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 わたし、ハナコは、ひまりと暮らしている。少し前に大きな金魚のチビがいなくなってしまってから、他に一緒に住んでいる人はいない。

 気が付いたときにはそうだったから、いつからなのかはわからない。


 ひまりは日中、いたりいなかったりする。いない日はおうちにいるのはわたしだけだ。ちょっと寂しいけれど、ずっとそうだったから慣れっこでもある。そういう日は朝にお散歩して、ひまりが出て行ってからはゆっくり寝て、帰ってくるのを待つんだ。


 ほら、足音が聞こえてきた。

 わたしは玄関の前で、扉が開くのを今か今かと待っている。

 ガチャガチャという音がしたら、ひまりが来るのはもうすぐだ。立ち上がってお迎えの準備をする。


「ただいま、ハナちゃん」


 その瞬間にわたしはひまりに飛びつく。


「ちょっとまって、やめて、まだダメだったら」


 ひまりが何かを言っているけれどわたしには意味がわからない。ひまりは喜んでくれているから、きっと「ヤメテ」は嬉しいっていう意味だ。「ダメ」も聞こえた気がするけれど、ひまりが帰ってきて嬉しいわたしは自分を止められない。


「ごめんね、ちょっと遅くなっちゃった。お散歩準備するから、ちょっとまっててね」


 ひまりが帰ってきてから、わたしたちは散歩に行く。今日は外がもう暗くなりかけているから、きっとショートコースというやつだろう。


「あー、でもその前に、お願い、モフモフさせてー」


 いきなりひまりが抱きついてきた。いつもよりも距離が近くて、たっぷり撫でてくれる。のしかかられるとちょっと重いけれど、わたしはこの時間が好きだ。


「今日さぁ、ちょっと仕事でやらかしちゃって。お客様怒らせて、みんなに迷惑かけちゃったんだ」


 ひまりの顔は見えないけれど、なんだか疲れているみたい。声がいつもより沈んでいる。


「でも上司は怒るどころか『ミスは誰でもする、次は気をつければいいよ』って慰めてくれて。やるせないよー。はぁーーー、もう、なんで私、ああしちゃったんだろう。あーもう私のバカ」


 わたしのおなかにひまりが顔をうずめる。わたしはしばらくそのままじっとして、それからひまりの顔を舐めた。そうすると、ひまりはいつも笑ってくれる。


「慰めてくれるの? ふふっ、ありがとね、ハナちゃん。ちょっと元気出たよ。さぁ、そろそろお散歩行かなくちゃ。遅くなってごめんね。今度こそ準備してくる」



 外に出ると、もう暗くなってしまっていた。涼しい風が心地よい。


「さすがに夜はまだ冷えるね。ハナちゃん、お洋服着ればよかったかな」


 いつもの川辺に向かって、少し川沿いを歩く。先まで行かずに戻るのがショートコースだ。もう暗いから先には行かず、きっとここで曲がるだろう。


「ハナちゃん、今日はこっちね」


 ひまりが指差した方向は、やはり短いコースだ。しょうがないと思いつつ、でももうちょっと歩きたくて少しの抵抗を試みたとき、少し後ろにタロチャンが見えた。


「ハナちゃん、あれ、タロちゃんだよね?」


 わたしは嬉しくて尻尾を振った。タロチャンはわたしに気が付くと、こちらに駆けてきた。一緒にいるのはおじいさんじゃないみたい。いつもと違って飛びかかってくる勢いだ。


「こんばんは、タロちゃん。ビックリしたわ」

「すみません……。こら、タロウ」

「あ、いえ、違うんです。驚いたのは走っていたからで。タロちゃんとは仲良くしてもらってるんです。いつもはおじいさんとゆっくり歩いているから、走っているのが珍しくて」


