第23話「推理」~黒翼に導かれた誤解~
本作『描線眼鏡 または師匠の異常な情熱』は、想像力で武器を描き出し、眼鏡を通して“見える世界”と戦う、そんな物語です。
漫画スタジオを舞台に、日常と非日常が交錯する──
青春・バトル・SF、そしてちょっとだけ陰謀めいた物語を、楽しんでいただければ嬉しいです。
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春の昼下がり。スタジオに程近い宮前平団地商店街は、年に一度の「春市フェア」で賑わっていた。
新生活用品の特売や、新学期向けの文房具フェア、母の日を意識したギフトコーナーまで揃い、近所の家族連れが集まっている。
その雑踏の中に、キズナとスタジオメンバーの姿があった。
「この団地も意外に人居るんですね……。祭りってほどじゃないけど、イベント感はある」
アツは周囲を見回し、出店のポスターに目を止める。「母の日フェア&新生活応援……って書いてある」
「ほら見て!このカップ麺、箱買いすると半額だってさ!」
マナセはなぜかやる気満々で、早くも段ボール箱を抱えそうな勢いだ。
「オレらロケハンで来てるんだぞ!余計な買い物にリソース使ってるんじゃない」ケンが止める一方で、その手には屋台の焼きそばが、ソースの匂いを漂わせながら、しっかりと握られている。
「……どっちもどっちじゃないですか」サチハが呆れ顔をする。
ふと、地元の子供たちがサチハのスケッチブックを見つけた。
「お姉ちゃん絵うまいんでしょ?描いて描いて!」
突然の囲みにサチハは目を白黒させた。
「えっ、いや、そんなに……。あ、ほらアツ描いてよ」
「おい、人に振らないでよ」アツが苦笑する。
だが子どもたちはすでに色鉛筆まで持ってきている。
「……仕方ないなあ」サチハはしゃがみ込み、恐る恐る線を引き始めた。
描きながら、子供の一人が無邪気に言う。
「お姉ちゃん、手、すごくきれいだね。なんかあったら治してくれそう」
「え?……あ、うん、そんな感じかな……」サチハは苦笑し、ペンを動かす手に力が入った。
「おーい、買い物も忘れるなよー!」ケンが焼きそばを片手に呼びかける。
「こっちのスイーツも新作らしいぞ!」マナセが紙袋を振る。
和やかな空気が流れる。
その少し離れた場所で、ランとキズナは商店街の通りを撮影していた。
「こういう地域の空気、作品に生きるのよね」ランがカメラを構える。
「そうね。背景用に少しでも残しておきたいの」キズナは微笑んだ。
春の光とざわめき。今のところ、この場はただの日常だった――。
*
野田は西新宿の高層ビル群を歩いていた。目的地はYAHO Optical Holdings本社――眼鏡用レンズの製造から、先進的な光学機器、医療機器や電子機器に至る多くを網羅している日本を代表するメーカーの一つである。
ビルの前で足を止め、深呼吸をひとつ。
「……さて、今日も門前払いか、それとも何か収穫あるか」
自嘲気味に呟きながら、受付に名刺を差し出した。
「申し訳ありませんが、現在、研究開発に関する取材は一切お受けしておりません」
予想通り、受付の対応は丁寧だが壁のように固い。
「では、広報の方からどなたか……」
「その件についても、特にコメントはできないとのことです」
淡々とした返答。野田は軽く肩を竦め、名刺をしまった。
(まあ、そうだよな。大企業がいきなり事故との関連を話すわけがない)
だが野田には、別の当てがあった。
近くの小さな喫茶店。以前、取材で世話になった元社員・佐藤が待っていた。
「お久しぶりです、佐藤さん」
「野田さんか。あんた、相変わらず事件の匂いがするところにいるな」
冗談めかして笑う佐藤は、初老に差し掛かった穏やかな顔立ちの男だ。
「実は当たっている事故の件で、YAHOの技術が絡んでないか気になって」
佐藤は眉をひそめつつも、静かに頷いた。
「退社して久しいが……まあ、知ってる範囲なら」
「佐藤さん“特注品”の眼鏡の存在って聞いた事ありますか」
佐藤の話は思いのほか具体的だった。
「会長が現役だった時代から、一部の古手の職人そして今の社長が関わっていた、“見えない物を見る為の眼鏡”ってのは聞いた事が有るよ。何か漫画家さんの想像力を高める為の物だとか」
「漫画家?」野田の目が光る。
「ドラゴンボールに出て来たんだぜって、先輩達が笑っていたよ。ようは今でいうスマートグラスだよね。まあ商品というよりは、会長・社長が趣味の研究として続けている雰囲気だったけど」
「その研究が大きく商品化される事無く、今に至るまで続いていると」
「私は神岡の東大の観測施設に携わった事が有って、何かこれが“特注品”の眼鏡に関わっているって噂も聞いた事があるよ。何か新型眼鏡の一部には、重力波観測で得られたデータを応用して、使用者の脳活動を同期させる研究があるんだとか」
「脳活動の同期?」野田はペンを止めて聞き返す。
「訓練者の想像力を拡張する目的だったはずだよ。ペンという道具もあってね、人の意識を仮想空間に投影・共有する――そんな話を聞いたことがある」
佐藤は淡々と言うが、その言葉は野田の思考を刺激した。
(脳波を同期……意識を共有……それって……)
野田の頭の中で点が繋がる。
(眼鏡とペンで意識を繋ぐ?なら逆に、相手の意識に“介入”することもできるんじゃないのか?)
