表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/26

第13話「師匠」~トキワ莊から繋がるもの~

本作『描線眼鏡 または師匠の異常な情熱』は、想像力で武器を描き出し、眼鏡を通して“見える世界”と戦う、そんな物語です。


漫画スタジオを舞台に、日常と非日常が交錯する──


青春・バトル・SF、そしてちょっとだけ陰謀めいた物語を、


楽しんでいただければ嬉しいです。


現在は毎週水曜・日曜の21:30更新を予定しています。


ブクマ・感想・評価など、応援いただけるととても励みになります!

 締切明けのスタジオには、妙に張りつめた空気が残っていた。


 誰もいないはずの室内。ペンタブの電源は落ち、使い古されたトーンの切れ端が作業台の上に散らばっている。冬の光が、硝子越しに机の影を長く落とす。


 キズナは、ひとり。

 黙々と、原稿の残骸を片づけていた。


 印刷済みのチェックリスト、下書きに使った青鉛筆、トーンを貼り損ねたコピー用紙。アシスタントたちが慌ただしく駆け抜けていった名残が、どこか舞台の幕が降りたあとの舞台袖のように、静かに残っている。


 冷えた紅茶の入ったカップを見つめながら、キズナはため息をひとつついた。


 何か──置いてきた気がする。


 あれほどの戦闘と修羅場と締切を乗り越えたのに、いまこの空間にいる自分だけが、まだその中に取り残されているような感覚。


 机の隅に置いてあった書類の束。その中に、小学生の頃に描いた漫画のコピーが混じっていた。ふと手に取り、ページを繰る。下手くそな構図。言葉足らずな吹き出し。だが──


「……このとき、もう“見えてた”のかも」


 口の中で呟く。


 吹き出しの外に、黒い線がある。小さな自分が無意識に描いた“何か”。


 魔、と呼ばれる存在と似た影。形ではなく、違和感としてそこにある、奇妙な“歪み”。


 今ならわかる。


 当時の自分の線は、確かに何かを捉えていたのだ。

 ペンが手に吸いつくような感覚が残っている。


 考えようとするたび、心の中で描線が走る。紙の上ではない、もっと奥深く、意識の底に。


 ──記憶が巡りだす。


 *


 ──十年近く前。まだ、キズナが小学二年生だった頃。


 その日、空はやけに眩しかった。冬の光が反射して白く輝く駅前の歩道。小さな足で、キズナは歩いていた。


 行き先は──協会。祖母が口にしていた、「見えない線が見える人の居る場所」


 緊張と興奮で、ランドセルの肩紐がいつもより重く感じられる。


 「……見えてるんだもん」


 自分でも、はっきりとは説明できない。

 だけど、あの黒い影は確かにいた。


 教室の隅、夜の窓の向こう、ノートの片隅に現れる“あれ”。

 何度も描こうとして──上手く描けなかった。


 でも、わかっていた。あれは、ただの想像じゃない。


 当時協会大阪分室の受付は、某駅前の雑居ビルの六階にあった。

 

