第十話 皇后が気を配ること
プロローグの続きです。
第一皇女ユーリア、ブルグントにおける唯一の殿下の私室に様子を見に行ったユラン伯に、皇后ヘレーネは報告を促した。
皇后ヘレーネは、私室の長椅子に足を延ばして座っていた。庶民では手が届かない、円をつなぎ合わせたような模様の窓ガラスから、皇后に朝日が落ちていた。
皇后は、群青色のローブを身に纏っていたが、ベルトは余裕をもって緩く巻かれている。
「皇女の様子はどうでしたか?」
皇后ヘレーネからは、娘を心配する気配は欠片もなかった。彼女には他に気を配ることがある。
「皇女殿下は、寝室で休まれているそうです。毒見係がたちまち亡くなるほどの毒です。それは大きな衝撃だったのでしょう」
「そう、では、後ほど見舞おうとしましょう」
ヘレーネは、澄み切った美しい声で言い、下腹部をそっと撫でた。
皇太子エーミールの死から半年ほどが経ち、宮廷は空位となった皇太子の位がどうなるか、と騒めいていた。
そもそも、神聖イリア帝国の帝位は、世襲制ではなかった。
ホーエンシュタウフェン家の世襲じみた継承は、皇帝マクシミリアンの父であるフリードリヒがたまたま祭り上げられてのことだった。
彼はたまたま長命を保ち、ライバルが死に絶え、円滑に息子であるマクシミリアンに継承させることができた。
皇帝には次期皇太子――一般的にはイリア王と呼んでいた――の任命権があった。本来であれば、エーミールが健在ならば、マクシミリアンは彼を任命する予定だったのだ。
だが、エーミールは薨御した。
残された子どもは、皇女ユーリアと庶子であるケルンテン公ニコラウスだけである。
継承するには、二人は立場が弱く、他家がイリア王に名乗りを上げ、選帝侯七人の承認を得て即位を企てるのも時間の問題であった。
皇帝マクシミリアンは、自身の子にイリア王を継がせたい。皇后ヘレーネは自身の子をイリア王にしたい。
イリア王継承において、皇帝と皇后の思惑は一致しない。
ただ、それも数か月前までの話だった。
今、皇后は懐妊していた。だが、それは皇后の周囲と皇帝しか知らぬ事実だった。
ケルンテン公側に漏れることになれば、確実に火種が生まれる。
ユラン伯は、皇后の下腹部を庇う仕草を見ていた。
皇后は三十四歳で、まるで二十代のような若さと美貌を誇っていた。ブルグントに嫁いで、ほぼ毎年のように懐妊しているというのに、彼女の容色は衰えることを知らない。
「皇后陛下、ご懐妊とはいえ、まだ皇女殿下はイリア王の候補の一人でございますし、例え、イリア王にならずとも、婚姻政策の要となる方でございます。此度の件で、皇女殿下は傷を負われました。すぐにでもお顔を見せられ、ご安心させることも肝心でございましょう」
ユラン伯の進言に、ヘレーネは空色の目を細めた。
「我が娘を気遣ってくれるとは。そなたはお優しいのですね。今、そなたが気にすべきは、これから生まれるこの子です」
皇后の私室に、ヘレーネの冷たい言葉が響いた。
「……申し訳ございません、陛下」
「ですが、そなたの言にも一理あります。ポーリーヌを先に見舞わせましょう」
ポーリーヌとは、ヘレーネ付きのアルジャン人侍女であった。彼女は、ユーリアの侍女、ナタリー・ド・ヴィッテルの従姉にあたる。
ポーリーヌは、その日の夕刻にユーリアを訪ねた。
ポーリーヌによれば、皇女はつつがなく過ごしていた、ということだった。
中世ヨーロッパでは、子どもは小さな大人として考えられていました。
現代の子どもは庇護すべきものという考えは薄いです。




