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第6話「不穏」~眼鏡がないのに見えるもの~

はじめまして、またはお久しぶりです。

本作『描線眼鏡 または師匠の異常な情熱』は、想像力で武器を描き出し、眼鏡を通して“見える世界”と戦う、そんな物語です。


漫画スタジオを舞台に、日常と非日常が交錯する──

青春・バトル・SF、そしてちょっとだけ陰謀めいた物語を、

楽しんでいただければ嬉しいです。


現在は毎週水曜・日曜の21:30更新を予定しています(※今週は月・水・金の特別更新)。

ブクマ・感想・評価など、応援いただけるととても励みになります!


「アタマ痛っ」


 飲み過ぎていた訳では無いが、さすがに初日の緊張感もあったのか、一度目のアラームでは起ききれなかった。

 布団で暫くグデグデしていると2度目のアラームが鳴る。そろそろ起きてスタジオに向かわないと。


 顔を洗ってSHAKA SHAKAして、一応サッパリしてから駅に向かったが、ホームでは柱に寄りかかるようにもたれてた。


 2度の乗り換えから目的の駅に向かう。下りで座れてホッとしたが、スマートフォンに表示された時刻を確認して、ため息をつく。駅からスタジオまでは徒歩二十分。この分だとギリギリだ。


 最近の電車は車内に多数のモニターがあり、幾つかニュースが流れていく。


「千葉県東方沖で、地磁気異常が観測。気象庁によると、地震との関連性は無いとしつつ、今後の推移を注視するとの事」


「NASAは新たに地球近傍を通過する小惑星『2024-KS1』を観測。過去の軌道分析によると、数千年以内に衝突する可能性がゼロではない」


 何だかな、と頭を振る。地磁気にせよ小惑星にせよ、自分には関係ないことのはずなんだけど、ニュースの一つひとつが、皮膚の表面をじりじりと焦がすような、嫌な感覚を残していく。


 階段を上り、駅を出ると冷たい風が顔を打った。澄んだ冬の空気。澄みすぎていて、肺の奥がきゅうと痛くなる。


「……家から原付で来るようにしようかな?でも東京だと直線距離近くても時間かかるんだよな。せめて駅とスタジオの間だけでもチャリ通にするか……駅に自転車置いとける場所無いかな?」


 そろそろ最後の坂道に差しかかる。


「うわ……今日も、ながっ……」


 *


 そして、ようやく到着したスタジオの扉を開けると——。


「おっはよーございまーす! アツくん、今日もよろしくねー!」


 ランの明るい声が迎えてくれた。


 ランの声は昨日と変わらなかったが、スタジオに足を踏み入れた瞬間、アツは圧倒される。


 広いとは言えない部屋。けれど、その空間を満たしている「密度」は異常だった。机、資料、トーン、液晶タブレット、段ボール、ペン立て、延長コード、コーヒーの空き缶、そして何より、張り詰めた集中と熱気。おそらく昨日は新人が初めて参加するとの事で、意図的に「密度」を緩めていたのだろう。


「うわ……」


 ぽつりと漏れた感想に、すぐさま声が返る。


「おはよう,加藤さん、遅くはないけど、もう始まってるから急いで準備してね」


 冷静な口調。盛沼サキだった。眼鏡をかけ、イヤホンを片耳だけに挿し、視線はタブレットから逸らさないまま。


「君の席、こっち。資料、昨日送ったやつは読んでるよね? 

今日は背景処理とデータ整理の補助を頼むから」


「は、はい! やります!」


 声を張ったものの、手元はおぼつかない。スタジオ入り2日目。ホントの仕事に携わるのは、今日が初めてなんだと痛感させられる。


「アツくん、ペンどこにあるか分かるー? あ、あった。これ貸すね!」


 明るいランは机の下から箱を引っ張り出し、鉛筆・定規・消しゴムを小皿にまとめて渡してくる。彼女は装飾や小物担当らしく、アクセサリーのラフを描いていた。線がすごく柔らかくて、でも個性的。


