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第10話「履歴」~あるいは見えない足跡~

本作『描線眼鏡 または師匠の異常な情熱』は、想像力で武器を描き出し、眼鏡を通して“見える世界”と戦う、そんな物語です。


漫画スタジオを舞台に、日常と非日常が交錯する──


青春・バトル・SF、そしてちょっとだけ陰謀めいた物語を、


楽しんでいただければ嬉しいです。



現在は毎週水曜・日曜の21:30更新を予定しています。


ブクマ・感想・評価など、応援いただけるととても励みになります!

 キズナとアツとサキが「研修」に出た後、冬の午後のスタジオは、昼の光を受けてどこか白く、乾いた空気に満ちている。暖房の効いた室内では、ヒーターの音すら耳に届かず、代わりに据え置かれた小型のラジオがBGM代わりに喋り続けていた。


「作業、進んでるか?」


 いつもより少し低い声で、ケンが呟く。壁際の大机の向かい側、イヤホンを片耳だけ外したランが、面倒くさそうに眉をひそめて言い返した。


「淡々とね」 「喋るより動けってことだろ」


 マナセが筆を動かしながら呟く。誰にともなく放たれた台詞が、静かな空気の中に波紋を広げる。作業机の上に並ぶペンとコピック、デジタルタブレットの光が天井の蛍光灯と交差するように煌めいていた。


 誰かが溜息をついたわけでもないのに、室内の温度が少し変わったような気がした。それぞれの胸の奥にある記憶が、まるでラジオの電波のように静かに呼び起こされていく。



 上迫ケンは、静まり返った室内で黙々とペンを走らせながら、自分の手元を見つめていた。


 ふとした紙の手触り、インクの匂い、原稿の裏に染みた汗。先生の所に押し掛けてって、お寿司奢ってもらったのが何年前だっけな?


 コスモスに載った読み切りは「オレを創るのはオレ ONLY ONE」 今でも自信作なのにアンケ伸びなかったんだよな。 連載には届かず、タイミングを逸して、気づけば原稿よりもアルバイトのシフトの方が生活の中心になっていた。クルマも欲しかったしね。

 ミニバン買ったあとアイツに逃げられたんだよな。こんないい男捨てるとは。ちょっとは結婚とか家族とか意識してたのに。


 まあ「道具」が残ったのは悪いことじゃない。先生の所で初めて「魔」の話を聞いてから、今に至るまで研修の修了試験落ち続けているオレが、チームの一員としてやってられるのも「道具」があるからだしな。


「いや、違うな」


 呟いた声は誰にも届かない。手元のペン先だけが、その振動を感じている。


 オレがキズナの読み切りを読んだとき、何かが変わった。あれは……何だろうな。オレには無かったものだ。若さとか勢いとかじゃない。あいつは「信じてた」。世界が壊れても、ペンと紙で何かを創れるって、そう信じてる目をしてた。


 ただ「道具」だけじゃない。たとえ「眼鏡」が使えなくても、オレのやり方で何かを創れるし、今はあいつをサポートして、運転して、荷物を運んで、時々茶化して、必要な時にそっと背中を押す事が出来る。


 スタジオの窓の外に、微かに車の屋根が見えた。


「オレがいる意味は、これでいいんだよな」


 誰に言うでもなく、胸の奥で小さく呟いた。もう昔には戻らない。けど進む道は前にある。



 湧口マナセは、鉛筆を回す手を止めて、ふと空を仰いだ。


 空想と現実の区別なんて、いつから曖昧になったのだろう。たぶん、生まれたときからそうだった。


 周囲には「妄想」と呼ばれてきた。風の音に耳を澄ますと声が聞こえたし、床のひび割れが地図のように見えた。遊びじゃない、本気だった。だけど、それを口にすれば笑われた。


