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第24話「扇動」~消された線と見えすぎた少女~

本作『描線眼鏡 または師匠の異常な情熱』は、想像力で武器を描き出し、眼鏡を通して“見える世界”と戦う、そんな物語です。


漫画スタジオを舞台に、日常と非日常が交錯する──


青春・バトル・SF、そしてちょっとだけ陰謀めいた物語を、


楽しんでいただければ嬉しいです。


現在は毎週水曜・日曜の21:30更新を予定しています。


ブクマ・感想・評価など、応援いただけるととても励みになります!


 平日の午前十一時過ぎ。

 虎ノ門ヒルズ駅を降りた先、日本科学漫画協会の本部ビルの前に、野田三郎は立っていた。


 前回の訪問は冬の日の事だったが、既に季節は初夏を思わせていた。洗練された近代建築の中のレトロなロビーをくぐるが、冬の日に居なかったはずの警備員が玄関脇に立ち、一般の来訪者をどこか無言で制するような空気が漂っていた。


「──ずいぶんと、守りが固いですね……」


 野田は胸ポケットのボイスレコーダーを軽く押してから、受付へと向かった。「週刊文潮」の記者章だけ首からぶら下げていたがアポは取っていない。


「失礼します。週刊文潮の者ですが?」


 受付にいた若い女性職員が困惑しつつ応対する。


「はい……取材があるとはお聞きしていないのですが……本日は“公式ガイドツアー”のみのご案内となっております。個別の施設内見学や取材は、事前申請が必要です」


 柔らかな口調ではあるが、内容はきっぱりと線引きされていた。


「ツアーは……いつやってます?」


「毎週火・金の午後です。今週はちょうど──」


「あ、いや……結構です」


 野田はそのままパンフレットだけを受け取り、フロア中央へと足を踏み入れた。見学ルートの制限はあるが、ロビーと展示ホールの一部は公開されている。


 野田はあらためて展示ホールを見てみる。

 天井は高く、照明は自然光に近い温度で統一されていた。壁面には、手塚治虫を初めとする著名漫画家による原画パネルや、戦闘シーンを模したジオラマがずらりと並ぶ。かと思えば、その隣に鉄腕アトムの等身大フィギュアが、今にも歩き出しそうなポーズで佇んでいる。


 ──ここは、戦争博物館か、それとも洗脳施設か?


 野田は小声で独りごちた。

 平和的な展示と、戦いの記録が混在している空間。芸術と暴力の境界が曖昧なまま、美しく整理されている。


 壁の一角、ふと目を奪われる。

 そこには「描線」による巨大な戦闘図の再現が施されていた。だが──


「……ん?」


 その壁の中央部に、異様な“塗り潰し”の痕跡がある。

 まるで、何かが描かれていた形跡を、黒く塗りつぶすことで消そうとしたような処理。よく見れば、その周囲の線もどこか断ち切られ、不自然に空白が浮いている。


「描かれていたはずの何かが、消されている……」


 思わず呟いた言葉が、館内の静寂に吸い込まれていく。

 展示ホールの壁一面に広がる線と線の連なり。物語の歴史。戦いの記録。だが、それが「誰か」によって「都合よく改変された」可能性を感じた瞬間、展示空間はただの美術空間ではなくなった。


 その奥には、立ち入り禁止の区画があった。

 仄暗い通路の先、封鎖されたエリアの扉に貼られた注意書きが目に入る。


 ──「特別保管区域:関係者以外立入禁止」


 受付の職員がちらとこちらを見た。

 野田は踵を返し、静かにロビーのベンチに腰を下ろす。


「さて……何が“塗り潰された”のか、少しずつ暴いていきますか」


 そう呟いて、記者はスマホを取り出し、パンフレットの記載と照合を始めた。



 昼前のスタジオには、鉛筆の音が心地よく響いていた。

 机に向かっているのは、盛沼サキと館山ラン。キズナはソファに腰をかけ、ネームのコピーをじっと睨んでいる。マナセはパース資料をスキャン中で、アツはトレス台の前で線を練習していた。