彼は手帳に走り書きをした。
《心理干渉→事故誘発》
羽田の機長が誤進入した理由――それは単なる操作ミスではないのではないか野田の推理は進む。
(眼鏡とペンを使った心理誘導……そう考えれば、あの“位相ずれ”の無線記録とも符合する)
野田は四ッ谷の運輸安全委員会で見た、事故対策委員会の調書を思い起こしていた。
佐藤はその沈黙に首を傾げる。
「……まあ、私はただの技術者でね。変なことに巻き込まれたくないんだ」
「ありがとう、参考になりました」野田は立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
店を出ると、彼はすぐにメモ帳を見返した。
「心理干渉」、「意識の同期」――そして、羽田事故。
「やっぱり何かある……」
野田は呟き、
「さあて、次は本丸にもう一度乗り込むか」
次の取材先――科学漫画協会へのアプローチを思い描きながら歩き出した。
*
昼下がりの春市は、活気に満ちていた。
通りには鉢植えや季節の野菜、手作りスイーツが並び、人々の笑い声が絶えない。
キズナたちは取材を兼ねて、スタジオから足を運んでいた。サキは資料整理もあり、お留守番だ。
サチハは子どもたちにスケッチを頼まれ、少し困惑しながらもペンを走らせている。
ランは露店で売られていた多肉植物を手に取り、「これ、資料にいいかも」と目を輝かせ、ケンは屋台の焼きそばを頬張っていた。
「この味付け、最高だ! うちの晩飯に欲しいくらいだな」
「ケンさん、取材ってそういう意味じゃ……」アツがあきれ気味に呟く。
そんな平和な時間の中、キズナのスマホが震えた。
画面には赤い文字。
《Priority Alert/警戒レベル:SR》
《発生地点:宮前平団地周辺/ターゲット半径200m±30m》
《予測時間:+00:20:00±03:00》
「まさかここで……まだ眼鏡のサーチには掛からない。みんなの眼鏡もペンも無いわよね」
キズナは表情を引き締め、メンバー全員に目配せした。
「団地エリア。一般人が多い。――守秘義務もあるけど……」
この場にはキズナの眼鏡以外無い。ペンも持ってきていなかった。
「どうするの?」ランが焦る。
「サキに連絡する。――スタジオから持ってきてもらうわ」
電話を繋ぐと、スタジオで作業していたサキの声が返った。
『了解。すぐ持って行きます!……え?ランさんの自転車で?』
「お願い、急いで!」
数分後、春市会場の一角に、ゼーゼー息を切らしたサキが現れた。
自転車の前かごには、眼鏡とペンが詰め込まれたバッグ。
「……普段から運動量が不足しているようです……」
「ありがとう、助かった」キズナは礼を言い、皆の眼鏡を受け取る。
サチハがそっと声を上げた。
「……私、今回はちゃんと治せるかな……」
アツが軽く肩を叩き、笑みを浮かべる。
「大丈夫だ、俺たちがいる」
その言葉に、サチハは小さく頷いた。
マナセ、ラン、サチハは眼鏡を掛け変え、アツは裸眼にかける。とたんに周囲に影の渦巻きが見える。
全員が意識を集中する。
名を呼び合い、キズナが声を張った。
「――Save your peace!」
次の瞬間、影の渦が局所局所に纏まり始めた。
鳥の群れに見えた――いや、黒い影鳥と言うべき群体が電線や屋根にまとわりつき、空気をざらつかせている。
「影鳥型……いや、数が多すぎる!」ランが息をのむ。
「時間がない、行くわよ!」
こうして、彼らは戦場へと駆け出した。
*
宮前平団地の上空には、異様な光景が広がっていた。
無数の黒い影鳥――カラスのような形をした魔が、屋根や電線に群がり、空気そのものをざらつかせている。
その場にいる一般人には、急に増えたカラスの群れだけが見えている。
影鳥を感じているのかいないのか?本能的に周辺の圧力から身を守ろうと、カラス達も群れをなそうとしているらしい、が影鳥に比べれば圧倒的に少数だ。
途切れがちなスマホ電波
「通信障害だって?」「やだ、何かの前触れ?」
ざわめきが走る。
「ラン、住民の避難誘導をお願い!」
「了解!」
キズナの指示で、ランが素早く走り出し、住民を安全な場所へと誘導していく。
「ちょっと役所から委託されてカラスの駆除に入ります。皆さん少し離れた所に下がってください」
ケンは取材用に持って来ていた、ミニドローンを飛ばしカモフラージュに一役買う。カラスの撃退には実際効果もあるだろう。
アツは眼鏡を押し上げ、ペンを握りしめる。
「武器、展開……!」
スマホに転送すると、想像力が仮想空間に線を描き、刀が形を成した。
サチハは不安げな表情のまま後衛に回る。
