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第22話「科学」~未来を描き、今を走る~

本作『描線眼鏡 または師匠の異常な情熱』は、想像力で武器を描き出し、眼鏡を通して“見える世界”と戦う、そんな物語です。


漫画スタジオを舞台に、日常と非日常が交錯する──


青春・バトル・SF、そしてちょっとだけ陰謀めいた物語を、楽しんでいただければ嬉しいです。


現在は毎週水曜・日曜の21:30更新を予定しています。(来週はお休みです)


ブクマ・感想・評価など、応援いただけるととても励みになります!

 締切まで余裕のある土曜の午後。スタジオはいつもの殺気立った空気ではなく、ゆるい時間が流れていた。


 アツはペンを握るでもなく、コーヒーを啜りながら資料棚の前に立っている。サチハとランは机上のインク瓶を並べ替え、サキはノートPCに向かって資料データの整理中。

 そしてケン――イヤホンをつけ、腕を組み、やけに真剣な顔でスマホを見つめていた。


「行けっ!バラノキシ!……ちっ、差されってっか~、やっぱ休み明け60kgはキツかったなあ」


小声で叫んだ瞬間、サキが顔を上げてジト目を向ける。


「また馬券ですか」


「投資だよ投資! 明日はアヤベトップオーがガチガチだから、今日のうちに獲っとかないとだろ?」


「その言い方、外す未来しか見えないですね」


「ヒモ荒れ狙いだから……え、えっと、ほら、夢あるだろ?」


アツが横で呟く。「それ絶対外れるやつだ……」


その時、ドアが勢いよく開いた。


「来週号、急遽“科学×漫画特集”やることになったんだ!」


編集者・フクハラが、額にうっすら汗を浮かべて立っていた。


「……来週号って、また無茶を言う顔してますね」マナセがぽつり。


「集談館と関係の深い、科学漫画協会からのスポンサー提案なんだ。編集部としては断れない」


 一同は思わず顔を見合わせる。


「もちろんあまりに急な企画なんで、作家さんには断る権利はある……ただ編集長は戸隠先生は断らないだろうって、何故か言ってたよ」


 キズナは椅子に腰かけたまま腕を組み、渋い顔をした。科学漫画協会――その名は、彼女にとって軽くない。


 フクハラは両手を広げ、切迫感を込めて言い切った。


「協会絡みで権威も資金も動く。ここで断ったら雑誌全体の運営に響くんだ! しかも今回は光学技術と漫画表現を組み合わせた特集だ。監修にYAHO Optical Holdingsが絡んでる。これはもう、科学の最前線と漫画を繋ぐ夢の企画だよ!


具体的には――

・光の科学入門:レンズの進化や眼鏡・カメラ・VR/ARの基礎を漫画で解説。

・未来技術と創造性:ARや個人用光学デバイスの社会応用と、漫画家の創作にどう生かすか。戸隠先生のインタビューも入る。

・描線と視覚表現:レンズ効果や光の演出を漫画でどう描くか、編集部コラム付き。


さらに、協会側が推したおかげで、先生の作品を目玉に扱うカラー1枚と追加4P漫画を描いてもらうことになった」


フクハラは声を弾ませたまま続ける。


「科学者の論文だけじゃ伝わらない!  でも漫画は違う。感情に届くんだ!」


スタジオの面々は顔を見合わせる。アツがぽそっと呟いた。


「……夢が、地獄を生みそうな」


「ん、なにか言った?」フクハラが目を細める。


「いえ、なんでも」


 キズナはひとつ息をつき、短く答えた。


「分かりました。どっちもやる。……連載も、特集も」


「よっしゃああ!」フクハラは両手を高く掲げた。


 この瞬間から、スタジオは地獄の特急進行に突入する運命が決まった。



 四ッ谷駅に程近い外堀通りに面した真新しいオフィスビル。国土交通省の外局である運輸安全委員会を、野田は足早に訪れていた。


「一月の羽田の航空機事故の件でお話を伺いたいんですが」


 受付で名刺を差し出すと、対応に出てきたのは四十代後半くらいの調査官だった。

 腰の低い人物で、表情には少し疲れが滲んでいる。


「最終報告書はまだ先になると思いますが、現時点での事故調査の進捗具合を聞かせてください」


「ええ、現時点では四回に渡って事故対策検討委員会が開かれ六月頃に中間報告、年内には最終報告書をまとめたいと考えています」


「公式の見解としては、特に不審な点は?」


 野田が探るように問うと、調査官は一拍置き、慎重に答えた。


「ええ、少なくとも今のところ、異常なデータは確認されていません」


 野田は頷きつつ、手帳を取り出し、短くメモする。


(公式発表は“普通”……だが、何かが変だ)


