65
それから数ヶ月後、魔術院の温室にて。
ベスの帰りがよほど待ち遠しかったのだろう、温室の主を迎えてどの花々も草木も、とても嬉しそうだ。
緑はベスが帰ってより深く美しい色を纏い、そよぎ入る風ですら、柔らかさが増したような気配すらする。
ベリーや木の実は、ベスの帰りを待っていたかのように一斉に実り出し、花々は誇らしげに咲き誇る。
光が踊り、妖精達が遊ぶ美しい場所。
ここは、ベスの温室。
そんな温室の奥の小さなテーブルで、アビーブから帰国したばかりのナーランダとオベロンは、イソイソと早速チェス盤を囲んでいた。
見目麗しい二人がテーブルを挟んで、チェスを打っている姿は、実に優美で一幅の絵画のよう。
黒い長髪のオベロンと、紫の長髪のナーランダが二人で並ぶと、まるで昼の王と夜の王が共にこの温室に君臨しているがごとく美しさだ。
そんな美しい二人の間にはいつものごとく不穏な空気が満ちている。
「おのれ・・人間ごときが、一体アビーブで何を吹き込まれてきた」
「さあね。口ばかり達者な妖精王の黙らせ方である事は確かだが」
優雅に紅茶を楽しんでいる紫の長髪の男は、ゆっくりと微笑んだ。
ナーランダが繊細な手先を動かして、踊るように展開しているのはアビーブ王国で最近開発されたタクティスだ。
ごく最近まで妖精王としての姿を失っていたオベロンは、最新の外国で開発されたチェスの戦法にまだ追いついていけず、ギリギリと奥歯を噛み締めている。
「・・そろそろ降参したらどうだ。ナーランダ様には敵いませんでした、とな」
「・・・くそう」
互いの事が好きでないのであれば、一緒にいるのをやめれば良いのにとベスは思うのだが、こうして暇さえあれば、いつも二人はお互いの悪態をつきながらチェスをうつ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一方、温室の四阿では。
「信じられない、何このダサいお土産」
「こんなに長い間魔術院を空けてておいて、俺らに仕事を死ぬほど押し付けておいて、俺らのへのお土産コレですか???嘘でしょ?」
温泉街でよく売られている非常に趣味の悪い温泉土産をぽいぽいとノエルから手渡されて、ロドニーとエロイースの二人はもう、大ブーイングだ。
「えっと・・ごめんなさい、ダメでした?えっと・・あ、あの、じゃあこっちはどうですか?」
自分用に大切そうに持って帰ったアビーブ温泉のペナントをおずおずと差し出されて、二人とも言葉につまった。
まさかベスからのお土産チョイスだとは考えていなかったのだ。
「い、いや素敵だよ、ベス!こんなカッコいい剣と竜は見たことないよ!」
ロドニーが焦って手元の、剣に巻きついた竜の形の飾りを褒める。
「そ、そうね、ほら、このハガキも味があって良いような気がするわ!!亀がかわいいわね、亀!」
慌ててエロイースもさっき貶したばかりのハガキを手にしてなんとか褒める。
「あー、悪い悪い、そっちはベスの買ってきたやつで、こっちが研究用に持って帰ってきたやつ。これはフェリクス殿下から色々と今回の感謝の印としてもらってきたヤツだから、みんなで分けよう」
ノエルはアビーブからの火山性の珍しい植物の種やら、火山由来の魔石、アビーブ火山から採れる緑色の美しい宝石の施された短剣や魔道具などをジャラジャラと二人の目の前に出してやった。
「びっくりさせないでくださいよ、悪い冗談だと思いました」
すっかり機嫌を取り戻したロドニーは、緑の美しい石と魔石が見事に組み込まれている魔法杖を触りながら、言った。
「それにしても、ノエル様もべスも、折角だからエズラ様と一緒に立太子の儀式まで滞在すればよかったのに。来年はユージニア女王陛下が新王の戴冠式に招待されるらしいですね。大陸中の王族が一堂に集まるってすごいなあ、俺もそんな場所に行ってみたいなあ」
