第15話「旅行」~春、故郷へのドライブ~
本作『描線眼鏡 または師匠の異常な情熱』は、想像力で武器を描き出し、眼鏡を通して“見える世界”と戦う、そんな物語です。
漫画スタジオを舞台に、日常と非日常が交錯する──
青春・バトル・SF、そしてちょっとだけ陰謀めいた物語を、楽しんでいただければ嬉しいです。
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締切を乗り越えた翌木曜は、スタジオ全休日に当てている。
しかしキズナはいつもの様に朝からスタジオに来ていた。片方のレンズが砕け、もう片方にもヒビの入った眼鏡を手に何やら思案している。
そこにサキから連絡が来た。
「おはようございます師匠、協会に連絡したところ破損した眼鏡の代替品、平板グラスの物は明日発送土曜日着で送れるそうです」
「サキありがとう。ただワタシは……ワタシの眼鏡は影の中のひかりを捉えられる物で無いとダメなの……福井に行ってくるわ」
「そう言われると思っていました。鯖江市に近接する勝山市の地磁気異常の調査依頼が以前より来ており、これを絡めればチームとして福井への遠征が出来ます。また神岡観測所へ今回の眼鏡へのバックロードの原因対策と、以前観測された干渉体への谷保博士の見解もお聞きしたいと思っています」
「サキ……KAGURAの修繕やハイパーカミオカンデの進捗も気になるしね。サチハとアツは神岡に行ったことも無いだろうし。会長と博士にアポイントを取っておきます。多分2泊3日の行程になるから、サキは宿の手配をお願い。午後に伝達の為にZoom会議を行います」
「了解です!」
*
アポイントは問題無く取れ、午後にはZoomでの会議が開かれた。
金曜から日曜にかかる3日間、宿泊地は下呂温泉と加賀温泉と発表されると、ランが、
「下呂温泉~!?ホント~ッ!ずっと行きたかったんだ~ゲロゲロ~ッ!!」
何故かとても楽しそうだ。
キズナも何時になくノリノリで旅の日程を発表する。明日は連載開始以来出来なかった手弁当を作ってくるそうだ。
週末にかけての二泊三日、移動距離もかなりのものだが、気分はちょっとした修学旅行だ。
*
金曜日の朝、キズナは誰よりも早くスタジオに現れた。まだ7:30。手には7人分のお弁当を包んだ大きなふろしき。エプロン姿で少し照れたように笑っている。
集合は9:00。サキは時間ぴったりどころか8:30には現れ、静かに玄関先に佇む。マナセは8:50。どちらも想定内だ。
アツとケンは……ぎりぎり。9:00直前に息を切らしてスタジオに滑り込んだ。
「おはようございますッ! セーフ、ですよね!?」
「セーフ判定はマナセがします」
「えっ、僕にふる!?」
そして、9:15に――サチハが到着した。目をこすりながら、髪は寝ぐせのままだ。
「ごめんなさい……目覚まし、三つかけたのに……,ジ〇ツしようかと思った」
「不用意なコト言わないの!消されるよ」
全員集合――のはずだった。
「あれ? ランが来てない」
キズナが携帯を取り出し、すぐに発信する。二度、三度。やっと出た。
「も~ひっ、もひ~……」
「……寝てる!? いま、どこ!?」
「ふとん……の中……」
スタジオに笑いとため息が交錯する。
「……っもう~家のそばまで迎えにいくから。あと30分後くらい?友よ、急がなきゃ置いてくぞ」
通話を切るとケンに
「……というわけで、ランの家に寄ってから向かいましょう」
ケンが苦笑いしながら親指を立てて応える。
「みんなはあと忘れ物とか無い?準備が出来次第出発します。ランの家で待たなきゃかもだけど」
*
ケンのミニバンはデリカD:5にオーバーフェンダーでワイドタイヤを履かせ、リフトアップもしている。
「昔乗ってたエボⅨほど速かねえが、雪道の踏破性はバッチリだぜ」
神岡はまだ雪に包まれているらしい。
ランの家は下り方向。東名川崎から高速に乗ればすぐなのだが仕方がない。
電話をかけてから20分程後、ラン宅に到着したら既に外に出て、両手を合わせたランが待っていた。
「みんな、ほんっとごめん。下呂温泉が楽しみ過ぎて、色々調べて気づいたら日が昇ってて、慌てて寝たらこんな事に……」
「しょうがないなー、もー。よし、切り替えていくぞ!旅はここからが本番!」
エンジンが唸り、車はようやく本格的に動き出す。修学旅行の始まりには、ちょっとしたトラブルがつきものだ。
*
