第25話「醜聞」~ペンに晒された眼鏡~
本作『描線眼鏡 または師匠の異常な情熱』は、想像力で武器を描き出し、眼鏡を通して“見える世界”と戦う、そんな物語です。
漫画スタジオを舞台に、日常と非日常が交錯する──
青春・バトル・SF、そしてちょっとだけ陰謀めいた物語を、楽しんでいただければ嬉しいです。
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昼下がりのスタジオには、ペンとデジタルの線が交差していた。原稿用紙に描かれた人物の瞳と、液晶タブレットの画面に並ぶセリフの枠。物語の空気が、空調の風とは違う熱を孕んで漂っている。
その静けさを破ったのは、コーヒーの香りとともに現れた来訪者の声だった。
「この前の授賞式の時以来、日月理事らがキズナの漫画を修正させようと、集談館の上層部に掛け合っているらしい」
星野トシロウは、淡々とした口調の奥に、僅かな懸念を滲ませていた。
「現状、コスモスの編集部で止まっているらしいが……」
「アタシも集談館で聞いてきたわ」
ソファに腰掛けた上青石萌音が、脚を組み直して続けた。
「修正どころか、日月のやつ、キズニャの漫画を止めさせようと動いてるわけよ」
「……そうなんですか」
ペン先を止めたキズナが、視線を落としながら呟いた。
「ワタシは真実に近い姿を物語を通して描いて、魔やそれが人間の心の闇から生まれてくる事を知って欲しい……」
星野は、少しだけ肩を揺らして微笑む。
「僕も君の意見には賛成だよ。でも伝え方を考えていかないと、今の人たちがそれを受け入れられるとは限らない」
そして、ゆっくりと眼鏡を持ち上げて続ける。
「日月理事の“情報は管理すべき”という理屈も、ある意味では理解できる。あの人も、漫画でも魔との戦いでも、立派な実績を上げてきた人なんだ」
その言葉に、上青石がピシャリと割り込んだ。
「トシさん。日月は、協会が力をつけていくにつれて、権力を守ることに執着するようになったと思う。今度の件だって、官僚と手を組んで既得権益を守ろうとしてるだけよ」
「……現状、協会の笹森会長も表現の自由は守る立場だ。先日の科学特集も、会長やYAHOがキズナを信頼しているからこそ、生まれた企画だ」
星野は、窓の外に目をやりながら言葉を継ぐ。
「ただ、保守派は官僚とつながっている。これからも、何らかの圧力がかかるかもしれない」
「油断は禁物よ。あの手の連中は、こっちが気づかないところから崩してくる」
上青石が言い終えるより早く、ピピッ――。スマホが短く警告音を発し、ほぼ同時に、壁の大型モニターに赤いアラートが点滅して部屋に低く響く電子音が鳴った。
《Priority Alert/警戒レベル:SSR 級》
《発生地点:羽田空港近辺/ターゲット半径500m±50m》 《予測時間:+00:90:00±10:00》
「羽田でSSR……まさか、また墜魔が」
キズナの声に、スタジオの空気が一瞬にして張り詰めた。
「キズナ、行けるのか!」
星野が立ち上がる。
「行けます、ワタシたちなら! 全員、出動準備!」
キズナは原稿ファイルを即座に保存し、ペンを置いて立ち上がった。
戦闘の時間だ。
*
東京湾から吹きつける潮風に煽られながら、7人を乗せたケンのバンが羽田空港第2ターミナルの立体駐車場に滑り込む。陽射しは強く、空港そのものはあくまで通常運行中。滑走路に異常の兆しは見られない。
構内アナウンスと人波をすり抜け、エレベーターで上階へ。荷物チェックを避けるため、展望フロアの裏手にある関係者用搬入口を通って屋上に出た。空港関係者の姿はない。
そのときだった。
全員の眼鏡に、ほぼ同時に警告表示が浮かび上がる。
《危険度=SSR》
《ターゲットレンジ=800m±80m》
《方角=北東》
《予測時間=+00.06.00±10.25s》
キズナが眼鏡越しに北東の空域を見やる。確かに、雲の切れ間に揺らぎのような黒い斑点があった。まだ距離はあるが、間違いない――墜魔だ。
「……滑走路と駐機場には入れない。ここから狙撃で落とすしかないわね」
メンバーたちは頷いた。機体への近接は不可能。ゆえに精密な遠距離攻撃が求められる。まだ数分の猶予がある。
「全員、創作武器の描画から始めて。図形変換は個別送信。確認取れたらペンへ転送して」
キズナが指示を飛ばすと、各自がすばやくタブレットやスマホを取り出し、液晶に向き合った。画面上に自分の武器の設計図を描いていく。
キズナ自身は、迷いなく余計な装飾を省いた精密狙撃銃を即座に描く。直線のみで構成された無駄のない構造。転送ボタンを押すと、眼鏡越しに青白いエフェクトとともに想像の狙撃銃が仮想空間に浮かび上がる。