 事務局広報室にあらかじめ申請していた、過去の航空機事故調査報告書に目を止めていく。

 その中に、1982年2月9日 羽田沖墜落事故――という一行があった。

 横には手書きのメモ。「前日:ホテルニュージャパン火災」とある。


(……そうか、あの日か。都内は大混乱で情報が錯綜していたそうだ)


 若い頃、先輩記者に聞いたことを思い出す。

 ――消防も警察も報道も、右往左往。後に「最悪のダブル事故」と語り草になった日。


 野田は手帳を閉じ、深く息を吐いた。


(何処か似ている……機長の誤操作と誤進入。“魔”が差したとしか受け取りようが無いが……)


 ビルを出ると、最近都内上空を通過するようになった新ルートで羽田へと降りて行く旅客機が目に入った。

 ただ彼の目自体は、次の取材先――西新宿にあるYAHO本社へと向けられていた。


 *


 水曜日。スタジオは、いつもの締切日以上にざわついていた。

 連載原稿に加え、急遽決まった科学×漫画特集の追加分――地獄のダブル進行である。


「背景トーン貼り完了!」

「こっちは扉絵カラー、あと一色!」

「差し替えページのネーム、もう一枚ください!」


 机の上では原稿用紙、タブレット、資料本が山を築き、スタッフ全員が息つく暇もなく動いていた。


 月曜日から皆ほとんど帰れてもいない。


 その中心で、キズナが声を飛ばす。

「サキ、特集記事用の光学解説カット、レンズの断面図はもう少しコントラスト強めて! あと、ARゴーグルのパース補正もお願い!」


「了解」


 クールに答えるサキの横で、マナセは未来デバイスの装着カットを黙々とベタ塗りしていた。肩は固く、目は戦闘モードそのものだ。ケンは貼り終えたトーン紙をまとめながら、「あと何枚だ?」と小声でぼやく。


 特集部分はカラーページの先入れをはじめ順調に動いていた。キズナのインタビュー記事と編集部コラムはフクハラ自身が手掛け、こちらも先入れ済み。元々ハイスペックな上に意気込みが違う。テンション上げ上げでスーツ姿なのに袖まくりして、タブレットで取材構成をまとめている。


「コーネル大の修士課程で“サイエンスコミュニケーション”を学んだ時から、科学を物語にする――これが僕の夢だったんだ!」


「やっぱり……その夢が、今ここで地獄を生んでるんですけど」


 アツのぼやきに、フクハラは気付かない。


 連載部分は半分も終わらず、明らかに遅れている。

 キズナは表情を引き締めた。


「科学を物語にっていうのは、とても共感するのだけれど……協会でどういう経緯だったのかしら?」


その時だった。――ピピピッ。

スタジオに響く高い電子音。机の端に置いていたキズナの端末に、緊急通知が表示されていた。


《Priority Alert/警戒レベル:L級(but 影大量発生)》

《発生地点:二子玉川周辺/ターゲット半径800m±50m》

《予測時間:+01:00:00±03:00》


キズナは反射的に画面を隠し、顔を上げた。


(このタイミングで……!)


