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第十七話 あらゆる災厄が密やかに

3人の視点です。

 ユルシュル・ダルジャン、またの名をリヴィエールという少女は、修道服を纏い、夜の皇宮を静かに歩いていた。


 彼女はユラン伯の異母妹であった。それも、先代ユラン伯と洗濯女との間に生まれた庶子であり、“正しくない子”だった。


 彼女は正式な皇后の側仕えではなく、一時は第四皇女イレーネのグヴェルナンテ(家庭教師)を勤めていたが、皇女亡き今、ユルシュルは兄の補佐をしているのみに留まっていた。


 この時間は、丁度兄のユラン伯クロード・ダルジャンが皇后の側仕えを集めて会議をしているところだが、ユルシュルはその場に出る気は起きなかった。


 詳細は後で兄から聞けばいいし、そもそも、第一皇女ユーリアがアルジャンへ出奔することは、既定路線であると、ユルシュルは考えていた。その上、皇后につられて第一皇女ユーリアを下に見ている節があるシュヴァリエの弟が長く喋りそうだとも思っていた。


 ユルシュルは薔薇の宮殿の近くまで歩いていた。

 ここには、皇后の状況を話し合う者たちがいるはずだ。


「――ユルシュル・ダルジャン?」


 暗闇の中、澄み切った美しい少女の声が響いた。

 ユルシュルは声のする方へ振り返った。

 暗闇に修道服が溶けていた。フードは目深に被っており、その女の顔は見えない。だが、ユルシュルには聞きえ覚えのある声だった。そして、風に乗って煤けた臭いがユルシュルの鼻腔を突いた。


「まさか……そのような格好は」

「ユルシュルと同じです。薔薇の宮殿に用があります。本日ならば、クロイ公たちは、勝利の美酒に酔っているのではないか、と思いまして」

「……私もそう考えておりました」

「考えが一緒ですね」


 修道女がくすくすと笑った。


「手伝ってくださいますか?」

「わかりました。何をすればよろしいでしょうか?」


 二人は、作戦を話しながら、薔薇の宮殿へ侵入した。



 ⁂


 クロイ公とグラティア、ニコラウスは薔薇の宮殿のグラティアの私室に集まっていた。


「上手くいきましたな」


 クロイ公は歌い出しそうなほど、上機嫌だった。


「……伯父様、ユリーが気付いたかもしれません」


 ニコラウスは白鷺猟の折のユーリアの様子を思い出していた。

 ユーリアは光に気付いてしまっていた。


 あの時、馬丁の一人が皇后の馬に向けて、鏡を反射させたのだった。元々、皇后の馬には、あらかじめ本来より小さな馬蹄をつけさせていた。点滅する光で、馬にはさらなる心労を与えて暴れさせたのだった。


「気付いたから何なのです? 皇女に何ができますか? これから母親を喪い、守ってくれる権威も失う。そんな弱い小娘を皇帝陛下は守ろうとはしませんでしょう」


 クロイ公は冷ややかにせせら笑った。


「もう、皇女には何もできない。ほとぼりが冷めましたら、今度は皇女を消さなければ」

「ユリーには手を出さぬという約束です!」

「まだ、そんな情を持っているのですか? あの娘は貴方様と違う。貴方様のような妾の子ではありません。両親ともに王家の血を引く、貴種。あの娘を消さぬ限り、貴方様は、“正しくなれない”」

「伯父様!」


 ニコラウスは呻いた。


 彼は皇后を殺すことで、ユーリアの命を救えた気がしていた。

 ニコラウスは、エルメンガルトから皇后の懐妊を聴き、そのことを伯父に伝えることで、ユーリアを加害し続けようとする伯父の矛先を皇后とその胎児に逸らした。


 皇后のことは嫌いではなかった。皇宮へ行く度に、蔑ますように陰口を叩く貴族たちに、「ケルンテン公は庶子ではありますが、陛下の御子です」と皇后は一喝をしてくれていた。