マナセは、大型のライフルをじっくりと描き込んでいた。機関部に反動緩衝用の構造を加え、銃床は肩への安定固定用に湾曲させてある。変換は成功、ペンへもスムーズに転送。
サキは精密な観測装置を内蔵したスナイパーライフルを、デジタル画面上で一線一線慎重に仕上げていく。コンマ秒単位の調整を想定している彼女の性格がにじむような精密な構造体だ。
ランはクロスボウの意匠を活かしたライフルを構築していた。弓の美しさを残したボディラインと、木目調のテクスチャを意識したカラー設計。彼女は転送ボタンを押すと同時に、満足げな微笑みを浮かべた。
サチハは魔の直接認識が出来ない為、狙撃は諦め、周辺の小魔制圧の為に面制圧兵器を描く。デフォルメ気味の描線ながら、ショットガンと軽機関銃を同時に設計。転送段階で構成認識不可の警告が出たが即座に修正、彼女は舌を出して笑い飛ばした。
そしてアツ――彼だけが、画面の上でペンを止めていた。
(銃……? 練習はしていたけど、これは……)
画面に描かれたスケッチはどこか不格好だった。自分の意匠として日本刀の味を加えようと持ち手に鍔をかけたが、大きすぎて銃口と干渉しそうだし、引き金の周囲も妙に華奢だ。だが、失敗とは言えない。認識警告は出たが修正を経て、“fail”ではなく、“good”と表示された。設計に問題はなく、戦闘許容ラインにあるということだ。
「いけ……!」
アツは呼吸を整えて転送ボタンを押した。次の瞬間、蒼白い粒子が彼の前に集まり、銃の形へと再構築される。
鍔の名残を残した不格好な狙撃銃。だが彼にとって、それは間違いなく自分の武器だった。
*
「来る!」
サキがスコープ越しに声を上げた。遠方、黒い影が雲の切れ間を割って現れる。まるで降り注ぐ稲妻の残響のように、空気が静かに鳴っていた。
理論上最初の一撃が最も威力が高い。しかし魔の実体化後タイミングを間違えると不可逆的な事故に繋がる。
「距離500……400……。着弾予測範囲に入る!」
「全員、射撃開始!」
キズナの号令が飛ぶ。6人の描線銃が一斉に射撃される。ケンは祈るように皆を見つめている。
仮想空間に閃光が走る。銃弾は精密に虚空を撃ち抜き、魔の身体に着弾していく。
だが、墜魔は止まらない。
その背後には2機の旅客機がタキシング中。咄嗟の制動が間に合わず、翼端同士が軽く接触する。
ギギィ――ッ!
金属音が空気を裂いた。
「止まれッ!」
キズナが狙撃体勢を変え、わずかな時間軸の隙を突いて引き金を引いた。
銀色の軌跡が魔の額を貫き、瘴気の本体が空中で霧散した。
機体は寸前で停止し、火災も爆発も起こらない。乗客の安全灯がかすかに点灯していた。
「ギリギリだな……。あと数秒遅ければ……」
マナセが低く呟いた。
撃退は何とか成功したが、鳴り出したサイレンと駆け出す地上要員達が事の重大性を物語っている。安堵と緊張が入り混じったまま、7人はまだ沈黙の中に立ち尽くしていた。
*
同日。野田三郎もまた羽田空港に居た。
到着ロビーの片隅、整備エリアへと続く通用口前で、野田は記者証を見せてから、低く一礼した。
年始の事故から数ヶ月が経っていたが、野田はあの日見掛けた少女とその背後を追って取材を重ねて来た。
今日は当時の現場で何が起こったのかを探るために、空港関係者への聞き取りに脚を運ぶ。
「……あの日? んー、特に変わったことは……」
作業服姿の整備士は曖昧に首をひねる。
「強いて言えば、妙に耳鳴りがしたっつーか……あ、あとで『事故が起きた』ってニュース見てびっくりしたくらいですね」
野田は手帳にメモをとりながら、ふと周囲に目を向けた。
(……空気が、重い。まるでどこかで誰かがこちらを見ているような)
妙な胸騒ぎに導かれるように、彼は足を滑走路側へと運んだ。ターミナルビルの向こうに見える建屋群。空港全体が平常に戻っているように見えたが、空気だけが澱んでいるような違和感があった。
ふとターミナルビルの屋上に人影らしきモノが見える事に気付く。野田はバッグから望遠レンズ付きの一眼カメラを取り出し、ビルの屋上方向を覗き込んだ。
――いた。
数百メートル離れたターミナルの屋上。高いフェンスの向こう、明らかに一般客ではない数人が地面に構え、何かを手にしている。
(……あれは、銃? いや、そんなはずは……)
姿勢は膝立ちのニーリングで狙撃体勢そのものに見える。
望遠レンズ越しに、ひときわ目立つ赤いスカーフのようなものを身につけた少女が、真っ直ぐに何かを見据えていた。彼女の隣には、何かを描くような動きから、膝立ちに変わる若者達も見える。