「ケガしたら……私が治すから!」
「頼んだぞ!」アツは前方へ飛び出した。
黒い影鳥が一斉に襲いかかる。
アツは刀を振るい、影を斬り裂く。斬られた影は煙のように散るが、すぐに別の影が補充する。
「数が多すぎる……!」
その時、屋根上で影が集合し始めた。
影鳥たちがうねりながら一点に収束し、異様な輪郭を描き始める。
翼が二対、嘴が鋭い鉄のようだ。異様に長い首と鉤爪を持つ脚――まるで伝説上の怪鳥を思わせる、翼長がバスほどもある巨大な黒翼を持つ魔だった。
「大型核影……!?」キズナが目を見開く。
魔は音も無しに嘶き、そのまま急降下してきた。
「危ない!」
アツがランを突き飛ばし、代わりに直撃を受けて転がる。
マナセも衝撃波で吹き飛ばされ、膝を擦りむいた。
「っく……!」
「アツ!」サチハが駆け寄る。
ペンを構え、サチハは深呼吸した。
「……二人同時……!」
彼女の描いた光の線が、二人の傷に触れ、柔らかな温かさが広がる。
暴走の兆しは――ない。
「……治った?」アツが腕を動かし、驚いたように頷いた。
「すごい……暴走してない!」ランも目を見張る。
だがサチハは大きく息を吐き、膝をついた。
「……まだ、ちょっと限界……」
「無理するな!」アツが支えた。
その間にも大型影は襲いかかって来る。
キズナが叫んだ。
「アツ、ラン、時間稼いで! マナセは射撃支援!」
「了解!」
アツが刀を振り、ランが弓を放つ。光の矢が影の羽を裂き、体勢を崩させる。
マナセも普段の斧に替え、ストックしていた機関銃型の創造武器から光の弾丸を連射し、影を削っていく。
最後は、アツとランが同時に影の核を狙い、キズナの描いた補助線がそれを導いた。
影は悲鳴のようなノイズを発して弾け、霧散した。
静寂が戻る。
一般人は「もうカラスもすっかりいないね」「今の何?」
「ドローンでカラス追い? 最近のイベントすげえな!」
と騒ぎつつも、危険を感じることなく散っていく。
「被害ゼロ……か」アツがペンを戻し、息を吐いた。
サチハはまだ膝をついていたが、満足げに微笑んだ。
「……二人同時に治せた……」
キズナが近づき、そっと肩に手を置いた。
「よくやったわ、サチハ。これは大きな進歩よ」
サチハは照れくさそうに目を伏せた。
*
団地の屋根の上に、ほんの少し焦げた匂いが残っていた。
だが、影鳥の群れも、大型の黒翼も、すでに跡形もなく消えている。
キズナが全員を見回し、短く告げる。
「今回、一般人への被害はゼロ。これは誇っていい成果よ」
彼女の視線がサチハに向く。
「特にサチハ。治癒だけじゃなく、落ち着いて戦況を見てた。これができるなら、次はもっと広く守れるわ」
「……もっと上手くやりたいです」
サチハは小さく握り拳を作った。自分の弱さを認めつつ、次に進もうとする意思が芽生えていた。
その様子に、マナセが小声で呟いた。
「……前よりずっと、チームっぽくなったよね」
ケンが頷く。
「最初の頃だったらパニックになってたもんな」
アツが苦笑しつつ、空を見上げた。
その時、団地の子どもたちが近づいてきた。
「さっきのドローンショーすごかった!」「もう一回やって!」
彼らには影が見えていない。ただ不思議な光景を「パフォーマンス」だと勘違いしている。
ケンが苦笑いを浮かべた。
「お、おう、また今度な……」
全員で顔を見合わせ、つい笑いがこぼれる。
キズナは端末を取り出し、協会への報告を送信した。
「これで一件落着。さ、帰って仕事の続きよ。春市の取材も纏めておかないとね」
「はーい……」アツとランが同時に声を上げる。
サチハも立ち上がり、深呼吸した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回のエピソードでは、報道記者・野田の目線からキズナたちの戦いを捉える「メディア×能力者」の軸を掘り下げつつ、いくつかの“誤解”が積み重なっていく様子を描いています。
タイトルにある「黒翼」とは、物語内で象徴的に使われるキーワードですが、同時に視点の偏りや、認識の限界──つまり「見えていないものがある」という本作のテーマにも通じています。
今回は少しミステリー調の展開ですが、実は次話から一気に物語が大きく動き始めます。これまで積み上げてきたキャラクターの関係性や社会的な構造が、次第に「崩れる」予兆があらわれてきました。
戸隠キズナたちが描こうとした“線”の行き先はどこにあるのか──
どうか最後までお付き合いくださいませ。
次回、第24話「扇動」~消された線と見えすぎた少女~もどうぞお楽しみに!