「ん? 今の音何?」

フクハラが不思議そうに振り向く。


「ペン入れ完了の合図音です!」


即答したキズナに、アツが小声で突っ込む。


「そんな設定あったんですか?」


「今できた!」


 緊張が空気を凍らせ、皆がキズナの顔を見たが、その答えはフクハラ以外の誰もが既にわかっていた。


「……全部やる!」


「了解!」


「えっ? ちょっと何かあったの?」フクハラが尋ねる。


「トーンが足りなくてどう処理しようかなと!?」


ランが笑顔で答えると、ケンが裏声でかぶせた。


「そうそう! トーン大事!」


 フクハラは納得したようにうなずき、再び原稿に集中していた。チームが今まさに別の戦場に向かおうとしていることには気付いていない。


 *


 スタジオの隅で、キズナが声を潜めた。


「影群体、二子玉川周辺。時間は一時間以内……現場対応は最小人数で行く」


 即座にアツが頷いた。


「俺とサチハで行きます」


 キズナは一瞬だけ考え、うなずく。


「分かった。二子玉なら電車でも間に合うけど、ターゲット半径考えると車が無いとサーチが……」


 ケンとマナセは同時に首を振った。

「車は?」ケンが問う。「俺はここ離れられないし、現状マナセも無理だ」


 キズナは小首をひねって思案したが、すぐには良い方法が見つからない。


「じゃあ私が――」サチハが、おそるおそる小さなカードケースを取り出した。


「……免許証、あります。ペーパードライバーですけど、運転できます……たぶん」


「えっ!? サチハ免許持ってたの!?」アツが目を丸くする。


「ペーパーじゃ困るけど、今はそれで行こう!」キズナは短く言い切った。


「アタシも行くわ!」ランが手を挙げた。


「小物はほぼ終えたし、残りはマナセンが何とかするでしょ。私、現場で動ける」

 その目は迷いがなかった。


「じゃあ戦闘班はラン・サチハ・アツ。制作班は私とケン、マナセ、サキで特集と連載の同時進行。――いい?」

 