その少女は野田が数ヶ月をかけて追ってきた存在──戸隠キズナに相違無かった。
シャッター音が、乾いた音を立てて切られる。
数枚の写真を収めながら、野田はしばしファインダーから目を離さなかった。
正月の偶然が今では必然に、確かに変わっている。
(よく言うだろ。犯人は現場に戻るって……)
彼はそっとレンズを外し、視線を落とした。
その瞬間遠目に飛行機同士が接触し、サイレンが鳴り出し、地上要員達がワラワラと掛け惑う姿も見えた。
写真を撮ることは大切だ。だが、「書くこと」こそが、自分のすべき仕事だ。
胸の奥に沈む不確かな違和感は、そのまま言葉にするにはまだ遠い。しかし、すでに「何か」が蠢いているという確信は、野田の中で形を取り始めていた。
*
静かな午後。キズナのスタジオでは、鉛筆とデジタルペンの音が交錯し、いつもと変わらぬ制作作業が進んでいた。
窓の外には初夏の光がちらちらと揺れ、エアコンの静かな駆動音とともに、控えめな緊張感が漂っている。
アツはトーン処理に集中しており、マナセは背景の線画を整理していた。ランはアクセサリーのディテールに、サキは建物の遠近調整にそれぞれ取り組んでいる。サチハはクリンナップの補助をしながら、ときおりキズナのタブレットを覗き込んでいた。
その穏やかな空気を破るように、ドアが勢いよく開いた。
「すみません、ちょっといいかいっ!」
息を切らしながら入ってきたのは、担当編集のエリック・フクハラだった。Yシャツの襟元には汗がにじみ、手には何やら印刷物の束が握られている。
「どうしました? そんなに慌てて……」キズナがペンを置き、椅子を回す。
「ヤバいかもしれない、っていうか……ヤバいと思う。まだ確定情報ってわけじゃないんだけど『文潮砲』……明日の『週刊文潮』にキズナさんたちの記事が出るらしいんだ」
スタジオの空気が、ふっと止まった。
「……オレたちの?」アツが、思わずペンを握り直した。
「どういう内容?」マナセが顔を上げる。
フクハラは資料の一部を机に置きながら、やや言いにくそうに続けた。
「年始の羽田の大事故のことと、こないだのやっぱり羽田の小さな航空機接触事故……あれを絡めた内容みたいなんだど……。タイトルまでは分から無いけど、ウチの編集部が文潮の筋から聞いたって。他の週刊誌や新聞の記者達も追っかけで裏取りに入ったとか」
誰も言葉を続けない。
キズナは、静かに息を吸った。
「……ありがとうございます。先に知れてよかったです」
「ええ、正直こういうのって、掲載されてからじゃ遅いですから。一応誌面をチェックしたらまた連絡します」
フクハラはそう告げると、急ぎ足でスタジオを後にした。
扉が閉まったあと、誰からともなく静寂が戻る。
まだ記事は公になっていない。SNSも動いていない。それでも、その“前兆”だけで、胸の奥にざらつくような違和感が沈殿していく。
サチハが、そっと口を開いた。
「……この前のこと、誰か見てたのかな」
誰も答えなかった。原稿の進行状況は順調だったが、背後に迫る影のようなものが、全員の気配を曇らせていた。
*
翌朝
朝の駅構内は、通勤ラッシュで人の流れを増していた。
ポスター掲示板の一角に貼られた週刊誌の最新号を告げる広告が、何気なく視線を引く。
『週刊文潮 最新号 本日発売』
その中央に踊る太字の見出しが、確かな存在感を放っていた。
《羽田空港事故に潜む真相――協会と企業、そして「線」を描く者たち》
広告の前に立ち止まったのは、黒いリュックを肩にかけた男――野田だった。目元には薄い疲労の影が浮かんでいるが、その視線は見出しから離れなかった。
どこか満足げなようでもあり、同時に自嘲にも似た諦念を含んだようでもあり。
「俺は正義感でこれをやってたのか? それとも……ただ、知りたかっただけなのか……動機が、動機だけが掴めなかった。あらゆる証拠が戸隠キズナと協会が事故に関わっている事を示しているんだが……」
小さく呟いたその声は、雑踏の中にすぐ掻き消えた。
そして彼は、何事もなかったかのように足早に人波へと紛れていく。
駅には雑誌の山が並び、街にはまだ知られざる戦いの余波が静かに広がり始めていた──。
本日、『描線眼鏡 または師匠の異常な情熱』の第25話「醜聞」~ペンに晒された眼鏡~を公開しました。
協会での策謀が告げられた日、再び羽田に襲いかかる墜魔。
チームは懸命の狙撃で迎え撃つが、それを目撃していたのは?
『描線眼鏡 または師匠の異常な情熱』
次回最終回 第26話「打切」____。