 ひまりがいつものようにタロチャンを撫でる。タロチャンもひまりのことが大好きだから、嬉しそうに尻尾を振って撫でられている。

 わたしはタロチャンと一緒に走ってきた人を見上げた。タロチャンが楽しそうな顔をしているから、きっと良い人なんだろうけど、わたしは初めて見る人なのでちょっと怖い。


「あの、もしかして、いつもタロちゃんと散歩しているおじいさんのお孫さんですか?」

「あ、はい、そうです」

「あー、そうだったんですか。先日犬の散歩友達がお見かけしたって言ってて……、あぁ、はじめましての挨拶もせずにすみません。この子はハナコといいます」

「ああ、こちらこそ、はじめまして。いつもお世話になってます。可愛いですね。柴ですか?」

「そうです。柴犬の女の子です」


 お兄さんがしゃがみこんでわたしを見た。手を前に差し出してきたので匂いを嗅ぐ。


「ハナコちゃん、撫でてもいい?」


 わたしは早々に陥落した。直感である。この人、好きだ。わたしは自分の身体をその手にこすりつけた。


「人懐っこいですね」

「あら、すっかり懐いたみたい。初対面の人には珍しいんですよ。いつもは一歩引くんですけど」

「そうなんですか。嬉しいな」

「ふふ、女の子だから、若いお兄さんは好きなのかしら」


 お兄さんはわたしの頭を撫でてくれた。とても優しいし、わたしの撫でてほしいポイントをよくわかっている。ひまり、この人、良い人だよ! なんでって、直感だけど!


「おじいさんはどうかなさったのですか? 具合が悪いとか?」

「いえ、元気ですよ。あ、元気っていうのもおかしいかもしれませんけど、いつもと変わりない感じで。今日は俺の仕事が早く終わったので、連れ出しに来たんです」

「そうだったんですか」

「いつもじいさんのペースに合わせてゆっくり散歩してるみたいなんで、タロウもストレス溜まるだろうって。ばあさんも足腰が弱ってて散歩できないから、仕事が早く終わった日とか時間がある時、俺がたまに連れ出してるんです。散歩バイトです」

「あの、話の途中でごめんなさい。散歩コースはどちらですか?」


 お兄さんは立ち上がって指差した。たぶんこれからこっちに行く、ということだろう。


「わたしたちもそっちなんです。ご一緒しても大丈夫ですか?」

「もちろん」


 もうお終いなのかと残念になって、わたしもついていこうと踏ん張ってみた。するとひまりは最初からその予定だったというように、タロチャンたちと同じ方向に歩き出した。あれ?


「おじいさんたちと一緒に住んでるんですか?」

「いや、別です。じいさんとばあさんとタロウで住んでて、俺は一人暮らし。でも同じ市内なので近いんですよ。今日は仕事帰りにそのまま来て、散歩が終わったらじいさんばあさんのうちで夕飯食べて帰ります。これがバイト代」

「なるほど」


 タロチャンと一緒に散歩できるなんて、初めてかもしれない。わたしは嬉しくてルンルンだ。

 ひまりたちも何かをずっとしゃべっている。


「タロちゃん、いつもおじいさんとゆっくり歩いているので、勝手に老犬だと思ってたんですよ。おじいさんに合わせてたんですね。すごい、お利口だわ」

「それが仕事だと思ってるみたいで」

「偉いですよ。気になってたんですけど、おいくつなんですか?」

「えっ? あの、27です……」

「えっ? あっ、私と同じ歳ですね! いや、そうじゃなくて、タロちゃんの話ですよ!」

「あっ、あぁ、ですよね! そうですよね!」


 タロチャンと並んで歩いていると、ひまりとお兄さんが笑いだした。とても楽しそうだ。ひまりが楽しいと、わたしも楽しい。


「正確にはわからないんですけど、だいたい4歳です。タロウはじいさんが拾ってきた犬で、誕生日もわからないんです。拾ったとき、生まれたばっかりじゃないけど成犬ではないだろうっていうくらいだったらしくて、そこから計算するとたぶん今は4歳」

「そうだったんですか。若かったわ。勝手に老犬扱いしてごめんね、タロちゃん。男の子なのは合ってますよね?」

「合ってます。去勢はしてますけど、男の子です」


 タロチャンと歩くのが楽しくて気が付かなかったけれど、もうすっかり日は落ちて、外灯はあるけれど辺りは薄暗くなっていた。そういえばいつもよりも長く歩いた気がする。


「じゃあ、俺たちはこっちなので。行くぞ、タロウ」

「お会いできてよかったです。では、また」


 逆方向に向かって走っていったタロチャンたちを見送ってから、わたしたちも家に向かって歩き出した。


「タロちゃん、楽しそうだったね。タロちゃんも走りたかったんだね」


 どうしてか、今までと同じ道なのに静かで暗く感じる。タロチャンたちが行ってしまったからだろうか。寂しい。


「また会えるといいね」


 また一緒に歩けるといいな。その気持ちは、ひまりと一緒な気がした。

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