第12話「締切」~魔と線とアップロード~
本作『描線眼鏡 または師匠の異常な情熱』は、想像力で武器を描き出し、眼鏡を通して“見える世界”と戦う、そんな物語です。
漫画スタジオを舞台に、日常と非日常が交錯する──
青春・バトル・SF、そしてちょっとだけ陰謀めいた物語を、
楽しんでいただければ嬉しいです。
現在は毎週水曜・日曜の21:30更新を予定しています。
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翌日 正午。
冬の光はスタジオの窓をかすかに照らし、外気は冷え切っているのに、室内は熱を帯びていた。
ペンタブレットの操作音、プリンターの排出音、ペン先のこすれる微かな音。
それらが混じりあった騒がしさの中で、誰もが黙々と机に向かっていた。
マナセがタブレットの画面に顔を近づけ、うめくように呟いた。
「……重い。トーン貼っただけで、処理落ちって……」
Wi-Fiルーターのランプが青から黄色に変わって点滅している。
ネット接続が不安定なせいか、クラウド上の共有ディレクトリの更新も妙に遅い。
「あと7時間半……ギリギリですね」
そうつぶやいたのは、プリンターの前で汗を拭いていたサチハだった。
紙の束を整えながら、彼女はちらりと壁のタイマーに目をやる。
──推奨アップロード時間:残り7h 29m 。
キズナはモニターに表示された見開きページを見つめたまま、ペンを持った手を止めていた。
視線の先にはまだ未完成のコマ。台詞が粗く、線もあやふやなままになっている。
*
しばらくすると、玄関のドアが突然──
バンッ!
勢いよく開き、エリック・フクハラが大荷物を抱えて駆け込んできた。
「ハイッ! お疲れさまですーッ! みなさん、気合い入ってますかー!? 締切りまであと少し! 魂燃やしていきましょう!」
一斉に作業の手が止まり、空気が凍りつく。
ペンを止めたケンがぼそっと言った。
「……なんかヤバいの来たな」
「フクハラさん……今日は何か、あったんですか?」
キズナが深呼吸しながら聞くと、フクハラは満面の笑みで言った。
「そりゃもう、ありますよ! 今回は“実質”連載スタート号! アンケートも勝負時! 今回落としたら未来はないってくらい、攻めどきなんです!」
サチハが小声でつぶやいた。
「テンション高すぎて怖いです……」
アツはラフ線の上に細いペンを走らせていたが、少し手を止めて、ぼそりと呟いた。
「……自分の線が、原稿になるの、まだ変な感じですけど……やります」
キズナは彼に軽く頷き返すと、静かに言った。
「大丈夫。今、このページを描いてるのはアツくんだけじゃない。全員で描いてる」
サキが無言でタイマーをセットしながら言う。
「アップロード目標は19:30。最終チェックを18:45に設定済みです」
「そうそう、夜になると編集部のサーバー混むからね〜」
フクハラが調子よく補足する。
「早め早めに動きましょう!」
「……え、今って何時ですか?」
アツがそっと問いかけると、サチハがスマホを見ながら答えた。
「12:45。ってことは……あと、6時間45分?」
タイマーの秒針が、無慈悲にカチカチと刻む。
「締切」という名の“敵”が、静かに足音を忍ばせていた。
*
15:50。
日が傾いた頃、空気が変わった。
雲が厚くなり、わずかに風の匂いが湿ってきている。
そのとき、キズナのスマホが短く警告音を発した。
ほぼ同時に、壁の大型モニターに赤いアラートが点滅する。
《Priority Alert/警戒レベル:SR級》
《発生地点:大田区西部/ターゲット半径300m±20m》
《予測時間:+00:58:00±04:00》
「反応、大きくはないけど……これは無視できないね」
マナセが画面を見ながらつぶやく。
ランもペンタブを握ったまま、視線だけを動かした。
「……タイミング、悪すぎ」
アツは戸惑いながら、キズナの方を見た。
「今、行けば……間に合うんですか?」
「予測時間は一時間前後。ただし、展開は不明」
冷静にそう返すのはサキ。いつもと変わらぬ声だったが、画面を操作する手にだけ微かな緊張が走っていた。
キズナはフクハラに悟られぬようにモニターはすかさず消したが、手元の原稿とスマホを交互に見つめていた。
見開きページ。コマ割りは仮、セリフも未確定、ペン入れはまだ。
「でも……今抜けたら、このページが、間に合わない」
その沈黙を破るように、フクハラが明るい声をあげる。
「何か今テレビつけてました?集中!集中!手止まってませんか? あと3時間44分ってところですよ〜?」
サチハが目をそらし、ランが立ち上がった。
「あー、ちょっと近所の取材で外出してきまーす」
「取材? そんなの校了後でしょ──」
フクハラが口を挟もうとした瞬間、ケンがさりげなく声をあげる。
「みんな煮詰まってるからさ、フクハラさん差し入れ買って来てよ。 飲み物とか、糖分とか塩分とか」