結局当初予定より、一時間ほど遅れて横浜青葉ICから東名高速へ乗ることに。横浜町田を過ぎるまで順調だったが海老名JCでは車の流れが悪くなり、圏央道では再び順調に流れ出した。
ケンのデリカは後部ハッチに外付けされた大型キャリアと、ドローンのケースもあり厳つい。
「最高にカッコいいだろ。でも燃費は悪化した……高速でもリッター10km行かないかな?」
そうぼやいた矢先、メーターにエンプティマークが点灯する。
「マジか。入れて来るの忘れてた~まだ出発したばっかりなのに……」
圏央道に給油所は無い。
「談合坂までは問題無いだろうけど、高速で入れると高いんだよな~」
ケンがボヤく。
「……まあ、ケンさん。旅費は協会で最終的に精算出来るから……」とフォローを入れたが、一旦立て替えなのでキズナも内心アタマが痛い。
*
圏央道は無事に進んだものの、中央道へ合流する八王子JCを前に、高尾山のトンネルで渋滞にハマってしまった。時間は既にとっくに談合坂に着いているはずだったお昼過ぎ。
「ここ、土日はともかく金曜で詰まるかよ!事故かな?ムカつく!」
燦然と輝くエンプティマークにいらつきケンがハンドルを叩く。
悪くなった空気に気付いたアツが
「──着きました、高尾山!」
と、突然叫び。助手席で笑いをこらえるキズナ。
「確かに高尾山体の下だけど、ケーブルカー・ゴンドラのある下らへんだから山頂まではだいぶ距離があるわね。着きましたは語弊があるけど……師匠も来れば良かったのに」
誰かがスマホで元ネタ動画を探しはじめる。笑いが走り、空気が和らいだ。
圏央道から中央道へ、そして山間部に入るにつれて、渋滞は解消されていったが遅延は増すばかり。談合坂SAには、当初の予定より2時間程遅れて到着した。
時刻は13:30。腹時計はとっくに限界を迎えている。
「やっと着いた……」
「もうすぐお昼じゃなくて、午後の部活の時間……」
そんな冗談が出る中、キズナがふろしきを広げて手弁当を用意する。個々に保冷剤を付けているのがさすがだ。
「はい、みんな! お弁当だよ!」
その声に、全員の顔がほころんだ。
キズナの手弁当──それは、前夜から仕込んだ真心の詰まった逸品だった。
梅鮭わかめ・ゆかり・塩昆布枝豆のおにぎり、唐揚げ、だし巻き玉子、ちくわ磯部焼き、白菜サラダ、ミニ三色団子、たくあん。彩りにブロッコリーとミニトマトが入っている。
相変わらず、しっかりと栄養バランスの取れた健康手弁当だ。
「わ~キズニャのお弁当久しぶりだよ~!」とマナセ。
「大部連載のペースが掴めてきたから、月曜のお弁当復活させようと思ってるんだけどね。あ、来週は旅行明けだからさすがに無理かな」
とキズナが答える。
「ちなみに予備は無いよね」とマナセが続けるが
「それは無いです。一食分で十分カロリーも栄養素も足りてます」と返されガックシ。
笑いがこぼれ、談合坂のベンチエリアはピクニック会場になった。
*
無事に給油も終え、ドライバーはケンからマナセへスイッチ。
後部座席ではサチハがウトウトし、アツは景色をスケッチしている。
「さあ、次は駒ヶ岳PAを目指します。おやき食べたい人〜?」
キズナの声に、全員の手が上がる。
14:30──出発の遅れを取り戻すことなく、旅は続いていく。
*
談合坂を出た一行は、マナセの運転による大部控えめな法定速度で中央道をさらに西へ進む。
笹子トンネルを抜け甲府盆地に入ると、空はようやく晴れ間が見え、車内にも落ち着いた空気が流れていた。
すると突然ケンが右手を高く3回突き上げ、オーオーオーと叫んだ後、北の山に向かって深く頭を垂れた。
「……ケンさんいったいどうしたんですか?」アツが尋ねると、ケンは
「あそこには俺が子供のころ大好きだった世界最強のプロレスラーが眠っている。俺はあの人の言葉を胸に、これまでもこれからも生きていく」
サチハが由来を検索してみる。
「……ホントにいい言葉ですね。サチも頑張ります」
実際良い言葉だった。
*
「八ヶ岳が見えてきたよ」
助手席のキズナが声をあげ、皆の視線が左手に向く。大きな山並みが、青い空の下にくっきりと浮かんでいた。
「お先は──まっキラだ!」
サキの真顔ボイスに、車内がざわつく。
「それ言ったら……降るよ、雪」
「やめろ、フラグやめろ」
しばらくすると、諏訪湖を右手に見ながら、北西に下ってきた道を南西に上っていく。
「ここまで来たら田舎に帰りたいけど、あとでおやきも食べられるから」
ハンドルを握るマナセが呟く。
*
16:30頃に駒ヶ岳SAへ到着。
「時間やばくない……?」