 窓際では、サチハが眼鏡を少し持て余したように拭いている。


「……あの、サキさん……線って、なんなんですかね?」


 サチハが、ふとした思いつきのように尋ねた。

 サキはペン入れの手を止め、ほんの少しだけ目を細めた。


「線とは、観測の痕跡。……この世界が“そこにある”と定義された証よ」


「……え?」


「この世界を、定義するもの。輪郭を与え、存在を明示する。それが線。認識という行為を視覚化したものとも言えるわ」


 言い切ってから、サキは自分で「言いすぎた」とでも言うように少し眉を下げた。


「ごめん。哲学的すぎたかな」


「い、いえ……でも、“存在を明示する”って、ちょっと分かるかも」


 サチハは自分の描いたページを見ながら呟いた。

 そこには、ただの背景ではあるが、サチハなりに「この場所はこうあるべき」と思って引いた線が並んでいる。


「線が、壊されるとどうなると思う?」


「え……消えちゃう?」


「それだけじゃない。“定義”が壊されると、存在そのものが揺らぐのよ」


 サキの声には、普段の冷静さの奥に、少しだけ感情があった。

 それに気づいたのか、ソファのキズナが口を開いた。


「でもね、それって同時に、再定義もできるってことだよ」


 キズナがコピー用紙を机に広げながら、笑う。


「壊れたら描き直せばいい。私たち、漫画家なんだから」


「……壊れた線を、描き直す」


「うん。私はね、世界は描き直せるって信じてる。描線って、観測だけじゃなくて、意思だと思うの」


 サキはキズナの方をちらりと見たあと、また原稿に視線を戻した。


「……その“意思”が、時に世界を歪ませることもある」


「うん。でも、“描く意思”がなければ、何も始まらない」


 サチハはそのやり取りを静かに聞いていた。

 そしてもう一度、眼鏡のレンズを磨いた。光が反射して、かすかに線が浮かぶ。


「……なんだか、難しいです」


 ぽつりと呟いたその言葉に、場の空気がふっと和んだ。


「いいのよ。まだ始まったばかりなんだから」


 サキの声は、どこか柔らかかった。

 そのとき──

 スタジオに設置されたモニターが、低い警告音と共に淡く赤く点滅した。


《Priority Alert/警戒レベル:SSR ? 級 ※異常信号有》

《発生地点:目黒区南部/ターゲット半径200m±30m》

《予測時間:+00:62:00±06:00》


 キズナが立ち上がる。

 SSR ? 級……? 皆が一斉に顔を上げる。


「SSR ? 級……初めて見る表示ですね。魔な事には間違いなさそうですが、既存ランクに分類できない……未確認構造体?」


 サキが眼鏡を押し上げる。

 キズナが頷いた。


「出動準備。──サチハ、大丈夫?」


「……行けます」


 少女は、ほんの一瞬だけ躊躇したあと、はっきりと答えた。

 眼鏡の奥で、まだ未完成な観測者の目が、静かに光を宿していた。



 異常信号を辿って行くと都内だった。

 山手線の高架を背にした一角に、初夏の陽気なのになぜだか冷たい風が吹いていた。

 灰色のビル群の隙間に、黒く滲んだ“何か”が立っている。


「……あそこだ。けど、全然線が見えない」


 アツが低く呟いた。

 眼鏡越しの視界には、明らかな異常があった。構造物のラインが消えている。いや、正確には──“線が存在していた痕跡”だけが、塗り潰されたように抜け落ちている。


「線の消失。通常の魔とは明らかに違う」


 サキがデータを走査しながら言う。


「観測範囲、歪んでるね。輪郭が塗り潰されてる。あれ……“描かれてない”んだよ」


 キズナが眼鏡の奥で睨むように見つめながら、ペンを構えた。

 現れた“それ”は、人型をしていた。


 だが身体の境界は曖昧で、まるで黒いグラデーションの塊が人のような形を模しているだけだった。線で描かれた存在ではなく、線で描かれることを拒絶する存在だった。まるで、描かれることを恐れ、名付けられることを拒むように。