「……まあ良いでしょ。その代わり皆さんは全集中で作業してくださいよっ!」
*
フクハラが外出した事を確認すると、皆の視線がキズナに集まる。
キズナは短く息を吸い込んで、静かに言った。
「……どっちもやる。交代で行く。戦って、戻って、描く」
緊張が、一瞬だけ、スタジオを満たした。
「では出動班は……アツ、マナセ、ランの三人」
サキが冷静に指示を出す。だが次の瞬間、マナセが慌てたように言った。
「え、えっ!? ちょっと待って! ボクが運転だよね?田舎でしかクルマ乗らないし……ケンさんが行くんじゃ──」
「いや無理だな」
ケンが即答した。
「オレが抜けたらフクハラさんが暴走する。てか今も不審がってる」
「でも、ボク、都内ほぼ初心者だし……ナビ頼りで事故ったら……」
「大丈夫、現場は川一本越えた先。すぐそこ。つべこべ言わずに、行けっ!」
ケンは半ば本気、半ば励ますようにマナセの背中を叩いた。
キズナもマナセの目を見て頼んだ。
「マナセン、ごめん。信じてる。運転、お願い」
「……了解。えーっと、安全運転で行ってきます……」
「私も行くよー。近距離だし、弓だけあればなんとかなる」
ランがパーカーを羽織りながら笑う。
アツは眼鏡ケースを手に取り、黙ってうなずいた。
「……オレも、行きます」
チームは静かに動き出した。
*
16:15。
フクハラが差し入れを買って戻ると、サキが淡々と、ただ有無を言わさずに告げる。
「フクハラさん、大至急ページ進行チェック、お願いできますか。レイアウト確認が一部止まってまして」
「あ、ああ……うん。じゃあちょっと確認しようか……」
その隙に、戦闘班はすでに玄関を出ていた。
彼らの目の前にあるのは、「描く」か「戦う」かではなく、その両方を同時にやりきるという無謀な選択だった。
*
16:50。
県道から丸子橋を渡って都内に入る。
「いや〜……都内はやっぱり車多いな。ていうか……さっきから気圧が変だ。たぶん、もう来る」
環八から逸れた住宅街の路地裏。細い通りに低く差し込む冬の曇り空が、灰色のアスファルトに溶けていた。
車が急停車し、マナセがハンドルを握ったまま息を吐く。
「……僕も、感じます。空気が……揺れてる」
助手席のアツが眼鏡を取り出し、そっとかける。
その瞬間、こめかみに微かな振動。眼鏡の縁がきしむような警告音を立て、視界の中に情報ウィンドウが投影される。
- 《危険度=SR》
- 《ターゲットレンジ=300m±20m》
- 《方角=南西》
- 《予測時間=+00:05:00±02:50》
「範囲狭い……すぐそこだ」
ランが後部座席で指を走らせ、弓の軌跡をなぞるようにエネルギーを描いた。
「変な感触……矢が、すり抜ける気がする。けど、撃たなきゃ始まらないしね」
マナセがパーキングブレーキを踏み、振り返って言った。
「アツ、聞いて。今回はキズナがいないから、チームリンクは使えない。視界共有も、戦術マップも、全部オフライン」
「え……全部?」
「つまり──“全部、口で伝えるしかない”ってこと」
アツは言葉を失いかけたが、すぐに飲み込んだ。
マナセの表情は真剣だった。
「見えたこと、感じたことは、すぐ声に出す。こっちも伝える。間違えてもいい、止まるな。言葉が武器だよ」
「……うん、わかった。できるだけ──」
「できるじゃない。“やる”んだよ」
マナセが軽く肩を叩いて、笑った。
その不器用な笑顔に、アツも小さく頷いた。
*
16:55。
現場に到着するやいなや、アスファルトの隙間からじわじわと黒いもやが立ち上ってきた。
空気が澱み、耳の奥で鼓膜がきしむような違和感。重力が歪んでいる。
「……来た」
魔は、まだ明確な姿を持っていない。
輪郭が曖昧で、光と影がぐにゃりと曲がっている。まるで線が結べないノイズの塊だった。
「もう……素粒子偏差が不規則だ。空間が歪むと矢が曲がる、当たるかな?」
ランがエネルギーの弓を構えながら言う。
「頼むよ、一本目……」
「……でも、見える。ぼんやりだけど、さっきよりは……」
アツはそう言いながら、右手で刀を描く。
「excellent!」
線が、指の動きに応じて転送され、やがて形を持ち始める。
もう彼にとって身体の一部ともなった日本刀。
「仕上げの線と同じ……はみ出さないように、集中して……一本の線を引くんだ……!」
アツは、無意識のうちに刀を握っていた。
はみ出さずに、正しい線を引く──それが、彼の“戦い”だった。
剣先がきらめくと同時に、魔の一部がこちらへ滑るように接近する。
「いくよッ!」
マナセが先陣を切って斧を振り上げた
。
ランが矢を放ち、アツも剣を構えて駆け出す。
魔は散らばるように歪み、風に溶けるように逃げようとする。
だが、アツの剣がそれを追い、空間に“一本の白い線”を刻んだ。
*
その頃、スタジオでは。