 一方、机の奥では湧口マナセが唸っていた。


「……あー、この斧の構え、どうすっかな……もっと破壊力重視で、ぐいっと!」


 赤と黒を基調にした色ラフ。色指定にスピードと大胆さが光る。ひとたび集中すると、その場の空気が変わるほどの迫力がある。


「ええと、これをここに……あっ」


 アツはPDFで送られていた背景資料をプリントしようとして、紙を逆にセットしてしまった。


 ガガガ、と鳴るプリンター。


「すみませっ、あれっ、止まらない……!」


「うわ、それ裏表逆だよ、アツ!」


 叫んだのは、サチハ。彼女もまだ新人。資料整理を任されたはずが、書類を落としてページ順をめちゃくちゃにしてしまっていた。


「やば……どっちがどっちか分からない……」


 半泣きのサチハと、テンパるアツ。空気が微妙に張り詰めかけたところで——


「まあまあ、最初はそんなもんでしょ」


 重い段ボールを片手で持ち上げながら、上迫ケンが入ってきた。パーカー姿にキャップをカブって、ニヤリと笑う。


「気にすんなアツ。俺も最初、仕上げミスって原稿3ページダメにしたことあっから」


「え、それって……」


「まだデジタルじゃなかった時代の話だけどなー。しかもペン入れ済み。泣いたよ? もう3日徹夜だったからさ!」


 そう言って豪快に笑う。ランが「ケンさん、それ自爆じゃん!」と突っ込み、マナセも「それ、聞いたことあるわ……」とぽそり。


 空気が、すっと柔らかくなった。


 アツも、サチハも、小さく笑った。


 仕事は失敗だらけで始まった。けれど——誰一人、それを責める者はいない。

 キズナはまだ来ていないらしい。後で集談館の編集者と一緒に来るそうだ。


 *


「みんな、お疲れさま」


 声とともに扉が開きキズナが来た。と、同時にカジュアルなシャツにジャケット、メッセンジャーバッグを片肩に下げた、背が高く細身だが丸顔の男性が入ってきた。


「イヤイヤ皆さん。先生借りてて、悪かったね。今、ちょっと編集部で別件巻き込まれてさ……あ、多分弁当、届いてるハズなんだけど?」


 入ってきたのは、エリック・フクハラという「週刊コスモス」編集部のキズナの担当編集者で。イギリスにもルーツを持つハーフ。英仏独西語に、中国語は北京語と広東語を使い分けるそうだ。


「今回はまだ進行余裕あるけどさ、年末進行だった読み切りの時、スタッフみんなして消えて、ギリギリなってたりしたからね。ちゃんと余裕持って進めましょ。僕の心臓にも悪いから」

「すいません。色々と事情はあるんですが……」


「うん、まあ。でも結果的には良かったですよ。アンケも売り上げも好評だったし」


 その時、扉が開いて、ケンが台車を押して戻ってきた。


「おー、来てる来てる。で、これさ、マジで仕出し弁当?」


 ケンが笑いかけると、フクハラは「そう、僕の差し入れ__って経費だけど。社長が戸隠先生の所は、特別な配慮をしてくれって直々にさ_豪華な仕出しだよね。今日は。豚角煮、鮭の幽庵焼き、煮物、あと……なんだっけ、あの、ローストビーフの小鉢?」などと食事のメニューの解説を始めた。


「入社前の社長面接以来、社内で社長に会うことなんてほとんど無かったけどさ。キズナさんの担当についてからチョコチョコと__何かしら事情がある事は分かるんだけどさ、それ以上は僕には何とも。まぁね。あの人、妙な勘が鋭いし。戸隠先生——キズナさんのこと、何か特別に見てるのは間違い無いね」


「うわ、マジで本気のやつじゃん。カメラ撮っとこ」


 ケンがスマホを向けると、奥でランが「ちょ、ケンさん、後でSNS載せるのやめてね!」と叫ぶ。


 *


 食事をしていると、たまたま隣の席になったフクハラさんが話しかけてきた。


「君は新人アシスタントの加藤アツ君だよね?何か北海道の出身だとか。僕は世界あちこち廻って来たけど、ルーツは北海道なんだ。」


 丸顔に厚い唇とやや垂れた目が印象的だが、絶妙なバランスでイケメン感を醸し出している。


「北海道はこの時期ホントに寒いよね~。あ、でもどの家でも窓や暖房がしっかりしているから、室内だと東京の方が寒かったりするよね」


 などと親しく話しかけてきた。なぜ新人アシスタントを詳しく知っているのだろうと疑問に思ったが、スタジオの仲間達といい、初対面なのに直ぐに受け入れてくれた感覚が嬉しい。オレはフクハラさんにどんな国に行った事があるのか聞き、自然に会話は弾んでいった。


