#2 開場
どうしよう、動けない。黒曜石の瞳は、俺の魂を吸い込みそうで恐い。だけど同時に、
「…っ…」
消え入りそうに儚いと思うのは、どうして。
目の前の子が、思わず尻もちをついてしまった俺へと手を伸ばしかけて、不意に止めた。
俺を見下す黒い瞳の子は、無機質に観察するような眼差しをしたまま半歩、俺から距離を取り
「!?」
何の前触れもなく消えてしまった。そして、その子が消えるのと同時に俺のボディガードが来た。
「理人坊ちゃん!探しましたよ!!」
「尻もちをつかれてますが、どうかなさいましたか?」
「あ…いや…。なんでもない…」
俺はそれだけ言うと立ち上がり、さっきの子がいたところを、見るだけ見てみた。
そこには半歩だけ下がった足跡と、それより前に付けたと思われる足跡が認識できた。
そして。その足跡達は、確かにさっきの子は実在するのだと、俺に教えてくれる唯一のものだった。
「凛さん、どうして執事だなんて嘘を?」
白ベンツの車内。広い車内にはルナと凛だけだった。
ルナは凛に不満があるらしく、あの人は嘘を嫌うでしょう、とまで言った。
すると、先ほど理人に対して執事だと名乗った凛は、無表情に車の運転を続けながら答えた。
「確かにあの方は嘘を嫌うので私を罰するでしょう。ですが、あの場では必要な嘘でした」
「…そうですか…」
凛の答えにルナは一応の納得をしながら、どこか心配そうに言葉を返した。
『おい、長髪コンビ。仲良しこよしなのは良いが気ぃ張れよ?』
不意にカーナビの横に取り付けられた超小型無線機から、誰かかの通信が入った。
元からオンにしておいたのか、凛もルナも驚く事無く、通信してきた相手に言葉を返す。
「誰かと思ったら…彩貴ですか…」
「久しぶりです、彩さん」
凛が明らかに落胆しきった声を出し、それにルナが苦笑をして通信相手に言葉を返した。
『んだよ、その残念そうな声は!なぁっ!!幼馴染の親友に対して酷いと思わねぇ?!』
彩貴と呼ばれた相手は凛の態度が障ったらしく、不満そうな声音そのまま、ルナに振る。
「落ち着いて下さい、彩さん。今はあの人を探している最中でしょう?」
『そうだった。凛が酷いから忘れるとこだった…他に行きそうな足跡は?』
彩貴はルナの窘めにより我に帰ったらしく、仕事の情報を催促してきた。
「今調べます。黒猫、後部座席の左上部を見てみて下さい」
「はい。今暫くお待ちを」
凛は彩貴に今調べる旨を伝え、そのままルナへ指示を出した。
ルナもそれに従い、広くて白い車内を這う様に移動するのだった。
「良かったのかい?」
「何が」
無骨な色と姿を晒すコンクリートの上を妙齢の美女が歩いていた。その斜め上に金髪の子供。
どういう原理なのか、子供は幽霊よろしく浮遊していた。その体に、翼も何も無いのに。
美女は特に気にならないのか、そこへは突っ込まず、問われた事に問いで返した。
「意地悪だなぁ。判ってるんでしょ?彼が裏側に来る事が」
その確認とも取れる問いに、しかし美女は答えない。代わりに鋭い目線を空に向ける。
子供はその様子を楽しそうに見遣り、そして言葉を吹き上げてきたビル風に乗せた。
そして美女は音も無く消えた。子供と共に。あたかもそこに、元から存在しなかったかのように。
この時点ではまだ、俺は引き返せたのだった。でも、そうしなかったのは、
「エゴだよ、君やルナの想いも。そして僕の願いですら…エゴだ」
この言葉の所為。こんな事を言わせてしまう世界の所為だと言いたい。