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「べスが離宮の温室に最高の風呂を作りたいと言っているんだ」
ノエルの言葉に、ベスの風呂を知る全ての人々が沸き立った。
ノエルは、ベスが最高の外風呂を作りたい。
ただそう宿に遊びに来ていた皆につぶやいただけだったのだが。
宿の女将さんのご主人は、井戸の掘削を生業にしており、ご主人は井戸の掘削に使う器具をその日の内に温室に持ち込んできた。源泉を掘削で引き込むつもりらしく、オリビアの恋人と二人何かを話あって、木材を温室に持ち込んで、何かを設計して勝手に組み立てている。
「危ないので、みなさん、ちょっと離れておいてくださいね」
盲目のラッカは、岩の浴槽が中広場の下に埋まっているとそう聞くと、ちょいちょいと地中に魔力を流し、魔力の反射反応を確かめて、中広場の敷石を一気に吹き飛ばした。
そしてその後はまた、魔力の反応を見ながら、実に丁寧に丁度よい深さままで雷撃で土を掘り進め、半日もすると白い白粉石の岩肌が見えた。
これで随分掘削作業が楽になるだろう。
戦時は、王家の雷と呼ばれたその実力は、まだ健在だ。
ナーランダもラッカの横で防御結界を展開し、ラッカが吹き飛ばした土砂で他の植物が傷を負わないように、盲目の魔術師のために道標となる魔力をあちこちに印つけた。
そして、言い出しっぺのべスはそんなみんなの作業を、ニコニコと眺めているだけ。
ノエルもべスも、何一つ誰にも依頼していないのだが、みな自分が入りたいベスの風呂を一刻も早く作ろうと、それぞれ仕事の合間に勝手に温室にやってきては、勝手に温泉の仕事をしているのだ。
(確かに、温室についてはノエル様に、何をしてもかまわないとフェリククス殿下は言っていたけれど)
オリビアは、目の前で行われている皆の勝手放題な温室の大工事に大いに混乱しながらも、どんな風呂になるのだろうかとワクワクが止まらない。
この離宮は、ベスが訪れるしばらく前まで、目にするのも悲しい化け物屋敷だったのだ。
温室の内部に至っては、中は空っぽで、赤い土が埃っぽく舞うだけの。誰も訪れない場所。
それがこの短期間で、この離宮は皆が喜んで集う美しい場所と変わり、空っぽだった温室にはこの世の天国だと思われるような風呂をみんなで作ろうと好き勝手に集まっているのだ。
(ベスって何者なのかしら、特に何を話すわけでも、特に何をするわけでもないのに、ベスの近くにいるとみんな満たされていく)
いつも幸せそうにベスの側でほほ笑んでいるノエルの顔をちらりとオリビアは思い出だす。
オリビアのママがどこかで聞いたところによると、美しく気さくなベスの婚約者の貴族の男は、嘘か誠か隣国の女王と婚約をしていたのに、ベスに恋して、婚約を反故にしてまでベスの隣にいる、王国一の魔術師様だそうだ。
(そうよね。ノエル様じゃないけど、確かにべスと一緒にいたら幸せだものね)
そういえば、とオリビアはふと離宮の物置の倉庫に眠っていた、魔力で光る小さな石灯籠の存在を思い出して引っ張り出してきた。綺麗に洗浄魔法をかけて洗ってオリビアが魔力を通すと、命を吹きかえしたように月の様に柔らかい光を放った。
あたりが暗くなるとぼんやりと温室の中を柔らかい光が照らして、とても美しい。
(私も、結局みんなと同じことしてるわね)
勝手に物置の石灯籠を温泉の近くに設置した自分に、オリビアは笑う。
神経痛のオリビアの母まで、お風呂に綺麗なお盆を浮かべて飲み物を飲みたいとか言い出して、神経痛の良い日には、お盆に絵を描くために起き出している。オリビアの母が絵が得意など、オリビアは今の今まで知る由もなかった。
誰もが、自分ができる事を少しずつ勝手にはじめるという不思議な温室の大工事は、着実に毎日進んでいる。
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温室の工事が順調に進んでいたその同じころ。
ここの所肌の状態が随分よくなってきたフェリクスは、今日は体中を包帯で包んで、王家の墓場に花を手向けにやってきていた。
フェリクスがここにやってくるのは、最初に離宮に居を移してから実に数年ぶりとなる墓参だ。
「お体が快方に向かってすぐに王家の先祖の墓参とは実に王太子として立派な事、今後もフェリクス様のご健康を王家の皆様に願い、足繁く参拝する事をお勧めします」
フェリクスの後ろを歩いているメイソンは、王太子の立派な家令らしく、最近滅多に見ることの少なくなった、フェリクスの王太子らしい行動に実に満足気だ。
王家の墓場はそう離宮から遠いところではない。
森はずれの丘を登るとすぐで、離宮から歩いて数刻の距離だ。
静かな寂しい、村を一望できるこの丘に、ぽつりぽつりと朽ちた数十基の墓が並んでいる。
一応は王族の専用の墓地なのだが、この離宮で病の療養をして寂しく息を引き取った、いわば傍流の忘れられた王族達の行き着いた先だ。
フェリクスはこの墓群を見ると、まるで近い将来の自分の未来の姿を見るようで、眉を顰めた。
気分が塞ぎ込むので離宮に居を移して以来、この地を訪れたのは一度だけだ。
だが、今日わざわざそんなこの地を訪れたのには目的があった。
「ほら、あちらがマーシャ王女の墓で、結核でお亡くなりになるまで孤児院の福祉活動に精を出し・・・」
そんなフェリクスに気も留めず、メイソンがペラペラと、それぞれの墓の下に眠る人物の生前の姿を語り出す。
メイソンは、死者の語りかける物語が好きなのだ。
墓地には生前の苦しみから解放された、消える事のない安寧の眠りがある。そして、もう苦しむ事のない、安寧の眠りを与えられた人間の物語がある。
生きている人間と語り合うより、死んでいる人間と語らう時間の方が私は好きなのですよ、とべスに悲しそうにそう言っていた男だ。
べスは、私も人間と語らうより植物と語らう方が好きなので、私たちは似ていますね。
そう言って笑っていた。
一基の朽ちた墓の前にフェリクスは立つと、べスが用意してくれた白い花束を手向けた。
「殿下、ここがお探しになっておられていた、離宮の建立者のジア殿下の墓となります。ほら、ジア殿下の墓だけ意匠が異なる上に、他の墓と比べてもお分かりになりますように、一番古い時代のものになります」
時々墓の手入れにこの風の通る丘にやって来ているメイソンは、王太子の家令としてそれぞれの墓の形やその時代に利用された墓の素材などについて説明を始めたが、あまりフェリクスの耳には入ってこなかった。
じっとフェリクスは、目の前のジア殿下の墓の前で、静かに立ち尽くしていた。
そして、心を決めて、急にフェリクスは大きな電撃の魔法陣を編成する・
(先人よ。私の狼藉をお許しください)
「ででででで殿下!気、気でもおかしくなったのですか!何を一体考えておられるのですか!!」
メイソンの悲鳴が響き渡るが、メイソンの声を振り切って、フェリクスは電撃を展開した。
ドカン!!!!!
そして、一気にジア殿下の、その墓を、暴いたのだ。