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(確かに言った。ベスは、次の日からものすごく忙しくなると)
ユリの発芽から一夜明けて、多忙の日々が始まった。
神仙ユリが発芽した次の日から、べスは宣言通りに、それは多忙に色々と魔術院皆をコキ使い・・もとい、指示を出し、皆目の回る忙しさになっていた。
だが。
(なんか・・こう、ちょっと期待していたものと違うような・・・)
ノエルの考えていた多忙具合とは全く違う日々が待っていたのだ。
「ロドニー様、早く青い蝶々を捕まえてきてください!それは白です。青と言いましたよ!」
「えー、ベス、青いのはすばしっこいし、魔術じゃ無理だよ」
「そこに虫取り網があるではないですか。森に入れば2、3匹くらいすぐです。早く!」
虫取り網を持たされて、子供のように麦わら帽子を被されて、森に追い立てられているのは、この国最年少の天才魔術師と呼ばれている男。
「ナーランダ様、そっちのみかんの木は右の枝のものを三つ摘果しといてください。だめですよ!一つじゃなくて三つです。青いやつです。それは熟れ過ぎ! あー!左じゃなくて右のやつです!もう、ナーランダ様本当に適当なんだから!」
べスの代わりに、ユリの開花まで温室の管理を任されたこの貴人は、管理が適当すぎるとおさげの少女にため息を付かれている。
この美貌の男は確か、王族の末端に籍を置くほどの貴人でこの国最高の頭脳であると評されている魔術師。
「だめ、冷たすぎます。やり直し!これ魔術で冷たくしました?ちゃんと井戸から走って持ってきてください」
「えー!さっきはぬるすぎるって言ってたじゃない」
「井戸からすぐの汲みたての冷たいのがいるのです。魔術で冷たくして横着しないでください」
豪華な金髪の魔術師の女は、公爵家の一人娘だ。
社交界の花と謳われ、その完璧な美貌と完璧な魔術から、人形姫とまで呼ばれていた娘も、ベスにかかるとただの横着娘だ。
「エズラ様!サボらない!ちゃんと藁で編んだものが必要なんです。夜までにそのゴザ仕上げてくださいね」
「えええ、ワシ藁のゴザなんて初めて編むんだもん、無理じゃー、手が痛い」
「おじいちゃん!甘えてないでさっさと手を動かす!ちゃんと木槌で柔らかくしてから編んでください。ほら~、ここは網目が大きすぎる。終わったら肩揉んであげるから頑張ってよ」
エズラに至っては、子供返りを起こしてイヤイヤ状態の、面倒臭い老人になってベスに叱られている。
たしか、この男の名を冠した研究所が、王立の軍事部門に存在するはずだ。
この国の誇る高貴な魔術師達が、粉挽き小屋の娘のベスに、結構な勢いでこき使われているのだ。
そしてこの国の魔術師の頂点に立つであろう、魔術院の責任者のノエルはというとだ。
「ちゃんと抱っこしてて下さい。ノエル様はおっちょこちょいだから、ほか何もできなさそうだし、それだけでいいです」
百年草の時の事をまだ覚えているのだろう。
ベスに使えないやつと認定されて、ただ神仙ユリの入った洗濯たらいを抱えて置くように、それだけ命令されて、ノエルはぼうっと光の下でユリと一緒に日向ぼっこをしているのだ。
どこから仕入れてきたのやら、ギシギシと音のする古いロッキングチェアまで用意してくれて、準備のよい事だ。
「あ、ちょっと日の角度が変わったから、もうちょっと動いて下さい。今窓を開けて風を通しますね」
日々緊張と過労の毎日を過ごしてきたノエルにとって、何もせずに日がな一日太陽を追いかけて、松の良い香りのするたらいを抱えてぼうっと過ごす経験は、なんとも居心地の悪い。
「べス、この仕事は私がする必要があるのか?こんな事をしている時間があれば、他の仕事をしていたいのだが」
ノエルはそうべスに訴えたが、
「ノエル様。この子の花びらを使って薬を作るのでしょう?この子は大きくなる時に身に馴染んだ魔力でないと、薬を作る時の魔力を受け入れたくないそうなの。だからこの子が育つまで、ずっと見守って、しっかり抱えていて、ノエル様をこの子のお母さんだと思ってもらいましょうね」
そうほほ笑んでノエルの訴えを却下したのだ。
ノエルとナーランダは、ベスの発言に顔を見合わせて真っ青になる。
ベスの何気ない言葉は、魔術的に非常に重要な指摘なのだ。
生まれてから初めの頃に馴染んだ魔力に己の魔力を合わせるという、魔力の刷り込みの習性がある植物は稀に存在する。そのような植物を魔力で加工する際は、必ず発芽時から加工者の魔力に慣れさせる必要がある。
神仙ユリの生態には謎が多いが、手折った瞬間からの猛スピードの劣化の理由が、ここにあるとすれば。
「とりあえず、べスのいう事をききましょう。我々のような者にできる事は、ただそれだけです」
ナーランダは平静を保っているが震える指と、興奮で上気した頬のまま、青い果実を摘果して指を切った。
そういう訳で現在ノエルの最大の仕事は、ユリを抱えてぼうっとしている事。