 エレベーターのボタンが高くて、背伸びして押した。

 ドアが開き、足を踏み入れると──そこは、空調のきいた静かなロビーだった。


 受付にいた女性が、驚いた顔をする。


「えっと……まだ小学生、ですよね?」


 キズナはうなずく。そして、持ってきた封筒を差し出す。中には、自作の漫画原稿が入っている。


「でも“見えてる”んです。時々、目の隅に。──怖くないから」


 受付の女性が返答に迷っているとき──


「面白い線だなあ、それ」


 背後から、気配もなく現れた声。


 肩幅の広いコート姿の人物。髪は乱れていて、顔には薄くインクがついていた。


 その人──星野トシロウは、封筒を手に取り、中をちらりと覗くと、にやりと笑った。


「混じり気がない。受け取る価値がある。なら、僕が受け取るよ」


「え……?」


「保護者代行、ってことでさ。受付さん、これで問題ないよね?」


 受付の女性が戸惑いながらも頷くのを見届けて、星野はキズナの頭を軽く撫でた。


「ようこそ、我がスタジオSstationへ──って、まだ何も始まってないか」


 その瞬間、キズナは思った。


 この人は、“見えてる”。


 自分の線も、絵も、恐れも、全部を。


 後に聞くと心配した祖母が、そっと星野師匠マスターを見守りに付けていたらしい。

 小学二年生が一人で大阪の街中まで行くのだ。今になるともっともな事だが、とにかくそれが師匠マスターとの出会いだった。


 *


 キズナが“スタジオ星野”に加わったのは、その春家族が関東に引っ越してからだった。


 まだ鉛筆の持ち方も怪しかった頃だ。画材棚に並ぶつけペンやホワイト、トーンナイフ──すべてが未知で、紙の匂いすら強く感じられた。


 最初に教わったのは、線の引き方だった。

 星野は、よく言っていた。


「線は、世界を定義する。輪郭を与え、意味を切り出す。君の線が、君の世界をつくるんだ」


 ただの理屈じゃなかった。星野の言葉には、実感があった。

 机に向かうキズナの隣では、別のふたりも描いていた。


 一人は、静かな表情で濃い色を好む湧口マナセ。

 もう一人は、独特な曲線と装飾を多用する館山ラン。


 ──同い年ではなかった。

 マナセもランも高卒で入ったばかりの新人。

 けれど、当時は三人とも同じレベルで、失敗ばかりだった。


「このホワイト……はみ出したとこ、わかるかな……」


 マナセがぼそりと呟いて、星野が即座に手を伸ばす。


「ここだな。線の意図からズレてる。ホワイトは修正じゃなく“選択”だ。何を見せるか、考えろ」


 ほぼ同時に「ひぃぃ……」とランが思い切り後ろへのけぞった。


「このトーン、私が貼ったやつじゃ……いやでも、この形、ちょっとウケると思ったんですけど……っ」


「面白いけどテーマに合ってないな。ギャグじゃない。構図が死ぬ。やり直し」


「ぎゃー!!」


 その場にいた全員が笑った──星野以外は。


 星野の教えは厳しかったが、理不尽ではなかった。

 彼の指摘はいつだって正確で、痛いほど核心を突いていた。

 漫画と同じように、戦闘訓練も少しずつ始まった。



 ある日の夕方、公園の広場。シミュレーションにスタジオの三人と星野が出向いた。


 マナセは仮想空間で実体化した斧を構えたが、バランスを崩しよろける。


「ちょ……ちょっと待って、……うわ、足つった……」


 ランは矢を放とうとして、視線を逸らした。


「ま、まぶしっ……! やだ、太陽の角度がっ!」


 最前線では、キズナが震える手で眼鏡を調整しながら、スケッチブックを構えていた。


 脳裏に浮かぶ“魔”の影を、そのまま線にして紙へ刻む──。


 その瞬間、敵の動きが止まった。


「……私の線で、あの影が、止まった……?」

 

呼吸が荒くなる。頭が痺れる。


「……キズナ。やはりそれが出来るか。“見える”者でも必ずしもそれが出来る訳では無い。かつてタブペンや電子媒体に創造の武器を転送するような技術が無かった頃。トキワ荘の|偉大な師匠《グレート・マイスター》達がそうやって戦っていたんだ」


 ──描くことは、戦うこと。


 その日から、彼女はその事実を、身をもって知ることになる。

 

