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目を覚ますと、そこは小さな光の虹が躍る温室の屋根が見える。
大きく深呼吸する。薬品の香りがする。
(ここは・・そうか、ナーランダのソファか)
ノエルは、自分が温室のソファの上で眠りこけていた事を思い出す。
(なんだ・・心が軽い。体もだ。まるで温泉地でひと月ほど過ごした後のようだ・・)
ノエルは自分の心と体に力が蘇っているのを感じた。
入眠の為に必要なポーションは、どんどん強いものに変わっている。最初はナーランダに処方を頼んでいたのだが、もうほとんど効き目がなくなって、これ以上強いものを服用するとほとんど毒だと思われるほどに強い効能のものを摂取している。
それも効き目は数時間程度で、これほど深く、快適な眠りについたのは本当に素晴らしい気分だった。
そんなノエルの頭上に、にゅっとおさげの可愛い顔が飛び出てきた。
「あ、ノエル様おきました?よくお休みでしたね」
「ぎゃああ!!」
急にでてきた顔にノエルはびっくりして叫び声をあげてしまったが、べスは気にもとめない。
「なによ人をお化けみたいに!ちょうどお茶が入りましたよ。一緒にお茶の時間にしましょう」
ドキドキとまだ胸の動悸がとまらないノエルの横のにべスは断りもなく座ると、こぽこぽと、よい香りのハーブティーを次ぎだした。
「はい、寝起きは水分が大事ですよ」
(はちみつと、カモミール、それにライラックと・・ラベンダー、それからドクダミ?レモンの香りだが、なんだろう・・)
勧められるがままに、ハーブティーに口を運ぶが、癖で材料の分析をはじめてしまう。
「美味い。五臓六腑に染み渡るとはこのことだな・・」
特に味がよいという訳でもないが、体が欲しているものが全て与えられるかのように、べスのハーブディーは今のノエル体に必要なものを根底から、しっかりと与えてくれているような、そんな味がした。
ノエルは少しの間無言でハーブティーを楽しんでいたが、やがてべスに向き直った。
「このハーブティーは、俺の為に入れてくれたものだな。一体何が入っている」
べスは言った。
「ライラックとラベンダー、それからゴボウとレモングラスに、そこに蜂が営巣したので、そこのはちみつをちょっともらいました」
「おい!!」
ノエルはせき込んでしまった。
魔バチとよばれる種類の蜂が温室にこの営巣していると、ロドニーから報告があったばかりだ。
魔バチはとても弱い個体なので、実験室以外で野生のものを見る事は滅多にない。
べスには難しい事を言ってもよくわからないと思われるので、ただこう告げていた。
「この蜂は珍しいものだから、蜂の巣はそのままに大切にしておくように、非常に貴重なはちみつが採れるので、とれたはちみつはよく管理しておいてくれ。取れ高分はお前の臨時収入とする」
上手くいけば魔バチから蜜がとれるかもしれないとロドニーは楽しみにしていたが、魔バチ一匹からとれるはちみつの量は、ごくごくわずかだ。
魔バチからとれるはちみつには魔力が多く含まれており、貴重なポーションの材料にもなる。それにしても、もうはちみつが取れるほどに巣が立派に成長していたとはうかつかった。
そして、こんな貴重なはちみつを食用に使うなどなんという贅沢だ!
「ノエル様は魔力をたくさん持っていると聞きましたが、使いすぎるとやっぱり疲れてしまいますよ、さあさあもっと飲んでくださいねー」
そうべスは言うと、小さなツボに入ったはちみつをたっぷりと!ノエルのハーブティーに継ぎ足した。
あわててノエルはべスを止めた。
「おいべス、このはちみつはものすごく貴重なものだといっただろう、同じ量の黄金よりもこのはちみつは価値のある貴重なものだ。私の疲労回復になど使うには勿体ない代物だ!お前のボーナスが減るぞ!」
べスの小さなはちみつ入れにはいっているはちみつの量におそれおののいたノエルは狼狽してほとんど叫ぶが、
「あら、こんなによくお仕事をされて疲れてるノエル様の疲労回復より大事な用事なんてありませんよ」
そう、何もない事のように言い放つと、ノエル様は働きすぎですよ、ご自分を大事にしてくださいね、ご自分の魔力も、大切に使ってくださいね。そうにっこりと笑ってまた蜂蜜を継ぎ足した。
ーべスの臨時収入だといったではないか。
ノエルはしばらく黙っていたが、無意識に一粒、二粒と瞳から小さな水滴がほほを伝っていくのを感じていた。
ー黄金より、価値があるはちみつだと、言ったではないか。
べスは眉の一つも動かさずに、ノエルの体の方が大切だと言ってくれた。
この研究所を預かってから、ノエルは死に物狂いで働いてきた。
働くのはあたりまえだ。無理をするのはあたりまえだ。
なぜなら。
ー俺は、そうしないと価値がないからだー
(お前の無駄に高い魔力は災いばかりだ。せめて毛一本ほどでも家の為に役立つのだ。わかったな)
(お前のような呪われた子供が生き残るだなんて。どれほど働いて恩を返しても足りないわ)
頭をかすめる遠い記憶の声が脳髄を焼く。
(頭が、痛い)
ノエルは痛みに耐えかねて、焼けるような頭をかかえてしまった。
(お前はいらない子)
(お前は厄介もの)
(お前など、生まれてこなければー)
意識が遠くなる。そして暗い海のようなその声に飲まれそうになった時に。
「ノエル様!」
遠くから声がした。そして血の味のするノエルの口の中に、黄金よりも価値のあると伝えたばかりのはちみつの味がひろがった。