キズナがラフの上にペンを走らせていた。
見開きページの左下──キャラクターの表情。線が細く震えるが、描き直しはしない。
「……あと3ページ」
サチハがプリンターの前で叫ぶ。
「トーン、あと1枚! 圧縮バグったっぽいです!画像が壊れてて……もう一回取り直します!」
サキはフクハラにお茶を差し出しながら、タブレットの端末で音声接続の安定性を確認する。
「フクハラさん、こちらでお待ちください」
「てかアツくんとか、見かけなくない……」
「今、集中してるので」
*
17:20。
現場でアツは「リンクが無い状態だと……サキさんにログ、送れますか?」と既に事後の報告にまで気が回るようになっていた。
「帰ったらまとめて送る。今は音でいく!」とマナセ。
ランが戦闘中に音声で連絡を飛ばす。
「あと2ページだけ埋めといて! 背景、ざっくりでもいいから!」
キズナがペンを握ったまま苦笑する。
「……適当な線なんか、引けるわけないでしょ」
*
戦場で、そして作業机の上で、
彼らは同じように“線”を引いていた。
目の前の魔を斬る線。
ページの上に刻む線。
どちらも、誰かの“日常”を守るために引かれる、たった一本の描線だった。
*
17:50。
「状況終了。もう魔の残滓もない」
すっかり暗くなった路地裏で、マナセがそう声をかけ、眼鏡を外す。
「アツくん。最初の一閃でほとんど勝負決めてたよね」
ランがポンと肩を叩いてアツを労う。
「……何か、はっきり刻む線が見えて来た気がします」
「フフ……仕上げの線もきっちり刻めるようにね」
「……が、頑張ります」
「ちょっとこの時間帯だと……スタジオまで戻れないかも。みんなを信じてるけど早く戻ろう」
マナセが時計を気にすると、ランとアツも慌ててミニバンへと駆け出した。
*
19:20。
帰路は渋滞に巻き込まれ、往路の倍の時間は掛かったが、締め切りの直前に、戦闘班の三人──マナセ、ラン、アツが無言で戻ってきた。
フクハラが怒声を浴びせようと駆け寄るが、ただならぬ雰囲気に声が詰まる。
その姿に、血や泥、異常な点は何ひとつない。
ただ、顔だけがほんの少し、疲れていた。
が、それは現実の「輪郭」に触れてきた者にしか出せない沈黙だった。
その時サキがノートPCに目を落とし、即座に報告する。
『check……!「眼鏡の女の子 第1話」入稿完了』
「入稿完了。サーバー転送成功。現在、レイアウト班がチェック中です」
キズナはようやくタブレットの電源を切り、背もたれに身を預けた。
その指には、まだインクの汚れが残っている。
誰もが無言で席に着く。作業が終わったというだけなのに、呼吸が少しずつ深くなる。
*
「……無事に入稿終わったので、これ以上の詮索はしないよ」
フクハラがつぶやく。
「……このスケジュールで、よく落とさずに済んだよね」
彼の目は、入稿完了通知のポップアップと、沈黙する面々を交互に見ている。
「いやいや、ほんと。夜になるとサーバーが重いんだよ。混み合うと失敗率も上がるし……これ、すんなり通ったの、ちょっとした奇跡ですよ?」
サチハが、わざとらしい咳払いをひとつ。
ランが、プリンターの前で作業用紙を整えながら、つぶやくように言った。
「……奇跡じゃなくて、日頃の行いってことで」
フクハラがニコッと笑う。
「なるほど、それだ!」
アツが静かに椅子に座り直し、顔を伏せたまま、ぽつりとつぶやいた。
「……全員で、戦ったんです」
その言葉に、フクハラは「ん?」と首をかしげたが、すぐに冗談だと受け取ったようだ。
「そっかそっか、締切ってのは“戦い”ですもんね! いやー、いいチームだほんと!」
スタジオ内の誰かが、小さく吹き出した。
*
ラジオからは、深夜番組の軽いトークが流れている。
仕事が終わったのに、どこか戦場のあとを思わせる静けさが残る。
キズナが手近のペン軸を指でくるくると回しながら、ポツリと言った。
「……それでも、描くよ。明日も」
その声が、照明の下でわずかに滲んだ空気を切り裂いた。
*
“締切”それは漫画家、いや全ての創作者にとって悪夢であり過酷な現実。
だが今日のところは──その言葉を乗り超えた。
彼らは、戦って、描いて、生きていた。
ただ、一本の線で。
お読みいただきありがとうございます!
今回は第12話「締切」――文字通り、戦場とスタジオの“締切”がぶつかり合うエピソードでした。
この回では、主人公アツが“漫画家アシスタント”としても“戦士”としても、本格的に両立に挑みます。
編集者フクハラの来訪、敵〈魔〉の接近、そして原稿のアップロード――
すべてが同時に押し寄せる中で、キズナが下す決断が今回のハイライトです。
原稿と戦闘。どちらも命を削る「描線」。
ここを越えて、チームの絆がまた一歩進む回となりました。
次回はついに「師匠」との再会回――
過去と現在が交差する、ある意味“本作の裏タイトル回収”となる回です。お楽しみに!