 食事も終わりかけ、流れでフクハラさんが、「そう言えば君、正月の羽田の事故の時に事故にあった飛行機に乗ってたんだよね?どんな状況だった?」と聞いてきた。


 すると、和やかに食事が進んでいた場の空気が、一瞬固まった。


 変化を感じて、無意識にキズナさんに目をやると、明らかに動揺を隠せずに、目を伏せ唇を噛んでいる。


「いや~フクハラさん、みんなも食事終わりだよね。片付けちゃって午後の仕事に移ろうぜ。あ、糖分と塩分はオレが用意しているからさ」何かしら焦った感じで、ケンさんが急に席を立ち、食事会は唐突にお開きとなった


「じゃ、僕はこれで。あとは例の通り、チャットに送っときます」


 去っていく編集者の背を見送りながら、キズナは深く椅子に座りなおし、羽田の事故の日を思い起こしていた。


 このスタジオ、この漫画、そしてこの世界——。


 不意に、誰かが見ている。そんな気配が、ほんの少しだけ、確かにしていた。


 *


 同日 「週刊文潮」編集部


「野田さ〜ん、先日の羽田事故の取材ありがとうございました。衝突直後に機体が炎上し始めてから、乗客のシューターでの脱出や、避難してきた乗客へのインタビューまで収めた動画、3日で「Web文潮」の歴代最多再生数更新して伸び続けて、お陰で本誌も昨年の最高実売超えましたよ」と、「週刊文潮」のデスク氏が、フリーの契約記者、野田三郎に話しかける。


「いや〜タマタマ現場に居ただけだよ。……まぁ運も実力のウチではあるがね」と髭面を撫でながら云い、「コレを機に俺の実力を再認識して、多少は持ち込みを載せてくれたらと思うが」

 と続けた。


 デスク氏は野田が過去に持ち込んできた、くだらないゴシップや陰謀論を思い起こし、鼻白んだが「今回社員なら社長賞モノだったのは事実ですし、力のある企画なら何時でも歓迎ですよ」と答えた。


 野田は席を移し、今週号の「週刊文潮」の早刷りに目を通す。


「今週はタイした記事はねぇなぁ〜、なら俺の持ち込み載せろよ」ひとりごちながら、パラパラと誌面をめくっていった。


 そう言えば羽田事故の日、空港に居たのは事実だが、いち早く事故に気付き動画を撮り出したのは、あそこに居た多動症か何かの少女が、滑走路に目を向けさせてくれたからだった。


