第14話「破損」~すれ違いの戦場で~
本作『描線眼鏡 または師匠の異常な情熱』は、想像力で武器を描き出し、眼鏡を通して“見える世界”と戦う、そんな物語です。
漫画スタジオを舞台に、日常と非日常が交錯する──
青春・バトル・SF、そしてちょっとだけ陰謀めいた物語を、
楽しんでいただければ嬉しいです。
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静かなスタジオだった。
窓の外は薄曇って午後の光を照らしていた。時間はまだ昼下がり。空気には、わずかに安堵のにおいが漂っていた。
このひと月。
毎週締切と、時おりの戦闘と、めまぐるしかった日々。
――けれど今日は、なんとなく拍子抜けするほど順調だった。
アツはモニタに向かって、ランに教わったとおりのペン入れを試みながら、ささやかな達成感に浸っていた。
ケンはマナセに
「冷蔵庫に缶コーヒーあるから、取ってきてくれよ」
などと、手の空いた時間に有りがちなダル絡みを始めていた。
しばらくしてフクハラが来た。先週までの締切日の殺気だったハイテンションと違い、落ち着いた表情と声色で朗報をもたらしてくれた。
「皆さんお疲れさま。アンケの好評を受け『眼鏡の女の子』パイロット連載から正式連載に移行する事が決定しました」
皆に穏やかな感動が拡がる。
と、突然にテンションを上げて、続けた
「さらに!ここでっ、ドーンと来ました! 皆さん、巻頭カラーです!!(バァン) 新年度一発目となる4月1週の発売号で巻頭カラーとなる事も大決定しました!!!」
皆に今度は緊張が走ったが、すぐに弛む。4月1週号の締切日は3週間先。今日の入稿が終われば、来週は春分の日の都合で合併号となる関係で休み、巻頭カラーは次の次だ。
「フクハラさん、みんな、ありがとう。チームがここまで上げてきた成果です」
キズナは安心感と充実感を隠せずにいたが、チームを引き締める為に声をかける。
「今日の入稿は見えていますが、入稿が完了するまで気を抜かずに作業しましょう」
*
午後が進んでも作業は順調に運んでいたが、時間に余裕があるせいかスタジオの片隅で口論が起きていた。
「そのトーン、濃すぎる。線が死んでるわ」
「でも、光源からしてこのくらいの陰影は必要です」
ランとサキの、遠慮のないやりとり。
サキの語調は丁寧だけど、逆にそれがランの反発を煽る。
席に戻ってきたアツは、こっそり隣のサチハに声をかけた。
「……なんか、ピリついてきた?」
「……うん、みんな終わりが見えて来たからね、かえって」
サチハはそう言って、トーンの貼られた画面をじっと見つめていた。
その背後で、ランの語気がひときわ鋭くなる。
「感覚だけで処理してたら、収拾つかなくなるのよ!」
「だからこそ、私はデータで見てるんです」
アツはそっとペンタブに視線を戻した。
あのふたりの議論は、もう少し続きそうだった。
すっかり手持ちぶさたになったケンが、マナセに声をかける。
「なあ、マナセ。唐揚げ買ってきてくれよ。コンビニのじゃなくて、駅前の唐揚げ屋のな」
「ええっ、なんで僕ばっかり……! もう手は空けられるけどさ」
ケンとマナセが、例によってのやりとりを始める。
「金は出す、釣りはいらねえ」
「じゃあ僕の分も買いますけど」
「うむ、それは許可する」
「も~う……ランラン自転車借りてくよ」
「良いけどサドル上げたら、戻しておいてね」
マナセがしぶしぶ上着を羽織る姿を横目に、アツは小さく笑った。
*
『check……!「眼鏡の女の子 第5話」入稿完了』
「入稿完了。サーバー転送成功。現在、レイアウト班がチェック中です」
「おっけ~。うんうん、今週は余裕あって助かったよ!」
フクハラは両手でデータチェックリストを掲げて、満面の笑みを浮かべた。
「締切19:30でこの時間なら、もはや勝ち確。毎週こうだとありがたいんだけどね~」
時計の針はまだ16:45を指していた。
彼が足取り軽くスタジオを後にした瞬間――まるで張り詰めていた空気が、糸が切れたようにほどけた。
「ふぃー、肩こった……」
ランが真っ先に体を伸ばし、ケンは堂々とコーヒーを淹れに立ち上がる。
キズナは今週~来週の予定に想いを馳せる。
(明日は全休日だから、久しぶりにストック武器の書き換えと創作をして、来週はしばらくやっていなかった協会の研修プログラムをやって……あと協会の依頼簿も見直さないと)
と口には出さずも、明日からの予定を考えていた。
その隙を縫うようにマナセが帰ってきた。唐揚げのパックを手に。
「はい。揚げたてでした」
