第21話「日常」~絆創膏とコロッケ~
本作『描線眼鏡 または師匠の異常な情熱』は、想像力で武器を描き出し、眼鏡を通して“見える世界”と戦う、そんな物語です。
漫画スタジオを舞台に、日常と非日常が交錯する──
青春・バトル・SF、そしてちょっとだけ陰謀めいた物語を、楽しんでいただければ嬉しいです。
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授賞式の翌週、野田の姿は西東京市にあった。
野田には“あの眼鏡”が何らかのカギを握っているという自信があった。
田無駅を降り、バスに乗り換えYAHOのR&Dセンターへと向かう。
かつてここにあったのは「東大原子核研究所」だという。
(「東大原子核研究所」を設立したのは、湯川秀樹博士と終生ライバルであり同志でもあった、朝永振一郎博士だったよな。東大に限らず、何処の研究機関にも開かれた共同研究所だったそうだ)
日本の科学史に思いを馳せていると最寄りの停留所まで着いた。
その敷地は、今は一部が一般開放された「西東京いこいの森公園」となり、家族連れやランナーの姿も見える。
奥に見える大きな森は今でも東大の研究林らしい。そちら側へ進むと、フェンスと監視カメラに囲まれた立入禁止エリアが現れた。
外周道路を歩きながら、野田は施設全体の雰囲気を確認する。
近隣のコンビニや食堂に立ち寄り、いつものように自然な会話の中で情報を引き出していった。
「最近、夜遅くまで電気ついてますよ」
コンビニの若い店員は、少し声をひそめて付け加える。
「光学関係?レンズとか……正直、何をやってるのかさっぱりですけどね」
さらに少し離れた定食屋でも同じ話を聞いた。
研究員らしい客は白衣こそ着ていないが、目の下にクマをつくり、注文した定食をかき込むとすぐに戻っていくという。
敷地入り口には制服姿の警備員が立っていた。
野田は名刺を差し出し、さりげなく切り出す。
「週刊文潮の者ですが、研究内容について少し……」
警備員は名刺を見て、ほんの一瞬だけ言葉を選んだ。
「すみません、敷地内は立入禁止でして。防衛関連も扱っておりますので、詳しいことは広報にお尋ねください」
曖昧で、しかしどこか警戒を含んだ笑顔だった。
野田はそれ以上踏み込まず、軽く会釈して立ち去る。
*
公園のベンチに腰を下ろし、野田は手帳を開いた。
(聴かずとも防衛関連と答えてくれたな。最近活発化している証拠だ)
ページには、先日霞ヶ関で見た資料の一節が書き写されている。
防衛装備庁拠出 個人用光学デバイス研究費 2,150百万円
《YAHO Optical Holdings》
表向きは医療応用――だが、本当にそれだけなのか。
先週見た“あの眼鏡”の形状が脳裏をかすめる。
やはり、何か繋がっている。
野田はペンを走らせながら、確信に近い感覚を覚えていた。
*
締切明けの金曜日。スタジオには独特の静けさが漂っていた。
机の上には、原稿用紙・資料本・模型の山。いつもの戦場のような緊張感はなく、ほっとした空気が流れている。
「今日は整理の日よ。資料本の虫干しをしましょう。模型は部品チェック。あと――資料棚、溢れてるでしょ」
キズナがそう言いながら、積み上がった図鑑を抱え上げた。表紙には「中世ヨーロッパの剣」「近世火器全史」「古代日本の甲冑」といった重厚なタイトルが並ぶ。
「これ……全部、武器関係なんですね」
アツは目を丸くしながら、埃を払った一冊を手に取った。
「創作武器の参考用。デザインのアイデアを出す時の必需品よ」
キズナは模型棚を指差した。あらためて見てみると、そこには西洋剣や和弓、旧式ライフルの模型などが所狭しと並んでいる。先日のチャクラムとエクスカリバーも仮に置かれたままだ。
「わぁ……ホビーショップみたい」
サチハが感嘆の声を漏らす。
「資料室っていうより、武器庫ですね」
アツは苦笑しつつ、机の上の散らばったインク瓶を拾い上げた。
「これ、期限切れっぽいです。どうします?」