「全員、リンク!戦闘モード!」


「――Save your peace!」


 キズナの号令で、チームが動く。

 だが──


「効かないっ!?」


 マナセの斧が空を裂く。だが、確かに当てたはずの手応えは“何か”に吸い込まれた。


「ラン、照準がズレてる!」


「ズレてない……ターゲットが消えてるんだよ!」


 矢が虚空を抜け、すぐに霧散する。


「……感触はあるのに……斬れない」


 アツの刀も同じだった。振り下ろした刃は確かに何かを貫いた──はずなのに、その感触は視覚的に認識されなかった。

 斬ったのか、外したのか、存在があったのかすら判断がつかない。


「これは……認識そのものが阻害されてる……?」


 サキの分析が追いつかない。眼鏡の演算補助をすら欺く異常構造。


 黒い魔は、まるで空間そのものを“線ごと消して”迫ってきていた。

 そのとき──


「……え……見える?」


 かすかな声。サチハだった。


「サチハ、下がって!」


 マナセが叫ぶが、彼女は動かない。いや──片手を、空に向かって差し出していた。

 白く震える指先が、宙に線を引くように動く。

 不可視だった魔の輪郭が、一部だけ“浮かび上がった”。


「今の……サチハ、もう一度!」


 キズナが即座に指示を飛ばす。

 サチハは躊躇いながらも、再び“見えた気がした”部分をなぞるように手を動かす。

 線が走った。

 ほんのわずかでも、描線が復元された──


「マナセ、そこ!」


「任せな!」


 再び振るわれた斧が、今度は確かな手応えと共に魔の“身体の一部”を切り裂いた。


 塗潰された部分がパキリと音を立て、剥がれるように空間から剥離していく。

 補完と攻撃の連携。

 サチハの描線補正が、戦局を一変させた。


「……これは“塗り潰された世界”を、再描画してるのか」


 キズナが頷く。

 アツが追撃に入る。刀は今度こそ明確な質量と輪郭を捉えていた。


「せいっ!」


 音もなく、魔の身体が崩れた。黒が消え、空間に残されたのは──


 “何も描かれていなかった部分”。


 かつて存在していたが、定義されなかった、名前のない余白。


 塗潰ノ魔は爆発せず、崩壊せず、ただ塗りが剥がれるように消滅した。


「終わった……?」


 サチハが、無意識のように呟く。


 静寂が戻った。


「……まさか、ここまでとは」


 サキの声に、わずかに驚きと評価が混じっていた。


 キズナは、眼鏡の奥で“塗りの剥がれた余白”を見つめながら、静かに呟いた。


「塗り潰された世界に、私たちは線を引ける──それが“描線眼鏡”の意味」



 野田はかわらず科学漫画協会のロビーのベンチで、自分の資料とスマホを交互に見据え、何事かを探っていた。


(眼鏡、か……? それとも別の装置?)


 そう思った瞬間、イヤでも聞こえる大きな低い声に、彼の指が止まった。



「──まったく、戸隠の小娘は気に入らん。羽田の事故を、まるで魔に誘導されたように描いて……」


 野田は反射的に目を上げた。ロビーの脇、廊下の向こうに、大柄な男が携帯電話で通話している姿が見えた。黒のスーツに白髪交じりの髪、鋭い目元──顔が分かる。著名な漫画家の日月たちもり武蔵だ。確か協会の理事にも名を連ねていたはず。


「大体、あんな守秘義務違反をしておいて……眼鏡の男の子だか女の子だか知らんが、機長が影響を受けたようなことを書きおって」


 苛立ちを隠さず、低い怒気の混じった声が廊下に漏れ聞こえる。野田は気付かれぬよう、扉の影に身を引いた。まさか、あの大御所が、ここで──。


「あれ……?」


 ふと日月がこちらを向いた。野田と目が合う。


 彼の首に下げられた記者章を一瞥し、日月はふんと鼻を鳴らした。


「……記者か。ふん、小娘が余計なことをするから……」


 忌々しげに舌打ちしながら、日月は踵を返して去っていった。野田は思わず、その背を目で追う。


(戸隠……キズナ? 羽田の事故? まさか──)


 彼の中で、点と点が音を立てて繋がりはじめる。だがそれは、誤った線だった。


(もしかして……協会内部で、あの事故と戸隠キズナの関連が認識されている……?)


