第9話「研修」~眼鏡で捉え、線に刻む~
本作『描線眼鏡 または師匠の異常な情熱』は、想像力で武器を描き出し、眼鏡を通して“見える世界”と戦う、そんな物語です。
漫画スタジオを舞台に、日常と非日常が交錯する──
青春・バトル・SF、そしてちょっとだけ陰謀めいた物語を、
楽しんでいただければ嬉しいです。
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アツとキズナが奥で話している間に、全員出勤して、通常通り作業を開始していた。キズナが不在時にはケンが場を取り仕切るが、昨夜の出来事はスタジオの空気に影響していた。
いつものように机に向かっているはずのマナセが、何度も消しゴムを握り直している。サチハはペンを構えていたが、まだ一線も引いていないようだった。
2人がパーティションの奥から出てくると、瞬間皆の視線がアツに集まるが、誰も何も言い出せずにいた。
ケンが空気を読み声をかける。
「いや~キズナちゃんもアツも辛気臭い顔しなさんな。どーにかなるからさ。ってオレがどーにもなって無いんだけどさ。ま、いーか」
場の空気が緩み、マナセもランもサキもサチハも顔を見合せクスリとする。
「ケンさん、ありがとう。ワタシがどーにかします。加藤さんと研修に出ますんで、引き続きみんなは作業を続けてください」
とキズナが答えた。
*
アツがスタジオの出入り口で靴を履いていると、サキが横から声をかけてきた。
「私も同行します。シミュレーションと記録は私の担当ですので」
「サキ、ありがとう」
「えっ、あ……はい。よろしくお願いします」
「……このままでは赤点の可能性があります」
「……キツいな~」
「フォローする気はあります」
それはたぶん、サキなりの優しさなんだろう。たぶん。
スタジオを出ると、風の匂いが変わっていた。
午後の日差しはやわらかく、公園へと続く道には人の気配はほとんどない。郊外にある再開発地帯の一角。昼間でも少し静かすぎるくらいだった。
「この辺、開発は昔に済んで、現役住人は少ないです。公園もほぼ無人ですし、シミュレーションには最適です」
キズナが前を歩きながら説明する。サキはその後ろを機械的なテンポでついていく。
アツは二人の背中を見ながら、さっきまでの“講義”を反芻していた。
想像力、創造力、それが戦闘力になる世界。
銃より剣が強くて、現実じゃなくても命が懸かってて、それを“見る”には眼鏡が必要で。
(本当に、なんでオレここに居るんだろ……)
でも。
(昨日、逃げ出したオレに、キズナさんは……あんな顔、してくれた)
あの声が、背中に残っていた。
「戦って!」
*
「じゃあ、そろそろ“眼鏡”をかけてください」
そう告げたのはキズナだった。三人が到着した公園は、再開発エリアのはずれにある、小さな芝生の広場だった。遊具も少なく、子ども達の声も、日向ぼっこする老人達さえいない。平日の午後の誰も居ない空間。ただ冬の空気だけが澄んでいて、やけに静かだった。
「え……もう、かけちゃっていいの?」
「今日は感度を落としてあります。昨日みたいに視界がぐにゃりと歪むことはありません。安心してください」
「それ、なんかフラグ立ててませんか……」
アツは、キズナから手渡された“眼鏡”を見つめた。
金属フレームの端正な作り。右耳に小さなセンサーが突起し、ノーズパッドの裏には見慣れないパターンが刻まれている。普段、キズナやサキが装着しているそれと、ほとんど同じだった。
「……いくぞ」
小さく息を吐き、アツは眼鏡を装着した。
ぱちり。
音もなく、視界が切り替わる。
ノイズが走るわけでも、色調が変わるわけでもない。
ただ、ごくごく微かに、空気の“揺らぎ”のようなものが、アツの網膜に触れる。
「あれ……?」
「何か、見えましたか?」
サキがタブレットを手に訊く。
「いや……なんか、チラチラする? っていうか……影、みたいな?」
「感度はかなり絞ってあります。普通は、初回でこれだけ捉えるのは難しいのですが……」
サキがタブレットに何かをメモしている。キズナはアツの側まで歩み寄り、眼鏡の縁をそっと指でなぞった。
「昨日の設定を100とするなら、今は40程度です。でも、それでも見えるってことは……やっぱり、向いてるんでしょうね。こういうの」
「え、オレ……」
「ほら、意識して。現実を超えて世界を認識する力を。目で“見る”んじゃなくて、“捉える”ように。世界の違和感に触れるように、感覚を開いて」
(現実を超えて世界を…“捉える”……?)
