていると仰るなら、貴女様の目は節穴ですよ』とか『書きなさい、ひたすら書きなさい』とか怒鳴ってくるし」
「もしかして、コッホ先生?」
「そう、その先生。もしかして、ニコラも教わってた?」
ユーリアはクスクス笑った。ニコラウスもつられて笑う。
「去年、教わってた。あの人、料理人って意味の名前してるのに、なんで、絵描きなんだろう?」
「なんでかなあ、『ちゃんとレシピを見ていますか? もしこの味になると仰るなら、あなたの目は節穴ですか?』とか言ってそうだけど」
ユーリアが冗談を言うと、ニコラウスは声をあげて笑った。
二人はその後もおしゃべりをしながら、楽しく絵を描いていたが、ユーリアには数学の授業の時間が、ニコラウスには語学の授業の時間が迫っており、薔薇の宮殿の中庭を後にした。
いや、後にしようとした。回廊で、シューレンブル公夫人グラティアにグラティアよりも小柄で、薄紅色のローブ(ドレス)を着こんだ女と真っ赤なジャケットを着込んだ小太りの男が立って話しているのを見るまでは。
深緑色のローブを纏ったグラティアは、小柄な女より背が高いはずだが、気圧され項垂れていた。
小柄の女はグラティアに詰め寄っていた。
「シューレンブルク公夫人、貴女が私にくれたお茶に堕胎薬が入っていたわ。私、陛下の御子を身籠っているのよ! 陛下の御子に何かあったら、どうしてくれるの?」
「……私は毒など……」
弱弱しく答えるグラティアを、小太りの男が制した。
「心当たりあるでしょう。貴女様はうちの可愛い可愛いコルドゥラに陛下の寵愛が奪われた。それにコルドゥラは懐妊しているのだ。今まで陛下の愛人の中で、唯一子どもがいるからって優位に立っていたのが崩れてしまうため、毒を盛ったのでしょう」
「侍女にホオズキの知識がなかったら、危うく飲むところでしたわ」
コルドゥラ親子が激しくグラティアを責める。
ニコラウスには我慢ができなかった。
「――お母様!」
ニコラウスはコルドゥラ親子の間に入り、母を守った。
「なんだい、君は、ああ、君はシューレンブルク公夫人の子? 君はもう特別な庶子じゃなくなるよ。母親をかばったところで力にならないだろうねえ。こっちももう新しい子が生まれそうなのだよ」
執拗な口調でコルドゥラの父親が言った。
「でも、コルドゥラ嬢とそのお父様、今は私がおります」
彼らの少し離れたところで、ユーリアは幼いながらも威厳を以て言った。
「薔薇の宮殿は、陛下がただ一人お決めになられたご婦人が住まう場所でもある。この特別な場で騒ぐことは、皇帝陛下も歓迎されないでしょう。このことは皇后陛下にもご相談させていただきますわ」
「皇后陛下はお忙しい。だから我々で処断する」
「それは出来かねますわ。それに、お父様も特別に薔薇の宮殿に住まわせている親子のことはかかわりがございますから。今日のところは証拠の保全をして、ここから去られてください」
コルドゥラの父親は拳をぎゅっと握りしめたが、やがて、コルドゥラを促して、宮殿を後にした。
「……ユリー」
ニコラウスは力なく、妹の名を呼んだ。そこには心配そうな響きがあった。
「……心配しないで、ニコラ。グラティア様はそのような方じゃないことは、両陛下ご存じだから」
「ユーリア様、私が情けないばかりに……ご多忙の両陛下を頼るのは忍びなく」
グラティアが心配そうな声色を隠さないまま言った。
「……グラティア様、事は大きくしないと。そろそろ去りますわ。授業に遅れますので……」
「ユリー、待って。僕も行く」
ニコラウスが言うと、ユーリアは表情を曇らせた。
「ニコラ、皇宮は、貴方には辛く当たるわ」
皇宮とは、アルル宮殿本体にあたる。ここには、皇帝とその家族が住まい、また政治の中枢でもあった。ホーエンシュタウフェン家の紋章が三頭の黒獅子であることから、“黒獅子の宮殿”とも呼ばれていた。皇宮は、多くの貴族が出入りし、有益な情報も、悪辣な噂話も飛び交う。