 疑念は深まるばかりだった。



 虎ノ門の日本科学漫画協会ビルを出たとき、野田の心中には奇妙なざわめきが残っていた。


 ──あの言葉。「羽田の事故を魔に誘導されるように描いて」


 日月武蔵という大物漫画家で協会の理事が、そんなセリフを廊下で漏らしていた。それにはあまりに重い含みがあった。

 タクシーを拾い、彼はまっすぐ四ツ谷へと向かう。運輸安全委員会──目指すのは、先日申請していた事故対策検討委員会の資料の受け取りだ。デジタル送付ではなく、紙での開示を指定していた。

 受け取った封筒は分厚く、ホチキスで綴じられた印刷物が三十ページ以上に及ぶ。会議室の片隅を借り、野田はすぐさまページを繰った。


「……やっぱりか」


 その言葉が、ぽつりと漏れる。

 資料には、事故当日の航空機の通信記録、地上からの誘導内容、異常気象の記録などが詳細に記されていた──しかし、多くの記述が黒塗りだった。特に気になったのは、機長が「女性の声を聞いた」と証言していた部分だ。


「何かが聞こえた。促されるような……」


「幻聴ではないと思うが、証明はできない」


──添付メモ:交信記録・CVR(コクピットボイスレコーダー)共に該当音声の記録なし。


 さらに続くページでは、搭載機材の一部項目が丸ごと伏せられている。センサーデータ、未知の干渉記録……「非公開」とだけ記された文言が、余計に野田の想像を掻き立てた。

 野田はペンを走らせながら、改めて思い出す。

 “あの場面”で、日月が名前を挙げていたのは「戸隠」──戸隠キズナ。


(まさか、あの少女が?)


 科学漫画協会、YAHO、そしてあの“眼鏡”…… 羽田の事故に関わる“線”が、今や一気に集まりつつあった。

 野田は手帳に、太めの字でこう記した。


「眼鏡」……「協会」……「羽田」……「戸隠」

 → 記録と記憶に、意図的な“補正”が入っている可能性。


「それらを結ぶ線の先に、“描かれていない真実”があるのかもしれない」


 推理が確信に変わり始める。


 あの日、羽田で起きた“事故”は、単なる航空機のトラブルではない。何らかの操作がされていた可能性がある──そして、それを知る少女がいる。

 野田の目が鋭く光った。



 魔が去ったのは、午後四時を過ぎた頃だった。

 戦闘後、ケンのバンに乗り込みスタジオへの帰路につく頃、誰もが思った以上に消耗していたことに気づく。

 サチハは、後部座席で膝を抱えたまま動けないでいた。まだ顔色は青白く、掛け替えた眼鏡が微かに震えている。

 隣のアツが心配し、声をかける。


「……大丈夫? 燃え尽きてる?」


 サチハは小さく首を振った。


「……ううん、ただ……ちょっとだけ」


 彼女は言葉を探すように、視線を足元に落とす。


「見えたんだ。……線が、あのとき、一瞬だけ……」


 その声は細く、確信と戸惑いのあいだで揺れていた。

 一列前のマナセが目を丸くしてから、軽く笑った。


「いや、サチハが見て補助線描いてくれなきゃ攻撃も出来なかったよ」


「違う、と思います。ただ……無意識に、手が動いて。見えなかったはずのところに、線が浮かんだような……」


 それを聞いていたサキが、メモを閉じて振り返った。


「……描線観測の兆候、眼鏡での視覚認識とまた違う……」


 冷静な観測者の声色に、ランがちょっと肩をすくめる。


「まあ、まだ仮説でしょ? 描いたっていうより、補完に近かったし」


「でも、再描画の契機にはなった。師匠マスターの判断がなければ成功してない」


 サキが視線を向けると、キズナは戦闘ログの端末から顔を上げた。サチハのほうを見て、やわらかく微笑む。


「──また一歩、前に進めたね。ありがとう、サチハ」


 そう言われたサチハは、何も言わず、ただ眼鏡のフレームを握りしめた。けれどその頬は、ほんのわずかに紅潮していた。




『描線眼鏡 または師匠の異常な情熱』、本日第24話「扇動」~消された線と見えすぎた少女~を投稿しました。


サチハの異能が活きるバトル。

そして記者野田が行き着いた恐ろしい推論とは……

世界はこれからも描き直せるのか?


次回は遂に「文潮砲」が炸裂!


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