第7話「戦闘」~Save your peace!~
本作『描線眼鏡 または師匠の異常な情熱』は、想像力で武器を描き出し、眼鏡を通して“見える世界”と戦う、そんな物語です。
漫画スタジオを舞台に、日常と非日常が交錯する──
青春・バトル・SF、そしてちょっとだけ陰謀めいた物語を、
楽しんでいただければ嬉しいです。
現在は毎週水曜・日曜の21:30更新を予定しています(※今週は月・水・金の特別更新)。
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壁際に設置されたコンソールから、甲高い電子音が響いた。
それは協会からの「任務要請通知」だった。
「やっぱり。要請通知ってことは近くね。気配から見て、時間的な余裕もあまり無い」
キズナが、ほとんど自動的に作業机の引き出しからあの“眼鏡”を取り出し皆に配り始めた。
スタジオの空気が、一変していた。
湧口マナセは、白縁の太い眼鏡を勢いよく外して、掛け替える。
「よ~し、大暴れするぞ!」
かと思えば、館山ランはノンフレームの洒落た眼鏡から、掛け変えて、鏡を覗き込むように言った。
「この眼鏡、ファッションとしてはイマイチよね……」
その奥で、盛沼サキは黙々とポシェットからウェスを取り出し、眼鏡を丁寧に拭いている。表情は冷静そのもので、そこにためらいはない。
村上サチハだけは、どこか所在なさげに、おずおずと眼鏡を持ち替えながら、キョロキョロと周囲を見回している。
そんな中、ひときわ落ち着いた声が空気を貫いた。
「予報地点までは、車で三十分前後。魔の現出はおそらく一時間以内。場所は河川敷です。準備を整えてください」
キズナが淡々と告げると、ケンがくるりと車の鍵を指に回しながら笑った。
「現場まではオレに任せな。準備、急いでよ」
*
アツがトイレから戻ると、そこにあったのは、まるで野戦本部のような光景だった。
「……え?」
思わず足が止まる。
……え、なにこれ。みるとケン以外の全員がキズナとサキがいつもかけている、あのゴツいメタルフレームの眼鏡に掛け変え、手には各々のタブレットと、面接の日に無理やり渡された無駄に太いタブペンを持ち、アツの事を待ち構えていた。
アツはまるで文化祭の仕込みに乗り遅れた新入生のように、状況の把握がまったくできていない。その混乱を見透かしたように、キズナが近づいてくる。そして手にした眼鏡を、アツの目の前に差し出した。
「加藤さん、これを。今すぐかけてください」
「え、ちょ、ちょっと待って、え?」
「時間がありません。説明は後です」
眼鏡は、アツの視界に押し込まれるように装着された。
──その瞬間。
視界が、ぐにゃりと歪んだ。
まるで水の中に投げ込まれたように、周囲が揺れ、光のノイズがチカチカと混ざり合い、見えないはずのものが見えてくるような──そんな錯覚、いや、錯視。
「な、なんだこれ……!」
膝が笑い、心臓が跳ねる。自分がどこにいるのか、一瞬わからなくなった。
「感度調整は移動中に行ってください。早く乗って!」
キズナに促されるまま、アツはわけもわからぬままケンのクルマ──ミニバンの後部座席へと押し込まれる。
その車の中で、戦闘への出動が、静かに、そして確実に進んでいた。
*
ケンのミニバンは、真冬の街を軽快に滑っていく。
フロントシートにはケンとキズナ。2列目にはマナセ、ラン、サキ。3列目、最後部にアツとサチハ。
言いようのない光景だった。
アツの隣ではサチハが静かに座っている。少しだけ震えているようにも見えるが、眼鏡の奥の目はどこか緊張感に満ちていた。
「……あの、えーと……これって……」
口を開いたアツに、サチハは曖昧な笑みを浮かべて返す。
「マンガのロケハン……みたいなものですよ。たぶん」
「……そんなワケないでしょ……!」
心の中で叫んだが、言葉にはならなかった。
*
1列目と2列目では状況の確認が続く。2列目中央のサキが自分の大きめのタブレットで、ダークマターの集積と運動をモニターしている。
「師匠、若干の渦巻き運動化が始まりました。収束予測時間・場所共に当初予測からの変異2%以内です」
マナセからは「湿度の乱高下が始まっています。風向き・風速の突発性変化も観測」
ランからは「地磁気の揺らぎを確認、ニュートリノ振動も通常値の1000倍強を示しています」
普段聞かない科学用語の羅列が前列から聞こえてくる。それを真剣に分析するメンバーたち。
(なにこれ……なんなんだよ、ホントに……!)