ノエルは嫌そうな顔をして言った。
「ああ、是非そうしたかったんだが、エズラ様に、自分だけベスの風呂に招かれていない事がバレて、毎日毎日俺とナーランダはエズラ様の嫌味のお相手で大変だったんだ・・・ちょっとフェリクス様にエズラ様を押し付けて、逃げてきたのが本当のところだ」
「え、誰ですかそんな大ヘマしたの!」
ロドニーの言葉にノエルはバツが悪そうだ。
「エズラ様の水の大魔法がなければ今のアビーブ・アークは存在しないも同然だし、今フェリクス様に王都でエズラ様を国賓扱いでもてなしてもらってなんとか溜飲を下げてもらっているんだよ。そもそもフェリクス様はエズラ様のご研究のに大変な薫陶を受けているそうだし、水魔法専門の学生たちの為に王都でしばらく講義をうけもつそうだ。まああれだけフェリクス様や学生達からチヤホヤされたら、エズラ様が帰国される頃にはご機嫌も直ってると思うよ」
ナーランダが遠くから会話に加わってきたが、大きなため息が聞こえてきそうだ。
隣に座っているオベロンが、気の毒そうな顔をしてナーランダを見ているあたり、エズラの面倒臭さはオベロンですらお察しなのだろう。
エロイースはそんな事には構わずに、うっとりと緑の石のぎっしりと埋め込まれている魔道具の腕輪を手にして言った。
「それにしてもあの王太子の立太子宣言の立派だったこと!あの堂々たる自信に満ちた態度!映像魔法越しでも本当にフェリクス様のお姿、かっこよかったわ」
「体中皮膚病の痕の痛々しいお姿で、頭も一部禿げてるのに、あんなに堂々と国民の前でお姿を見せて!そもそも元のお顔立ちがいいお方だったのに、今の方が、前よりももっと魅力的に見えるなんて本当に素敵。私フェリクス殿下となら結婚してもいいわ」
エロイースの言葉に、ノエルは興味なさそうに言った。
「エロイース、あいつとの結婚はやめとけ、あいつの中身は亀だ」
「亀?」
ノエルの言葉にエロイースはキョトンとした。
「ああ、白い亀だ」
「??」
不思議そうな顔をしているエロイースを横に、ベスはジョウロを片手に作業をしながらずっと気になっていた事を聞いてみる。
「ねえノエル様、ナーランダ様。そういえばどうしてあの温泉に来ていた人外達はエズラ様の刺青をあんなに怖がっていたのです? エズラ様はとてもお優しい方なのに、あの刺青を見たらみんな死神に出会ったみたいに怯えて震えていたわ」
「・・おい、まさかお前ら、エズラの事をベスに何も教えていないのか」
オベロンがいつの間にか音もなく、ふわりとベスの傍にやってきていた。
「エズラ様の事ってなに?」
「ベス、知らないのか?エズラの体に刻まれているあの模様は刺青などではない、あれは悪魔の・・・」
「きゃー!!!!」
急にエロイースが大声を出した。
「ベス!そうよ!ものすごく大事な事思い出したわ!!あんたがアビーブに行ってる間に、ミッチ無事に双子の子供を産んだのよ!すごく可愛いのよ!! 今、今すぐ会いにいきましょ!」
「え、あの王宮メイドのミッチが??なんておめでたい!」
流産の苦しみと悲しみを乗り越えて、大きな幸せが彼女の元に訪れたようだ。ベスは手を叩いて喜んだ。
「ミッチ喜ぶから、今すぐ会いに行きましょう!さあさあ、走って!!」
「ええ? そ、そんなに急ぐの???」
エロイースはべスの手を掴むと、令嬢にあるまじき一目散の勢いで温室をから走り出ていった。
「・・教えていないのか」
オベロンは遠くなっていく二人の娘の足音と後ろ姿を追いながらノエルにポツリと言った。
「・・・オベロン。この世の中には、ベスが知らなくても良いことはたくさんある。知らなくて良いことは、知らないままでいいじゃないか」
「やれやれ、人とは難しい生き物だな」
オベロンはそう言うとブワリと風を発生させて、跡形もなくどこかに消えた。