「処分でいいわ。ランラン、消耗品の補充分を頼める?」
キズナが声をかけると、ランは手元のメモを掲げて元気に答えた。
「オッケー! ペン先とトーンと……あ、コピックの補充もだね! 自転車チリリして、文房具屋さん行ってくる!」
ランが颯爽とスタジオを出ていくと、残った面々は再び整理作業に戻った。
サチハは机の上の解剖図を手に取り、しげしげと眺める。
「この筋肉図……、魔の攻撃パターン研究にも使えるんじゃ」
「サチハ、それは人体の資料だから。攻撃パターンというよりヒーリング用ね」
キズナの苦笑交じりの声に、サチハは少し照れたように頷いた。
そんな静かな時間。資料を片付ける音と、時折交わされる雑談がスタジオに響いていた。
嵐のような締切を乗り切った後の、束の間の“日常”だった。
*
それぞれに整理をしていたが、キズナが手を止めサチハに声をかける。
「サチハ、こっちを見て」
「はい、キズナさん……?」
「さっき話したヒーリングだけど……この前の訓練、覚えてる?」
サチハは少し首を傾げた。
「ええと……アツが怪我して、わたし……思わず触って……」
「そう。その時、あなたの“線”が光ったの、覚えてる?」
サチハは驚いた顔でうなずいた。
「戦闘中、相手は物質空間に存在しない。でも、私たちの想像力が作る“線”は、心身にダメージを再現することがあるの」
「ダメージ……想像で、ですか?」
「ええ。だからこそ、癒やす“線”も描ける。あなたには、その才能がある」
「……私に?」
サチハは自分の手を見つめ、目を瞬かせた。
「今はまだ制御できてない。でも――回復は武器と同じくらい重要な技術。これからは、訓練で“ヒーリング”もやってみましょう」
キズナが軽く笑い、サチハの肩に手を置いた。
その時、ドアが勢いよく開く。
「ただいまー!」
ランが自転車用のメッセンジャーバッグを肩から下ろしながら入ってきた。
「商店街の文房具屋さん、やっぱりいいねぇ。ついでに替芯も買っといたよ」
「お疲れさま、ランラン」
キズナが立ち上がり、バッグを受け取る。
「で、どうしたの? ちょっと顔が真剣じゃない?」
「うん……実はね、文房具屋の店主さんが変なこと言っててさ。“最近空気が重い”とか、“立ちくらみする”とか……」
ランは少し眉をひそめた。
「なんか変な揺らぎ? 気持ち悪い感じがするって。私もはっきり見えた訳じゃ無いけど……キズニャなら見えるかもと思って」
スタジオ内の空気が、わずかに張り詰めた。
「実際に数値として出ている訳では無いから、全員出動では無いわね。ケンさんとマナセン、サキは引き続き資料の整理に当たってください。サチハとアツは私たちと商店街へ」
*
午後の柔らかい日差しの中、4人は商店街へ向かった。
昔ながらの団地の一角にある「宮前平団地商店街」
シャッターを下ろした店が目立つが、文房具屋や青果店、惣菜屋など、いくつかの店は頑張って営業を続けている。
文房具屋の主人は七十代後半くらいか小柄な男性で、ランに笑顔を向けた。
「あら、またのお越しかい?ありがとうねぇ。あれ、皆さんお仲間さんかい?」
「ええ。ちょっと気になることがあって……」
キズナが店内を見回しながら切り出すと、主人は声を落とした。
「いやね、最近ここいらの空気が重いんだよ。頭がクラクラして、立ちくらみすることもある」
主人は眉を寄せて小さくつぶやいた。
「気のせいならいいんだけどねぇ……」
その時、キズナの眼鏡がわずかに揺らいだ。
視界の端に、黒い影が走る。
「……来てる」
キズナが短く告げると、アツも眼鏡を掛け、即座に“線”を引いた。
*
夕暮れに差しかかる商店街の裏路地――近くの団地で集まった負の感情が影化したものか、シャッターの下、街灯の影に潜んでいた“何か”が音もなく滑り出した。
四足の、犬のようなシルエット。しかし輪郭は歪み、尻尾は煙のように揺れている。
影犬型――小型の魔。
「サチハ、いける?」
キズナの声に、サチハが小さくうなずいた。
「はいっ!」
次の瞬間、影犬が三体、同時に飛びかかってくる。