 その時、フクハラが振り返った。


「何かあったの? さっきからそわそわしてない?」


 キズナは即座に笑顔を作る。


「トーンが切れました。なので買い出し班を出します」


「トーンね、ソフトで処理出来ないの? まあ拘り有るんだろうけどさ」


 フクハラは疑いもせず、再び原稿の進行表に目を落とした。

 戦闘班の三人は素早く準備にかかる。


 それぞれの装備を持ち、サチハは車のキーを握りしめる。


「戦闘班、出動する!」


「了解!」


 扉が閉まる直前、ランが顔だけ振り向かせてウィンクする。


「トーンは必ず確保してくるから!」


「うん、頼む!」とフクハラ。


 スタジオの空気は再び作業一色に戻ったが、戦場へ向かう三人の足取りは軽くはなかった。


 *


 水曜の午後、二子玉川周辺の道は混んではいなかったが、人出はそれなりにある。

 駅前を通過しようとした辺りで皆の眼鏡が震える。


【危険度=L(Z)】

【ターゲットレンジ=100m±30m】

【予測出現時刻=+00:07:00±02:30】

【方角=北西】


 どうやらすぐそこのショッピングセンターらしい。サチハは慌てながらも冷静にショッピングセンターの駐車場に車を導く。平日が幸いしたようだ。


 車を止めて降りた瞬間、サチハは眉をひそめた。


「……空気、重い」


 揺らぎが、肌にまとわりつくように感じられる。

 アツは咄嗟に刀を転送したが、視界に広がる異様な光景に目を奪われた。

 床一面に散らばった黒い斑点が、生き物のようにうねり、寄り集まっていくのだ。


「来るぞ……!」


 影群体――無数の小型影虫が合体し、壁を這い、床を覆い尽くしていく。


 通行人のほとんどには、その異形は見えていない。ただ、停電したように照明が一瞬暗くなり、足を止める者が数人。

「工事か?」「停電?」とざわつく声。


 だが、三人だけは異常の正体を理解していた。


「ラン、後衛! サチハ、援護に回れ!」


「了解!」


 アツが創造の刀で一閃し影を裂く。切り裂かれた影は煙のように消えたが、すぐ別の影がその隙間を埋める。


 ランが弓を引き、光の矢を放つ。矢は影群体の中心を貫き、散らばった個体を壁際に押し戻した。


「罠、張るよ!」


 ランは影に効くワイヤートラップを床に仕掛け、動きを制限する。

 その間に一体の影がアツの足元に飛びつく。


「っ……!」


 膝をかすり、火花のような痛みが走った。


「アツ!」サチハが駆け寄る。


 ペンを構え、集中――光の絆創膏のような“線”がアツの膝に貼りつく。


 じんわりと温かさが広がったが、今回は熱暴走はない。


「……治った?」「ああ、平気だ」


 サチハは安堵し、もう一歩踏み込んだ。


 彼女の手元で、ショットガン型の線描武器が光を帯びる。


「えいっ!」


 弾幕のような光粒が、波のように押し寄せる影を一掃した。

「群体の核を落とす!」アツが叫ぶ。


 ランの矢とサチハの弾幕が一斉に撃ち込み、中央の塊を削り取る。


 影は悲鳴のようなノイズを発し、霧散していった。


 数十秒後、揺らぎは消え、照明も元に戻る。


 一般客たちは「なんだったんだ?」と顔を見合わせるが、すぐに買い物へ戻っていく。


「……終わったな」アツが剣を消す。


 サチハは膝に触れ、笑った。


「ちゃんと治せたよね?暴走もしなかった!」


「助かったよ」アツが肩を叩く。


 ランも「みんな連携よかったね」と微笑んだ。


 その時、耳元の通信機からキズナの声が響く。


『進行状況は?』


「状況終了、敵影なし!」アツが答える。


 すると通信の向こうで――


『原稿もあと3枚!』


 現場では思わず笑いがこぼれた。


「……締切も抑え込み完了だな」


 戦闘班は足早に現場を後にした。


 *


 戦闘班がスタジオへ戻った時、こちらの修羅場はまだ続いていた。どうやら転送トラブルで進行が戻ってしまったらしい。


 机の上には、塗りかけの原稿とカラーインク、散らかった資料。キズナはペンタブを握ったまま顔を上げ、短く声をかける。


「戻った? 結果は?」


「影群体、殲滅完了!」アツが答える。


 サチハも息を整え、「ケガも治せました……今回は、暴走してません!」と報告した。


 ランが続けて「弓の罠も効いたよ。現場の被害ゼロ」と笑う。


「よし、全員――席に戻って」


 キズナの一言で、三人も即座に作業に戻った。



 一心不乱にパソコンに向かっていたフクハラは、三人の帰還にも気付かず涙目で原稿チェックを続けていた。


「締切まで残り十五分……間に合うのか、これ!?」


「間に合わせます!」サキがきっぱりと言い切り、キーボードを叩く手を速める。


 ケンはトーンの切り貼り作業を一気に終わらせ、マナセは原稿の最終処理に没頭する。


 カウントダウンが始まる。


「五分前!」フクハラが叫ぶ。


 キズナが最後の線を引き、勢いよくペンを置いた。


「――アップロード!」


 フクハラが震える指でボタンを押し、送信完了のメッセージが表示される。


 一拍の沈黙。


「……終わった……! 俺、生きてる?」


 フクハラがその場に崩れ落ちた。今日はタチアガール気力も無いようだ。


「ええ、みんなでね」キズナが笑い、肩の力を抜く。


 次の瞬間、誰ともなく笑いが広がり、全員が机に突っ伏したが、その表情は明らかに晴れやかだった。


「……これが“全部やる”ってやつか」アツが呟くと、サチハも笑う。


「でも、なんか楽しかったです」


 ランがケロッと笑い、「アタシも。次はもっと上手くできるかも」と続けた。


 フクハラは放心しながらも、どこか誇らしげに呟いた。


「……いいチームじゃないか、君たち……」



科学×漫画特集の無茶振りから、締切+バトル+編集フクハラの奮闘というトリプル進行回です。


ちなみにコーネル大学・科学コミュニケーター・「週刊コスモス」という並びで、一定の年齢以上の方はピンと来る所があるかも知れません。

SF小説・映画の金字塔の一つ「コンタクト」の創作者、『人類の記憶』を悠久の星間の航海へと送り出し、生涯物語を通して科学を語ろうとした科学者カール・セーガン博士に、この物語も作者である私自身も大きな影響を受けています。


来週お盆週間は一週お休みを頂き、次回更新は8/20(水)の予定です。これからもよろしくお願いいたします。


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