アツは小さく首をかしげながら、もう一度辺りを見渡した。
すると、ほんの一瞬だけ――木々の間の空間が、ふわりと歪んだような気がした。
風かと思ったが、風の流れと違う方向。光の揺らぎとも違う、もっと……視線の裏側に触れてくるような、言いようのない感触。
「……わかんねぇけど、なんか……居そうな、気がする」
「それで充分です。あとは、それを“形”にしていけばいい」
キズナの声は落ち着いていて、どこか誇らしげだった。
「さあ、次は“実体化”の訓練です。スマートフォンか、タブレット。どちらでもいいので、あなたの“武器”を描いてみてください」
「……って言われてもな……」
アツは苦笑しながら、タブレットを開いた。すでにアプリはインストール済み。ホーム画面に現れた“Association/ToolKit”のアイコンをタップすると、シンプルなUIが立ち上がる。
“Create / Deploy / Loadout / Custom”
「なんか……RPGのメニュー画面みたいだな……」
「最初は“Create”から。描画して転送。それだけです」
「……ホントに、それだけで?」
アツは半信半疑で、タブレットにペンを走らせた。
が、線が定まらない。先端が震える。形にならない。なんだっけ、刀の持ち手ってこうだったか? あれ、反りってどっちだっけ?
「……アレ何か…全然上手く描けない」
「眼鏡で捉えたものを_____線に刻む。創造力は描写の上手さも大事だけど“意思”が問われるわ。あなたの中にある、最も強く、形にしたいモノを、線にしてください」
その言葉に、アツは一瞬、昨日の夜を思い出した。
魔の姿。
逃げた自分。
そして、叫んだキズナの声。
「……眼鏡で捉えたものを_____線に刻む」
アツはタブレットを閉じ、代わりに自分のスマホを取り出した。
昨日と同じように、画面に刀を描く。
想いだけじゃ駄目だ。
ただ上手く描くだけでも足りない。
アツは、自分の中にある“何か”を――刻みつけるように、ペンを走らせた。
最後に切っ先を描いた瞬間。
スマホの画面が一瞬、白く光った。
*
スマートフォンの画面が白く明滅したかと思うと、アツの手の中に、“それ”は出現していた。
重み。
冷たさ。
そして、手に吸い付くような質感。
刃渡り約70センチ。しなやかで力強い反り。鍔は小ぶりで、握りの部分は黒革で巻かれている。――紛れもない、「日本刀」だった。自分の手の中に“それ”が“在る”という事実に、喉が鳴った。けれど声にはならなかった。
「やっぱり、その武器ですね」
キズナが、すっと歩み寄りながら言った。
「ストック武器も使えますが、本当に大事な戦いの時は創作しかない。……刀は元々想いが乗りやすい武器ですが……加藤さんのその刀は」
アツは手にした刀をじっと見つめた。
「今まで歩んできた“想い”と“覚悟”が形になっているんです」
たしかに、これはただの武器じゃない。
「みんな、それぞれに合った武器を“描いてる”けど、ベースになる力は創造力。だからこの世界では、“ペン”が武器の媒体になるの」
「……この、太いタブペン……」
「そう。描いた線に想念が宿れば、それが“形”になる。登録済の“ストック武器”も使えるけど、やっぱり自分で描いた武器の方が圧倒的に強いわ」
「でも……さっき、アプリの中見たけど、めっちゃフォルダ多くないですか?」
「うん、ちょっとワタシの拘りというか、剣と刀は形態的に違うとか、時代や地域によって区分して整理すべきとか……」
「いや、拘りって大事ですよね」
ふっと笑い合う二人の前で、サキがタブレットを操作しながら口を挟んだ。
「ちなみに、ショートカット設定しておけば、描かなくても即呼び出せます」
「それ早く言ってよ!」
「ただし、ストック武器は描いた時から劣化が起きるので、特に使用頻度の高い武器には定期的な書き直し、または更なる創造を重ねたリファインが必須になります」
「それも“想念を通す”ってことか……」
アツは納得したように頷き、刀を持ち直した。
手に馴染む感触が、今度は確かなものとして伝わってくる。
ただの線じゃない。
ただの道具じゃない。
これは、“自分の中の何か”が形になったものだ。
「さて、それじゃあ……この刀で、少し動いてみましょうか」
キズナがふっと微笑んだ。
そして次の瞬間、サキのタブレット上で“演習プログラム”のウィンドウが開く。
「バトルシミュレーション、起動。投影対象:1体。出現座標、指定済」
「行きます」
公園の奥。芝生の広場に、黒い靄のような“魔”が、ふわりと出現した。
「昨日のとは違う……でも、あれが魔か……!」
アツが刀を構えた。
それは、ほんの数秒前まで、スマホの中に描かれていた線にすぎなかった。
だが今は、彼の意志を持って、目の前の“異物”に対峙していた。
