「番外編始まりの死とわたし」を呼んだ方へ 桜の同居人~ある魂の叫び~
『なんで……!なんで、あなた達がみていたのに、私の娘は死んでしまったんですか!?』
初めての任務は、感謝なんてされず、むしろ親の仇かのように罵られることからスタートした。
私と妻が育ったこの町、新田町にはある伝説が語り継がれている。
それは「絶対に死ぬことの出来る自殺スポット」なんていう不謹慎な伝説だった。
ほんとうに、そんな伝説が存在しているのか……?と半信半疑で始まった警察による捜査。
そこに抜擢されたのが、私たち夫婦だった。
私たち夫婦には、一人娘の桜という目に入れても痛くない愛娘がいる。
幼いながらも色々な興味を持ち、複雑ではあるが、この町の伝説について深い関心を持ってしまっているようだった。
そんなこともあり、私たち夫婦は長年この町の調査兼捜査を担当することになったのだ。
初めての任務で調査していたのは、小学生の女の子だった。
娘より少し大人なその少女は、複数の痣を持ち、学校でかなり酷い虐めを受けているようだった。
そこで、自殺しないよう見張って置いて欲しい。という親の依頼のもと、私たち夫婦がその少女を見失わないように監視していたのだが……
ある日の土曜日。
女の子が道を右に曲がって少し見えなくなった。
追いかけようと、妻に合図を送り車を移動するが、その一瞬に女の子は消えてしまっていた。
もちろん、親の方へ連絡を入れ、近くの監視カメラ映像も確認した。
だが、私たちが追っていた女の子はその時、道を曲がることなく消えていることがわかった。
つまりだ。
私たちが少女を曲がったことを確認しているのに、カメラでは曲がってきていないことが映されてることから、この曲がり角に伝説に踏み入れるための入口があるのではないか?
今なら、少女を救えるのではないか?
と考えたんだ。
だが、ダメだった。
いくら鑑識を頼んでも、「ただの道」「幻覚でも見たんじゃないか?」の一点張り。
さらに、少女の捜索願い届けが提出される前日には、例のお墓に少女の死体があったそうだ。
私たち夫婦は、幼い子供を持つ身。
親の気持ちが痛いほどにわかった。
だが、少女の親からすると、私たちは少女がむざむざと死んでしまった、ただの役たたずに写ったことだろう。
初めての任務。
初めての人の死。
その原因が私たち夫婦によるミス。
その責任が重く突き刺さると共に、
『どうして、俺たちの娘が死ななきゃならない!
返せ!俺たちの娘を返せっ!!』
死んでしまった少女の親の言葉はズンッと重く心にのしかかってしまった。
その時には、私は、いや、妻もかもしれないが、この自殺事件はなぜだか止められない。という伝説じみた眉唾話が現実であることを認識させられてしまった。
もう、私たちがどう足掻こうと、自殺は止められないのだと。
しかし、死んでしまった人達の家族は、どこに怒りをぶつければいい………。
いじめを行った主犯、これは妥当だろう。
では、その周りは?、これも妥当だと思う。
では、それを止められなかった周囲、それも、直接的に止められたハズの私たちは………?
そう考えていると、不思議と身体は死んだ人達の親族の方へ頭を下げてしまっていた。
そして、理不尽であるとわかっていても、私たち夫婦は受け止めるしかなかった。
いつしか、私たち夫婦の心は壊れかけていた。
娘に向ける笑顔も、段々と本物から作り物へ。作り物から完全なる無へ。
ちゃんと、桜に笑いかけてあげられたのはいつ頃までだろう……。
そう、考えている内に、妻が病気になった。
………鬱病だった。
私は、妻が壊れていく姿を間近でいつも観ていた。観ているだけしかできなかった。
自分でさえ、すでに壊れかけていたのだから。
だからだろう。私も、きっと同じくらいのタイミングで鬱病に罹っていたのだ。
それからは、早かった。
私は、病室の妻を連れ出し、桜に置き手紙とペンダントを残し、夫婦が出会った場所。
唯一つの桜の木が咲いている公園に向かった。
このときの妻はすべてを理解していたような顔だった。
あぁ、今から全てを終わらせるんですね……。と。
私たち夫婦の身勝手で、娘を巻き込む訳にはいかなかった。
だから、その日、娘の桜は、友達の麗奈ちゃんところにお泊まりしてもらっている。
公園に着くと、 娘の名前の由来となった、私たち夫婦が出会ったこの公園にある唯一つの桜の木が私たちを出迎えていた。
それは、7月にも関わらず、私たち夫婦には満開に咲いているように見えた。
「桜……、自分勝手な私たちを許さないでくれ。」
「桜……、私の可愛い娘……。あなたをもう一度抱き締めれば、いや、それは後悔になりそうね……。でも、これだけは、言えるわ……。愛してる。身勝手な母親でごめんね…………。」
「行こうか……。」「ええ……。」
満開の桜の木を後にして、歩くこと少し。
「ここは………? 」
それは、のどかな田園風景だった。
そこに、ポツンとある赤いベンチのバス停と思われるプレハブ小屋。
不思議と、足はそのプレハブ小屋の方へ進んでいた。
まるで、そこが私たちの目指していた目的地であるかのようだった。
そこで、気付いた。
「そうか……、ここが、彼らの見ていた景色だったんだね……。 」
恐らく、ここは、新田町の伝説となっている場所。
行けば必ず自殺できると言われる場所。
私たち夫婦は、そこへ、呼ばれたのだ。
30分ほどだろうか…………。
バス停に、バスが来た。
いや、バス停なのだからバスが来るのは当たり前だ。
だが、バスには運転手がおらず、あまりにも、不気味で、それでいて、楽しみだった。
だが、ふと、娘の顔がよぎった。
私は、愚かだった。
いや、私たちは愚かだった。
急に、娘を置いて自殺してしまうことに恐怖と悲しみを覚えたんだ。
だが、すでに、妻はバスに乗り込んでしまった。
もう、妻は後戻りはできない。
私は愚かだ。
愛しているといった娘よりも、結局、妻を選んでしまったんだ。
だが、バスに乗り込むと不思議と後悔と自責の念は消えてしまった。
――――これが、死ぬという感覚
娘や、妻、果ては、自分の幼少期のころの思い出がよみがえる。
何分たっただろうか。
次のシーンが最後であると、なぜか理解できる。
見えてくるのは、妻と娘、そして、私の、家族団らんで楽しく食事をかこっている姿だった。
もう、遅い。
だが、無性に思ってしまった。
死にたくない!
と。
だから、すでに、死に取り込まれている妻に変わり、私はこの思いをここに残してから死のうと思う。
人生生きていても、苦しいこと、悲しいこと、痛いことなんていくつもある。
だが、この思いだけは、絶対だ。
私は、その苦しみも、悲しみも、痛みも、すべてが幸せだったのだと。
そのすべてを受け入れてきたからこそ、幸せを感じることができていたのだと。
結局、人は生きていればこそだ。
生きていれば、苦しみも、悲しみも、痛みもある。
だからこそ、幸せはあるんだ。
「いきろ。」
今から死ぬ私が言うのもなんだが…………、
「いきろ……。何がなんでも、生きろっ!
生きろォ!!!」
その声は、どこまで響いていたかはわからない。
ただ、確実に言えるのは、その魂の叫びは、ある少女によって持ち込まれた桜の種に、偶然に、いや、必然的に、宿ったのだ。