 *


 冬の夕暮れは早い。スタジオの窓の外、空はすっかり鉛色に沈んでいた。


 キズナは原稿用紙をひとつずつ束ね、机の端に並べていた。

 締切は越えた。仕事は終わった。なのに心は、まだ線の余韻から抜け出せない。


 ──終わったはずなのに、まだ描線の中にいるみたい。

 何かを描こうとすると、思考の途中で手が止まる。


 ペンを持つのが怖いわけじゃない。けれど──どうしても、少し迷ってしまう。


 ふと顔をあげてみた。


「……ドア、開いてた?」


 気づけば、そこにいた。

 星野トシロウ。


 どこから入ってきたのか。キズナが目を向けたときには、その人はもうソファに腰かけていた。


 寒風を連れてきたような気配が、ふと足元を吹き抜ける。


「──締切、おつかれさま」


「……師匠マスター、チャイムぐらい……」


「チャイムしたよ。君が気づかなかっただけさ」


 どこかとぼけたような笑みを浮かべて、星野は外套を脱いだ。

 中はいつものシャツにベスト。冬でも袖はまくっている。年中、変わらない格好だ。


「今日は……何の用ですか。仕事の話じゃ、ないですよね」


「うん。仕事じゃない。たまには、君と話がしたくてさ」


 キズナはペンを置いて、向かいの椅子に座る。


「……あの頃の話、ですか?」


「もっと昔の話だよ。今の線と、地続きの」


 小さく笑って、星野は目を閉じた。


「僕が、まだ二十代の頃。入稿などは徐々にデジタルも入ってきていたが、紙に描くのが当たり前だった時代だ。もっと前、僕の師匠マスターや君のお祖母様、そしてトキワ荘の|偉大な師匠《グレート・マイスター》達の時代……」


キズナはあの日の公園を思い出す。


「紙は……今みたいに、眼鏡ともペンともリンクしてなかったんですよね?」


「そう。描いた線が武器になるかどうかも、個人差が大きかった。“眼鏡”の補正も、ほとんどなかったからね。想像力だけが、頼りだった」


「……でも、師匠マスターや、いにしえの師匠達マイスターは、それでも描いてた」


「描いてたさ。命を張ってね。──震災のときも、そうだった」


 キズナの指が止まる。


 星野は、あの日のことを初めて語った。


「震災の後、福島に向かった。震災の混乱で当時の若僧達しか現地に向かえなくてね。“核魔”であることはわかっていたが、あんな最悪の存在とは……」


 話には聞いていた。UR級、神話災とも歴史災とも言われる概念を超えた魔だ。


「僕とカミちゃん……上青石先生、そしてカムちゃん……川村先生の三人で現場に入った。たった三人だったけど、それでも止めた。あれが、僕たちの“覚悟”だった」


「……カムちゃん?」


 キズナの声がかすれた。


「伯母さん、のことですか?」


「……そうだ。キズナ。君が“線”を引けるのは、きっと系譜の中にあるものだよ。君のお祖母様の荻野先生も、僕の師匠も、あのトキワ荘から繋がっている」


 星野の目が、まっすぐキズナに向けられた。


「でもな、継承するってことは──ただ守るんじゃない。“線”は引き継ぎながら、変わっていくんだ。刷新、イノベーションするために、君は描いてるんだよ」


 キズナは、しばらく黙っていた。


「……師匠は、後悔してますか? 描いて、戦って、……誰かを助けられなかったこと」


 星野は、静かに笑った。


「してるさ。でも、描くのをやめなかった。それだけは──確かだよ」

 