*
その姿は、まるで黒い墨を水に垂らしたようだった。
空気中に浮かぶように、煙のように揺れながら、公園の芝生の先に“魔”が姿を現していた。
「あれなの……か?」
アツは小さく呟く。
初めて目にしたときと同じ――いや、より輪郭が明瞭だ。形があるようで、ない。中心があるようで、ない。けれど、ただそこに“在る”という実感だけは、確かにある。
手の中の日本刀が、微かに震えたように思えた。
「投影体、起動完了。動作開始まで10秒」
サキがタブレットを操作しながら、冷静に告げる。
その声に、キズナがアツの肩を軽く叩いた。
「大丈夫。これはあくまで演習。実体化はしてない。ただの仮想投影だから」
「……ただの、って言われても……」
アツの声はやや引きつっていた。
仮想空間だろうと、投影だろうと、それは“そこに居る”。
現に、自分の手には刀がある。もし自分が足を滑らせて転んでも、これは“現実”なのだ。
「まずは距離を詰めて。魔は“認識”されることで姿を保つ。その視線をぶらさないで」
「え、じゃあ、目を逸らすと……?」
「逃げ出すか、暴走するか、どっちか」
「冗談だよな……?」
「半分ね」
キズナがいたずらっぽく笑ったが、その瞳は真剣だった。
「あなたは、まだ“魔”の全貌を知らない。でも、それでいい。今は、刀を振って、前に出るだけでいい」
「……了解」
深呼吸。
心の中で、「怖い」という言葉をひとつ、飲み込んだ。
足を一歩、前に出す。
靴の裏が、芝をわずかに押し潰した音が、やけに耳に残った。
「動作開始。投影対象、移動開始」
サキの声と同時に、“魔”がふわりと浮かび上がるように動き始めた。
揺れる。揺れる。煙のようなその影は、ゆっくりと、けれど確実にアツへと向かってくる。
「来る……!」
アツは刀を構えた。けれど、その腕は、微かに震えていた。
キズナの声が背中に届く。
「思い出して、昨日の夜を。あなたは混乱したかもしれない、でも、その後に――戦ったじゃない」
「……!」
そうだ。あのとき、自分は戦い、魔を斬った。
無我夢中で、ただ「戦わなきゃ」と思って、刀を振った。
思い出せ、その時の感覚を。
「くるなよ……くるなよ……!」
心の中で呟きながら、目を逸らさず、視線を固定する。
そして――“魔”の影が目前に迫ったそのとき。
「せいっ!」
アツの体が、自然と動いていた。
日本刀の刃が、夜の空気を切り裂いた。
影の塊に触れた瞬間――「じゅっ」と、熱に焼かれるような音が響く。
“魔”は、煙のように弾けて散った。
数秒後、何もなかった芝生の地面が、静かにその姿を取り戻した。
「……やった、のか?」
アツはその場に立ち尽くしていた。
手にはまだ、日本刀の感触が残っていた。
「ナイス。きれいな一閃だった」
キズナが、ふっと微笑む。
「反応速度もいい。感覚的に動いてるけど、芯はブレてない。――ただ今のはあくまでシミュレーション。実戦は違うのは覚悟して欲しいんですが……実技演習に対しての合格点は出せます」
「え……ほんとに?」
「うん。というわけで」
キズナは、胸元のホルダーから何かを取り出した。
小さなカード状のプレート。それには、「準認可対象者」と書かれた印が刻まれていた。
「え、これって……」
「これは仮ライセンスです。あなたはまだ協会員じゃない。でも、現場での戦闘能力と、“意志”を確認できた。これがあれば、今後の出動に正式に参加できます」
「……!」
アツは受け取ったカードを、まじまじと見つめた。
そこに書かれた名前が、自分のものであることが、どこか信じられなかった。
(認められた……? オレが、ここにいても、いいってこと?)
「ただし」
横からサキが冷静に付け加える。
「これは“正式”ではありません。協会の内規に基づく、特例処置。あくまで、師匠の判断によるものです」
「……はい」
「だからこそ、今後はその分、倍以上の覚悟を持ってください。いいですね?」
その言葉に、アツはゆっくりと頷いた。
「……わかりました。ありがとうございます」
その姿を見て、キズナは小さく微笑んだ。
「ようこそ、“チームへ” 加藤さん」
彼はようやく、この世界の入口に、立ったのだ。
サキは……無意識に眼鏡を外して、ポシェットからウェスを取り出し、眼鏡を丁寧に拭きだしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
前回の「座学」に続いて、今回は実践「研修」アツがシミュレーションバトルに挑戦しました。
世界を捉える「眼鏡」と、世界に刻む「線」。
想像と創造、その間に立つ彼の成長を、丁寧に描いたつもりです。
次回は過去と現在が交差する「履歴」編へ──
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