夢現
「どうせなら」と見つけた意味を、誤って「夢」と呼ぶ。
昔、誰かがそんなふうに歌っていたのを覚えている。
大学の卒業が近づき、就職という単語が目の前に迫った頃、宗像現はその歌のことを思い出した。
自分の中で映画製作に対しての意欲があった頃は、それが自分の「夢」なんだと信じて疑わなかった。
最初はただの興味だった。何かを創ってみたくて、親父のビデオカメラを引っ張りだして適当に撮ったりしていた。確か、小学生の頃だ。
映画は小さな頃から好きで、ビデオテープだったり映画館だったり、とにかく作品を見たがる子供だった。
中学生になってから「監督」という存在を知って、それが映画を創る神様みたいなものなんだと、当時は半ば本気で思っていた。
今思えば、顔を埋めたくなる程恥ずかしいのであまり思い出したくはないが、あの頃が一番楽しかったのも事実だ。
高校生になり、いろんな遊びを覚え、友人が増えても創作は続けた。ただ、それを友人に見せることはなかった。
その頃からインターネットが普及し、多くのクリエイターがそれを利用して作品を公開した。
自分もその波に乗ろうと、幾つかの作品を投稿したりした。ここまで続けてきたのだ。折角なら上を目指したいと、期待に胸を膨らませたものだ。
どうなったかと言えば、才能というものを思い知っただけだった。
大学生の間にも何本か短編は創ったし、上映もした。評価はそれなりに良くて、やっぱり、もしかしたら、なんて思いもした。
それでも、無いものは無いのだ。
どうして創りたかったのか、いつの間にかそんなことも分からなくなっていた。
自分は誤っていたのだ。
「夢」なんて大層な言い方をして、満足していただけだ。
◇
「今だから言うけどさぁ、俺、監督になりたかったんだよね」
中小のゼネコンに営業として就職して二年。
大した勉強もせずに映画ばかり撮っていた俺が社会で通用する訳もなく、毎週のように友人に愚痴を溢していた。
この日は上司からの"お叱り"が激しく、いつもより飲み過ぎたからか、どうにも酔いが回ってしまっていた。だから、誰かに言ったこともない、自分の終わった「夢だと思い込んでいたこと」を語りってしまったのだろう。
友人も相当酔っていたからこの話を覚えているかは分からないが、次の日に思い出して恥ずかしさで顔から火が出そうだった。
友人━━付き合いはもう四年になるが、毎週末に他愛もない話を酒を呑みながらしているだけの仲だ。
大学入学時に所謂"飲みサークル"というものに入ろうと思い立ち、潜り込んでみたはいいもののどうにも空気が合わず、一回目の集まりの開始三十分で離脱を決意した。そこでこっそり抜け出してみれば、同じようなことを考えていたのがもう一人……それが彼女だった。
「ね、君も合わなかった口でしょ」
彼女が気持ちの良い笑い方をして「飲み直そーよ」というものだから、断る理由も思いつかずに着いて行ったのだが、まさかこんなに気が合うとは思わなかった。
そうして四年、恋人でもないのに毎週のように会っては何かをしている。
恋愛感情が一切湧かないのは不思議なものだが、まあそういう相手もいるんだろう。
でも、どんな感情も、永劫に続くものは無い。
だからこうして一緒にラーメンを食べてるのも、俺が彼女にそういう意味での好意が湧かないのも、もしかしたら創作意欲が湧かないのも、いつまでなのかは分からない。
一本のフィルムがエンドロールを迎えるまでに、人生なんてものは簡単に変わるのだから。