「おー、ナイス。これはもう、サクサクの黄金比!」
ケンはさも当然のように、マナセの唐揚げを一つつまみ食いし――
「……それ、僕の分……」
「礼のしるしに、お駄賃として金は多めに渡してある。感謝してくれ」
「納得できるかー!」
ようやく落ち着いた――と思った、そのときだった。
壁のディスプレイが揺れるように点滅する。
「 《Priority Alert/警戒レベル:R級》
《発生地点:川崎市東部/ターゲット半径、500m±50m》
《予測時間:+01:15:00±05:00》」
キズナがディスプレイを指差す。
「……該当地域、観測班ラン、データ確認して。サキ、予測モデルを起動」
ランとサキが頷くが、その視線は互いに鋭く交錯する。
「私のニュートリノ観測では……この分布、自然崩壊じゃない。振動データに異常がある」
「でも、重力波の計測では安定してます。数値で言えば“出ていない”」
「数値で全部がわかると思ってるの? 感覚が先に動くのよ」
「感覚は統計に勝てません」
不穏な火花が、再び散り始める。
「――もういい。車内で口喧嘩するようなら降ろすわよ」
キズナがぴしゃりと遮った。
場の空気が、さきほどの弛緩から一転して、張りつめる。
唐揚げの香りだけが、妙にスタジオに残っていた。
*
戦場は、臨港区画の外れにある再開発地区だった。
開店前の複合ビル群。工事の途中で止まった歩道。張り出した鉄骨が空に向かって歪んでいる。
その隙間に――何かがいた。
「確認。魔のクラス=R。構成は……同位相の二重体。近づくまで実体が定まらないタイプです」
サキが車内端末から読み上げる。
だが先に動いたのはランだった。ビルの影に向かい、軽やかに跳ねるように駆ける。
その背を、サキが睨んだ。
「単独行動は指揮系統を乱します!」
「回り込みます! あんなの真正面からじゃ当たらない!」
そして、その直後――。
銃声が鳴った。
「……ちょっと!? 今、誰が撃ったの!?」
ランの怒声。サチハの肩が、びくりと揺れた。
「わ、わたし……魔がいたと思って……」
「その方向には誰もいなかったわ。何見て撃ったの?」
「えっ……え……たしかに……見えて……たのに……?」
次の瞬間、影がひしゃげるように飛び出した。
二重像の一つがアツの背後を狙っていた。
「アツ、後ろっ!!」
咄嗟に振り返る。手にした刀で迎え撃てる距離ではなかった。
反射的に駆け込んだサチハの方向を横目に捉える。だが彼女は呆然と立ち尽くしていた。
だから、自分で跳ねた。
アツは刀を抜きながら、サチハと魔の間に身を滑り込ませた。
刹那、腹の奥に鋭い衝撃が突き上げ、視界が白く揺れる。膝が崩れ、思わず手をつく。
「アツ!!」
「……だいじょうぶ、だいじょうぶ。ちょっと見えただけ、だから……」
服は無傷だった。だが、皮膚の下で灼けたような痛みが走っている。
眼鏡越しに“喰らった”一撃。実際には触れていないはずなのに、
想像力が傷を描き、認識がそれを現実にした。
──脳が「斬られた」と判断した瞬間、痛覚は本物になったのだ。
サチハが、震えながらその場に崩れ落ちた。
「なんで……わたし、見えてたはずなのに……!」
遠くで、サキがつぶやくのが聞こえた。
「なぜ?前からサチハの視覚ログに違和感はあったけど?認識同期は……ログ確認、照合中。……これは、ただの“見落とし”じゃない。何かが、遮断してる……?最初から、同期してない。視覚ログはあって認識ログが無い」
*
「攻撃パターンが変化しています!」
サキが叫んだ。
「先ほどまでの二重体とは異なります。像の片方がずれて、空間内で揺れている……」
「……ズレてる? じゃあ……!」
ランが跳ねた。直感が動いたのだ。すかさず矢を構える。
「距離、60メートル。照準……行った!!」
矢が閃光のように飛び、揺れる像の片方に刺さる。
魔が咆哮した。響きは二重になり、空気が波打つ。
「なにこれ、反響してる……」
マナセが眉をしかめる。
「魔像が分離して共振してる! このままだと……!」
その時だった。サチハが、半歩、前へ出る。
「……私、やっぱり戦えないんだね」
誰も応えなかった。
サチハは銃を握りしめながら、わずかに震えていた。
「なんのために、ここにいるんだろ……。みんな、見えてるのに……私だけ……」
目の奥に、涙が浮かんでいた。
「……私、何の役にも立たないよ。戦えないなら、なんのために――」
「――戦い方は、ひとつじゃない」
キズナの声が鋭く割り込んだ。
彼女は静かに、しかしはっきりとサチハの肩を掴む。
「線を引く方法は、武器だけじゃない。人の声だって、想いだって、支えになる」