眼鏡の視界には、遠くの街の明かりの隙間に、時折ゆらりと揺れる影のような“何か”が見える気がした。影のようで、煙のようで、ノイズのようで、でもどこか“気配”だけが確かにそこにある。
(気のせい……なのか?)
気のせいにしたかった。
眼鏡の奥の世界が、現実なのだとしたら――何も知らなかった昨日までが、幻だった気さえする。
三十分程が経ち、クルマが目的地である郊外の河川敷に到着するころ、サキが「自由渦から強制渦への移行を確認、アラート圏内に入ります」と冷静ながらも強まった語気で皆に伝えた。
いよいよバトルフィールドに入ったのだ。
*
車を降りると、遠くの街の灯りがぼんやりと見え、その下に流れる川の水音が静かに響く。車内の緊迫した空気からは拍子抜けするような、のどかな光景だったが、皆の緊張感は変わらない。
より酷くなっていく目の前のノイズによろめきながら、3列目から抜け出したアツに、ケンが声をかける。
「アツ、オレが出来るのはここまでだ。お前の日本刀スゴいんだってな。チームの為に頑張ってくれよ」と背中をパンと叩いた。
気圧されて何も言えずにいるとキズナが続けた。
「現場に着きました。魔の出現は三十分以内。各員、システムリンクを開始してください」
キズナの指示が飛ぶと、全員が腰のペンを抜き、それぞれの手に掲げる。ケンは良く見ると愛用のデッサンエンピツだ。順に円を描くようにペンを重ねていく。
「キズナ!」
「ケン!」
「マナセ!」
「ラン!」
「サキ!」
「サチハ!」――。
最後、視線がアツに集まる。
「……えっ、オレ?」
「気合い入れは名前だよ名前」ケンがこっそり耳打ちする。
「あ、アツッ!」
妙に大きくなった声が夜空に響いた。
全員が、ペンを掲げて叫ぶ。
「Save your peace!」
一瞬だけ、風が吹いた。
何か冗談めいた儀式だったが、けれど今はこの一体感が、背中を押してくれる。
(わかってないけど……たぶん、逃げちゃいけないんだろうな)
アツは、ペンを握りしめた。
*
「それじゃ、各自サーチ開始!」
キズナの掛け声とともに、メンバーたちは一斉に散開した。
マナセはまっすぐ前へ、斧を構えるイメージでペンを握りしめながら、小走りで先行していく。
ランは弓の構えをするように、指先を空にかざして風の流れを読んでいた。
サキはタブレットを構え、地形データと重力波分布を照合しながら、沈着冷静に周囲を観察している。
ケンは車の後方でドローンらしき物に小型カメラをセッティングしていたが、手慣れた様子で黙々と作業していた。
一方、アツとサチハは……ぽつんとその場に立ち尽くしていた。
「……で、えっと……オレたちは?」
「アッチに行けばいいんじゃないですか……?」サチハが指さした先は、やや斜面になった土手の向こう。
「いや、たぶんって……」
「……たぶんです」
根拠がないことだけは明らかだったが、アツも混乱したままそれに従い、ゆっくりと歩き出した。
(魔って……ホントに、出るのかよ……?)
歩くごとに、夜気が肺の奥まで染み込む。
ふと、足を止めたそのときだった。
――視界の端で、何かが「揺れた」。
気のせいかと思いきや、もう一度視線を戻すと、そこには何かが確かに“在った”。
まるで空間が歪んだような、黒い影の塊。
眼鏡を通して見るその存在は、物理的な質量を持っているようには見えない。ただ、禍々しい“意志”だけが、アツの全身を撫で回すように圧してくる。
「な、なに……あれ……」
喉がひゅっと狭まり、呼吸が浅くなる。
膝が、勝手に笑いだした。目を逸らしたいのに逸らせない。言葉を吐こうにも声にならない。
体が勝手に、後ずさる。
(これ……は……ダメだ!)
自分の意思とは関係なく、アツはその場から駆け出していた。
戦線を離れ、後方の土手を駆け下りる。どこに逃げようとしているのか、自分でもわからない。
ただ、その場にいたくなかった。ただ、恐ろしかった。
(オレ……逃げてる?)