「可愛らしい娘だったのに可哀そうに…まあ、ああいう子が視野中のちょっとした変化に気付いたり、…見えちゃいけないモノが見えたりするのかな?」


 一つの記事に目が止まる。「今週の人 ~漫画家 戸隠キズナさん~」戸隠さんは16歳の女子高生。高校は通信制にしてマンガ制作にかける」


「マンガね~若い頃は読んだが最近は読まんな。16歳のお子ちゃま漫画家か」


 ふと既視感を感じて、記事中の写真とプロフィールに目を遣る。


 戸隠キズナ ー 科学漫画協会新人賞を受賞。「週刊コスモス」にて連載開始予定の新進気鋭の漫画家


 科学漫画協会、科学漫画協会確かあそこは……


 野田は慌てて過去の取材ノートをひっくり返し始めた。


「あそこは……何かある……?」


 *


 その日は、冬晴れだった。


 昼過ぎ、スタジオでは黙々と作業が続いていた。トーンを貼る音、ペン先が紙を擦る音、ホッチキスの乾いた音。まるで機械のように、各人が役割を果たしている。


 湧口マナセは、巨大な集中線を定規で引き終えたところでふっと手を止めた。周囲を一瞥すると、誰もが作業に没頭している。静かだ。静かすぎる。


 その頃、盛沼サキは背景のパースをチェックしていたが、ふとペン先を止めた。


「Wi-Fi、切れた?」


 全員の視線が一瞬そちらに向く。サキは眉をしかめてルーターを確認しに立ち上がる。


「一時的な電波障害っぽいわ……。天気も悪くないのに、珍しい」


「今朝、ニュースで見たよ」ランが言う。「千葉で地磁気異常が観測されたとか。小惑星が近づいてるとか」


「それ関係ある?」


 そのとき、プリンターが突然止まった。


 アツがインク交換を頼まれて作業していたが、機械の液晶が真っ黒になったままうんともすんとも言わない。


「えっと……壊れた?」


「電源周り見て」マナセが言う。


「抜けてないです。ていうか、蛍光灯……チカチカしてません?」


 全員が天井を見上げる。


 蛍光灯が、確かに一瞬だけ点滅した。その後すぐに元の明るさに戻ったが、微かな、しかし妙に耳につく“低いノイズ”がスタジオの奥から響いていた。換気扇のような、機械の唸りにも似た音。


「サチハちゃん?」


 ランが隅の方で黙って作業していたサチハに声をかける。

「……さっきから、目がチカチカします」

 サチハは机に伏せるようにして答えた。手がかすかに震えている。


「大丈夫? 体調悪い?」


「なんか……わかんないです。頭の中で何かがざわざわして……。ちょっとだけ、休みます」


 キズナが椅子を引き、サチハの肩に手を置いた。


「奥に仮眠室があるから少し寝てて。ランラン、村上さんを連れていってあげて」


「了解」


 ランが軽く頷き、サチハの肩を支える。


 その背中を見送りながら、キズナの指がふと眼鏡の縁を触った。

 違和感は確かにあった、のだが眼鏡を通した視界でも何も見えない。


「思い過ごしなら良いのだけど」


 キズナは無意識に拳を握り締めていた。


 *


 夜になった。


 作業はひと段落し、スタジオには穏やかな空気が流れていた。


 湧口マナセが猫背で伸びをする。「ふあ〜……線画、ここまでいけたら今日は上出来かな」


 館山ランが「お疲れさま〜」とぬるい缶コーヒーを差し出す。


 盛沼サキは書き出しが終わったデータをUSBにまとめている。


 一方、仮眠室でしばらく休んでいた村上サチハがリビングスペースに顔を出した。


「……みなさん、すいませんでした」


「まあ、そういう日もあるよ。気にしなさんな。でも、もうちょいでみな帰るよ」上迫ケンが振り向いて微笑む。「体、大丈夫?」


「うん……いや。ううん。なんか変なんです」


 サチハの顔は青白く、普段の人懐こい表情は消えていた。


「何かが、近づいてる……気がします」


「何かが見えるの?」とラン。


「わかりません。何か見える訳じゃ無いんです。でも、音がするんです。……心の奥の方で、変な音が」


 サチハの声に、ふとスタジオの空気が重くなる。誰もが息を潜めた。


「――見える」


 キズナが呟いた。さっきまで床を見つめて黙っていた彼女が、ふいに立ち上がる。


「まだ注意報も出て無いし、わからないけど__でも、多分、予感じゃない。“兆し”がある」


 沈黙。誰もが何かを飲み込むように目を伏せる。


 アツは黙って立ち尽くしていたが、ふいに顔をしかめ、腹を押さえた。


「……うっ」


「アツくん?」


 マナセが声を上げるより早く、アツは駆け出していた。スタジオ奥のトイレへと。


 戸が閉まる音と同時に、嗚咽のような水音が響く。


「体調、崩した……?」サチハが心配そうに言う。


「いや……あれは」


 キズナが小さく首を振った。


 (反応してる?眼鏡も付けてない加藤さんが……?)


 水音の奥、ドアの向こうに、ただならぬ“何か”が芽吹いているような気配があった。

 まるで、アツの身体が、呼応しているかのように。






お読みいただき、ありがとうございます!


今回は「眼鏡がないのに、見えてしまったもの」をテーマに、スタジオでの日常に忍び寄る“異変”を描いてみました。

アツとサチハ、ふたりの感受性の違いが浮かび上がってきた回でもあります。


また、最後に出てくる“あの警告”が、次回から始まる実戦の予兆となっています。

ここから少しずつ、物語が動き始めます──。


次回もどうぞよろしくお願いします!


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