 *


 同日 午後


 地下鉄・虎ノ門ヒルズ駅を出ると、冬の空がビル群の狭間からのぞいていた。


 野田三郎はスマホに表示された地図を見上げた。

 目的地──「公益社団法人日本科学漫画協会 本部ビル」。


 文化庁の関連機関として登録されてはいるが、その実態はほとんど明かされていない。


 入口の自動ドアをくぐると、巨大な鉄腕アトムのフィギュアが目に飛び込んできた。

 ビル全体は洗練された近代建築でありながら、ロビーだけ異様に“レトロ”だ。

 受付カウンターの奥には、手塚治虫による『火の鳥』の複製原画が額装されている。


 ──まるで、漫画の博物館だな。


 野田は取材証を提示し、案内を受けてエレベーターへ向かった。20階のフロア全体が、協会の専有スペースになっているらしい。


 応接室に通されると、すでに一人の女性が待っていた。

 白いパンツスーツに身を包み、シルバーグレーの髪をすっきりとまとめたその人物は──


「はじめまして、野田さん。会長の笹崎花子です」


 姿勢も声も、老舗出版社の女性役員のような威厳を帯びていた。


「本日はお時間ありがとうございます。さっそくですが──」


「ええ、ご質問にはなるべくお答えしますよ。まあ“機密”に関わらない範囲でですが」


 皮肉とも冗談ともつかない口調だった。


「日本科学漫画協会は、公的機関と連携した公益法人です。文化の振興を通じ、表現者の支援と海外への文化発信。他に被災地への支援などを行っています」


「海外需要支援開拓機構=クールジャパン機構との金融支援・人的交流がありますね?」


「はい。海外での日本マンガの需要は急増しています。韓国でのK-POP輸出などに見られるように、国策として文化輸出を打ち出す事は何処の国でもやっていることです。私どもは公益法人として利益の追及では無く、そのお手伝いをさせて頂いています」


 予想出来た形式通りの回答だ。


「被災地への支援を口に出されましたが、マンガと被災地支援にどういった関連があるのでしょうか?特に東日本大震災直後に協会の予算が急増した経緯について──」


「被災地・被災者のQOLに文化的な側面がとても大事な事は、様々な研究やデータにおいて証明されてきた事です。私どもはその観点から可能な限りの支援をしております」


 これも想定の範囲だ。野田は隠し球を直球でぶつける事にした。


「昨年、防衛装備庁次世代装備研究所、この秋から新世代装備研究所と防衛イノベーション科学技術研究所に改編されるそうですが、ここの所長がこちらに再就職、平たく言うと天下りされたそうですが、どういった経緯だったのでしょう?」


「……公益法人は様々な知見に基づいて、必要な元官僚人材に来てもらっています。……まさにイノベーションという分野は私どもの社会貢献に必要な知見にあたると考えております」


 野田は目を細めた。一瞬の言い淀みを見逃さなかった。


「……ありがとうございました。とても参考になりました」


 とはいえ直球で勝負出来るのはこの辺までだろう。


 応接室を出た瞬間、足元がふらついた。気づかぬうちに、身体が強張っていたのだ。


 (何かが……ズレている)


  エレベーターの扉が閉まるその直前、野田はもう一度振り返った。

 無機質な白の壁。その奥に、鉄腕アトムの微笑が沈んでいた。

 

 *


 夜のスタジオは静まり返っていた。


 誰もいない部屋に、キズナはぽつんと一人。


 さきほどまでの会話の余韻が、まだ空気の中に残っている気がした。


 机の上には描きかけのラフが数枚。

 その脇に置かれた、古びたケース。

 キズナはそっとそれを開ける。


 中には、使い込まれた金属フレームの眼鏡──初代の「眼鏡」だ。祖母から引き渡されたもの。パッと見には古ぼけたただのメガネと変わらないが、光学的に祖母の眼に合わせて調整されている。


「お祖母ちゃん……」


 祖母が描いた線。


 星野が継いだ線。


 そして、自分がこれから引くべき線。


 ふと、かつて描いた一枚の模写──祖母のデッサンをまねて描いた、まだ稚い筆致の紙が、ファイルの間からこぼれ落ちた。


 キズナはそれを拾い上げ、微笑む。


 「……この時、もう“見えて”たのかも」


 見ようとしたから、描けた。

 描いたから、見えた。


 そうやって、誰も知らない世界とつながってきた。

 彼女は古い眼鏡をケースに戻して、そっと閉じた。

 

かつて東京の片隅にあった「トキワ莊」の時代から、震災、そして現在まで──

“線を引く”という行為が、どんな思いと共に受け継がれてきたのか。


本日、第13話「師匠」~トキワ莊から繋がるもの~を投稿しました。


今回は戦闘も日常もひと休み。

物語の核心にある“創作の継承”を描く回想編です。


震災を経て受け継がれてきた〈線を引く〉という行為──

キズナと“マスター星野”の出会いと、師弟としての軌跡を静かに描きました。


そして次回、第14話「破損」~すれ違いの戦場で~では、

再び現場に戻り、仲間との不協和音と戦闘の混乱が描かれます。

新たな危機と、キズナの眼鏡に起きる異変。

“描線”の象徴が砕けるとき、チームに何が残るのか──


引き続き、ご覧いただけたら嬉しいです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