 だが、皇后の実子たちへの愛情には疑いを持っていた。

 ニコラウスにとって、皇后は優しくしてくれた人ではあったが、その我が子を愛さぬ人格は好きになれなかった。だから、大好きなユーリアの命を優先することができた。


「――阿婆擦れの子、妾の子、愛人の子、正しくない子。貴方様は貴方様を認めない世界を打倒しなければならない」


 クロイ公は呪詛のような言葉を、愛人に成り下がってしまった自身の妹の前で言った。

 グラティアは黙って聴いていた。表情は固かった。


「でも、ユリーは……」


 ニコラウスは再び、白鷺猟での皇后落馬直後のユーリアを思い起こした。

 ニコラウスの静止を聴かず、皇后に吸い込まれるかのように歩み寄るユーリアは、母の怪我と流産という悲しい出来事に身を焼いていたようであった。


――お母様……。


 と言ったユーリアの美しくも悲しい声がニコラウスの耳にこだまする。

 そして、そのような様子のユーリアを優しく抱き留めて、目の前の悲しい事象を見せまいと、掌でユーリアの比類なき紫色の瞳を覆い隠すユラン伯の姿をニコラウスは思い浮かべた。


 皇后落馬前までは、ユーリアと朗らかに会話ができていたというに、ユラン伯に阻まれ、ユーリアが酷く遠くに行ってしまったような気になった。


 ただ、ユーリアを守りたかっただけなのに――。


 突然、カタン、という音がした。

 クロイ公とグラティア、ニコラウスが扉の方を見た。

 三人は慌てて、扉を開けた。


 ベールを目深に被った修道女が立っていた。その修道女はクロイ公たちの姿を確認すると、回廊に向かって走り出した。


「待て!」


 クロイ公が走り去る修道女を追いかける。だんだんと修道女に追い付いてきた。

 クロイ公が修道女の袖を掴んだ。その瞬間、煤けた臭いがした。

 修道女の袖が月光できらりと光った。


「捕まえたぞ!」


 クロイ公が歓喜の思いで叫ぶも、修道女はナイフでクロイ公の腕を切り裂いた。

 ぎゃあ、とクロイ公が叫び、出血した腕を庇っている間に、修道女は逃げ去っていった。



 ⁂


 コンラート・フォン・ヒンデンブルクは、慌てて火消し部隊を送り出していた。

 皇宮の厩番の詰め所が燃えたのだった。何人か詰め所に人がいたため、皇后の怪我と流産に続き、皇宮は不幸が続いた。


 詰め所が燃えたのは、証拠隠滅のためか――。


 ヒンデンブルクは遠目で燃える厩番の小屋をじっと見た。徹底的に証拠を燃やすという熱意にヒンデンブルクの肝が冷えた。


 もはや皇后は助からず、馬丁の二、三人は命を落としているだろう。

 やはり、皇后を殺害せんとしたのは、ケルンテン公側の人間なのだろう、と彼は思った。


 だが、皇帝はケルンテン公側に追求するのだろうか。

 皇帝の騎士として彼は近習しているが、皇帝は明らかにケルンテン公ニコラウスを偏愛していた。表向き、亡き皇太子エーミールを厚遇していたが、愛情の差は歴然だった。皇太子でもない皇女ユーリアなど、歯牙にもかけていなかった。


 理由はヒンデンブルクにもよくわかっていなかったが、何となくは類推できる。


 皇帝は庶子ニコラウスを己だけの子と感じているようだった。対する嫡子たちは、皇后の血統が混ざっている己だけの子ではない。


 ヒンデンブルクには、皇帝のその考えだけは共感できなかった。どんな子でも、自分の子は可愛いからだ。


 橙色に燃える夜空を見ながら、ヒンデンブルクは一人残された皇女を想った。

 母を喪うことになるであろう皇女は、父を頼れず、宮廷を生き残れるだろうか。


 皇女という、この世の至高の身分にありながら、第一皇女ユーリアの存在は耐えきれぬほど軽い。


 ヒンデンブルクが物思いにふけっていると、二人の修道女が目の前を通った。


「待たれよ」


 ヒンデンブルクが修道女たちに声をかけた。


「こんな夜更けに何をされておる?」


 ヒンデンブルクが尋ねると、修道女の一人が言った。


「散歩です」

「何を申しておるか」

「……ヒンデンブルクよ、仕事熱心なのは良いが、見逃してくれませぬか」


 もう一人の目深にフードを被っている侍女が澄み切った美しい声で答えた。

 ヒンデンブルクがあっけにとられていると、修道女二人は仲良く立ち去った。


 ヒンデンブルクは、煤けた臭いの残り香を感じた。

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