その言葉に、サチハが目を見開いた。
「“見えない”ことは、罪じゃない。誰にだって、見えないものはある」
「でも……!」
言いかけたその瞬間――。
空気が破裂した。
魔像が、異常に膨張するように揺れ、ダブルイメージが分裂した。
「キズナさん、危ない!!」
アツの叫びと同時に、キズナは跳んだ。魔像の共振と干渉波が、彼女の“認識負荷”に集中する。
そしてその刹那、眼鏡のレンズにひびが入った。
「くっ……!」
揺れる魔像が放った衝撃波。キズナの視界がぐにゃりと歪む。
だが、迷いはなかった。
「いけえぇぇえええええっ!!」
刀が閃き、魔像の中心を切り裂く。共振音が砕け、空気が収束する。
瞬間、静寂。
地面に、割れた眼鏡の破片が、落ちた。
誰も、すぐには動けなかった。
*
帰りの車内には、音楽すら流れていなかった。
エンジン音とタイヤのかすかな摩擦音、そして窓の外を過ぎていく街灯の光だけが、夜の沈黙を切り取っていた。
助手席のキズナは黙ったまま、レンズの割れた眼鏡を見つめている。
膝の上には、拾い集めたガラスの破片。傷こそ浅かったが、レンズのひとつは完全に砕けていた。
後部座席では、サチハが膝を抱えて項垂れている。
マナセとランも、何も言わない。
誰も、何も言えなかった。
アツは肉体的には傷一つ負ってはいなかったが、痛みの記憶が持続してダメージを与えている。しかし、意を決して口を開く。
「……“見えない”ことが、悪いわけじゃないと思う」
ぽつりと、優しい声。
「誰にだって、わからないことはあるし……僕だって、最初は何も見えなかった。でも、サチハがいたから、怖くなかったよ」
サチハが小さく顔を上げる。
「アツ……」
「だから、……自分を責めないで。ね」
その言葉に、サチハの目がうるむ。
「……ありがとう」
小さく、でも確かな声だった。
ふと、ルームミラー越しに、ケンがマナセと目を合わせた。
ほんの一瞬だけだったが、どこかに「お疲れ」とでも言うような、柔らかなものが流れた。
サキとランも、同じように短く視線を交わす。
「……やっぱり、感覚って必要よね」
ランがぽつりと漏らすと、サキが少しだけ口元を緩めた。
「……科学的裏付けも、あってこそです」
その静かなやり取りに、ほんの少しだけ、車内の空気が柔らかくなる。
そして、キズナがふっと笑った。
「あのタイミングのバックロード……負荷が異常だった。修理できるかしら、この眼鏡……」
膝の破片を、指先でそっと撫でる。
「――いや、できる。行かなきゃ。福井へ」
その言葉が、次なる旅路を照らしていた。
*
深夜、スタジオのモニターには、戦闘ログのウィンドウが幾重にも重なっていた。
背景の喧騒はすでに消え、他のメンバーはそれぞれの家路についている。
静寂の中で、サキは一人、戦闘中の各員の映像と認識ログを照合していた。
目の前に浮かぶウィンドウには、サチハの主観映像。
たしかに、魔の輪郭はそこに映っている。
けれど。
「……やっぱり。視覚ログはあるのに、認識ログが……空白?」
重ねた認識フレームは、魔の影をまったく追っていなかった。
そこには、どこまでも“空っぽのまなざし”が広がっていた。
サキは思わず呟く。
「これは……見えているのに、わかっていない。映っているのに、意識が像を“認識”していない。意味が構成されていない。という事は……ゲシュタルト崩壊?」
カタカタ、とキーボードを叩き、ログを暗号化してバックアップに移す。
“今はまだ、誰にも言えない”。
それは彼女なりの慎重さであり、仲間を守るための選択だった。
ログ処理を終えたモニターに、別のウィンドウが起動する。
《YAHO Optical Holdings》《KAGRA:神岡観測所》
表示されたのは、――重力波干渉計の中枢施設だった。
サキは無言でそれを見つめ、メモを一つ書き加える。
《福井勝山・恐竜層地磁気帯との相関、再検証の要》
そして立ち上がると、静かに囁いた。
「――行きましょう、師匠。眼鏡の故郷へ」
夜はまだ深く、けれどその先の地平は、すでに静かに光り始めていた。
ご覧いただきありがとうございます。
第14話「破損」では、これまで築かれてきた“線”の連携が崩れ、チーム内に不穏な空気が流れます。サチハの異常、眼鏡の物理的損傷、そして戦闘中のすれ違い——それでも彼らは進み続けます。
このエピソードは、後の「福井・岐阜遠征編」に繋がる転機となる重要回です。
次回、第15話「旅行」は旅の始まり。バトルは抜きで仲間達の珍道中!?前代未聞のロードトリップスタート!
引き続きよろしくお願いいたします。