「それでも、おやきは食べる」
と、ケンが言い切る。
長野名物のあつあつおやきは、種類も豊富。野沢菜、なす、あんこ──それぞれが手に取り、かじっては顔をほころばせた。
ここで再び運転をケンに交代。彼はハンドルを握ると、ぐっと目つきを変えた。
「──時間巻くぞ」
法定速度の限界を超えないギリギリを爆走した(かもしれない)
だが、伊那を過ぎる頃から、雲が低く垂れ込めてくる。
「なんか、暗くない?」
「……まっキラ、終わったな」
誰かがつぶやいたその直後、恵那山トンネルを抜けた先の木曽路では、本格的な雨が降り始めていた。
*
中津川ICを降りる頃には、窓の外は完全な夕暮れ。雨脚も強まっていたが、さらに裏木曽から飛騨へと向かう山間に入ると、雨は雪へと変わった。とはいえ、ミニバン・デリカD5の走破性は確かだった。路面が荒れても、ケンはスムーズに疾走していく。
木々の枝に積もり始めた白は、旅の終盤にふさわしい幻想的な風景をつくり出していた。
「──滑ってる?」
「いや、大丈夫。スタッドレスだからな」
ケンの言葉に、後部座席の面々も少し身を起こす。
18:30。下呂温泉の旅館に、ようやく明かりが見えた。
「──着いたぁ……」
「さすがデリカ。道を選ばんな……」
*
「着きました下呂温泉!」
ランが高らかに宣言し、下呂の地に降り立つ。
下呂温泉の旅館――老舗の趣漂うその玄関をくぐると、ふわりと湯の香が出迎えた。
「うわ……温泉の匂い、するね」
サチハが目を輝かせる。ランはロビーのカエルの置き物を次々に撮影していた。
「浴衣が選べるの、いいなぁ。紫が似合いそう、マナセ」
「……じゃあ、それにする」
無表情ながら、マナセがすっと手に取ると、どこか嬉しそうに見えた。
荷物を部屋に運び、畳の匂いにひと息つくと、すぐに部屋食の膳が運ばれてくる。
飛騨牛の陶板焼き、川魚の塩焼き、地元野菜の煮物、五平餅……。湯気と香ばしさが空腹を刺激し、テーブルを囲んだ面々は自然と笑顔になっていた。
「いただきます!」
皆の声が揃い、夕餉が始まる。
「こっちの味噌、甘くて美味しい……」
「見て、牛肉の焼ける音……ほら、ジュゥ~!」
箸を動かす手も、言葉も、どこか楽しげで。いつもの作業場では見せないような、柔らかな空気が漂っていた。
キズナは少し離れた席から、皆の表情を静かに眺めていた。
──いまだけは、誰もが“ただの若者”に戻っていた
まるで、家族のようだった。
「明日は雪、大丈夫かなあ……」
とサキが呟くと、
「晴れるよ。だって、お先はまっキラだから!」
ランが即座に返し、全員が吹き出す。温泉宿の夜は、そんな冗談でさらに温まっていった。
食後、それぞれが浴衣に着替えて、大浴場へ向かう。
湯煙の中、静かな湯音とともに、少しずつ今日の疲れが溶けていく。
「このお湯……染みるなあ……」
「うん……肩の線が軽くなる感じ」
言葉少なに、けれど確かに、体だけでなく心もほぐれていくのが分かった。
湯上がりには、レトロな卓球台で真剣勝負を始めるグループと、外の足湯に行くグループに分かれたが、ランの強い拘りで浴衣には下駄と、雪の寒空にケンとマナセを伴い出ていった……。
卓球組が一通り対戦を終えた頃(キズナ3勝、サチハ2勝1敗、アツ1勝2敗、サキ3敗)、足湯組が戻って来たが、足元が真っ赤だ。
「やばい、やばい。霜焼けコースじゃん」
とキズナが声をかけると、ランが
「下駄と足の間に雪が入って……」
「裸足で歩いてるみたいなもんじゃん」
「でも足湯が熱いくらいだったから、丁度良かったよ」
と涼しい顔のラン。
一方ケンとマナセの顔が青ざめていた事は言うまでもない。
*
深夜、アツはそっと縁側に出て、冷たい空気の中でスケッチブックを開いた。
雪の降りしきる温泉街。柔らかな灯りが石畳に滲み、景色全体がぼんやりと美しかった。
彼は静かにペンを走らせ、ページの端に一本の線を引く。
「旅って、いいもんですね……」
誰にともなく、そう呟いて、ゆっくりと息を吐いた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回は第15話「旅行」――チームでの遠征回です。
目的地は観測拠点・神岡鉱山と、眼鏡の故郷・鯖江を訪れるのが主目的ですが、その前に立ち寄るのが下呂温泉。
早春の道中、ワチャワチャとしたチームのロードトリップを楽しんでください
次回、第16話「観測」では、いよいよ科学と魔の核心へ。
引き続き、どうぞよろしくお願いします。