「変なやつだな」って。


 変じゃなきゃ駄目なのか? 普通じゃなきゃ、仲間に入れてもらえないのか? そう思っていたときだった。師匠マスターの言葉を聞いたのは。


「空想は設計図になる。世界を創る力になるんだ」


 その一言で、世界の色が変わった。僕が見ていた景色は、意味のあるものだったんだ。あの人は、それを最初から信じてくれた。


 斧がしっくり来た。


 破壊の道具じゃない。突破するための道具だ。目の前の壁を壊すため、怖れずに踏み込むために、僕にはこれが要る。


「自分の感覚が異常? じゃあ、世界の方を変えてやる」


 言葉にしてみれば子どもじみてる。でも、嘘はない。


 いまの僕には仲間がいる。変わってる? 上等だ。キズナは僕の戦友で、みんなも、自分のやり方で闘ってる。だから僕も、僕のやり方で支える。


 作業用のタブレットに、下書きの線が一本走る。


「斧、ってのは柄の長さと重さのバランスがすべてなんだよなぁ」


 誰に聞かせるでもなく呟く。言葉は滑り出した線の中へと吸い込まれていく。


 想像は、設計図だ。


 それは、世界を切り開くための道具だ。



 館山ランは、作業中のカラーパレットを指でなぞりながら、ぼんやりとウィンドウの外を眺めていた。


 窓の外に雪はないが、空気はすっかり冬のにおいだ。海から遠い土地の冬って乾いてる。乾燥して、妙に冷たくて、心の中まで染みる感じ。


 美大を目指してた頃、アタシはもっと違う未来を夢見てた。画集を出して、衣装デザインの仕事をして、奇抜だけど、お洒落な展示とか開いて──って。


 でも、結局進学はしなかった。デザインからマンガに興味が移っていってたし。縁あって入った師匠マスターのスタジオ。同い年のマナセと子どもだったキズナ。


 最初は本当にビックリした。先輩達は天才の集まりっていうより、動物園。でも気づくとアタシの方が変わってるって言われたな。それが、なんか嬉しかったな。


 飾る線って、目立つ必要はないのよね。


 主線の中で、そっと呼吸するように存在すればいい。


 そういう意味で、弓って武器はわたしにぴったりだった。

 距離を取る。見定める。確かめてから放つ。


 狙いを外すのが怖い。でも──だからこそ、見つめる。


 このチームには、突破する人も、導く人も、理屈で考える人もいる。わたしは、見つめる人でいたいな。


 きっと、その線も大事だから。



 村上サチハは、ペンを持つ指を止めて、そっと深呼吸した。線が震えている。


 別に寒くはない。部屋の暖房は効いているし、今着ているパーカーも、ふかふかで気持ちいい。


 それでも、指が震える。


 初めてスタジオに来た日のことは、今でもよく覚えている。裏口でキズナさんに会った瞬間、この人は特別な人なんだと感じた。


 ただ画を描くのが好きで、マンガを読むのが大好きで、漫画家になれたらいいなと思ってきたけど、何か特別な能力があるって言われて研修受ける事になったんだよね。


 なんか「魔」と戦うって、カッコいいと思ってたけど、昨日の戦いは思ってたのとちょっと違った。


 眼鏡をかけると、もっと良く“見える”って言われてたけど、なんかかえって影がボヤけて見えちゃうし、魔も兆しも、はっきりとはわからなくなっちゃう。

 

 まあ慣れれば違ってくるのかな?


 みんな優しいし居心地良く感じる。ここに居たい。


 同期のアツも一緒のレベルだし、とぼけた所あるけどちょっとカッコいいし、サキさんちょっと怖いけど、ちゃんと見てくれてる気がするし、先輩皆さんも楽しい。みんな役割があるっていいな。


 じゃあ、私の役割って何かな?まだわからない。でも、今はまだ“わからない”でいいと思う。


 線がうまく引けなくても、描きたいと思う。その気持ちは、本物だから。



 スタジオのドアが、カランと軽い音を立てて開いた。


「ただいま戻りました」


 アツが元気に声をかける。背後からキズナとサキが続いて入ってくる。


 音に振り向くメンバーたち。ラジオのボリュームがひとつ落ちた。


「その調子なら、上手くいったみたいだな」


 ケンが鼻を鳴らすように笑って言った。


「オレらも、ちゃんと仕事してたぜ」


 マナセが「仮免通ったって事で良いんだよね?」とホッとしたように続ける。


「アツくんなんか見えそうな空気出してるもん」


 ランが根拠は有るのか無いのか、わからないが肯定的な声をかける。


 その隣で、サチハがニコッと笑い、「アツなら大丈夫だと思ってたよ」と謎に上から目線で言う。


 キズナが全体を見回し、あらためて声をかける。


「加藤さんに仮ライセンスを発給しました。チームの一員として迎えてください」


皆が自然に拍手をしてアツを迎え入れる。


「……なんか…なんか、魔とかいまだに全然わからないけど、みんなとチームで居られる事が嬉しいです」


 思わず感きわまるアツに周囲の優しい目線が集まる。短いが、あたたかい時間だった。



 夜も更け、他のメンバーたちは帰ったあと。


 一人、まだ机に向かっている人物がいた。


 ──盛沼サキだった。



 深夜のスタジオ。


 室内の灯りは一部だけが残され、静寂の中にモニターの光がぼんやりと浮かんでいた。


 その前に座るのは、盛沼サキ。


 作業用メモと、今日の研修ログが開かれている。タブレット端末には、アツの行動記録がサマリーとしてまとめられていた。


「座学の理解度は高くないけど、一定の知識と未知の事物に対する許容度は高い。実地訓練での反応速度は初回にしてはとても早い……総合して水準以上と判定して、仮ライセンスを交付することも、制度上は妥当」


 低く呟きながら、メモに記号を打つ。精密な手つきだ。けれど、その指先にはわずかな迷いがあった。


(……でも、それだけじゃない)


 視線が画面を外れ、窓の外に向けられる。


(あの時の判断。あの時の“創造”。あれは計算では説明できない)


 自分がずっと頼りにしてきたものは、理論と設計。ルールと枠組みの中で、最適解を導くこと。それが正しさだと信じてきた。


「私はすべての研修で満点を取って、ライセンスを得た。あの時には、迷いなんて無かった」


 だがキズナは──そしてアツは。


(正しさじゃない。たぶん……想い、なんだ)


 想いだけで行動してはいけない。けれど、想いなしに決断することも、また──


「私はずっと“正しさ”を頼りにしてきた。だけど、あの子は……あの子の目は、それじゃ届かない場所を見てる」


 ぽつりと呟き、背もたれに体を預ける。


(わからない…わからないけど、だからこそ私は支えよう。いずれ、私が“正しさ”で後ろから支えるために)


 机の上に置かれた眼鏡。そのフレームに手を伸ばし、そっと外す。


 目元にかかる影が揺れる。


「……まだ、見えていないものもあるけれど」


 その声には、静かな決意が込められていた。


 盛沼サキは、眼鏡を机の上に置いた。まるで明日へ向けて、心を整えるかのように。



ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

今回は第10話「履歴」――タイトルにある通り、少し過去を振り返るような、足元を見つめ直すようなエピソードになりました。

どれだけ前を見据えて進もうとしても、自分の中にある「記録」や「履歴」からは逃れられない。そんな想いを込めたつもりです。


とはいえ、重くなりすぎず、キャラたちの日常の空気感も大切に描いています。

この話を区切りとして、物語はいよいよ次のフェーズへ――。

次回、第11話「覚醒」も、どうぞお楽しみに!

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