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[書籍化決定・第一部・第二部完結]緑の指を持つ娘  作者: Moonshine
緑の指を持つ娘 温泉湯けむり編
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フェリクスはざぶざぶと水色の温泉に分け入ってゆき、遠くの水面で、幻のようにフェリクスを手招いている、恋しい娘の方向を目指して泳いでいく。


水色の温泉は、フェリクスの体を受けるとぼう、っと少し、白く光を放った。


(早く・・早く)


瀕死のケルピーを横目にしながら、ざぶざぶとフェリクスは進んでゆく。

やがて水は深くなって、フェリクスは必死で手足を動かし、水の中でもがいて前に進む。


鼻に、口に湯が入っていって、うまく息がつげない。


だが、どんなにフェリクスが早く泳いでも、どこまで水の中でもがいても、不思議な事に愛おしい娘の姿は遠のくばかりなのだ。


(おかしい、ベスが遠くなる、なぜだ、私は早くベスの元に行きたいのに)


頭を上から押し付けられたように、顔がうまく水上に上がってこない。フェリクスは泳ぎは得意だったはずだ。


やがてどんどんと、水の中で半分溺れ始め、息がつげずにもがきだす。


しばらくすると、フェリクスの混乱した意識は息の継げない苦しみでも、フェリクスの恋する娘の姿でもなく、ゆっくりと己の体を包む湯の心地よさに引きずられてゆく。


(なんと・・心地の良い)


水色の湯は、少し粘性を持っていて柔らかく、ミルクのように優しい。

何か強い魔力があるらしい。

湯に触れると独特の感触があり、優しい肌触りなのだが、その実、まるで猛毒の水銀に触れているような、ゾクリとなる不穏な感覚にも陥る。

湯は体温より少し高いが、熱くはない。


(まるで・・湯と、私の境界線がなくなったかのような・・・)


息をする事も、愛おしい娘を追いかける事も、考える事も何もかももう全てを諦めて、フェリクスはただ力を抜いて、そのまま心地の良い水色の湯に心も体も預けてみた。


やがてフェリクスの真っ白な意識にゆっくりと上がってきたのは、フェリクスの体中の皮膚を覆っていた、小さな痛みも突発的な痒みなど、全ての不快感が湯の中で洗われ流れ落ちている感覚だった。


痛みも痒みも剥がれ落ち、剥がれ落ちた後に体に戻ってきたのは、もう覚えていないほど昔に経験した、痛みも痒みもない子供の頃のような健康な皮膚がフェリクスの体を包んでいる懐かしい感覚。


(何が起こっている)


身体中をいつも駆け巡っていた、排出し損ねた古く毒化した魔力も、いつの間にか湯の中に流れて溶けおちた様子だ。いつも不愉快にフェリクスを悩ます、体の内部からのグジグジとした感覚ごと抜け去っていた。


体の奥からはそして、真新しくて、とても強い雷の魔力が惜しみなく大きく溢れているのが感じる。

体がその膨大な魔力に耐える事ができないからと、厳しい鍛錬とポーションで抑え込んでいた本来フェリクスが持っている過剰なまでの魔力だ。


解き放たれた、体を駆け巡る己の膨大な量の魔力の巡回の心地よさにフェリクスは震える。


そっと、目を瞑って、ただ湯の心地よさと体にみなぎる新しい魔力の心地よさに身も心も任せた。


(上も下も、右も左も、今が昼なのか夜なのかもわからない。・・・ただ心地よい)


どれくらい心地よさに身を任せていただろう。

気がつくと、目の前にはフェリクスが追い求めていた愛おしい娘の大きな姿があった。


ベスは優しく微笑んで、言った。


「あら、フェリクス様、やっと元気になったのね。もう痛いところも苦しいところも、痒いところもなくなったのね。本当によかったわ」


ざばり、と湯が体から抜けてゆく感覚に陥る。


(・・硬い)


どうやらフェリクスは、目の前の愛おしい娘に水から引き上げられてその胸に抱かれている様子なのだが、どうも体が硬くて小さい。


そして、ベスの言っている事は理解できるのだが、どうも頭がうまく働かずに、考えが言葉としてまとまらない。どうしても何の言葉も口から出てこない。


ただ、この娘を前にして、胸に感じる温かい感情だけは変わらずに、強くフェリクスの中に残っている。


ベスは気にした様子もなく、続ける。


「貴方、とても綺麗な白い亀になったのね。本当に綺麗よ」


フェリクスは、ベスの言っている事は理解できているのだが、ベスの言葉に心も体も、頭脳も動く気配はない。


いつの間にか、三羽の黒い、大きなカラスがベスの周りを不穏に飛び交っていた。


「貴方にお迎えがきている様子よ。火口に行くのよね。私、ここで貴方が帰ってくるのを待っているわ」


ベスが、硬い体のどこかに口づけをしてくれたらしい。

硬い体に、柔らかい感触が感じた。


フェリクスの胸に、温かい何かが灯った気がしたが、その何かの名前を思い出すことはもうなかった。


「ねえ、元気で帰ってきてね。帰ってきたら、美味しいお芋の入った赤いパンを焼いてあげるわ。それから、一緒に温室のお風呂に入りましょうよ。知っていた? 村のみんな、自分が良いお風呂に入りたいのはもちろんだけど、温室にお風呂を作っていた一番の理由はね、病気の貴方に少しでも喜んで欲しかったからなのよ」


フェリクスの目から、すう、と一欠片、とても大きな真珠のような涙が伝い出た。

そしてその真珠のような尊いものは、水面に吸い込まれて消えていった。


「カラスさん、フェリクス様は火口に行くのですって。道案内をお願いできるかしら」


ガアガア、とカラスはベスに返事をした。

ベスはフェリクス、いや、フェリクスであった一頭の白い亀を大切そうに抱き抱え、そっとカラスの前に下ろす。


ガアガアとカラス達は前になり、後ろになり、木の枝に飛びながら、一頭の白い亀を森の奥に誘う。

白い亀は、ゆっくりと、ゆっくりと暗い森の中に歩みを進めていった。


ベスは、その白い後ろ姿が森の奥に消えて見えなくなるまで、ずっと、ずっと見送っていた。



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