庶子のニコラウスは、皇宮では歓迎される存在ではなかった。
インマヌエル教の教義において、婚姻とは、一組の男女が互いに、生涯にわたる愛と忠実を約束し、助け合いながら子どもを出産し、養育することである。つまり、皇帝と皇后ではない男女の一組は間違っており、ましてやその間の子など認められない。
「でも、お母様をお助けしないと」
ニコラウスは切実な響きを以て言った。
「……わかりました。ニコラも一緒に行きましょう」
ユーリアとニコラウスは、連れ立って、皇宮まで歩いて行った。
歩きながら、ユーリアはニコラウスに小さな声で言う。
「ニコラ、正直に言うと、私ではグラティア様をお助けできない」
「そんな……」
だって、皇女じゃないか。そういう台詞がニコラウスの喉元まで出かかった。彼は庶子、彼女は嫡子、彼は臣下であり、彼女は皇女であるはずなのに。
「……私が両陛下から関心をあまり持たれていないことは、ニコラも知っているはず。でも、私たちには、エーミールお兄様がいる」
ユーリアはニコラウスとともに、皇太子の執務室へ向かう。
向かっている途中で、宮廷の侍女や侍従、騎士たちとすれ違う。すれ違いざまに、ニコラウスは、「庶子の分際で」、「汚らわしい子」などとヒソヒソと貶された。
ユーリアは悪し様にニコラウスを貶める宮廷人たちを睨みつけていた。それでも、冷遇されているという皇女の睨みは、彼らを暫し黙らせることしかできなかった。
ニコラウスは異母妹の行動をありがたく思ったが、顔を伏せた。
愛人の子、阿婆擦れの子、妾の子、と蔑まされることには、まだ慣れなかった。自分はずっとこれからも言われ続けるのだろうか。
「……ニコラ、堂々として。貴方は庶子であろうが、皇帝陛下の御子です」
ユーリアの厳しい口調がニコラウスの耳に届いた。ニコラウスは力なく返事をした。
ニコラウスとユーリアは皇太子の執務室の前に到着し、ユーリアが名乗って入室をする。
皇太子エーミールは机に向かって、書き物をしているところだった。窓際に立っている侍従が静かに皇太子を見守っていた。
「――よく来たね、ジュリー。それに珍しいお客さんまで」
ユーリアをジュリーと呼ぶ皇太子には、慈しみの心で溢れている。ただ、“珍しいお客さん”には、怪訝な表情を浮かべていた。
「フォーゲルブルク伯爵とその娘のコルドゥラ・フォン・フォーゲルブルクの存在をご存じであるかと思います」
ユーリアはさっそく本題に入った。
「父上の最近できた愛人とその親だね。何か問題でも起こした?」
「はい、シューレンブルク公夫人から送られたお茶に堕胎薬が混入していたと、先ほど、シューレンブルク公夫人に詰めよっておりました」
「グラティア様が堕胎薬を?」
「お兄様、グラティア様はそういう方ではありません」
「知っているよ。そういう方ではないから、父上は何があろうと、あの方を薔薇の宮殿に住まわしている」
エーミールはふっと笑った。
「お兄様には、皇后陛下に進言をお願いしたいのです」
「ジュリー、お母様は薔薇の宮殿に関心を持たなくても良い方だ」
「……それでも、お願いしたのです」
そうだな、とエーミールが言いながら、ニコラウスに空色の目を向けた。
「……ここまでニコラが来たことに免じて、お母様に進言してみようか。外ならぬ妹の頼みと、異母弟の懇願だ」
エーミールは立ち上がり、侍従に「皇后陛下にお目通りを願いに行く」と声をかけた。
インマヌエル教とは旧約聖書のイザヤ書の「それゆえ、主ご自身があなたたちに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと名づける。」から取っています。