どこかでそう思った。だけどもう止められなかった。
「……あの魔物、なんなんだよ……!」
そして気付く。
これは“物語”じゃない。現実だ。
誰かの作ったストーリーじゃない。自分の命が、今この場所で、危機に晒されている。
けれど――それは、アツだけではなかった。
*
「囲まれてる――?」
マナセが短く息を呑んだ。
河川敷に現れた“魔”は、アツが逃げたその直後、完全にその姿を現していた。
人型ではない。獣でも虫でもない。まるで複数の影が絡み合い、形を保とうとしているかのような、不定形な“塊”。
「サーチでは一体だったハズよ!」とサキが叫ぶ。
けれど、現実には魔の「余波」が土手沿いに拡がり、マナセの進路を狭めていた。
「ちょっ、誰か援護――!」
マナセが咄嗟に斧を振るおうとした、その瞬間。
「バシュッ!」
耳障りな炸裂音とともに、魔の背後に向けて、放たれる銃撃――。
「えっ……!? どこ、今の?」
サキの叫びと同時に、魔が身を翻し、マナセの側面を襲う。
「うわっ、囲まれた!」
マナセの声は驚きというよりも、苛立ちに近かった。
そして少し離れた位置で、銃を構えていたのは――サチハだった。
「ご、ごめんなさいっ……! 見えてた、ような気がして……!」
焦った様子で銃を持ち替えるサチハの手が震えている。
魔は確かに“そこ”に居た……のかもしれない。しかし、それが“正しく認識された”かどうかは――定かではなかった。
「サチハ、下がって!」
キズナの声が鋭く飛ぶ。
すでに彼女はペンを抜いていた。眼鏡の奥の瞳が、光を捉えるように細く鋭くなっている。
「マナセ、左から退いて! サキ、遮蔽のデータを共有して!」
次々と指示を飛ばし、キズナ自身が魔の目前まで跳び込む。
その動きはまるで、少女ではなかった。指揮官としての冷静さと、前線で戦う者の決断力を併せ持っていた
。
マナセが退き、魔の間合いが開いた。
キズナは、後方で震えていたアツの姿を、視界の端に捉えていた。
「加藤さん……!」
叫ぶ。その声には、命令よりも願いの色が強く乗っていた。
*
「……タブレットに、日本刀を描写して!」
アツの耳に、キズナの声が飛び込んでくる。
アツは皆が持っていたんで、何となく持ってきていたタブレットを取り出すが――何も起こらない。
「反応……しない!?」
え、なんで? キズナの声にも、動揺が混ざる。だが、すぐに言い直した。
「なら、スマホで! 加藤さん、あなたの“日本刀”で!」
手元のスマートフォンに、タブペンで日本刀の形を描き込んでいくが、恐怖もあって手元が覚束ない。
「一体どうすれば良いって言うんだよ!」
思わず口に出したアツに、一旦遠ざかっていた魔が急激に襲いかかってきた。
「ごちゃごちゃ言ってないで、戦って!」
あれ?戦ってって聞くの2回目だな?
この動作――以前どこかでやった。そうだ、面接のとき。
あの時と同じように、指先が感情と直結していく。
強く、確かに、「何かを斬りたい」という意志が宿る。
すると――スマホの画面が、一閃、白く光った。
アツの手元に、「刀」が、現れた。
「っしゃああああああ!」
咆哮とともに、アツは魔の懐に飛び込む。
頭ではなく、身体が反応していた。
刃が、空を裂き、魔の黒い塊に深く食い込む。
瞬間、魔は音もなく砕け散った。
霧のように消えていく虚影。そこには、何も残らなかった。
アツはその場に膝をつき、呼吸を整えながら地面に手をつく。
静寂が戻っていた。
「……な、なんだったんだ、今の……」
そんなアツの背に、キズナの影が差す。
「加藤さん」
その声は、どこか優しく、けれど責任を問うように。
「……やっぱり、よく分かってないですよね?」
アツは、顔を上げることができなかった。
そして――夜風が、静かに吹き抜けていった。
ご閲覧ありがとうございます!
第7話では、アツが初のチーム戦に巻き込まれます。
ペンと眼鏡で魔と戦う──その仕組みと想像力の意味が、少しずつ明らかになってきました。
タイトル「Save your peace!」は、直訳すれば「君の平和を守れ」ですが、
“自分の線で誰かを守れるか?”という問いでもあります。
またお分かりの方もいるかと思いますが、今日行われたあるイベントへのオマージュでもあります。
次回、第8話は「座学」編。やや落ち着いた回ですが、
この世界の仕組みと“描く力”について深掘りされていきます。
よろしければ次回もお付き合いください!