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[書籍化決定・第一部・第二部完結]緑の指を持つ娘  作者: Moonshine
緑の指を持つ娘 温泉湯けむり編
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トテトテと音が出るような歩き方でこちらに向かってくるのは間違いない。フェリクスの心の一番柔らかい所に住んでいる、あの愛おしい娘だ。

 遠くから足音が近づいてくるその一歩ごとに、否定ができないほど大きくて暖かい何かがフェリクスの胸の奥からこんこんと泉のごとく溢れかえり、フェリクスは息ができない。


(ベス・・ベス、ベス)


ベスは大きな笑顔を見せてフェリクスの前にたつと、フェリクスの両の手を己の小さな手で握りしめた。


「お風呂が完成したの」


ベスは言葉がとても少ない。

それは装飾の多い、嘘が多く、回りくどい美辞麗句に囲まれて生きてきたフェリクスにとっては、それは何にも代え難いほどの美徳に感じる。

ベスの口は、必要な事を、必要なだけ言葉にする。

そしてベスのその口に上る言葉は、その心に浮かぶ言葉と一切違う事はない。


ベスはフェリクスに短くそれだけ伝えると、後の言葉は不必要だと言わんがばかりにフェリクスの手を握って離さないまま、フェリクスを湯に誘う。

フェリクスはあの日の人外の温泉のあの時と同じように、ニンフに誘われた漁夫のごとく、何も抵抗もせずにベスに身体も運命も預けて、温泉の中に誘われて行った。


ベスは泳ぐように立派な白粉岩で囲まれた美しい岩風呂の温泉の湯の中にフェリクスを連れてゆき、岩の突起に腰をかけさせると、ようやく手を離して大きな笑顔で言った。


「ほら何も考えずに、目を閉じてお湯を感じてみて。とても気持ちいいでしょ?」


フェリクスは賢明にも、ベスの言葉に抗う無意味さを知っている。


ベスの言葉に従って、ぐるぐると巡る思考を一度全て一旦停止させた。本来ならば風呂を楽しんでいる場合ではない。事の経緯の報告を受け、調査を開始し、王都に連絡を・・・


それらフェリクスの頭を占めている全ての思考を一旦手放し、恐る恐る湯の感触に己の理性を預けてみる。


(・・ああ、なんと心地の良い・・)


この岩風呂には源泉の豊かな水源を惜しみなく引き込んでいるらしい。


アビーブ火山の強い魔力を含有した源泉のお湯は、滝のように新しいお湯が常に湯船に注がれて、湯船のお湯は常に新しいお湯に生まれ代わっている。


フェリクスは目を瞑って大きくため息をついた。


源泉の強い魔力だけではない。白粉岩は月を浴びると、月の魔力を含有する。月の魔力は水と相性が実に良い。

月の光を浴びてその魔力を吸収したのだろう白粉岩は、夜の内に吸収した月の魔力を温泉の湯にゆっくりと吐き出しているらしい。


アビーブ火山の魔力と、月の魔力が源泉に溶け合って、強い魔力の振動を湯に生んでいるのだ。

強い魔力を有したお湯は、フェリクスの体の細胞の一つ一つに語りかけるように振動を呼び覚まして、体はお湯の魔力によって、新しい力の目覚めを呼び覚まされているかのごとくだ。


心と体の全ての汚れも、全ての穢れも浄化されていく気がする。

月の夜にこの風呂に入ると、強い月の浄化の力を浴びて、どれほど美しく、どれほど心地よい湯になるのだろう。


実に素晴らしい湯だ。


「殿下」


湯の素晴らしさにうっとりとしていたフェリクスの耳に、耳慣れた声が届いた。

ハッと目を開けると、岩風呂の隣で氷の彫像にように美しい顔をした男が立ってるのが目に映った。

フェリクスは現実の世界に意識を引き戻す。


「・・サラトガ魔法伯か」


「はい。フェリクス殿下。ご無事のご帰還を心からお祝い申し上げます」


ノエルは膝を折って、深く頭を下げる、魔導師としての最高の礼を取った。

そんなノエルの後ろで、もう一人の男が同じように魔術師の最高の礼をとっているのにフェリクスは気がついた。


ラッカだ。


「殿下。無事のご帰還おめでとうございます」


声を震わせているラッカだが、どうも様子がいつもと違う。

白濁としていたその光を失ったはずの瞳には、黒く強い光が宿っていたのだ。

そしてその強い光は真っ直ぐに、フェリクスの顔を見つめていたのだ。


「ラッカ、お前、まさか」


フェリクスは決してあり得ないはずの事実に、言葉が続いて出てこない。

ラッカは涙を浮かべて微笑むと、


「殿下は、私が思っていたよりも随分と男前でいらっしゃる」


それだけ言って、滂沱の涙を流した。

この男の眼球は薬品によって潰れており、神殿でもその眼が光を取り戻すのは不可能だと言われていたはずだ。


「・・これこれ、国家一流の魔術師が、揃いも揃ってそんな間抜けな入浴着の姿で王太子に最高の礼を取るものではない。全くしまらんではないか。それにしても本当にノエル様はめちゃくちゃなお方じゃ。ワシのような年寄りをこき使ってなんとか大噴火に間に合うなど・・噴火に間に合ってなかったらここの国民の半数は死傷してたかもしれんのじゃ。本当に少しは反省して欲しいものですな」


フェリクスが後ろを振り向くと、全身に禍々しい刺青が入っている小柄な老人が岩風呂の真ん中でブツブツと文句を言いながら佇んでいた。知らない男だ。


だがこの禍々しい刺青には有名な伝説がある。こんな刺青を持つ男は大陸でただ一人だ。

大陸一の大魔術師。伝説の男。


「・・大賢者、エズラ老師」


「ほほほ、わしを知っているとはアビーブの王太子教育は行き届いていますの!!」


カカ、とエズラは笑う。


エズラは、岩風呂の真ん中で混乱して立ち尽くしているフェリクスの肩をポンポンと叩いて座らせると、ノエルとラッカに向かって声をかけた。


「ノエル様。ラッカ殿。とりあえずこの湯船にに入ったらどうじゃ。ここは早く入らんと、すぐに人外だの村の奥様方だので混み合うからの」



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