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[書籍化決定・第一部・第二部完結]緑の指を持つ娘  作者: Moonshine
秋祭り

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18

聞き慣れぬ名前をネリーは問い直した。


「さっきお茶を持ってきた娘。あの娘の名前がベスじゃ。精霊の森はベスの家の近くにあるらしくての。普通の人間なら入ることもできんのじゃが、ベスは子供の頃から毎日出入りしていたらしいのじゃ。そういうわけで森の幻影魔術も、ベスの記憶を使っておるので、細かい部分までまるで本当に森に足を踏み入れたかのように、よく見えるんじゃ」


「ちょっと・・待ってくださいエズラ様。その精霊の森に出入りできるというベスとは何者なのです?みたところ普通のお嬢さんにしか見えませんでしたが」


精霊の森に出入りが許されている人間は多少ながら、いる。

生まれながらに知的な部分に障害がある子供や、盲目の人間、魔女の一部は精霊界に近い生き物と見做されて、時おき精霊の森に迷い込んだりする事例がある。だがベスは至って一般的な田舎の娘にしか見えない。


「‥確信はないが、おそらく精霊がさらってきた子なんじゃろな」


エズラは、軽くため息をつくとそう言った。


「なんですって!!!!」


ネリーは思いがけないエズラの言葉に思わず、ガタリとカップの音を立てて立ち上がってしまった。


(チェンジリング)


ネリーは青くなる。確かにチェンジリングであれば、精霊の森への出入りは可能だ。

精霊達から、精霊界の生き物と認識されているからだ。


妖精達は、ごく気まぐれに、小さな人間の子供を攫って、妖精の子供と入れ替える事がある。

理由はよく知られていないし、どのような子供が攫われるのかも、よく分かっていない。


ただ分かっているのは、精霊に攫われた人間の子供が、長く精霊の世界に居続けると、人間の世界に戻る事はできなくなる事だ。人間の世界の戻ることができたチェンジリングは、極めて稀な存在だ。


エズラは続けた。


「あの子がまだ2歳か3歳の時に、一人で森でさ迷ってた所を、近くの粉挽の男が保護しての。発見時は綺麗な格好をしてて、栄養状態も良かったらしいのに、不思議とどこからも迷子の届けがなかったそうじゃ。ベスは何があったのかまだ言葉にして話すこともできんほど子供だったし、髪の色もちょうどその男と似ておったので、そのまま粉挽の男は、孫として育てる事にしたらしい」


「その粉挽の男はジバゴという名前の退役騎士で、前の戦争で耳と声をやられておってな。二人で森のほとりの人のあまりこない場所で、声というもののない生活をしておった。そういう訳でベスは、言葉をなかなか覚えんで、6つになるまで人の言葉を話さんかったらしい」


ノエルの依頼でベスの身辺調査をした際に判明した、村役場で記録されていたベスの身元のあらましだ。


「人の言葉は話さんかったらしいが、その分いろんな見えない生き物と、言葉のいらない会話をしていたらしいがね、文字を覚えてからやっと人と会話するのに言葉というものが必要だということに気がついた、と笑っておった。いまだに植物やらと話をする方が、人と話をするより得意じゃと」


「ベスが大きくなるにつけ、森の中にはどうやら自分だけしか行けない場所、自分しか見えない生き物があることに気がついたらしい。それが今日ネリー殿にも見てもらった精霊の森じゃ。あの杉の大木のウロの中で眠っていたのが、ベスの人間としての最初の記憶らしい記憶でな、それ以前の記憶はないと言っておった。迷子になった時が幼すぎて覚えておらんだけなのか、精霊に記憶をいじられたのかは、想像がつかん」


「初めてあの子の記憶の奥の精霊の森に魔術で連れて行ってもらった時に、わしは精霊の森の美しさに感動で涙が止まらんくての。今年の山車に幻影を使わせてほしいと、ベスにお願いした、というわけですじゃ」


ネリーは混乱して、何から質問して良いのかさっぱりと分からなかったが、とりあえず頭に浮かんだ一番最初の疑問をぶつけてみる。


ネリーが墓標に見たジバゴという名前は、ベスの育て親の粉挽の男の名前。

自分が人として生まれた場所に、大切な家族を葬ったのだ。


「‥イー・ハンとは誰ですの?」


1歳。そうジバゴの墓標の横に、享年が刻まれていた。

4人の子を成人まで育てたネリーの心がキリリと痛む。


「ジバゴは、戦争の時に大勢、外国の難民の子供を粉挽小屋に預かっていたそうじゃ。その内の一人は病気の子供で、助かる事はなかったらしい。その子の親も、子供が亡くなった後にそのまま隣国に流れて今どうしているのかはもう分からないそうじゃ。ベスは、イー・ハンの親に、イー・ハンが、ジバゴと共に美しい場所で眠っている事が伝わればいいと、そう思って森の幻影を山車で見せる事に、協力してくれたんじゃよ」


「‥優しい娘なのですね」


「ああ。ワシの自慢の娘ですじゃ。あれは、緑の指を持っておりましてな、魔術院の温室に雇われとったのですわい。最初はどうしてあれほど上手に植物を育てられるのか、魔術師として実に興味があって、ずっと観察しておったのです」


「あの娘は、人間として生まれながら、人の言葉を知る事なく、大きくなった。人の言葉で縛られる事なく、赤ん坊のような澄み切った魂のままで、成長したのです。その澄んだ魂で、生きとしいけるものの魂と、直接会話をしますのじゃ。植物やら、赤ん坊やら、言葉を持たない生き物の声無き声を、聞く。それがあの娘の持つ、緑の指の秘密でした」


エズラは、そのシワだらけの目の奥の瞳に、涙を溜めていた。

この男は、長い人生で幾つもの戦争の裏に魔法軍の参謀として携わり、何人もの暗殺に関与してきた、王国の歴史の闇を誰よりも知る男だ。

汚れた手をもつこの賢者は、ベスの誘う精霊の森で、一体何を思ったのだろう。


「ベス、おいで」


エズラは別室にいるらしいベスを、優しい声で呼んだ。はーい、と元気な声が別室から聞こえてくる。


「ネリー殿にお茶のおかわりをいれて差し上げてくれ」




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