アツがとっさに剣を顕現させ、一体を受け止めた。
音も無く衝撃だけが感じられる。
ランは弓を構え、矢の軌跡で二体目を引き剥がす。
しかし残りの一体が、横合いからアツの足元に飛び込んだ。
わずかに遅れたアツは、踏ん張り切れずに体勢を崩し、路地の壁に肩を強くぶつけた。
「くっっ……!」
「アツ!」
サチハが駆け寄り、反射的にペンをかざした。
淡い光が生まれ、アツの肩に絆創膏のような“線”が浮かび上がる。
その瞬間、熱が走り、アツが顔をしかめた。
「うわ、あったか……いや熱っ!」
「ご、ごめんっ……!」
サチハが青ざめた顔で手を引っ込める。
キズナが一歩踏み出し、影犬を一刀で斬り払った。
残り二体もランとアツが息を合わせて仕留める。
最後の一匹が霧散すると、路地には静けさが戻った。
*
「……終わったね」
キズナが剣を消し、息を整える。
サチハは未だ不安そうな顔でアツの肩を見ていた。
「ごめんね……ちゃんと回復できなかった」
「いや、痛くないし。ちょっと熱かっただけだよ」
アツが笑って肩を回す。
「これも訓練だろ? 次はもっと上手くやれるさ」
キズナが軽くうなずいた。
「そう。失敗も経験に変えればいい」
その時、商店街の別の方向から数人がやってきた。
「今の何だったの?」
「演舞か何か? サバゲー?」
キズナはさらりと笑って頭を下げた。
「ええ、ちょっとしたパフォーマンスです。ご迷惑をおかけしました」
住民たちは納得したように笑い、文房具店の主人は惣菜屋からコロッケを持ってきてくれた。
「これ、良かったら。気を付けて帰ってね」
商店街に、少し温かい空気が戻っていた。
*
スタジオに戻ったのは夕方。
戦闘の余韻は残っているものの、差し入れでいっぱいになった袋の中から、湯気の立つコロッケの香りが漂っていた。
「うわっ、これ……三種類あるじゃないですか!」
アツが袋を覗き込んで声を上げた。
そこには昔ながらの肉屋コロッケ、惣菜屋の野菜コロッケ、そしてカレー風味の変わり種コロッケが並んでいる。
「お婆ちゃんが“食べ比べして感想教えてね”って」
ランが笑いながら袋を差し出す。
「じゃ、夕飯前だけど……資料整理しながら食べますか」
キズナが机の上のスケッチ資料をまとめ、ホワイトボードに走り書きを始めた。
「サチハ、今日の戦闘で気づいたことある?」
サチハは少し考え込みながらも答えた。
「……とっさにヒーリングを使ったけど、熱くなりすぎちゃって……やっぱり制御が下手で」
「でも、ちゃんと治せた」アツが笑いながら自らの肩を叩く。「熱いのは……まあ、ちょっとビックリしたけどさ」
サチハはうつむきかけたが、キズナが言葉を添えた。
「初めてでそれだけ動けたなら十分。あとは“落ち着く練習”ね。漫画も戦闘も同じで、一回で完璧は無理だから」
資料棚の奥から、過去の取材ファイルが取り出される。
ケンとマナセが、散らばっていた資料をホチキスでまとめながら、惣菜コロッケをほおばった。
「……これ、ちょっと甘い。野菜多めだからかな」
ランはカレーコロッケを割りながら笑った。
「こっちはスパイシーで、なんか勝負の前に食べると元気出そうだよ」
「普通の肉コロッケが一番安定感あるな……」アツは肉コロッケを完食して頷いた。
小さなスタジオに漂う、揚げ物と資料紙の匂い。
戦闘とは無縁の、静かな時間。
サチハはそんな光景を見て、小さく笑った。
「……なんか、こういうの、いいですね」
「こういう“日常”を守るために戦ってるんだよ」
キズナの言葉に、誰もが自然とうなずいた。
机の上には、サチハが描いた包帯や絆創膏のラフスケッチが置かれていた。
それは、次に同じ状況が来たときのための――彼女なりの“準備”だった。
お読みいただきありがとうございます。
今回は特に大きな戦闘もなく、日常の空気を描きました。
絆創膏とコロッケという組み合わせ、何か妙に暖かくて好きなんです。
ただの休憩回……と思いきや、後の展開の小さな伏線がちらほら。
次回以降、また波が来ますのでお楽しみに!




